🔖 ブックマーク機能はLINEログインで利用できます
💬 AIブッダに相談
10,029
偈句数
9,999
日本語訳あり
9,982
パーリ原文
経典 19
テーマ 20
該当 10,029
すべて
智慧 4354
老い 931
苦しみ 772
正念 695
怒り 356
執着 350
死 350
業・因果 346
幸せ 337
自己 244
人間関係 243
家族 234
不安 168
仕事 165
渇愛 147
慈悲 115
無常 111
孤独 45
空 43
感謝 23
vinaya 2606
中部経典 2117
長部経典 1357
相応部経典 1136
増支部経典 857
jataka 563
スッタニパータ 522
ダンマパダ(法句経) 426
テーラガーター 211
テーリーガーター 68
クッダカパータ 57
イティヴッタカ 54
ウダーナ 34
金剛経 5
維摩経 5
般若心経 4
法華経 4
涅槃経 2
AN 1
幸せ
vinaya
趣旨一致
中
suddho appaṭipuggalo; Arahaṁ sugato loke, tassāhaṁ paricārako”ti. Atha kho bhagavā yena rañño māgadhassa seniyassa bimbisārassa nivesanaṁ tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā paññatte āsane nisīdi saddhiṁ bhikkhusaṅghena. Atha kho rājā māgadho seniyo bimbisāro buddhappamukhaṁ bhikkhusaṅghaṁ paṇītena khādanīyena bhojanīyena sahatthā santappetvā sampavāretvā bhagavantaṁ bhuttāviṁ onītapattapāṇiṁ ekamantaṁ nisīdi. Ekamantaṁ nisinnassa kho rañño māgadhassa seniyassa bimbisārassa etadahosi— “kattha nu kho bhagavā vihareyya? Yaṁ assa gāmato neva atidūre na accāsanne, gamanāgamanasampannaṁ, atthikānaṁ atthikānaṁ manussānaṁ abhikkamanīyaṁ, divā appākiṇṇaṁ, rattiṁ appasaddaṁ appanigghosaṁ vijanavātaṁ, manussarāhasseyyakaṁ, paṭisallānasāruppan”ti. Atha kho rañño māgadhassa seniyassa bimbisārassa etadahosi— “idaṁ kho amhākaṁ veḷuvanaṁ uyyānaṁ gāmato neva atidūre na accāsanne gamanāgamanasampannaṁ atthikānaṁ atthikānaṁ manussānaṁ abhikkamanīyaṁ divā appākiṇṇaṁ rattiṁ appasaddaṁ appanigghosaṁ vijanavātaṁ manussarāhasseyyakaṁ paṭisallānasāruppaṁ.
「清浄にして比類なき方、世において阿羅漢(アラハン)にして善逝(スガタ)なる、その方に私はお仕えするのだ」と。
そのとき世尊は、マガダ国王セーニヤ・ビンビサーラの居所へと赴かれた。赴かれてから、比丘僧伽とともに設けられた座にお着きになった。そのときマガダ国王セーニヤ・ビンビサーラは、仏陀を上首とする比丘僧伽に、精妙なる硬食・軟食を自らの手をもって十分に供養し、満ち足りしめてから、世尊が食事を終えて鉢から手を離されるのを見て、一方の脇にお座りになった。一方の脇に座ったマガダ国王セーニヤ・ビンビサーラに、かくのごとき思いが起こった。
「いったいどこに世尊は住まわれるべきであろうか。村里からあまり遠からず、またあまり近からず、往き来するに便よく、参詣を望む人々が近づきやすく、昼間は人の往来が少なく、夜は音なく物音も絶え、人の気配もなく、人里離れた静寂にふさわしく、独居思惟(パティサッラーナ)に相応しき場所はいずこであろうか」と。
さらにマガダ国王セーニヤ・ビンビサーラに、かくのごとき思いが起こった。
「この我が竹林(ヴェーラヴァナ)の苑こそは、村里からあまり遠からず、またあまり近からず、往き来するに便よく、参詣を望む人々が近づきやすく、昼間は人の往来が少なく、夜は音なく物音も絶え、人の気配もなく、人里離れた静寂にふさわしく、独居思惟に相応しき場所である。
⚠ 出家者向けの文脈
幸せ
vinaya
趣旨一致
中
Tena kho pana samayena bhikkhū bhikkhunupassayaṁ upasaṅkamitvā bhikkhunīnaṁ pātimokkhaṁ uddisanti. Manussā ujjhāyanti khiyyanti vipācenti— “jāyāyo imā imesaṁ, jāriyo imā imesaṁ, idāni ime imāhi saddhiṁ abhiramissantī”ti. Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Na, bhikkhave, bhikkhūhi bhikkhunīnaṁ pātimokkhaṁ uddisitabbaṁ. Yo uddiseyya, āpatti dukkaṭassa. Anujānāmi, bhikkhave, bhikkhunīhi bhikkhunīnaṁ pātimokkhaṁ uddisitun”ti. Bhikkhuniyo na jānanti— “evaṁ pātimokkhaṁ uddisitabban”ti. Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ.
その当時、比丘たちは比丘尼の住処(比丘尼精舎)を訪れて、比丘尼たちのために波羅提木叉(パーティモッカ)を誦出していた。すると俗人たちは憤慨し、そしりそしって言った——「これらの者どもはこの者たちの妻である、これらの者どもはこの者たちの愛人である、いまやこの者たちはこれらの者どもとともに楽しみを共にするつもりであろう」と。人々はこのことを世尊に申し上げた。〔世尊は言われた。〕「比丘たちよ、比丘たちが比丘尼たちのために波羅提木叉を誦出してはならない。誦出する者があれば、突吉羅(ドゥッカタ)の罪を犯すことになる。比丘たちよ、わたしは比丘尼たちが比丘尼たちのために波羅提木叉を誦出することを許可する」と。〔しかし〕比丘尼たちは「このように波羅提木叉を誦出すべきである」ということを知らなかった。人々はこのことを世尊に申し上げた。
⚠ 出家者向けの文脈
幸せ
vinaya
趣旨一致
中
“Na, bhikkhave, bhikkhuniyā ovādo na gantabbo. Yā na gaccheyya, yathādhammo kāretabbo”ti. Tena kho pana samayena sabbo bhikkhunisaṅgho ovādaṁ gacchati. Manussā ujjhāyanti khiyyanti vipācenti— “jāyāyo imā imesaṁ, jāriyo imā imesaṁ, idāni ime imāhi saddhiṁ abhiramissantī”ti. Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Na, bhikkhave, sabbena bhikkhunisaṅghena ovādo gantabbo. Gaccheyya ce, āpatti dukkaṭassa. Anujānāmi, bhikkhave, catūhi pañcahi bhikkhunīhi ovādaṁ gantun”ti. Tena kho pana samayena catasso pañca bhikkhuniyo ovādaṁ gacchanti.
「比丘たちよ、比丘尼(びくに)は教誡(おわどう)を受けに行かなくてよい。もし行かぬ者があれば、法に従って処置すべし」と。
ところがその時、比丘尼の僧伽(さんが)がこぞって教誡を受けに赴いた。人々はこれを見て、そしり、あざけり、声高に言いふらした。「これらの者は、あの者どもの妻ではないか。あの者どもの愛人ではないか。今や彼らはこの女たちと共に楽しもうというのであろう」と。
人々はこの事柄を世尊(せそん)に申し上げた。
〔世尊は言われた。〕「比丘たちよ、比丘尼の僧伽が全員で教誡を受けに行ってはならない。もし行くならば、突吉羅(とっきら)の罪となる。比丘たちよ、わたくしは許可する——四人ないし五人の比丘尼が教誡を受けに行くことを」と。
ところがその時、四、五人の比丘尼が教誡を受けに行った。
⚠ 出家者向けの文脈
幸せ
vinaya
趣旨一致
中
Manussā tatheva ujjhāyanti khiyyanti vipācenti— “jāyāyo imā imesaṁ, jāriyo imā imesaṁ, idāni ime imāhi saddhiṁ abhiramissantī”ti. Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Na, bhikkhave, catūhi pañcahi bhikkhunīhi ovādo gantabbo. Gaccheyyuñce, āpatti dukkaṭassa. Anujānāmi, bhikkhave, dve tisso bhikkhuniyo ovādaṁ gantuṁ. Ekaṁ bhikkhuṁ upasaṅkamitvā ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā pāde vanditvā ukkuṭikaṁ nisīditvā añjaliṁ paggahetvā evamassa vacanīyo— ‘bhikkhunisaṅgho, ayya, bhikkhusaṅghassa pāde vandati, ovādūpasaṅkamanañca yācati; labhatu kira, ayya, bhikkhunisaṅgho ovādūpasaṅkamanan’ti. Tena bhikkhunā pātimokkhuddesako upasaṅkamitvā evamassa vacanīyo—
人々はそのように非難し、そしりそしって言った——「これらの女は彼らの妻であり、これらの女は彼らの愛人である。今やこれらの者はこの女たちと共に楽しもうとしているのだ」と。〔比丘たちは〕この事柄を世尊に申し上げた。「比丘たちよ、四人または五人の比丘尼が〔一人の比丘の〕教誡(オヴァーダ)を受けに行ってはならない。もし行くならば、突吉羅(ドゥッカタ)の罪を犯すことになる。比丘たちよ、二人または三人の比丘尼が教誡を受けに行くことを許可する。〔その際は〕一人の比丘のもとに赴き、上衣(ウッタラーサンガ)を一肩にかけ、〔その比丘の〕足を礼拝し、蹲踞(うずくま)って座り、合掌して、次のように申し上げるべきである——『尊者よ、比丘尼僧伽(サンガ)は比丘僧伽の足を礼拝し、教誡を受けに参ることを願い申し上げます。どうか尊者よ、比丘尼僧伽が教誡を受けに参ることをお許しください』と。その比丘は〔比丘尼たちを〕戒本(パーティモッカ)の誦出者のもとへ連れて行き、次のように申し上げるべきである——
⚠ 出家者向けの文脈
幸せ
vinaya
趣旨一致
中
Tena kho pana samayena rājagahe paṇītānaṁ bhattānaṁ bhattapaṭipāṭi aṭṭhitā hoti. Atha kho aññatarassa brāhmaṇassa etadahosi— “ime kho samaṇā sakyaputtiyā sukhasīlā sukhasamācārā, subhojanāni bhuñjitvā nivātesu sayanesu sayanti. Yannūnāhaṁ samaṇesu sakyaputtiyesu pabbajeyyan”ti. Atha kho so brāhmaṇo bhikkhū upasaṅkamitvā pabbajjaṁ yāci. Taṁ bhikkhū pabbājesuṁ upasampādesuṁ. Tasmiṁ pabbajite bhattapaṭipāṭi khīyittha. Bhikkhū evamāhaṁsu— “ehi dāni, āvuso, piṇḍāya carissāmā”ti. “nāhaṁ, āvuso, etaṅkāraṇā pabbajito piṇḍāya carissāmīti.
そのころ、王舎城(ラージャガハ)においては、上等な食事の順番が定められていた。ときに、あるバラモンの心にこのような思いが生じた。
「これらの釈迦の子たる沙門(サマナ)たちは、安楽に暮らし、安楽に振る舞い、美食を食しては、風の当たらぬ臥所に横たわっている。いっそ、わたしも釈迦の子たる沙門たちのもとで出家するとしよう」と。
そこでそのバラモンは、比丘たちのもとに近づき、出家を願い求めた。比丘たちは彼を出家させ、具足戒を授けた。ところが、彼が出家するや否や、食事の順番は絶えてしまった。比丘たちは彼にこう言った。
「さあ、友よ、今から托鉢(ピンダパータ)に参ろうではありませんか」と。
すると彼は答えた。
「友よ、わたしはそのような理由から出家したのではありません。托鉢などには参りませぬ」と。
⚠ 出家者向けの文脈
幸せ
vinaya
趣旨一致
中
Disvā āyatanuppādaṁ, sammā cittaṁ vimuccati. Tassa sammāvimuttassa, santacittassa bhikkhuno; Katassa paṭicayo natthi, karaṇīyaṁ na vijjati. Selo yathā ekagghano, vātena na samīrati; Evaṁ rūpā rasā saddā, gandhā phassā ca kevalā.
感官(āyatana)の生起を見て、
心は正しく解脱(vimuccati)する。
正しく解脱し、心静まりたる比丘には、
なしおわったことへの執著なく、
なすべきことももはや存在しない。
岩山がひとつの堅固な塊のごとく、
風によって揺れ動かされぬように、
色(rūpa)も、味(rasa)も、声(sadda)も、
香(gandha)も、触(phassa)も、そのすべてが、
〔かの比丘の心を〕揺るがすことがない。
⚠ 出家者向けの文脈
幸せ
vinaya
趣旨一致
中
“Na, bhikkhave, ubhatokājaṁ haritabbaṁ. Yo hareyya, āpatti dukkaṭassa. Anujānāmi, bhikkhave, ekatokājaṁ antarākājaṁ sīsabhāraṁ khandhabhāraṁ kaṭibhāraṁ olambakan”ti. Tena kho pana samayena bhikkhū dantakaṭṭhaṁ na khādanti. Mukhaṁ duggandhaṁ hoti. Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Pañcime, bhikkhave, ādīnavā dantakaṭṭhassa akhādane. Acakkhussaṁ, mukhaṁ duggandhaṁ hoti, rasaharaṇiyo na visujjhanti, pittaṁ semhaṁ bhattaṁ pariyonandhati, bhattamassa nacchādeti— Pañcime, bhikkhave, ānisaṁsā dantakaṭṭhassa khādane. Cakkhussaṁ, mukhaṁ na duggandhaṁ hoti, rasaharaṇiyo visujjhanti, pittaṁ semhaṁ bhattaṁ na pariyonandhati, bhattamassa chādeti—
「比丘たちよ、両側に荷を担って運んではならない。もし運ぶ者があれば、突吉羅(ドゥッカタ)の罪を犯すことになる。比丘たちよ、我は許す――片側に荷を担うこと、腰の間に挟むこと、頭に載せること、肩に担うこと、腰に負うこと、および吊り下げて運ぶことを。」
さて、そのころ比丘たちは歯木(ダンタカッタ)を噛まなかった。そのため口が臭くなった。比丘たちはこのことを世尊に申し上げた。
「比丘たちよ、歯木を噛まないことには五つの過患(ādīnava)がある。目が曇ること、口が臭くなること、味覚の通路が清まらないこと、胆汁と粘液とが食物を覆い包むこと、そして食物の味が損なわれること――これが五つである。
比丘たちよ、歯木を噛むことには五つの功徳(ānisaṁsa)がある。目が明らかになること、口が臭くならないこと、味覚の通路が清まること、胆汁と粘液とが食物を覆い包まないこと、そして食物の味が快く感じられること――これが五つである。」
⚠ 出家者向けの文脈
幸せ
vinaya
趣旨一致
中
Ye te bhikkhū tiracchānakathikā kāyadaḷhibahulā viharanti tesampi ekajjhaṁ senāsanaṁ paññapeti— “imāyapime āyasmanto ratiyā acchissantī”ti. Yepi te bhikkhū vikāle āgacchanti tesampi tejodhātuṁ samāpajjitvā teneva ālokena senāsanaṁ paññapeti; apissu bhikkhū sañcicca vikāle āgacchanti— “mayaṁ āyasmato dabbassa mallaputtassa iddhipāṭihāriyaṁ passissāmā”ti. Te āyasmantaṁ dabbaṁ mallaputtaṁ upasaṅkamitvā evaṁ vadanti— “amhākaṁ, āvuso dabba, senāsanaṁ paññapehī”ti. “kattha āyasmantā icchanti kattha paññapemī”ti? Te sañcicca dūre apadisanti— “amhākaṁ, āvuso dabba, gijjhakūṭe pabbate senāsanaṁ paññapehi.
さて、雑談(tiracchānakatha)を好み、身体的な安楽にふけることの多い比丘たちのためには、一か所に宿房(senāsana)を定めて、「これらの尊者たちはこの楽しみのうちに留まるであろう」と〔考えた〕。また、時ならぬ時に来る比丘たちのためには、火界(tejodhātu)の定(samāpatti)に入り、その光明によって宿房を定めた。そればかりか、比丘たちはわざわざ時ならぬ時に来ることさえあった——「われらは、尊者ダッバ・マッラプッタの神通の奇跡(iddhipāṭihāriya)を見んものぞ」と。彼らは尊者ダッバ・マッラプッタのもとに近づいて、このように言った——「友よ、ダッバよ、われらのために宿房を定めてください」と。「尊者たちはどこを望まれますか、どこに定めましょうか」と。彼らはわざと遠方を指定した——「友よ、ダッバよ、われらのために鷲の頂(Gijjhakūṭa)の山に宿房を定めてください」と。
⚠ 出家者向けの文脈
幸せ
vinaya
趣旨一致
中
Atha kho āyasmato soṇassa vassaṁvuṭṭhassa rahogatassa paṭisallīnassa evaṁ cetaso parivitakko udapādi— “sutoyeva kho me so bhagavā ediso ca ediso cāti, na ca mayā sammukhā diṭṭho, gaccheyyāhaṁ taṁ bhagavantaṁ dassanāya arahantaṁ sammāsambuddhaṁ, sace maṁ upajjhāyo anujāneyyā”ti. Atha kho āyasmā soṇo sāyanhasamayaṁ paṭisallānā vuṭṭhito yenāyasmā mahākaccāno tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā āyasmantaṁ mahākaccānaṁ abhivādetvā ekamantaṁ nisīdi. Ekamantaṁ nisinno kho āyasmā soṇo āyasmantaṁ mahākaccānaṁ etadavoca— “Sādhu sādhu, soṇa. Gaccha tvaṁ, soṇa, taṁ bhagavantaṁ dassanāya arahantaṁ sammāsambuddhaṁ. Dakkhissasi tvaṁ, soṇa, taṁ bhagavantaṁ pāsādikaṁ pasādanīyaṁ santindriyaṁ santamānasaṁ uttamadamathasamathaṁ anuppattaṁ dantaṁ guttaṁ yatindriyaṁ nāgaṁ. Tena hi tvaṁ, soṇa, mama vacanena bhagavato pāde sirasā vanda— ‘upajjhāyo me, bhante, āyasmā mahākaccāno bhagavato pāde sirasā vandatī’ti. Evañca vadehi—
さて、ソーナ尊者は安居(vassā)を終え、独処(rahogata)して静思(paṭisallāna)しておられたとき、その心にこのような思惟(parivitakka)が生じた。——「かの世尊は、このようなお方、またこのようなお方と、ただ伝え聞くばかりであって、いまだ親しく御目にかかったことがない。もし和上(upajjhāya)がお許しくださるならば、かの阿羅漢(arahant)・正等覚者(sammāsambuddha)たる世尊に拝謁に参りたいものだ」と。
そこでソーナ尊者は、夕暮れどき静思より出でて、マハーカッチャーナ尊者のもとに赴き、マハーカッチャーナ尊者を礼拝して、かたわらに座した。かたわらに座したソーナ尊者は、マハーカッチャーナ尊者にこのように申し上げた。——「尊者よ、わたくしは独処して静思しておりましたとき、このような思惟が生じました。『かの世尊は……世尊に拝謁に参りたいものだ』と。和上よ、もし御許しをいただけるならば、かの阿羅漢・正等覚者たる世尊に拝謁に参りたいと存じます」と。
「よし、よし、ソーナよ。ソーナよ、そなたはかの阿羅漢・正等覚者たる世尊に拝謁に参るがよい。ソーナよ、そなたはかの世尊を親しく拝するであろう——清浄にして清らかな信を起こさしめ、諸根(indriya)は寂静(santa)に、心(mānasa)は寂静に、この上なき調御(damatha)と止寂(samatha)に到達し、調御され、護られ、諸根を制した、龍(nāga)のごときお方を。さあ、ソーナよ、そなたはわたしの言葉として、世尊の御足に頭をもって礼拝し、『和上たるマハーカッチャーナ尊者が、世尊の御足に頭をもって礼拝申し上げます』と申し上げ、またこのように申し上げるがよい——」
⚠ 出家者向けの文脈
幸せ
vinaya
趣旨一致
中
Kalyāṇiyāpi vācāya samannāgato, vissaṭṭhāya, anelagalāya, atthassa viññāpaniyā. Kativassosi tvaṁ, bhikkhū”ti? “Ekavassohaṁ, bhagavā”ti. “Kissa pana tvaṁ, bhikkhu, evaṁ ciraṁ akāsī”ti? “Ciraṁ diṭṭho me, bhante, kāmesu ādīnavo, api ca sambādhā gharāvāsā bahukiccā bahukaraṇīyā”ti. Atha kho bhagavā etamatthaṁ viditvā tāyaṁ velāyaṁ imaṁ udānaṁ udānesi— “Disvā ādīnavaṁ loke, ñatvā dhammaṁ nirūpadhiṁ; Ariyo na ramatī pāpe, pāpe na ramatī sucī”ti.
〔彼はまた〕美しい声を具え、明瞭にして淀みなく、意味をよく伝える語りをそなえていた。「汝は比丘となりて何年になるか」と〔世尊は問われた〕。「世尊よ、一年にございます」と。「では比丘よ、なにゆえかくも長い年月を要したのか」と。「尊師よ、わたしは久しく欲望における危難(ādīnava)を見ておりました。しかしながら、在家の生活は狭苦しく、なすべきことも多く、務めも多うございました」と。
そこで世尊はこの意義を知られ、その時この感興の言葉(ウダーナ)を発せられた――
世における危難(ādīnava)を見、
執着なき法(dhamma)を知りて、
聖者(ariya)は悪を喜ばず、
清らかなる者は悪に楽しまず。
⚠ 出家者向けの文脈
幸せ
vinaya
趣旨一致
中
Itarītarenapāhaṁ, bhikkhave, santuṭṭhiṁ vaṇṇemī”ti. Assosuṁ kho rājagahe manussā— “bhagavatā kira bhikkhūnaṁ gahapaticīvaraṁ anuññātan”ti. Te ca manussā haṭṭhā ahesuṁ udaggā— “idāni kho mayaṁ dānāni dassāma puññāni karissāma, yato bhagavatā bhikkhūnaṁ gahapaticīvaraṁ anuññātan”ti. Ekāheneva rājagahe bahūni cīvarasahassāni uppajjiṁsu. Assosuṁ kho jānapadā manussā— Tena kho pana samayena saṅghassa pāvāro uppanno hoti. Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Anujānāmi, bhikkhave, pāvāran”ti.
「比丘たちよ、わたしはどのようなものであれ、足ることを讃えるのである」と。
さて、王舎城(ラージャガハ)の人々は聞いた——「世尊は比丘たちに、在家者の衣(ガハパティ・チーヴァラ)をお許しになったという」と。その人々は歓喜し、心躍らせた——「今こそわれらは布施をなし、功徳を積むことができる。世尊が比丘たちに在家者の衣をお許しになったのだから」と。わずか一日のうちに、王舎城において幾千もの衣が生じた。
また、地方の人々もこれを聞いた——
さてそのとき、僧伽(サンガ)に自恣(パーヴァーラナー)の時節が到来していた。人々はこのことを世尊に申し上げた。
「比丘たちよ、自恣(パーヴァーラナー)を許可する」と、世尊は仰せられた。
⚠ 出家者向けの文脈
幸せ
vinaya
趣旨一致
中
Yā nahāyeyya, āpatti dukkaṭassā”ti. Tena kho pana samayena bhikkhuniyo paṭisote nahāyanti dhārāsamphassaṁ sādiyantī. Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Na, bhikkhave, bhikkhuniyā paṭisote nahāyitabbaṁ. Yā nahāyeyya, āpatti dukkaṭassā”ti. Tena kho pana samayena bhikkhuniyo atitthe nahāyanti. Dhuttā dūsenti. Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Na, bhikkhave, bhikkhuniyā atitthe nahāyitabbaṁ. Yā nahāyeyya, āpatti dukkaṭassā”ti.
〔入水して〕沐浴する者には、悪作(ドゥッカタ)の罪を犯すことになる」と。
さてそのころ、比丘尼たちは流れに逆らって沐浴し、水の流れに身を打たせることを楽しんでいた。このことを世尊に申し上げた。〔世尊はこう告げられた。〕「比丘たちよ、比丘尼は流れに逆らって沐浴してはならない。〔流れに逆らって〕沐浴する者には、悪作の罪を犯すことになる」と。
さてそのころ、比丘尼たちは渡し場でないところで沐浴していた。放蕩者たちがこれを辱めた。このことを世尊に申し上げた。〔世尊はこう告げられた。〕「比丘たちよ、比丘尼は渡し場でないところで沐浴してはならない。〔渡し場でないところで〕沐浴する者には、悪作の罪を犯すことになる」と。
⚠ 出家者向けの文脈
幸せ
vinaya
趣旨一致
中
sādhu, no, ācariya, tikicchāhī”ti. “Ahaṁ khvayyo, bahukicco bahukaraṇīyo rājā ca me māgadho seniyo bimbisāro upaṭṭhātabbo itthāgārañca buddhappamukho ca bhikkhusaṅgho; Atha kho tesaṁ manussānaṁ etadahosi— “ime kho samaṇā sakyaputtiyā sukhasīlā sukhasamācārā, subhojanāni bhuñjitvā nivātesu sayanesu sayanti. Yannūna mayaṁ samaṇesu sakyaputtiyesu pabbajeyyāma. Tattha bhikkhū ceva upaṭṭhahissanti, jīvako ca komārabhacco tikicchissatī”ti. Atha kho te manussā bhikkhū upasaṅkamitvā pabbajjaṁ yāciṁsu. Te bhikkhū pabbājesuṁ, upasampādesuṁ. Te bhikkhū ceva upaṭṭhahiṁsu jīvako ca komārabhacco tikicchi. Tena kho pana samayena bhikkhū bahū gilāne bhikkhū upaṭṭhahantā yācanabahulā viññattibahulā viharanti—
「よろしゅうございます。先生、どうかお治しください」と。「わたくしめは、阿闍世(ācariya)よ、多くの務めと多くの仕事を抱えており、マガダ国王センニヤ・ビンビサーラにもお仕えせねばならず、また後宮にも、仏陀を上首とする比丘僧伽(bhikkhusaṅgha)にもお仕えせねばなりません」と。
さてそのとき、人々の心にこのような思いが起こった——「これらの釈迦の子らたる沙門(samaṇā sakyaputtiyā)は、安楽な戒律のもとに、安楽な暮らしを営み、美味なる食事を召し上がりて、風の当たらぬ臥所に横たわっておられる。いっそわれらも、釈迦の子らたる沙門のもとに出家(pabbajja)しようではないか。そうすれば、比丘たちがわれらの世話をしてくださるであろうし、ジーヴァカ・コーマーラバッチャ(Jīvako komārabhacco)も治療してくださるであろう」と。
そこでその人々は比丘たちのもとに近づいて、出家を願い求めた。比丘たちはかれらを出家させ、具足戒(upasampadā)を授けた。比丘たちはかれらの世話をし、ジーヴァカ・コーマーラバッチャも治療を施した。
ところがそのころ、比丘たちは多くの病める比丘の看護にあたりながら、求め乞うことが多く、告知することが多い暮らしを送っていた——。
⚠ 出家者向けの文脈
幸せ
vinaya
趣旨一致
中
“ime kho samaṇā sakyaputtiyā sukhasīlā sukhasamācārā, subhojanāni bhuñjitvā nivātesu sayanesu sayanti. Yannūnāhaṁ samaṇesu sakyaputtiyesu pabbajeyyaṁ. Tattha bhikkhū ceva upaṭṭhahissanti, jīvako ca komārabhacco tikicchissati. Somhi arogo vibbhamissāmī”ti. Atha kho so puriso bhikkhu upasaṅkamitvā pabbajjaṁ yāci. Taṁ bhikkhū pabbājesuṁ, upasampādesuṁ. Taṁ bhikkhū ceva upaṭṭhahiṁsu, jīvako ca komārabhacco tikicchi. So arogo vibbhami. Addasā kho jīvako komārabhacco taṁ purisaṁ vibbhantaṁ, disvāna taṁ purisaṁ etadavoca— “nanu tvaṁ, ayyo, bhikkhūsu pabbajito ahosī”ti?
「これらの釈子の沙門(サマナ)たちは、安楽に戒を保ち、安楽に行を修め、美食を食しては、風の当たらぬ臥所に眠るという。いざ、わが釈子の沙門たちのもとに出家するとしよう。かの地では比丘たちが給仕してくれるであろうし、ジーヴァカ・コーマーラバッチャが治療を施してくれるであろう。わが身は病より癒えたならば、還俗しようぞ」と。
そこでその男は、比丘のもとに近づいて出家を求めた。比丘たちは彼を出家させ、具足戒を授けた。比丘たちは彼に給仕し、ジーヴァカ・コーマーラバッチャは治療を施した。彼は病より癒えると、還俗した。
さてジーヴァカ・コーマーラバッチャは、その男が還俗したのを見て、見てからその男にこう言った。「尊者(アイヤ)よ、あなたは以前、比丘たちのもとに出家されていたのではありませんか」と。
⚠ 出家者向けの文脈
幸せ
vinaya
趣旨一致
中
Atha kho bhagavā pubbaṇhasamayaṁ nivāsetvā pattacīvaramādāya— seyyathāpi nāma balavā puriso samiñjitaṁ vā bāhaṁ pasāreyya, pasāritaṁ vā bāhaṁ samiñjeyya; evameva—jetavane antarahito visākhāya migāramātuyā koṭṭhake pāturahosi. Nisīdi bhagavā paññatte āsane saddhiṁ bhikkhusaṅghena. Atha kho visākhā migāramātā—“acchariyaṁ vata bho, abbhutaṁ vata bho. Tathāgatassa mahiddhikatā mahānubhāvatā, yatra hi nāma jaṇṇukamattesupi oghesu pavattamānesu, kaṭimattesupi oghesu pavattamānesu, na hi nāma ekabhikkhussapi pādā vā cīvarāni vā allāni bhavissantī”ti— haṭṭhā udaggā buddhappamukhaṁ bhikkhusaṅghaṁ paṇītena khādanīyena bhojanīyena sahatthā santappetvā sampavāretvā bhagavantaṁ bhuttāviṁ onītapattapāṇiṁ ekamantaṁ nisīdi. “aṭṭhāhaṁ, bhante, bhagavantaṁ varāni yācāmī”ti. “Atikkantavarā kho, visākhe, tathāgatā”ti. “Yāni ca, bhante, kappiyāni yāni ca anavajjānī”ti. “Vadehi, visākhe”ti.
さて、世尊は午前中に衣をまとい、鉢と衣を持ち――ちょうど力ある人が曲げた腕を伸ばし、伸ばした腕を曲げるように――ジェータ林(祇園精舎)を消え去り、ヴィサーカー・ミガーラマーター(鹿子母)の門楼に忽然と現れた。世尊は比丘の僧伽(サンガ)とともに、整えられた座に着かれた。
そのとき、ヴィサーカー・ミガーラマーターは、こう思った。
「ああ、なんと不思議なことよ。なんと希有なことよ。如来(タターガタ)の大いなる神通力、大いなる威力よ。洪水が膝の高さに及んでいたとき、腰の高さに及んでいたときでさえ、ただの一人の比丘の足も衣も濡れることがなかったとは」
と。彼女は歓喜し、心たかぶり、仏(ブッダ)を上首とする比丘の僧伽を、上妙なる固き食べ物と柔らかき食べ物とをもって、みずから手ずから満足させ、十分に供養した。そして、世尊が食事を終えられ、鉢から手を離されたとき、傍らに座り、こう申し上げた。
「世尊よ、私は八つの願いを世尊に申し上げとうございます」
「ヴィサーカーよ、如来はすでに願いを超えている者である」
「世尊よ、これらは法にかなった(カッピヤ)、とがなき(アナヴァッジャ)願いでございます」
「では、述べなさい、ヴィサーカーよ」
⚠ 初手で出すと冷たく見える,出家者向けの文脈
幸せ
vinaya
趣旨一致
中
Puna caparaṁ, bhante, bhagavatā andhakavinde dasānisaṁse sampassamānena yāgu anuññātā. Tyāhaṁ, bhante, ānisaṁse sampassamānā icchāmi saṅghassa yāvajīvaṁ dhuvayāguṁ dātuṁ. Idha, bhante, bhikkhuniyo aciravatiyā nadiyā vesiyāhi saddhiṁ naggā ekatitthe nahāyanti. Tā, bhante, vesiyā bhikkhuniyo uppaṇḍesuṁ— ‘kiṁ nu kho nāma tumhākaṁ, ayye, daharānaṁ brahmacariyaṁ ciṇṇena, nanu nāma kāmā paribhuñjitabbā; yadā jiṇṇā bhavissatha tadā brahmacariyaṁ carissatha. Evaṁ tumhākaṁ ubho atthā pariggahitā bhavissantī’ti. Tā, bhante, bhikkhuniyo vesiyāhi uppaṇḍiyamānā maṅkū ahesuṁ. Asuci, bhante, mātugāmassa naggiyaṁ jegucchaṁ paṭikūlaṁ. Imāhaṁ, bhante, atthavasaṁ sampassamānā icchāmi bhikkhunisaṅghassa yāvajīvaṁ udakasāṭikaṁ dātun”ti.
「さらにまた、尊き師よ、世尊(バガヴァット)はアンダカヴィンダにおいて、粥(ヤーグ)の十の功徳を観ぜられ、これをお許しになりました。わたくしはその功徳を見て、僧伽(サンガ)に終生、常施の粥を奉りたいと願っております。
尊き師よ、ここにあって比丘尼たちが、アチラヴァティー川において遊女たちと共に、裸のままひとつの渡し場で沐浴いたしておりました。ところが尊き師よ、その遊女たちが比丘尼たちをあざけって申しました。――『聖尼(アッヤー)たちよ、若いうちに梵行(ブラフマチャリヤ)を修めるとは、いったい何ということでしょうか。欲楽(カーマ)はまさに享受すべきものではありませんか。老いてからこそ梵行を修めればよいのです。そうすれば、あなたがたは両方の利を得ることができるでしょう』と。
尊き師よ、比丘尼たちは遊女たちにかくあざけられて、恥じ入り、うなだれてしまいました。尊き師よ、女人(マートゥガーマ)の裸形(ナッギヤ)は、まことに不浄にして、厭うべく、嫌悪すべきものでございます。わたくしはこの道理(アッタヴァサ)を見て、比丘尼僧伽に終生、浴衣(ウダカサーティカー)を奉りたいと願っております」と。
⚠ 出家者向けの文脈
幸せ
vinaya
趣旨一致
中
Tassā me tadanussarantiyā pāmujjaṁ jāyissati, pamuditāya pīti jāyissati, pītimanāya kāyo passambhissati, passaddhakāyā sukhaṁ vediyissāmi, sukhiniyā cittaṁ samādhiyissati. Sā me bhavissati indriyabhāvanā balabhāvanā bojjhaṅgabhāvanā. Imāhaṁ, bhante, ānisaṁsaṁ sampassamānā tathāgataṁ aṭṭha varāni yācāmī”ti. “Sādhu sādhu, visākhe; sādhu kho tvaṁ, visākhe, imaṁ ānisaṁsaṁ sampassamānā tathāgataṁ aṭṭha varāni yācasi. Anujānāmi te, visākhe, aṭṭha varānī”ti. Atha kho bhagavā visākhaṁ migāramātaraṁ imāhi gāthāhi anumodi— “Yā annapānaṁ dadatippamoditā, Sīlūpapannā sugatassa sāvikā; Dadāti dānaṁ abhibhuyya maccharaṁ,
「それを随念(ずいねん)するとき、わたくしに喜悦(ぱーもーじゃ)が生じるでありましょう。喜悦するとき、喜(ぴーてぃ)が生じるでありましょう。喜ある心をもつとき、身は軽安(らっさんば)するでありましょう。身の軽安したとき、楽(すか)を感受するでありましょう。楽あるとき、心は定(さまーでぃ)に入るでありましょう。それはわたくしにとって、根の修習(インドリヤバーヴァナー)となり、力の修習(バラバーヴァナー)となり、覚支の修習(ボッジャンガバーヴァナー)となるでありましょう。尊者よ、このような功徳(アーニサンサ)を見て、わたくしは如来に八つの願いを乞い求めるのでございます。」
「善きかな、善きかな、ヴィサーカーよ。汝がこの功徳を見て、如来に八つの願いを求めるは、まことに善いことである。ヴィサーカーよ、汝に八つの願いを許すであろう。」
そこで世尊は、ミガーラマーター・ヴィサーカーを、次の偈(げ)をもって随喜された——
喜びをもって食と飲とを施し、
戒を具え、善逝(ぜんぜい)の女弟子たる者は、
慳吝(けんりん)を克服して布施を施す。
幸せ
vinaya
趣旨一致
中
Sovaggikaṁ sokanudaṁ sukhāvahaṁ. Dibbaṁ sā labhate āyuṁ, Āgamma maggaṁ virajaṁ anaṅgaṇaṁ; Sā puññakāmā sukhinī anāmayā, Saggamhi kāyamhi ciraṁ pamodatī”ti. Atha kho bhagavā visākhaṁ migāramātaraṁ imāhi gāthāhi anumoditvā uṭṭhāyāsanā pakkāmi. Atha kho bhagavā etasmiṁ nidāne etasmiṁ pakaraṇe dhammiṁ kathaṁ katvā bhikkhū āmantesi— “anujānāmi, bhikkhave, vassikasāṭikaṁ, āgantukabhattaṁ, gamikabhattaṁ, gilānabhattaṁ, gilānupaṭṭhākabhattaṁ, gilānabhesajjaṁ, dhuvayāguṁ, bhikkhunisaṅghassa udakasāṭikan”ti. Visākhābhāṇavāro niṭṭhito. 19. Nisīdanādianujānana
「福をもたらし、憂いを除き、安楽を運ぶ。
清らかにして垢なき道に至りて、
彼女は天の寿命を得る。
功徳を求め、安楽にして病なく、
天の身に宿りて、長く喜悦す」と。
そこで世尊(Bhagavā)は、ミガーラの母ヴィサーカー(Visākhā)をこれらの偈(gāthā)をもって随喜せしめ、座より立ちて去りたまえり。
そこで世尊は、この因縁(nidāna)において、この事案(pakaraṇa)に関して法話(dhammīkathā)をなし、比丘たちに告げたまえり——
「比丘たちよ、我は許可する。雨安居用の布(vassikasāṭikā)を、来客のための食事(āgantukabhatta)を、出立者のための食事(gamikabhatta)を、病者のための食事(gilānabhatta)を、病者の看護者のための食事(gilānupaṭṭhākabhatta)を、病者のための薬(gilānabhesajja)を、常備の粥(dhuvayāgu)を、比丘尼僧伽(bhikkhunīsaṅgha)のための浴衣(udakasāṭikā)を」と。
ヴィサーカーの章(Visākhābhāṇavāra)、終わる。
第十九 坐具等の許可(Nisīdanādianujānana)
⚠ 出家者向けの文脈
幸せ
vinaya
趣旨一致
中
kuto tassa duggatassa? Nissaṁsayaṁ corikāya ābhatā”ti. Atha kho āyasmā pilindavaccho rañño māgadhassa seniyassa bimbisārassa pāsādaṁ suvaṇṇanti adhimucci; so ahosi sabbasovaṇṇamayo. “Idaṁ pana te, mahārāja, tāva bahuṁ suvaṇṇaṁ kuto”ti? “Aññātaṁ, bhante, ayyasseveso iddhānubhāvo”ti taṁ ārāmikakulaṁ muñcāpesi. “ayyena kira pilindavacchena sarājikāya parisāya uttari manussadhammaṁ iddhipāṭihāriyaṁ dassitan”ti— attamanā abhippasannā āyasmato pilindavacchassa pañca bhesajjāni abhihariṁsu, seyyathidaṁ— sappiṁ, navanītaṁ, telaṁ, madhuṁ, phāṇitaṁ. Pakatiyāpi ca āyasmā pilindavaccho lābhī hoti pañcannaṁ bhesajjānaṁ;
そのとき、尊者ピリンダヴァッチャは、マガダ国王セーニヤ・ビンビサーラの宮殿を黄金(suvaṇṇa)と念じた。すると宮殿はことごとく黄金造りとなった。「ところで大王よ、これほど多くの黄金はいずこより来たのでありますか」と問われると、「尊者よ、これはまさしく聖者の神通力(iddhānubhāva)の御業と知られました」と答え、王はその園丁の家族を釈放させた。「聖者ピリンダヴァッチャ師は、王をはじめとする随伴の衆の前にて、人間の法を超えた神変(iddhipāṭihāriya)を示し給うた」として、人々は心喜び、尊者ピリンダヴァッチャに清信を深め、五種の薬(pañca bhesajja)、すなわち酥(sappi)・生酥(navanīta)・油(tela)・蜜(madhu)・糖蜜(phāṇita)を捧げ奉った。そもそも尊者ピリンダヴァッチャは、もとより五種の薬を豊かに得る方であった。「かの貧しき者にとって、それがどこから来ようか。疑いなく盗みによって持ち来たったものであろう」と言われていたのに。
幸せ
vinaya
趣旨一致
中
“Khamanīyaṁ, bhagavā, yāpanīyaṁ, bhagavā; na ca mayaṁ, bhante, piṇḍakena kilamāmā”ti. “Kacci pana vo, anuruddhā, samaggā sammodamānā avivadamānā khīrodakībhūtā aññamaññaṁ piyacakkhūhi sampassantā viharathā”ti? “Taggha mayaṁ, bhante, samaggā sammodamānā avivadamānā khīrodakībhūtā aññamaññaṁ piyacakkhūhi sampassantā viharāmā”ti. “Yathā kathaṁ pana tumhe, anuruddhā, samaggā sammodamānā avivadamānā khīrodakībhūtā aññamaññaṁ piyacakkhūhi sampassantā viharathā”ti? “Idha mayhaṁ, bhante, evaṁ hoti— ‘lābhā vata me, suladdhaṁ vata me, yohaṁ evarūpehi sabrahmacārīhi saddhiṁ viharāmī’ti. Tassa mayhaṁ, bhante, imesu āyasmantesu mettaṁ kāyakammaṁ paccupaṭṭhitaṁ āvi ceva raho ca; mettaṁ manokammaṁ paccupaṭṭhitaṁ āvi ceva raho ca. ‘yannūnāhaṁ sakaṁ cittaṁ nikkhipitvā imesaṁyeva āyasmantānaṁ cittassa vasena vatteyyan’ti.
「世尊よ、わたくしどもは健やかに、無事に過ごしております。また、尊師よ、托鉢の食にも不自由いたしておりません」と。
「ところで、アヌルッダよ、そなたたちは和合し(samagga)、喜び合い(sammodamāna)、諍うことなく(avivadamāna)、水と乳とが交じり合うがごとく(khīrodakībhūta)、互いに慈しみの眼(piyacakkhū)をもって相見ながら住しているか」と。
「まことにわたくしどもは、尊師よ、和合し、喜び合い、諍うことなく、水と乳とが交じり合うがごとく、互いに慈しみの眼をもって相見ながら住しております」と。
「では、アヌルッダよ、そなたたちはいかにして、和合し、喜び合い、諍うことなく、水と乳とが交じり合うがごとく、互いに慈しみの眼をもって相見ながら住しているのか」と。
「尊師よ、わたくしにはかくのごとき思いが起こります——『まことに利得なるかな、まことに善く得たるかな、わたくしはかかる梵行の同行(sabrahmacārī)の方々とともに住することができると』。尊師よ、そこでわたくしは、これらの尊者方に対して、人前においても、ひとりおられるときも、慈しみ(mettā)の身業(kāyakamma)をもって奉仕し、慈しみの意業(manokamma)をもって奉仕いたします。そして『いっそわたくしは自らの心を退けて、これらの尊者方の心のままに従って行動しようではないか』と。
⚠ 自己責任論に誤解されやすい
経典データの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)