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10,029
偈句数
9,999
日本語訳あり
9,982
パーリ原文
経典 19
テーマ 20
該当 10,029
すべて 智慧 4354 老い 931 苦しみ 772 正念 695 怒り 356 執着 350 350 業・因果 346 幸せ 337 自己 244 人間関係 243 家族 234 不安 168 仕事 165 渇愛 147 慈悲 115 無常 111 孤独 45 43 感謝 23
vinaya 2606 中部経典 2117 長部経典 1357 相応部経典 1136 増支部経典 857 jataka 563 スッタニパータ 522 ダンマパダ(法句経) 426 テーラガーター 211 テーリーガーター 68 クッダカパータ 57 イティヴッタカ 54 ウダーナ 34 金剛経 5 維摩経 5 般若心経 4 法華経 4 涅槃経 2 AN 1
苦しみ vinaya 趣旨一致
Itiha tena khaṇena, tena layena, tena muhuttena yāva brahmalokā saddo abbhuggacchi. Ayañca dasasahassilokadhātu saṅkampi sampakampi sampavedhi; appamāṇo ca uḷāro obhāso loke pāturahosi, atikkamma devānaṁ devānubhāvaṁ. Atha kho bhagavā imaṁ udānaṁ udānesi— “aññāsi vata bho koṇḍañño, aññāsi vata bho koṇḍañño”ti. Iti hidaṁ āyasmato koṇḍaññassa “aññāsikoṇḍañño” tveva nāmaṁ ahosi. Atha kho āyasmā aññāsikoṇḍañño diṭṭhadhammo pattadhammo viditadhammo pariyogāḷhadhammo tiṇṇavicikiccho vigatakathaṅkatho vesārajjappatto aparappaccayo satthusāsane bhagavantaṁ etadavoca— “labheyyāhaṁ, bhante, bhagavato santike pabbajjaṁ, labheyyaṁ upasampadan”ti. “Ehi bhikkhū”ti bhagavā avoca— “svākkhāto dhammo, cara brahmacariyaṁ sammā dukkhassa antakiriyāyā”ti.
その刹那(せつな)に、その瞬間に、その須臾(しゅゆ)のうちに、声は梵天界(ぼんてんかい)にまで響き渡った。この十千世界(じっせんせかい)は震動し、揺れ動き、激しく振動した。そして、計り知れない、偉大なる光明(こうみょう)が世界に現れ、諸天(しょてん)の神々の威力をも超え出た。 そのとき、世尊(せそん)はこの感興の言葉(うだーな)を発せられた―― 「コンダンニャよ、まことに彼は了知した。コンダンニャよ、まことに彼は了知した」と。 かくして、尊者コンダンニャは「アンニャーシ・コンダンニャ(了知せるコンダンニャ)」という名を得るに至った。 そのとき、尊者アンニャーシ・コンダンニャは、法(ダンマ)を見、法を得、法を知り、法の深みに達し、疑惑(ぎわく)を渡り越え、迷いを離れ、無畏(むい)を得て、師の教えにおいて他に依ることなく、世尊にこのように申し上げた―― 「尊師(そんし)よ、願わくは、わたくしは世尊のもとにおいて出家(しゅっけ)を得、具足戒(ぐそくかい)を受けさせていただきたく存じます」と。 世尊は仰せられた―― 「来たれ、比丘(びく)よ。法はよく説かれた。苦(く)を完全に終滅させるために、清らかな行(ぼんぎょう)を正しく歩め」と。
副テーマ: suffering,wisdom
導線タグ: 悟り,真理の理解,修行の目的,苦しみからの解放,精神的な自立,教えへの帰依,出家
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
苦しみ vinaya 趣旨一致
Sāva tassa āyasmato upasampadā ahosi. Atha kho bhagavā tadavasese bhikkhū dhammiyā kathāya ovadi anusāsi. Atha kho āyasmato ca vappassa āyasmato ca bhaddiyassa bhagavatā dhammiyā kathāya ovadiyamānānaṁ anusāsiyamānānaṁ virajaṁ vītamalaṁ dhammacakkhuṁ udapādi— “yaṁ kiñci samudayadhammaṁ sabbaṁ taṁ nirodhadhamman”ti. Te diṭṭhadhammā pattadhammā viditadhammā pariyogāḷhadhammā tiṇṇavicikicchā vigatakathaṅkathā vesārajjappattā aparappaccayā satthusāsane bhagavantaṁ etadavocuṁ— “labheyyāma mayaṁ, bhante, bhagavato santike pabbajjaṁ, labheyyāma upasampadan”ti. “Etha bhikkhavo”ti bhagavā avoca— “svākkhāto dhammo, caratha brahmacariyaṁ sammā dukkhassa antakiriyāyā”ti. Sāva tesaṁ āyasmantānaṁ upasampadā ahosi. Atha kho bhagavā tadavasese bhikkhū nīhārabhatto dhammiyā kathāya ovadi anusāsi.
それが、その尊者(āyasmā)の具足戒(upasampadā)となった。 そこで世尊(Bhagavā)は、残りの比丘(bhikkhu)たちを法(dhamma)にかなう話(dhammī kathā)をもって教え諭された。 そして、尊者ヴァッパ(Vappa)と尊者バッディヤ(Bhaddiya)は、世尊によって法にかなう話をもって教え諭されつつあるうちに、塵を離れ垢を離れた法眼(dhammacakkhu)が生じた——「およそ生起する性質(samudayadhamma)のあるものは、すべて滅する性質(nirodhadhamma)のものである」と。 彼らは、法を見た者となり、法を得た者となり、法を知った者となり、法に深く入った者となり、疑惑(vicikicchā)を渡り越え、疑念を去り、確信(vesārajja)に達し、師の教えにおいて他に依ることなく、世尊にこのように申し上げた——「尊者よ、願わくば我々は世尊のもとにおいて出家(pabbajjā)を得たく、また具足戒を得たく存じます」と。 世尊は仰せられた——「来たれ、比丘たちよ。法は善く説かれた(svākkhāta)。苦(dukkha)の完全な終滅(antakiriyā)のために、正しく梵行(brahmacariya)を歩め」と。 それが、その尊者たちの具足戒となった。 そこで世尊は、残りの比丘たちを、托鉢して戻られた後、法にかなう話をもって教え諭された。
副テーマ: suffering,impermanence,wisdom
導線タグ: 苦しみからの解放,真理の探求,修行,悟り,無常,疑いの克服,精神的自立
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ vinaya 趣旨一致
Yaṁ tayo bhikkhū piṇḍāya caritvā āharanti, tena chabbaggo yāpeti. Atha kho āyasmato ca mahānāmassa āyasmato ca assajissa bhagavatā dhammiyā kathāya ovadiyamānānaṁ anusāsiyamānānaṁ virajaṁ vītamalaṁ dhammacakkhuṁ udapādi— “yaṁ kiñci samudayadhammaṁ sabbaṁ taṁ nirodhadhamman”ti. Te diṭṭhadhammā pattadhammā viditadhammā pariyogāḷhadhammā tiṇṇavicikicchā vigatakathaṅkathā vesārajjappattā aparappaccayā satthusāsane bhagavantaṁ etadavocuṁ— “labheyyāma mayaṁ, bhante, bhagavato santike pabbajjaṁ, labheyyāma upasampadan”ti. “Etha bhikkhavo”ti bhagavā avoca— “svākkhāto dhammo, caratha brahmacariyaṁ sammā dukkhassa antakiriyāyā”ti. Sāva tesaṁ āyasmantānaṁ upasampadā ahosi. Atha kho bhagavā pañcavaggiye bhikkhū āmantesi— “Rūpaṁ, bhikkhave, anattā.
三人の比丘が托鉢して得た食によって、六群比丘たちは命をつないでいた。 さて、尊者マハーナーマと尊者アッサジとが、世尊より法の教示をもって訓誡され教導されたとき、塵を離れ垢を離れた法眼(ダンマチャック)が生じた。――「およそ生起する性質をもつものは、すべて滅する性質をもつものである」と。 かれらは法を見、法を得、法を知り、法に深く入り、疑惑を渡り越え、迷いを離れ、無畏を得て、師の教えにおいて他に依ることなく、世尊にこう申し上げた。 「尊師よ、願わくば、わたくしどもは世尊のみもとにて出家の身を得、具足戒を得られますよう」と。 世尊はおっしゃった。 「来たれ、比丘たちよ」と。「法はよく説かれた。苦(ドゥッカ)の究竟の滅尽のために、清浄行(ブラフマチャリヤ)を正しく歩め」と。 これがかれら尊者たちの具足戒であった。 そのとき世尊は五群の比丘たちに告げられた。 「比丘たちよ、色(ルーパ)は無我(アナッター)である。
副テーマ: suffering,impermanence,wisdom
導線タグ: 苦しみからの解放,真理の探求,修行,悟り,無常,精神的成長,執着を手放す
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ vinaya 趣旨一致
Rūpañca hidaṁ, bhikkhave, attā abhavissa, nayidaṁ rūpaṁ ābādhāya saṁvatteyya, labbhetha ca rūpe— ‘evaṁ me rūpaṁ hotu, evaṁ me rūpaṁ mā ahosī’ti. Yasmā ca kho, bhikkhave, rūpaṁ anattā, tasmā rūpaṁ ābādhāya saṁvattati, na ca labbhati rūpe— ‘evaṁ me rūpaṁ hotu, evaṁ me rūpaṁ mā ahosī’ti. Vedanā anattā. Vedanā ca hidaṁ, bhikkhave, attā abhavissa, nayidaṁ vedanā ābādhāya saṁvatteyya, labbhetha ca vedanāya— ‘evaṁ me vedanā hotu, evaṁ me vedanā mā ahosī’ti. Yasmā ca kho, bhikkhave, vedanā anattā, tasmā vedanā ābādhāya saṁvattati, na ca labbhati vedanāya— ‘evaṁ me vedanā hotu, evaṁ me vedanā mā ahosī’ti. Saññā anattā.
「比丘たちよ、もし色(ルーパ)が我(アッター)であるならば、この色は苦悩をもたらすことはないであろう。そして色について、『わが色はかくあれ、わが色はかくあるなかれ』と望むことも叶うであろう。しかるに、比丘たちよ、色は無我(アナッター)であるがゆえに、色は苦悩をもたらし、また色について、『わが色はかくあれ、わが色はかくあるなかれ』と望むことも叶わないのである。 受(ヴェーダナー)は無我である。比丘たちよ、もしこの受が我であるならば、この受は苦悩をもたらすことはないであろう。そして受について、『わが受はかくあれ、わが受はかくあるなかれ』と望むことも叶うであろう。しかるに、比丘たちよ、受は無我であるがゆえに、受は苦悩をもたらし、また受について、『わが受はかくあれ、わが受はかくあるなかれ』と望むことも叶わないのである。 想(サンニャー)は無我である。」
副テーマ: suffering,self,emptiness,wisdom
導線タグ: 自己とは何か,無我,苦しみの原因,執着,アイデンティティ,自分らしさ,自己喪失
苦しみ vinaya 趣旨一致
Saññā ca hidaṁ, bhikkhave, attā abhavissa, nayidaṁ saññā ābādhāya saṁvatteyya, labbhetha ca saññāya— ‘evaṁ me saññā hotu, evaṁ me saññā mā ahosī’ti. Yasmā ca kho, bhikkhave, saññā anattā, tasmā saññā ābādhāya saṁvattati, na ca labbhati saññāya— ‘evaṁ me saññā hotu, evaṁ me saññā mā ahosī’ti. Saṅkhārā anattā. Saṅkhārā ca hidaṁ, bhikkhave, attā abhavissaṁsu, nayidaṁ saṅkhārā ābādhāya saṁvatteyyuṁ, labbhetha ca saṅkhāresu— ‘evaṁ me saṅkhārā hontu, evaṁ me saṅkhārā mā ahesun’ti. Yasmā ca kho, bhikkhave, saṅkhārā anattā, tasmā saṅkhārā ābādhāya saṁvattanti, na ca labbhati saṅkhāresu— ‘evaṁ me saṅkhārā hontu, evaṁ me saṅkhārā mā ahesun’ti. Viññāṇaṁ anattā.
想(サンニャー)は無我(アナッタ)である。 比丘たちよ、もし想が我(アッタ)であるならば、想は悩み(ābādha)に転ずることはなかったであろう。また想について、「我が想はかくあれ、我が想はかくあらざれ」と、かなえられることもできたであろう。しかるに、比丘たちよ、想は無我であるがゆえに、想は悩みに転じ、また想について、「我が想はかくあれ、我が想はかくあらざれ」と、かなえられることはできないのである。 行(サンカーラ)は無我である。 比丘たちよ、もし諸行が我であるならば、諸行は悩みに転ずることはなかったであろう。また諸行について、「我が諸行はかくあれ、我が諸行はかくあらざれ」と、かなえられることもできたであろう。しかるに、比丘たちよ、諸行は無我であるがゆえに、諸行は悩みに転じ、また諸行について、「我が諸行はかくあれ、我が諸行はかくあらざれ」と、かなえられることはできないのである。 識(ヴィンニャーナ)は無我である。
副テーマ: suffering,self,emptiness,wisdom
導線タグ: 自己とは何か,苦しみの原因,無我,コントロールできない,執着,自分らしさ,アイデンティティ
苦しみ vinaya 趣旨一致
Viññāṇañca hidaṁ, bhikkhave, attā abhavissa, nayidaṁ viññāṇaṁ ābādhāya saṁvatteyya, labbhetha ca viññāṇe— ‘evaṁ me viññāṇaṁ hotu, evaṁ me viññāṇaṁ mā ahosī’ti. Yasmā ca kho, bhikkhave, viññāṇaṁ anattā, tasmā viññāṇaṁ ābādhāya saṁvattati, na ca labbhati viññāṇe— ‘evaṁ me viññāṇaṁ hotu, evaṁ me viññāṇaṁ mā ahosī’ti. Taṁ kiṁ maññatha, bhikkhave, rūpaṁ niccaṁ vā aniccaṁ vā”ti? “Aniccaṁ, bhante”. “Yaṁ panāniccaṁ dukkhaṁ vā taṁ sukhaṁ vā”ti? “Dukkhaṁ, bhante”. “Yaṁ panāniccaṁ dukkhaṁ vipariṇāmadhammaṁ, kallaṁ nu taṁ samanupassituṁ— etaṁ mama, esohamasmi, eso me attā”ti?
「比丘たちよ、もしこの識(ヴィジュニャーナ)が我(アッター)であるならば、この識は悩み苦しむことへと向かうことはないであろう。また、識について、『かくあれ、わが識よ。かくあらざれ、わが識よ』と得ることができるであろう。しかるに比丘たちよ、識は無我(アナッター)であるがゆえに、識は悩み苦しむことへと向かうのである。そして識について、『かくあれ、わが識よ。かくあらざれ、わが識よ』と得ることはできないのである。 比丘たちよ、汝らはいかに思うか。色(ルーパ)は常住(ニッチャ)であるか、それとも無常(アニッチャ)であるか」と。 「無常にございます、世尊よ」。 「では、無常なるものは苦(ドゥッカ)であるか、それとも楽(スッカ)であるか」と。 「苦にございます、世尊よ」。 「では、無常であり、苦であり、変滅する性質(ヴィパリナーマ・ダンマ)を有するものを、『これはわがものである、これはわれである、これはわが我(アッター)である』と観ることは、果たして適当なことであろうか」と。
副テーマ: impermanence
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ vinaya 趣旨一致
“No hetaṁ, bhante”. “Vedanā niccā vā aniccā vā”ti? “Aniccā, bhante”. “Yaṁ panāniccaṁ dukkhaṁ vā taṁ sukhaṁ vā”ti? “Dukkhaṁ, bhante”. “Yaṁ panāniccaṁ dukkhaṁ vipariṇāmadhammaṁ, kallaṁ nu taṁ samanupassituṁ— etaṁ mama, esohamasmi, eso me attā”ti? “No hetaṁ, bhante”. “Saññā niccā vā aniccā vā”ti? “Aniccā, bhante”.
「いいえ、そうではありません、尊師よ」「では、受(ヴェーダナー)は常住なるものか、それとも無常なるものか」「無常(アニッチャ)なるものです、尊師よ」「しからば、無常なるものは苦(ドゥッカ)なるものか、それとも楽なるものか」「苦なるものです、尊師よ」「しからば、無常にして苦しく、変壊する性質のものを、『これはわが物なり、これはわれなり、これはわが我(アッター)なり』と見なすことは、果たして適切なることであろうか」「いいえ、そうではありません、尊師よ」「では、想(サンニャー)は常住なるものか、それとも無常なるものか」「無常なるものです、尊師よ」
副テーマ: impermanence
苦しみ vinaya 趣旨一致
“Yaṁ panāniccaṁ dukkhaṁ vā taṁ sukhaṁ vā”ti? “Dukkhaṁ, bhante”. “Yaṁ panāniccaṁ dukkhaṁ vipariṇāmadhammaṁ, kallaṁ nu taṁ samanupassituṁ— etaṁ mama, esohamasmi, eso me attā”ti? “No hetaṁ, bhante”. “Saṅkhārā niccā vā aniccā vā”ti? “Aniccā, bhante”. “Yaṁ panāniccaṁ dukkhaṁ vā taṁ sukhaṁ vā”ti? “Dukkhaṁ, bhante”. “Yaṁ panāniccaṁ dukkhaṁ vipariṇāmadhammaṁ, kallaṁ nu taṁ samanupassituṁ—
「では、無常(アニッチャ)なるものは、苦(ドゥッカ)であるか、それとも楽であるか」と。「苦(ドゥッカ)であります、尊師よ」と。「では、無常にして苦にして変滅の法(ヴィパリナーマダンマ)なるものを、『これはわがものである、これはわれである、これはわが自我(アッター)である』と見なすことが、はたして適切であろうか」と。「それは適切ではありません、尊師よ」と。「諸々の行(サンカーラ)は常住であるか、それとも無常であるか」と。「無常であります、尊師よ」と。「では、無常なるものは、苦であるか、それとも楽であるか」と。「苦であります、尊師よ」と。「では、無常にして苦にして変滅の法なるものを、『これはわがものである、これはわれである、これはわが自我である』と見なすことが、はたして適切であろうか」と。
副テーマ: impermanence
苦しみ vinaya 趣旨一致
etaṁ mama, esohamasmi, eso me attā”ti? “No hetaṁ, bhante”. “Viññāṇaṁ niccaṁ vā aniccaṁ vā”ti? “Aniccaṁ, bhante”. “Yaṁ panāniccaṁ dukkhaṁ vā taṁ sukhaṁ vā”ti? “Dukkhaṁ, bhante”. “Yaṁ panāniccaṁ dukkhaṁ vipariṇāmadhammaṁ, kallaṁ nu taṁ samanupassituṁ— etaṁ mama, esohamasmi, eso me attā”ti? “No hetaṁ, bhante”. “Tasmātiha, bhikkhave, yaṁ kiñci rūpaṁ atītānāgatapaccuppannaṁ ajjhattaṁ vā bahiddhā vā oḷārikaṁ vā sukhumaṁ vā hīnaṁ vā paṇītaṁ vā yaṁ dūre santike vā, sabbaṁ rūpaṁ—
「これはわがものである、これはわれである、これはわが自我(アッタン)である」と。」「いいえ、そうではございません、尊師よ。」「では、識(ヴィンニャーナ)は常住であるか、無常(アニッチャ)であるか。」「無常でございます、尊師よ。」「さて、無常なるものは苦(ドゥッカ)であるか、楽であるか。」「苦でございます、尊師よ。」「さて、無常であり、苦であり、変滅の性質を有するものを、『これはわがものである、これはわれである、これはわが自我である』と見なすことが、果たして適切であろうか。」「いいえ、そうではございません、尊師よ。」「それゆえに、比丘たちよ、いかなる色(ルーパ)であれ――過去・未来・現在にわたり、内なるものであれ外なるものであれ、粗大なるものであれ微細なるものであれ、劣なるものであれ勝れたるものであれ、遠きにあるものであれ近きにあるものであれ――すべての色は、
副テーマ: impermanence
導線タグ: 上司,比較,将来,許し,自己否定
苦しみ vinaya 趣旨一致
Atha kho bhagavā yena koṭigāmo tenupasaṅkami. Tatra sudaṁ bhagavā koṭigāme viharati. Tatra kho bhagavā bhikkhū āmantesi— “catunnaṁ, bhikkhave, ariyasaccānaṁ ananubodhā appaṭivedhā evamidaṁ dīghamaddhānaṁ sandhāvitaṁ saṁsaritaṁ mamañceva tumhākañca. Dukkhassa, bhikkhave, ariyasaccassa ananubodhā appaṭivedhā evamidaṁ dīghamaddhānaṁ sandhāvitaṁ saṁsaritaṁ mamañceva tumhākañca. Dukkhasamudayassa ariyasaccassa …pe… dukkhanirodhassa ariyasaccassa …pe… dukkhanirodhagāminiyā paṭipadāya ariyasaccassa ananubodhā appaṭivedhā evamidaṁ dīghamaddhānaṁ sandhāvitaṁ saṁsaritaṁ mamañceva tumhākañca. Tayidaṁ, bhikkhave, dukkhaṁ ariyasaccaṁ anubuddhaṁ paṭividdhaṁ, dukkhasamudayaṁ ariyasaccaṁ anubuddhaṁ paṭividdhaṁ, dukkhanirodhaṁ ariyasaccaṁ anubuddhaṁ paṭividdhaṁ, dukkhanirodhagāminī paṭipadā ariyasaccaṁ anubuddhaṁ paṭividdhaṁ, ucchinnā bhavataṇhā, khīṇā bhavanetti, natthi dāni punabbhavoti. Catunnaṁ ariyasaccānaṁ,
そのとき、世尊はコーティ村へと赴かれた。世尊はコーティ村に滞在された。そこで世尊は比丘たちに告げられた。 「比丘たちよ、四つの聖諦(ariyasacca)を覚り知らず、洞察しなかったがゆえに、わたしも、そなたたちも、かくも長きにわたって流転し、輪廻を続けてきたのである。比丘たちよ、苦(dukkha)の聖諦を覚り知らず、洞察しなかったがゆえに、わたしも、そなたたちも、かくも長きにわたって流転し、輪廻を続けてきたのである。苦の集(dukkhasamudaya)の聖諦を覚り知らず……苦の滅(dukkhanirodha)の聖諦を覚り知らず……苦の滅に至る道(dukkhanirodhagāminī paṭipadā)の聖諦を覚り知らず、洞察しなかったがゆえに、わたしも、そなたたちも、かくも長きにわたって流転し、輪廻を続けてきたのである。 比丘たちよ、今やその苦の聖諦は覚り知られ、洞察された。苦の集の聖諦は覚り知られ、洞察された。苦の滅の聖諦は覚り知られ、洞察された。苦の滅に至る道の聖諦は覚り知られ、洞察された。有(bhava)への渇愛(taṇhā)は断たれ、有へと導く縁は尽き果て、もはや再び生存することはない。」 四つの聖諦について、
副テーマ: suffering,craving,wisdom,impermanence
導線タグ: 苦しみ,四諦,輪廻,渇愛,執着からの解放,悟り,存在の苦
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ vinaya 趣旨一致
yathābhūtaṁ adassanā; Saṁsitaṁ dīghamaddhānaṁ, tāsu tāsveva jātisu. Tāni etāni diṭṭhāni, bhavanetti samūhatā; Ucchinnaṁ mūlaṁ dukkhassa, natthi dāni punabbhavo”ti. 17. Ambapālīvatthu Assosi kho ambapālī gaṇikā— “bhagavā kira koṭigāmaṁ anuppatto”ti.
真実のままに見ることなく、 さまざまな生(じょう)を経めぐりながら、 長い時をかけて流転(るてん)してきた。 されど今、それらの〔迷いの〕あり方は見極められ、 存在へと導く絆(きずな)は根こそぎ断ち切られた。 苦(く)の根は絶たれ、 もはや再び生(しょう)を受けることはない、と。 一七 アンバパーリーの章 さて、遊女(ゆうじょ)アンバパーリーは次のことを耳にした――「世尊(せそん)がコーティガーマにお着きになった」と。
副テーマ: suffering,impermanence,karma,craving
導線タグ: 苦しみからの解放,輪廻転生,執着を手放す,煩悩,生死の繰り返し,根本的な苦しみ,解脱
苦しみ vinaya 趣旨一致
Atha kho bhagavā yasaṁ kulaputtaṁ etadavoca— “idaṁ kho, yasa, anupaddutaṁ, idaṁ anupassaṭṭhaṁ. Ehi, yasa, nisīda, dhammaṁ te desessāmī”ti. “idaṁ kira anupaddutaṁ, idaṁ anupassaṭṭhan”ti haṭṭho udaggo suvaṇṇapādukāhi orohitvā yena bhagavā tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā bhagavantaṁ abhivādetvā ekamantaṁ nisīdi. Ekamantaṁ nisinnassa kho yasassa kulaputtassa bhagavā anupubbiṁ kathaṁ kathesi, seyyathidaṁ— dānakathaṁ sīlakathaṁ saggakathaṁ, kāmānaṁ ādīnavaṁ okāraṁ saṅkilesaṁ, nekkhamme ānisaṁsaṁ pakāsesi. Yadā bhagavā aññāsi yasaṁ kulaputtaṁ kallacittaṁ, muducittaṁ, vinīvaraṇacittaṁ, udaggacittaṁ, pasannacittaṁ, atha yā buddhānaṁ sāmukkaṁsikā dhammadesanā taṁ pakāsesi— dukkhaṁ, samudayaṁ, nirodhaṁ, maggaṁ. Seyyathāpi nāma suddhaṁ vatthaṁ apagatakāḷakaṁ sammadeva rajanaṁ paṭiggaṇheyya; evameva yasassa kulaputtassa tasmiṁyeva āsane virajaṁ vītamalaṁ dhammacakkhuṁ udapādi—
そのとき、世尊はヤサ良家の子にこう仰せられた。 「ヤサよ、ここは煩わされることなく、ここは害されることがない。さあ、ヤサよ、座りなさい。汝のために法(ダンマ)を説こう。」 「ここはまことに煩わされることなく、ここは害されることがない」と、ヤサは喜び、心躍らせ、黄金の履物を脱いで世尊のおられるところへ近づいた。近づいてから、世尊を礼拝して、かたわらに座った。かたわらに座ったヤサ良家の子に、世尊は順を追って法を説かれた。すなわち、布施の話(ダーナカター)、戒の話(シーラカター)、天界の話(サッガカター)を説き、欲(カーマ)の患い・卑しさ・汚れを明らかにされ、出離(ネッカンマ)の功徳を開き示された。 世尊は、ヤサ良家の子の心が堪えうる状態(カッラチッタ)となり、柔らかな心(ムドゥチッタ)となり、蓋(ニーヴァラナ)を離れた心となり、高揚した心(ウダッガチッタ)となり、清信の心(パサンナチッタ)となったと知られたとき、諸仏に特有の教えを開き示された。すなわち、苦(ドゥッカ)・集(サムダヤ)・滅(ニローダ)・道(マッガ)を。 ちょうど汚れを離れた清浄な布が、染料をよく受け取るように、まさにそのように、ヤサ良家の子には、その座において、塵を離れ、垢を離れた法眼(ダンマチャックウ)が生じた。
副テーマ: suffering,wisdom,happiness,craving
導線タグ: 苦しみからの解放,悩みの原因,執着を手放す,心の準備,真理への目覚め,精神的成長,生きる意味
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ vinaya 趣旨一致
“Tena hi, gahapati, nisīda, appeva nāma idha nisinno idha nisinnaṁ yasaṁ kulaputtaṁ passeyyāsī”ti. Atha kho seṭṭhi gahapati— “idheva kirāhaṁ nisinno idha nisinnaṁ yasaṁ kulaputtaṁ passissāmī”ti haṭṭho udaggo bhagavantaṁ abhivādetvā ekamantaṁ nisīdi. Ekamantaṁ nisinnassa kho seṭṭhissa gahapatissa bhagavā anupubbiṁ kathaṁ kathesi, seyyathidaṁ— dānakathaṁ sīlakathaṁ saggakathaṁ, kāmānaṁ ādīnavaṁ okāraṁ saṅkilesaṁ, nekkhamme ānisaṁsaṁ pakāsesi. Yadā bhagavā aññāsi seṭṭhiṁ gahapatiṁ kallacittaṁ, muducittaṁ, vinīvaraṇacittaṁ, udaggacittaṁ, pasannacittaṁ, atha yā buddhānaṁ sāmukkaṁsikā dhammadesanā, taṁ pakāsesi— dukkhaṁ, samudayaṁ, nirodhaṁ, maggaṁ. Seyyathāpi nāma suddhaṁ vatthaṁ apagatakāḷakaṁ sammadeva rajanaṁ paṭiggaṇheyya; evameva seṭṭhissa gahapatissa tasmiṁyeva āsane virajaṁ vītamalaṁ dhammacakkhuṁ udapādi— “yaṁ kiñci samudayadhammaṁ sabbaṁ taṁ nirodhadhamman”ti.
「それならば、長者よ、ここに座りなさい。ここに座っていれば、あるいはここに座っているヤサ善男子を見ることができるかもしれません」と。 そこで長者の富豪セッティは、「ここに座っているこの私が、ここに座っているヤサ善男子を見ることになろうとは」と、歓喜し悦躍して、世尊を礼拝し、かたわらに座した。かたわらに座した長者の富豪セッティに対して、世尊は次第説法(アヌプッビカター)を説き示された。すなわち、布施(ダーナ)の話、戒(シーラ)の話、天界(サッガ)の話を説き、諸欲(カーマ)の患い・卑しさ・汚れを示し、出離(ネッカンマ)の功徳を明らかにされた。 世尊が、長者の富豪セッティの心が堪能となり、柔軟となり、蓋(ニーヴァラナ)を離れ、高揚し、清信したことを知られたとき、諸仏が自ら讃嘆される法の説示、すなわち苦(ドゥッカ)・集(サムダヤ)・滅(ニローダ)・道(マッガ)を明らかにされた。 ちょうど、汚れのない清浄な布が染料をよく受け取るように、まさにそのように、長者の富豪セッティには、その座において、塵なく垢なき法眼(ダンマカッカ)が生じた。「生起する性質を持つものは何であれ、そのすべては滅尽する性質を持つものである」と。
副テーマ: suffering,impermanence,wisdom,happiness
導線タグ: 苦しみ,執着,無常,悟り,心の準備,真理,解脱
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ vinaya 趣旨一致
Pavāraṇahārako ce, bhikkhave, dinnāya pavāraṇāya tattheva pakkamati, aññassa dātabbā pavāraṇā. Pavāraṇahārako ce, bhikkhave, dinnāya pavāraṇāya tattheva vibbhamati …pe… kālaṁ karoti … sāmaṇero paṭijānāti … sikkhaṁ paccakkhātako paṭijānāti … antimavatthuṁ ajjhāpannako paṭijānāti … ummattako paṭijānāti … khittacitto paṭijānāti … vedanāṭṭo paṭijānāti … āpattiyā adassane ukkhittako paṭijānāti …
自恣(pavāraṇā)の使者が、比丘たちよ、自恣が授けられたにもかかわらず、その場を去ってしまうならば、その自恣は他の者に授けられるべきである。自恣の使者が、比丘たちよ、自恣が授けられたにもかかわらず、その場において還俗してしまうならば……乃至……命終するならば……沙弥(sāmaṇera)であると告白するならば……学処を返上した者(sikkhaṁ paccakkhātaka)であると告白するならば……根本罪(antima-vatthu)を犯した者であると告白するならば……狂乱した者(ummattaka)であると告白するならば……心乱れた者(khittacitta)であると告白するならば……苦受に悩まされた者(vedanāṭṭa)であると告白するならば……罪の不見によって擯出された者(āpattiyā adassane ukkhitta)であると告白するならば……
副テーマ: suffering,impermanence,death
導線タグ: 規則と例外,手続きの中断,予期せぬ事態,制度の柔軟性,状況の変化への対応,共同体のルール,不測の事態
⚠ 希死念慮の場面では使わない,出家者向けの文脈
苦しみ vinaya 趣旨一致
Abhabbo kho, gahapati, yaso kulaputto hīnāyāvattitvā kāme paribhuñjituṁ seyyathāpi pubbe agārikabhūto”ti. “Lābhā, bhante, yasassa kulaputtassa, suladdhaṁ, bhante, yasassa kulaputtassa, yathā yasassa kulaputtassa anupādāya āsavehi cittaṁ vimuttaṁ. Adhivāsetu me, bhante, bhagavā ajjatanāya bhattaṁ yasena kulaputtena pacchāsamaṇenā”ti. Adhivāsesi bhagavā tuṇhībhāvena. Atha kho seṭṭhi gahapati bhagavato adhivāsanaṁ viditvā uṭṭhāyāsanā bhagavantaṁ abhivādetvā padakkhiṇaṁ katvā pakkāmi. Atha kho yaso kulaputto acirapakkante seṭṭhimhi gahapatimhi bhagavantaṁ etadavoca— “labheyyāhaṁ, bhante, bhagavato santike pabbajjaṁ, labheyyaṁ upasampadan”ti. “Ehi bhikkhū”ti bhagavā avoca— “svākkhāto dhammo, cara brahmacariyaṁ sammā dukkhassa antakiriyāyā”ti. Sāva tassa āyasmato upasampadā ahosi.
「居士(がはぱてぃ)よ、ヤサ良家の子が退転して、かつて在家であったときのように欲楽を受用することは、もはや能わざることです」と。 「尊き師よ、ヤサ良家の子にとって、これは真に得難き幸いなることです。尊き師よ、よくぞ得られました。ヤサ良家の子の心が、執取することなく、諸々の漏(āsava)より解脱したとは。尊き師よ、どうか世尊は、ヤサ良家の子を後侍者として、今日の食事をお受け取りくださいますように」と。 世尊は沈黙をもって承諾された。 そこで長者(seṭṭhi)の居士は、世尊が承諾されたことを知り、座より立ち上がって世尊を礼拝し、右遶(うにょう)して立ち去った。 さて、長者の居士が立ち去って間もなく、ヤサ良家の子は世尊にこのように申し上げた。 「尊き師よ、どうか世尊のみもとにおいて、わたくしが出家することを、具足戒(upasampada)を受けることを、お許しいただけますでしょうか」と。 世尊は仰せられた。 「来たれ、比丘よ。法はよく説かれたり。苦(dukkha)の終滅のために、梵行(brahmacariya)を正しく歩め」と。 これが、その尊者の具足戒となった。
副テーマ: acceptance,liberation
導線タグ: 食事
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苦しみ vinaya 趣旨一致
vedanāṭṭo paṭijānāti … āpattiyā adassane ukkhittako paṭijānāti … āpattiyā appaṭikamme ukkhittako paṭijānāti … pāpikāya diṭṭhiyā appaṭinissagge ukkhittako paṭijānāti … paṇḍako paṭijānāti … theyyasaṁvāsako paṭijānāti … titthiyapakkantako paṭijānāti … tiracchānagato paṭijānāti … mātughātako paṭijānāti … pitughātako paṭijānāti …
苦痛を訴える者が〔自恣を〕宣言する場合……罪過の不見(アーパッティヤー・アダッサナ)により擯出(うきっちゃ)された者が〔自恣を〕宣言する場合……罪過の不懺悔(アーパッティヤー・アッパティカンマ)により擯出された者が〔自恣を〕宣言する場合……邪見(パーピカーヤー・ディッティヤー)を捨てざるにより擯出された者が〔自恣を〕宣言する場合……黄門(パンダカ)が〔自恣を〕宣言する場合……盗住者(テッヤサンヴァーサカ)が〔自恣を〕宣言する場合……外道に赴いた者(ティッティヤパッカンタカ)が〔自恣を〕宣言する場合……畜生(ティラッチャーナガタ)が〔自恣を〕宣言する場合……母を殺した者(マートゥガーターカ)が〔自恣を〕宣言する場合……父を殺した者(ピトゥガーターカ)が〔自恣を〕宣言する場合……
副テーマ: suffering,karma,self
導線タグ: 罪悪感,懺悔,過ち,自己嫌悪,告白,排除,アイデンティティ
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ vinaya 趣旨一致
Api ca, bhante, mayamettha kālaṁ jānissāma. Esāhaṁ, bhante, tatiyampi bhagavantaṁ saraṇaṁ gacchāmi dhammañca bhikkhusaṅghañca. Upāsakaṁ maṁ bhagavā dhāretu ajjatagge pāṇupetaṁ saraṇaṁ gatan”ti. Atha kho bhagavā sīhassa senāpatissa anupubbiṁ kathaṁ kathesi, seyyathidaṁ— dānakathaṁ …pe… aparappaccayo satthusāsane bhagavantaṁ etadavoca— “adhivāsetu me, bhante, bhagavā svātanāya bhattaṁ saddhiṁ bhikkhusaṅghenā”ti. Adhivāsesi bhagavā tuṇhībhāvena. Atha kho sīho senāpati bhagavato adhivāsanaṁ viditvā uṭṭhāyāsanā bhagavantaṁ abhivādetvā padakkhiṇaṁ katvā pakkāmi. Atha kho sīho senāpati aññataraṁ purisaṁ āṇāpesi—
「しかしながら、尊師よ、私はここにおいて折をわきまえることができましょう。尊師よ、私はここに三度また、世尊と法(ダンマ)と比丘僧伽(サンガ)とに帰依いたします。世尊よ、どうか私を優婆塞(うばそく)として御認めください。今日より命ある限り、帰依いたした者として」と。 そこで世尊は、シーハ将軍に対して、順を追って法話をなされた。すなわち、布施の話(だなかたー)を……乃至……師の教えについて他に依ることなく〔信解する境地に達したとき、シーハ将軍は〕世尊にこのように申し上げた。 「尊師よ、世尊よ、どうか明日、比丘僧伽ともども私の食事の供養をお受けくださいますよう」と。 世尊は沈黙をもってそれを承諾なされた。 そこでシーハ将軍は、世尊が承諾なされたことを知り、座より立ち上がって、世尊を礼拝し、右繞(うにょう)して退去した。 そこでシーハ将軍は、ある一人の者に命じた——
副テーマ: acceptance
導線タグ: 将来,介護,自信,決断,別れ,食事,依存,喪失
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苦しみ vinaya 趣旨一致
Yadā te bhagavā aññāsi kallacitte muducitte vinīvaraṇacitte udaggacitte pasannacitte, atha yā buddhānaṁ sāmukkaṁsikā dhammadesanā, taṁ pakāsesi dukkhaṁ samudayaṁ nirodhaṁ maggaṁ. Seyyathāpi nāma suddhaṁ vatthaṁ apagatakāḷakaṁ sammadeva rajanaṁ paṭiggaṇheyya; evameva tesaṁ tasmiṁyeva āsane virajaṁ vītamalaṁ dhammacakkhuṁ udapādi— “yaṁ kiñci samudayadhammaṁ sabbaṁ taṁ nirodhadhamman”ti. Te diṭṭhadhammā pattadhammā viditadhammā pariyogāḷhadhammā tiṇṇavicikicchā vigatakathaṅkathā vesārajjappattā aparappaccayā satthusāsane bhagavantaṁ etadavocuṁ— “labheyyāma mayaṁ, bhante, bhagavato santike pabbajjaṁ, labheyyāma upasampadan”ti. “Etha bhikkhavo”ti bhagavā avoca— “svākkhāto dhammo, caratha brahmacariyaṁ sammā dukkhassa antakiriyāyā”ti. Sāva tesaṁ āyasmantānaṁ upasampadā ahosi. Atha kho bhagavā te bhikkhū dhammiyā kathāya ovadi anusāsi.
世尊は、かれらの心が清らかとなり、柔軟となり、諸蓋を離れ、高揚し、澄み渡ったことを知られると、諸仏に固有の法の教示(ダンマデーサナー)を明らかにされた。すなわち、苦(ドゥッカ)・集(サムダヤ)・滅(ニローダ)・道(マッガ)を。 たとえば、汚れを取り去った清浄な布が染料をよく受け取るように、まさにそのように、かれらにはその座において、塵を離れ垢を離れた法眼(ダンマチャックー)が生じた。――「生起する性質をもつものは、すべて滅する性質をもつ」と。 かれらは法を見、法に達し、法を知り、法に深く入り、疑惑(ヴィチキッチャー)を渡り、惑いを離れ、確信を得て、師の教えにおいて他に依ることなく、世尊にこのように申し上げた。――「願わくは私どもは、世尊のもとにて出家(パッバッジャー)を得、具足戒(ウパサンパダー)を得ますように」と。 世尊は仰せられた。――「来たれ、比丘たちよ。法は善く説かれた。苦の終滅(ドゥッカンタキリヤー)のために、正しく梵行(ブラフマチャリヤ)を歩め」と。 かくてそれが、かの尊者たちの具足戒となった。 そののち世尊は、それらの比丘たちを法にかなった教説をもって教誡し、教示された。
副テーマ: suffering,impermanence,wisdom
導線タグ: 苦しみからの解放,真理の理解,悟り,精神的な自由,疑いの克服,信仰,修行の意味
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苦しみ vinaya 趣旨一致
ummattako paṭijānāti … khittacitto paṭijānāti … vedanāṭṭo paṭijānāti … āpattiyā adassane ukkhittako paṭijānāti … āpattiyā appaṭikamme ukkhittako paṭijānāti … pāpikāya diṭṭhiyā appaṭinissagge ukkhittako paṭijānāti … paṇḍako paṭijānāti … theyyasaṁvāsako paṭijānāti … titthiyapakkantako paṭijānāti … tiracchānagato paṭijānāti …
狂乱者(ummattaka)として自称する者……心乱れたる者(khittacitta)として自称する者……苦痛に苛まれたる者(vedanāṭṭa)として自称する者……罪過(āpatti)を見認めぬことにより挙罪せられた者(ukkhittaka)として自称する者……罪過を懺悔せぬことにより挙罪せられた者として自称する者……邪見(pāpikā diṭṭhi)を捨離せぬことにより挙罪せられた者として自称する者……黄門(paṇḍaka)として自称する者……盗みて共住せる者(theyyasaṁvāsaka)として自称する者……外道に赴きたる者(titthiyapakkantaka)として自称する者……畜生の身となれる者(tiracchānagata)として自称する者……
副テーマ: suffering,self
導線タグ: 自己嫌悪,罪悪感,自分を責める,過去の過ち,恥,懺悔,自己否定
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苦しみ vinaya 趣旨一致
Ime bhagavā ovadatu anusāsatū”ti. Tesaṁ bhagavā anupubbiṁ kathaṁ kathesi, seyyathidaṁ— dānakathaṁ sīlakathaṁ saggakathaṁ kāmānaṁ ādīnavaṁ okāraṁ saṅkilesaṁ nekkhamme ānisaṁsaṁ pakāsesi. Yadā te bhagavā aññāsi kallacitte muducitte vinīvaraṇacitte udaggacitte pasannacitte, atha yā buddhānaṁ sāmukkaṁsikā dhammadesanā, taṁ pakāsesi dukkhaṁ samudayaṁ nirodhaṁ maggaṁ. Seyyathāpi nāma suddhaṁ vatthaṁ apagatakāḷakaṁ sammadeva rajanaṁ paṭiggaṇheyya; evameva tesaṁ tasmiṁyeva āsane virajaṁ vītamalaṁ dhammacakkhuṁ udapādi— “yaṁ kiñci samudayadhammaṁ sabbaṁ taṁ nirodhadhamman”ti. Te diṭṭhadhammā pattadhammā viditadhammā pariyogāḷhadhammā tiṇṇavicikicchā vigatakathaṅkathā vesārajjappattā aparappaccayā satthusāsane bhagavantaṁ etadavocuṁ— “labheyyāma mayaṁ, bhante, bhagavato santike pabbajjaṁ, labheyyāma upasampadan”ti. “Etha bhikkhavo”ti bhagavā avoca—
「これらの者どもを、世尊よ、どうか教え諭してくださいませ」と。そこで世尊は彼らに順を追って法を説かれた。すなわち、布施(ダーナ)の話、戒(シーラ)の話、天界(サッガ)の話を説き、さらに欲楽(カーマ)の過患・卑賤・汚染と、出離(ネッカンマ)の功徳とを明かされた。やがて世尊は、彼らの心が堪えうるものとなり、柔軟となり、蓋(ニーヴァラナ)を離れ、高揚し、清信したと知られたとき、そこで諸仏の肝要なる法の教示を説き明かされた――苦(ドゥッカ)、集(サムダヤ)、滅(ニローダ)、道(マッガ)を。 ちょうど汚れなき白布が染料をよく受け取るように、まさにそのように、彼らにはその座において、塵を離れ垢を離れた法眼(ダンマチャックー)が生じた――「いかなる集起するものも、そのすべては滅するものである」と。 彼らは法を見た者となり、法を得た者となり、法を知った者となり、法に深く入った者となり、疑惑を渡り、迷いを離れ、無畏を得て、師の教えにおいて他に依らぬ者となって、世尊にこう申し上げた――「世尊よ、願わくは、わたくしどもは世尊のみもとにて出家(パッバッジャー)を得んことを、具足戒(ウパサンパダー)を得んことを」と。 世尊は仰せられた――「来たれ、比丘たちよ」と。
副テーマ: suffering,impermanence,wisdom,self
導線タグ: 苦しみ,真理,悟り,迷い,人生の意味,執着からの解放,精神的成長
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