律蔵 大犍度 段落52
Ime bhagavā ovadatu anusāsatū”ti. Tesaṁ bhagavā anupubbiṁ kathaṁ kathesi, seyyathidaṁ— dānakathaṁ sīlakathaṁ saggakathaṁ kāmānaṁ ādīnavaṁ okāraṁ saṅkilesaṁ nekkhamme ānisaṁsaṁ pakāsesi. Yadā te bhagavā aññāsi kallacitte muducitte vinīvaraṇacitte udaggacitte pasannacitte, atha yā buddhānaṁ sāmukkaṁsikā dhammadesanā, taṁ pakāsesi dukkhaṁ samudayaṁ nirodhaṁ maggaṁ. Seyyathāpi nāma suddhaṁ vatthaṁ apagatakāḷakaṁ sammadeva rajanaṁ paṭiggaṇheyya; evameva tesaṁ tasmiṁyeva āsane virajaṁ vītamalaṁ dhammacakkhuṁ udapādi— “yaṁ kiñci samudayadhammaṁ sabbaṁ taṁ nirodhadhamman”ti. Te diṭṭhadhammā pattadhammā viditadhammā pariyogāḷhadhammā tiṇṇavicikicchā vigatakathaṅkathā vesārajjappattā aparappaccayā satthusāsane bhagavantaṁ etadavocuṁ— “labheyyāma mayaṁ, bhante, bhagavato santike pabbajjaṁ, labheyyāma upasampadan”ti. “Etha bhikkhavo”ti bhagavā avoca—
「これらの者どもを、世尊よ、どうか教え諭してくださいませ」と。そこで世尊は彼らに順を追って法を説かれた。すなわち、布施(ダーナ)の話、戒(シーラ)の話、天界(サッガ)の話を説き、さらに欲楽(カーマ)の過患・卑賤・汚染と、出離(ネッカンマ)の功徳とを明かされた。やがて世尊は、彼らの心が堪えうるものとなり、柔軟となり、蓋(ニーヴァラナ)を離れ、高揚し、清信したと知られたとき、そこで諸仏の肝要なる法の教示を説き明かされた――苦(ドゥッカ)、集(サムダヤ)、滅(ニローダ)、道(マッガ)を。
ちょうど汚れなき白布が染料をよく受け取るように、まさにそのように、彼らにはその座において、塵を離れ垢を離れた法眼(ダンマチャックー)が生じた――「いかなる集起するものも、そのすべては滅するものである」と。
彼らは法を見た者となり、法を得た者となり、法を知った者となり、法に深く入った者となり、疑惑を渡り、迷いを離れ、無畏を得て、師の教えにおいて他に依らぬ者となって、世尊にこう申し上げた――「世尊よ、願わくは、わたくしどもは世尊のみもとにて出家(パッバッジャー)を得んことを、具足戒(ウパサンパダー)を得んことを」と。
世尊は仰せられた――「来たれ、比丘たちよ」と。
導線タグ: 苦しみ,真理,悟り,迷い,人生の意味,執着からの解放,精神的成長
⚠ 出家者向けの文脈
この教えについて、AIブッダ 禅に相談してみませんか?
🪷 AIブッダ 禅とは
AIブッダ 禅は、仏教経典10,000偈句以上のデータベースから、あなたの悩みに合った教えをAIが選び、経典名・偈番号の出典を明記して届けるサービスです。
一般的なAIは「もっともらしいが出典のない文章」を生成しますが、AIブッダ 禅はRAG(Retrieval-Augmented Generation)技術により、検証済みの経典データベースから該当する偈句を検索し、それに基づいて応答します。すべての回答に出典が付き、引用の信頼度を4段階で開示します。
経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。