律蔵 大犍度 段落31
Rūpañca hidaṁ, bhikkhave, attā abhavissa, nayidaṁ rūpaṁ ābādhāya saṁvatteyya, labbhetha ca rūpe— ‘evaṁ me rūpaṁ hotu, evaṁ me rūpaṁ mā ahosī’ti. Yasmā ca kho, bhikkhave, rūpaṁ anattā, tasmā rūpaṁ ābādhāya saṁvattati, na ca labbhati rūpe— ‘evaṁ me rūpaṁ hotu, evaṁ me rūpaṁ mā ahosī’ti. Vedanā anattā. Vedanā ca hidaṁ, bhikkhave, attā abhavissa, nayidaṁ vedanā ābādhāya saṁvatteyya, labbhetha ca vedanāya— ‘evaṁ me vedanā hotu, evaṁ me vedanā mā ahosī’ti. Yasmā ca kho, bhikkhave, vedanā anattā, tasmā vedanā ābādhāya saṁvattati, na ca labbhati vedanāya— ‘evaṁ me vedanā hotu, evaṁ me vedanā mā ahosī’ti. Saññā anattā.
「比丘たちよ、もし色(ルーパ)が我(アッター)であるならば、この色は苦悩をもたらすことはないであろう。そして色について、『わが色はかくあれ、わが色はかくあるなかれ』と望むことも叶うであろう。しかるに、比丘たちよ、色は無我(アナッター)であるがゆえに、色は苦悩をもたらし、また色について、『わが色はかくあれ、わが色はかくあるなかれ』と望むことも叶わないのである。
受(ヴェーダナー)は無我である。比丘たちよ、もしこの受が我であるならば、この受は苦悩をもたらすことはないであろう。そして受について、『わが受はかくあれ、わが受はかくあるなかれ』と望むことも叶うであろう。しかるに、比丘たちよ、受は無我であるがゆえに、受は苦悩をもたらし、また受について、『わが受はかくあれ、わが受はかくあるなかれ』と望むことも叶わないのである。
想(サンニャー)は無我である。」
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。