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💬 AIブッダに相談
10,029
偈句数
9,999
日本語訳あり
9,982
パーリ原文
経典 19
テーマ 20
該当 10,029
すべて
智慧 4354
老い 931
苦しみ 772
正念 695
怒り 356
執着 350
死 350
業・因果 346
幸せ 337
自己 244
人間関係 243
家族 234
不安 168
仕事 165
渇愛 147
慈悲 115
無常 111
孤独 45
空 43
感謝 23
vinaya 2606
中部経典 2117
長部経典 1357
相応部経典 1136
増支部経典 857
jataka 563
スッタニパータ 522
ダンマパダ(法句経) 426
テーラガーター 211
テーリーガーター 68
クッダカパータ 57
イティヴッタカ 54
ウダーナ 34
金剛経 5
維摩経 5
般若心経 4
法華経 4
涅槃経 2
AN 1
慈悲
vinaya
趣旨一致
中
“Na, bhikkhave, bālāya abyattāya dūtena upasampādetabbā. Yo upasampādeyya, āpatti dukkaṭassa. Anujānāmi, bhikkhave, byattāya bhikkhuniyā paṭibalāya dūtena upasampādetunti. Tāya dūtāya bhikkhuniyā saṅghaṁ upasaṅkamitvā ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā bhikkhūnaṁ pāde vanditvā ukkuṭikaṁ nisīditvā añjaliṁ paggahetvā evamassa vacanīyo— ‘itthannāmā, ayyā, itthannāmāya ayyāya upasampadāpekkhā. Ekatoupasampannā bhikkhunisaṅghe, visuddhā. Sā kenacideva antarāyena na āgacchati. Itthannāmā, ayyā, saṅghaṁ upasampadaṁ yācati. Ullumpatu taṁ, ayyā, saṅgho anukampaṁ upādāya. Itthannāmā, ayyā, itthannāmāya ayyāya upasampadāpekkhā.
「比丘たちよ、愚かにして未熟な使者(dūtena)をもって具足戒(upasampadā)を授けてはならない。もし授けるならば、悪作罪(dukkaṭa)を犯すことになる。比丘たちよ、わたくしは、賢明にして有能な比丘尼を使者として、具足戒を授けることを許可する。」
その使者たる比丘尼は、僧伽(saṅgha)のもとに赴き、上衣(uttarāsaṅga)を片肩にまとい、比丘たちの足に礼拝し、蹲踞(ukkuṭika)の姿勢にて座し、合掌(añjali)を捧げて、次のように申し述べるべきである。
「尊き方々(ayyā)よ、某甲(itthannāmā)という名の尊き方は、某甲という名の尊き方より具足戒の受戒を望む者にございます。かの者は、比丘尼僧伽においてすでに一方より具足戒を受け、清浄であります。しかるに、何らかの障碍(antarāya)あるがゆえに、みずから参ることがかないません。尊き方々よ、某甲という名の尊き方は、僧伽に具足戒を請い願います。どうか尊き僧伽よ、慈悲(anukampā)をもってかの者をお救いくださいますよう。尊き方々よ、某甲という名の尊き方は、某甲という名の尊き方より具足戒の受戒を望む者にございます。」
⚠ 初手で出すと冷たく見える,出家者向けの文脈
慈悲
vinaya
趣旨一致
中
Ekatoupasampannā bhikkhunisaṅghe, visuddhā. Sā kenacideva antarāyena na āgacchati. Dutiyampi, ayyā, itthannāmā saṅghaṁ upasampadaṁ yācati. Ullumpatu taṁ, ayyā, saṅgho anukampaṁ upādāya. Itthannāmā, ayyā, itthannāmāya ayyāya upasampadāpekkhā. Ekatoupasampannā bhikkhunisaṅghe, visuddhā. Sā kenacideva antarāyena na āgacchati. Tatiyampi, ayyā, itthannāmā saṅghaṁ upasampadaṁ yācati. Ullumpatu taṁ, ayyā, saṅgho anukampaṁ upādāyā’ti. Byattena bhikkhunā paṭibalena saṅgho ñāpetabbo—
〔比丘尼僧伽において〕すでに一方において受戒(具足戒)を受け、清浄なる者なり。されど何らかの障難(antarāya)ありて、〔比丘僧伽に〕来たること能わず。
「聖女(ayyā)たちよ、〔これより〕二度目として、かくかく(itthannāmā)の者は僧伽(saṅgha)に受戒(upasampadā)を願い求めます。聖女たちよ、僧伽は慈悲(anukampā)を以てその者を救い取り給わんことを。聖女(ayyā)たるかくかくの者は、かくかくの聖女のもとにて受戒を望む者にして、比丘尼僧伽において一方にて〔すでに〕受戒し、清浄なる者なり。されど何らかの障難ありて来たること能わず。」
「聖女たちよ、〔これより〕三度目として、かくかくの者は僧伽に受戒を願い求めます。聖女たちよ、僧伽は慈悲を以てその者を救い取り給わんことを」と。
〔かくして〕能弁にして堪能なる比丘尼(bhikkhunī)によりて、僧伽に告知(ñatti)がなされるべし——
⚠ 出家者向けの文脈
慈悲
vinaya
趣旨一致
中
anuññāsi anukampako. Yassa vatthussa niddeso, purimena yadi samaṁ; Tampi saṅkhittaṁ uddāne, nayato taṁ vijāniyā. Evaṁ dasasatā vatthū, vinaye khuddakavatthuke; Saddhammaṭṭhitiko ceva, pesalānañcanuggaho. Susikkhito vinayadharo,
〔世尊は〕慈悲の心をもって許可された。
その事項(ヴァットゥ)の説示は、
もし前のものと等しければ、
それもまた目録(ウッダーナ)に略して収め、
その趣意によって知るべし。
かくして一千もの事項(ヴァットゥ)は、
律(ヴィナヤ)の中の小事項として、
正法(サッダンマ)を久住せしめんがためのものであり、
また清浄な者たちへの護持(アヌッガハ)のためである。
よく学び修めた律(ヴィナヤ)の持者(ヴィナヤダラ)は、
慈悲
vinaya
趣旨一致
中
Te na sakkonti taṁ adhikaraṇaṁ vūpasametuṁ. Atha kho aññataro bhikkhu yena bhagavā tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā bhagavantaṁ abhivādetvā ekamantaṁ aṭṭhāsi. Ekamantaṁ ṭhito kho so bhikkhu bhagavantaṁ etadavoca— Sādhu, bhante, bhagavā yena te bhikkhū tenupasaṅkamatu anukampaṁ upādāyā”ti. Adhivāsesi bhagavā tuṇhībhāvena. Atha kho bhagavā yena te bhikkhū tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā paññatte āsane nisīdi, nisajja kho bhagavā te bhikkhū etadavoca— “alaṁ, bhikkhave, mā bhaṇḍanaṁ mā kalahaṁ mā viggahaṁ mā vivādan”ti. Evaṁ vutte, aññataro adhammavādī bhikkhu bhagavantaṁ etadavoca— appossukko, bhante, bhagavā diṭṭhadhammasukhavihāramanuyutto viharatu. Mayametena bhaṇḍanena kalahena viggahena vivādena paññāyissāmā”ti. Dutiyampi kho bhagavā te bhikkhū etadavoca—
彼らはその諍い事(adhikaraṇa)を鎮めることができなかった。そこで、ある一人の比丘が世尊のもとへ赴いた。赴いて、世尊を礼拝し、一方に立った。一方に立ったその比丘は、世尊にこのように申し上げた。
「尊き師よ、願わくは世尊が、慈悲(anukampa)をもってあの比丘たちのもとへ赴いてくださいますように」と。
世尊は沈黙によって承諾された。
そこで世尊は、あの比丘たちのもとへ赴いた。赴いて、設けられた座に座られた。座って、世尊はあの比丘たちにこのように仰せられた。
「比丘たちよ、止めなさい。諍い(bhaṇḍana)をなすなかれ、口論(kalaha)をなすなかれ、争論(viggaha)をなすなかれ、論争(vivāda)をなすなかれ」と。
このように仰せられたとき、非法を説く(adhammavādī)ある比丘が、世尊にこのように申し上げた。
「尊き師よ、世尊はどうか御心を煩わせることなく、現法楽住(diṭṭhadhammasukhavihāra)にいそしんでお過ごしください。この諍い、口論、争論、論争によって、われらのことが世に知られましょう」と。
世尊は再び、あの比丘たちにこのように仰せられた。
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
慈悲
vinaya
趣旨一致
中
Desehi taṁ dukkaṭan”ti. “Ahaṁ kho, bhante—māyimāsaṁ vikāle ahesunti—mātugāmehi bhagavato sarīraṁ paṭhamaṁ vandāpesiṁ. Nāhaṁ taṁ dukkaṭaṁ passāmi, api cāyasmantānaṁ saddhāya desemi taṁ dukkaṭan”ti. “Idampi te, āvuso ānanda, dukkaṭaṁ, yaṁ tvaṁ bhagavatā oḷārike nimitte kayiramāne, oḷārike obhāse kayiramāne, na bhagavantaṁ yāci— ‘tiṭṭhatu bhagavā kappaṁ, tiṭṭhatu sugato kappaṁ, bahujanahitāya bahujanasukhāya lokānukampāya atthāya hitāya sukhāya devamanussānan’ti. Desehi taṁ dukkaṭan”ti. “Ahaṁ kho, bhante, mārena pariyuṭṭhitacitto na bhagavantaṁ yāciṁ— Nāhaṁ taṁ dukkaṭaṁ passāmi, api cāyasmantānaṁ saddhāya desemi taṁ dukkaṭan”ti. “Idampi te, āvuso ānanda, dukkaṭaṁ yaṁ tvaṁ mātugāmassa tathāgatappavedite dhammavinaye pabbajjaṁ ussukkaṁ akāsi. Desehi taṁ dukkaṭan”ti.
「その過失(dukkaṭa)を懺悔せよ」と。「尊者よ、私は——女人たちがその時刻に来ないようにと——女人たちに世尊の御身体をまず礼拝させました。私はそれを過失とは見ません。しかしながら、尊者方への敬信(saddhā)をもって、その過失を懺悔いたします」と。
「友アーナンダよ、これもまたそなたの過失である。世尊が重大な相(nimitte)を現じ、重大な光輝(obhāse)を示されたとき、そなたは世尊に請われなかった——『世尊よ、一劫(kappa)の間とどまりたまえ。善逝よ、一劫の間とどまりたまえ。多くの人々の利益のために、多くの人々の安楽のために、世間を憐れむがゆえに、神々と人間との利益と福祉と安楽のために』と。その過失を懺悔せよ」と。
「尊者よ、私はまさに魔(māra)に心を覆われていたがゆえに、世尊に請いませんでした。私はそれを過失とは見ません。しかしながら、尊者方への敬信をもって、その過失を懺悔いたします」と。
「友アーナンダよ、これもまたそなたの過失である。そなたが女人の、如来によって説かれた法と律(dhammavinaya)における出家(pabbajjā)のために尽力したことは。その過失を懺悔せよ」と。
⚠ 希死念慮の場面では使わない
慈悲
vinaya
趣旨一致
中
Tena kho pana samayena mahā akālamegho udapādi, sattāhavaddalikā sītavātaduddinī. Atha kho mucalindo nāgarājā sakabhavanā nikkhamitvā bhagavato kāyaṁ sattakkhattuṁ bhogehi parikkhipitvā uparimuddhani mahantaṁ phaṇaṁ karitvā aṭṭhāsi— “mā bhagavantaṁ sītaṁ, mā bhagavantaṁ uṇhaṁ, mā bhagavantaṁ ḍaṁsamakasavātātapasarīsapasamphasso”ti. Atha kho mucalindo nāgarājā sattāhassa accayena viddhaṁ vigatavalāhakaṁ devaṁ viditvā bhagavato kāyā bhoge viniveṭhetvā sakavaṇṇaṁ paṭisaṁharitvā māṇavakavaṇṇaṁ abhinimminitvā bhagavato purato aṭṭhāsi pañjaliko bhagavantaṁ namassamāno. Atha kho bhagavā etamatthaṁ viditvā tāyaṁ velāyaṁ imaṁ udānaṁ udānesi— “Sukho viveko tuṭṭhassa, sutadhammassa passato; Abyāpajjaṁ sukhaṁ loke, pāṇabhūtesu saṁyamo. Sukhā virāgatā loke,
そのとき、季節はずれの大雨雲が湧き起こり、七日のあいだ、冷たい風とともに雨が降りしきった。そこでムチャリンダ(Mucalinda)という龍王(nāgarājā)は、みずからの住処より出て、世尊の御身を七度、とぐろを巻いて包みまもり、頭上には大きな頭巾(phaṇa)をひろげて立ちつくした。「世尊に寒さが及ばぬよう、世尊に暑さが及ばぬよう、世尊に虻・蚊・風・炎熱・蛇虫の触れることなからんよう」と。
やがて七日が過ぎると、ムチャリンダ龍王は雨が晴れ、雲が去ったのを知り、世尊の御身よりとぐろをほどき、みずからの本来の姿を収めて、若者の姿をあらわし、世尊の御前に合掌して立ち、世尊を礼拝した。
そこで世尊はこの意義を知られ、そのとき、この感興の言葉(udāna)を発せられた——
満ち足りて法(dhamma)を聞き、見る者の
独処(viveka)はいかに楽しいことか。
世において、害なきこと(abyāpajja)は楽しく、
生きとし生けるものへの自制(saṁyama)もまた楽し。
世において、離欲(virāgatā)はいかに楽しいことか。
死
vinaya
趣旨一致
中
Byattena bhikkhunā paṭibalena saṅgho ñāpetabbo— ‘Suṇātu me, bhante, saṅgho. Itthannāmo sāmaṇero kālaṅkato. Idaṁ tassa cīvarañca patto ca. Yadi saṅghassa pattakallaṁ, saṅgho imaṁ cīvarañca pattañca gilānupaṭṭhākānaṁ dadeyya. Esā ñatti. Suṇātu me, bhante, saṅgho. Itthannāmo sāmaṇero kālaṅkato. Idaṁ tassa cīvarañca patto ca. Saṅgho imaṁ cīvarañca pattañca gilānupaṭṭhākānaṁ deti.
「大徳(バンテ)よ、僧伽(サンガ)よ、聞きたまえ。これこれの名の沙弥(サーマネーラ)が命終(カーランカタ)した。これはその者の衣(チーヴァラ)と鉢(パッタ)である。もし僧伽にとって適当な時であれば、僧伽はこの衣と鉢とを病者の看護者たちに与えられんことを。これが動議(ニャッティ)である。大徳よ、僧伽よ、聞きたまえ。これこれの名の沙弥が命終した。これはその者の衣と鉢である。僧伽はこの衣と鉢とを病者の看護者たちに与える」
――と、有能にして堪能なる比丘(ビク)は僧伽に告知すべきである。
⚠ 出家者向けの文脈
死
vinaya
趣旨一致
中
Yo paribhuñjeyya, āpatti thullaccayassa. Na ca, bhikkhave, appaṭivekkhitvā maṁsaṁ paribhuñjitabbaṁ. Yo paribhuñjeyya, āpatti dukkaṭassā”ti. 10. Hatthimaṁsādipaṭikkhepakathā Tena kho pana samayena rañño hatthī maranti. Manussā dubbhikkhe hatthimaṁsaṁ paribhuñjanti, bhikkhūnaṁ piṇḍāya carantānaṁ hatthimaṁsaṁ denti. Bhikkhū hatthimaṁsaṁ paribhuñjanti. Manussā ujjhāyanti khiyyanti vipācenti— “kathañhi nāma samaṇā sakyaputtiyā hatthimaṁsaṁ paribhuñjissanti. Rājaṅgaṁ hatthī, sace rājā jāneyya, na nesaṁ attamano assā”ti.
〔これを〕受用するならば、偸蘭遮(thullaccaya)の罪を犯すことになる。また比丘たちよ、よく省察することなく肉を受用してはならない。〔省察せずに〕受用するならば、突吉羅(dukkaṭa)の罪を犯すことになる」と。
十 象肉等の禁止に関する話
そのころ、王の象たちが死んでいた。人々は飢饉のなか象の肉を受用し、托鉢に歩く比丘たちに象の肉を施した。比丘たちは象の肉を受用した。人々はこれを憤り、そしり、非難して言った。「いかなる理由があって、釈迦の子たる沙門たちは象の肉を受用するのであろうか。象は王の標(しるし)である。もし王がこれを知るならば、きっとお喜びにはなられまい」と。
⚠ 出家者向けの文脈
死
vinaya
趣旨一致
中
Yassāyasmato khamati imassa cīvarassa ca pattassa ca gilānupaṭṭhākānaṁ dānaṁ, so tuṇhassa; yassa nakkhamati, so bhāseyya. Dinnaṁ idaṁ saṅghena cīvarañca patto ca gilānupaṭṭhākānaṁ. Khamati saṅghassa, tasmā tuṇhī, evametaṁ dhārayāmī’”ti. Tena kho pana samayena aññataro bhikkhu ca sāmaṇero ca gilānaṁ upaṭṭhahiṁsu. So tehi upaṭṭhahiyamāno kālamakāsi. Atha kho tassa gilānupaṭṭhākassa bhikkhuno etadahosi— “kathaṁ nu kho gilānupaṭṭhākassa sāmaṇerassa cīvarapaṭivīso dātabbo”ti? “Anujānāmi, bhikkhave, gilānupaṭṭhākassa sāmaṇerassa samakaṁ paṭivīsaṁ dātun”ti. Tena kho pana samayena aññataro bhikkhu bahubhaṇḍo bahuparikkhāro kālaṅkato hoti.
「この衣(こえ)と鉢(はつ)とを看病人(かんびょうにん)に施すことを、もし承認される長老がおられるならば黙っておられよ。承認されない方は発言されよ。この衣と鉢とは僧伽(さんが)によって看病人たちに施された。僧伽はこれを承認した。ゆえに黙っておられる。このことをかくのごとく保持する」と。
さてそのとき、ある比丘(びく)と沙弥(しゃみ)とが病者を看病していた。その病者は彼らに看病されつつ、命終(みょうじゅう)した。そこでその看病の比丘に、かくの思いが生じた——「看病をした沙弥に対して、いかにして衣の分配(ぶんぱい)を与えるべきであろうか」と。
「比丘たちよ、わたしは許可する。看病をした沙弥に対して、等しき分をもって配分を与えることを」と。
さてそのとき、ある比丘が多くの財物(ざいもつ)と多くの資具(しぐ)とを有したまま命終した。
⚠ 出家者向けの文脈
死
vinaya
趣旨一致
中
Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Na, bhikkhave, hatthimaṁsaṁ paribhuñjitabbaṁ. Yo paribhuñjeyya, āpatti dukkaṭassā”ti. Tena kho pana samayena rañño assā maranti. Manussā dubbhikkhe assamaṁsaṁ paribhuñjanti, bhikkhūnaṁ piṇḍāya carantānaṁ assamaṁsaṁ denti. Bhikkhū assamaṁsaṁ paribhuñjanti. Manussā ujjhāyanti khiyyanti vipācenti— “kathañhi nāma samaṇā sakyaputtiyā assamaṁsaṁ paribhuñjissanti. Rājaṅgaṁ assā, sace rājā jāneyya, na nesaṁ attamano assā”ti. Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ.
比丘たちはこの事柄を世尊に申し上げた。
「比丘たちよ、象の肉を食してはならない。食する者には悪作(ドゥッカタ)の罪を犯すことになる。」
さてそのころ、王の馬が死ぬことがあった。人々は飢饉のとき馬の肉を食し、托鉢(ピンダ)に歩く比丘たちにも馬の肉を施した。比丘たちは馬の肉を食した。人々はこれを憤り、そしり、さまざまに批評した。
「釈迦の子たる沙門たちが、いかにして馬の肉を食することができようか。馬は王の乗り物(王匹)である。もし王がこれを知れば、けっして喜ばれないであろう。」
比丘たちはこの事柄を世尊に申し上げた。
⚠ 出家者向けの文脈
死
vinaya
趣旨一致
中
“Bhikkhussa, bhikkhave, kālaṅkate saṅgho sāmī pattacīvare, api ca gilānupaṭṭhākā bahūpakārā. Anujānāmi, bhikkhave, saṅghena ticīvarañca pattañca gilānupaṭṭhākānaṁ dātuṁ. Yaṁ tattha lahubhaṇḍaṁ lahuparikkhāraṁ taṁ sammukhībhūtena saṅghena bhājetuṁ. Yaṁ tattha garubhaṇḍaṁ garuparikkhāraṁ taṁ āgatānāgatassa cātuddisassa saṅghassa avissajjikaṁ avebhaṅgikan”ti. 25. Naggiyapaṭikkhepakathā Tena kho pana samayena aññataro bhikkhu naggo hutvā yena bhagavā tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā bhagavantaṁ etadavoca— “bhagavā, bhante, anekapariyāyena appicchassa santuṭṭhassa sallekhassa dhutassa pāsādikassa apacayassa vīriyārambhassa vaṇṇavādī. Idaṁ, bhante, naggiyaṁ anekapariyāyena appicchatāya santuṭṭhitāya sallekhāya dhutatāya pāsādikatāya apacayāya vīriyārambhāya saṁvattati. Sādhu, bhante, bhagavā bhikkhūnaṁ naggiyaṁ anujānātū”ti.
「比丘たちよ、比丘が命終(かめいしゅう)した場合、鉢と衣は僧伽(さんが)のものとなる。しかしながら、看病の者どもは多大な功労がある。それゆえ比丘たちよ、僧伽が三衣(さんね)と鉢とを看病の者どもに与えることを許す。そのなかにある軽い財物・軽い資具(しぐ)は、現前の僧伽によって分配すること。そのなかにある重い財物・重い資具は、来たれる者にも来たらざる者にも、四方(しほう)の僧伽に属する不可譲・不可分のものとする。」
二五 裸行拒否の話
さてそのとき、ある比丘が裸身となり、世尊のもとに近づいた。近づいてから、世尊にこのように申し上げた。
「世尊よ、尊師(そんし)は、少欲(しょうよく)・知足(ちそく)・頭陀(ずだ)・捨離(しゃり)・浄信(じょうしん)・消滅・精進(しょうじん)の励行を、さまざまな仕方で讃えられます。尊師よ、この裸行(らぎょう)こそは、さまざまな仕方において、少欲のために、知足のために、頭陀のために、捨離のために、浄信のために、消滅のために、精進の励行のために資するものであります。どうか尊師よ、世尊は比丘たちに裸行をお許しくださいますよう。」
⚠ 出家者向けの文脈
死
vinaya
趣旨一致
中
Te aññamaññaṁ sagāravā sappatissā sabhāgavuttikā viharitvā kāyassa bhedā paraṁ maraṇā sugatiṁ saggaṁ lokaṁ upapajjiṁsu. Evaṁ kho taṁ, bhikkhave, tittiriyaṁ nāma brahmacariyaṁ ahosi. ‘Ye vuḍḍhamapacāyanti, narā dhammassa kovidā; Diṭṭhe dhamme ca pāsaṁsā, samparāye ca suggatī’ti. Te hi nāma, bhikkhave, tiracchānagatā pāṇā aññamaññaṁ sagāravā sappatissā sabhāgavuttikā viharissanti. Idha kho taṁ, bhikkhave, sobhetha yaṁ tumhe evaṁ svākkhāte dhammavinaye pabbajitā samānā aññamaññaṁ agāravā appatissā asabhāgavuttikā vihareyyātha? Netaṁ, bhikkhave, appasannānaṁ vā pasādāya …pe… vigarahitvā …pe…
彼らは互いに敬い、互いに礼を尽くし、同じ行いをもって共に住し、身の壊れた後、死の彼方に、善趣(sugati)なる天上の世界に生まれた。比丘たちよ、かくのごとくであった、「鷓鴣(tittiriya)の梵行(brahmacariya)」と呼ばれるものは。
「長老を敬い奉る者、
法(dhamma)に通じた人々は、
現世においても讃えられ、
来世においても善趣を得る。」
比丘たちよ、彼ら畜生道(tiracchānagata)に堕した生き物でさえ、互いに敬い、互いに礼を尽くし、同じ行いをもって共に住するであろう。比丘たちよ、ここにおいて、かくも善く説かれた法と律(dhammavinaya)に出家した者でありながら、互いに敬わず、礼を尽くさず、同じ行いをもって住しないとすれば、それはいかに恥ずべきことであろうか。比丘たちよ、そのことは、いまだ信を得ていない者たちに信を起こさせるためにもならず……(乃至)……叱責して……(乃至)……
⚠ 出家者向けの文脈
死
vinaya
趣旨一致
中
dhammiṁ kathaṁ katvā bhikkhū āmantesi— “anujānāmi, bhikkhave, yathāvuḍḍhaṁ abhivādanaṁ, paccuṭṭhānaṁ, añjalikammaṁ, sāmīcikammaṁ, aggāsanaṁ, aggodakaṁ, aggapiṇḍaṁ. Na ca, bhikkhave, saṅghikaṁ yathāvuḍḍhaṁ paṭibāhitabbaṁ. Yo paṭibāheyya, āpatti dukkaṭassā”ti. 2.4. Avandiyādipuggala “Dasayime, bhikkhave, avandiyā— pure upasampannena pacchā upasampanno avandiyo, anupasampanno avandiyo, nānāsaṁvāsako vuḍḍhataro adhammavādī avandiyo, mātugāmo avandiyo, paṇḍako avandiyo, pārivāsiko avandiyo, mūlāyapaṭikassanāraho avandiyo, mānattāraho avandiyo, mānattacāriko avandiyo, abbhānāraho avandiyo. Tayome, bhikkhave, vandiyā— pacchā upasampannena pure upasampanno vandiyo, nānāsaṁvāsako vuḍḍhataro dhammavādī vandiyo, sadevake bhikkhave loke samārake sabrahmake sassamaṇabrāhmaṇiyā pajāya sadevamanussāya tathāgato arahaṁ sammāsambuddho vandiyo. 2.5. Āsanappaṭibāhanapaṭikkhepa
法話を終えて、〔世尊は〕比丘たちに告げられた。
「比丘たちよ、わたしは次のことを許可する。〔戒臈の〕長幼の序にしたがって、礼拝すること、起立して迎えること、合掌すること、恭敬の礼を行うこと、上座に坐ること、上席の水を受けること、上席の食を受けること、これらを許可する。比丘たちよ、僧伽に属するものを長幼の序に反して拒んではならない。もし拒む者があれば、悪作罪(dukkaṭa)を犯すこととなる。」
---
「比丘たちよ、礼拝されるべからざる者が十ある。
先に具足戒を受けた者に対して、後に具足戒を受けた者は礼拝されるべからず。未受具足戒の者は礼拝されるべからず。別住(nānāsaṁvāsaka)にある者で、戒臈は長ずるも法に背く説をなす者は礼拝されるべからず。女人(mātugāma)は礼拝されるべからず。黄門(paṇḍaka)は礼拝されるべからず。別住罪(pārivāsika)にある者は礼拝されるべからず。本日治(mūlāyapaṭikassana)に値する者は礼拝されるべからず。摩那埵(mānatta)に値する者は礼拝されるべからず。摩那埵を行じている者は礼拝されるべからず。出罪(abbhāna)に値する者は礼拝されるべからず。
比丘たちよ、礼拝されるべき者が三ある。
後に具足戒を受けた者に対して、先に具足戒を受けた者は礼拝されるべし。別住にある者で、戒臈は長ずるも正法を説く者は礼拝されるべし。比丘たちよ、天・魔・梵を含むこの世において、沙門・婆羅門・天・人を含む生ける者たちのなかにあって、如来・応供・正等覚者は礼拝されるべし。」
---
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
死
vinaya
趣旨一致
中
dibbāya sotadhātuyā visuddhāya atikkantamānusikāya— “idaṁ kho adhikaraṇaṁ kakkhaḷañca vāḷañca. Na kho metaṁ patirūpaṁ yohaṁ evarūpe adhikaraṇe osakkeyyaṁ. Idāni ca pana te bhikkhū āgacchissanti. Sohaṁ tehi ākiṇṇo na phāsu gamissāmi. Yannūnāhaṁ paṭikacceva gaccheyyan”ti. Atha kho āyasmā revato soreyyā saṅkassaṁ agamāsi. Atha kho therā bhikkhū soreyyaṁ gantvā pucchiṁsu— “kahaṁ āyasmā revato”ti? “esāyasmā revato saṅkassaṁ gato”ti.
清浄にして人智を超えた天耳界(dibbā sotadhātu)によって、彼はこう察知した。「この諍事(adhikaraṇa)は荒々しく、また険しいものである。かかる諍事において、わたしが退くことは、まことに相応しくない。しかし今や、あの比丘たちがやって来るであろう。わたしはかれらに取り囲まれて、安らかに過ごすことができまい。いっそのこと、今のうちに立ち去るとしよう」と。
そこで長老レーヴァタ(Revata)は、ソーレーッヤ(Soreyyā)を発ち、サンカッサ(Saṅkassa)へと赴いた。
かくして長老たちである比丘たちは、ソーレーッヤへと赴き、問うた。
「レーヴァタ長老はいずこへ」と。
「あの長老レーヴァタは、サンカッサへ赴かれました」と。
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Duggahitaṁ. Yo pahiṇati tassa vissāsā gaṇhāti. Suggahitaṁ. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu bhikkhussa hatthe cīvaraṁ pahiṇati— ‘imaṁ cīvaraṁ itthannāmassa dehī’ti. So antarāmagge suṇāti— ‘yo pahiṇati so kālaṅkato’ti. Tassa matakacīvaraṁ adhiṭṭhāti. Svādhiṭṭhitaṁ. Yassa pahiyyati tassa vissāsā gaṇhāti.
「誤って取得したことになる。送った者への信頼に基づいて取るからである。正しく取得したことになる。」
さて、比丘たちよ、ここにある比丘が別の比丘の手に衣(チーヴァラ)を預けて、「この衣をかくかくしかじかの者に渡してくれ」と言う。その者が途中の道で、「衣を送った者が亡くなった(カーランカタ)」と聞く。そこで彼は、その亡き者の衣(マタカ・チーヴァラ)として自ら受持(アディッターナ)する。それは正しく受持されたことになる。衣を届けられるべき者が、送った者への信頼に基づいて取ることになるからである。
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Duggahitaṁ. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu bhikkhussa hatthe cīvaraṁ pahiṇati— ‘imaṁ cīvaraṁ itthannāmassa dehī’ti. So antarāmagge suṇāti— ‘yassa pahiyyati so kālaṅkato’ti. Tassa matakacīvaraṁ adhiṭṭhāti. Dvādhiṭṭhitaṁ. Yo pahiṇati tassa vissāsā gaṇhāti. Suggahitaṁ. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu bhikkhussa hatthe cīvaraṁ pahiṇati—
〔誤った受取り〕
誤りて受取られたり。されど比丘たちよ、ここに一人の比丘が、別の比丘の手に衣(チーヴァラ)を託して遣わす——「この衣を、かくかくしかじかの名の者に渡してほしい」と。その者が途中の道にて耳にする——「衣を授けられるべき者が、すでに命終した」と。彼はその死者の衣として定め受ける(アディッタナ)。これは二重に定め受けたることとなる。衣を遣わした者のために、その者の信頼に基づきて受取る。
〔正しき受取り〕
正しく受取られたり。されど比丘たちよ、ここに一人の比丘が、別の比丘の手に衣を託して遣わす——
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‘imaṁ cīvaraṁ itthannāmassa dehī’ti. So antarāmagge suṇāti— ‘ubho kālaṅkatā’ti. Yo pahiṇati tassa matakacīvaraṁ adhiṭṭhāti. Svādhiṭṭhitaṁ. Yassa pahiyyati tassa matakacīvaraṁ adhiṭṭhāti. Dvādhiṭṭhitaṁ. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu bhikkhussa hatthe cīvaraṁ pahiṇati— ‘imaṁ cīvaraṁ itthannāmassa dammī’ti. So antarāmagge yo pahiṇati tassa vissāsā gaṇhāti.
「この衣(こころも)を某(それがし)に渡してくれよ」と。ところが彼は、道の途中で「両者ともに命終した」と聞く。衣を送った者の遺衣(まつごのころも)として確定する。これはよく確定されたものである。衣を送られるべき者の遺衣として確定する。これは二重に確定されたものである。
さて比丘たちよ、ここにおいて、ある比丘が別の比丘の手に衣を託して言う——「この衣を某に与えてくれよ」と。衣を送った者は、道の途中で、その衣を託した者の信頼(vissāsa)に基づいてそれを取る。
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Atha kho belaṭṭho kaccāno vighāsāde guḷehi santappetvā bhagavantaṁ etadavoca— “santappitā, bhante, vighāsādā guḷehi, bahu cāyaṁ guḷo avasiṭṭho. Kathāhaṁ, bhante, paṭipajjāmī”ti? “Nāhaṁ taṁ, kaccāna, passāmi sadevake loke samārake sabrahmake sassamaṇabrāhmaṇiyā pajāya sadevamanussāya yassa so guḷo paribhutto sammā pariṇāmaṁ gaccheyya, aññatra tathāgatassa vā tathāgatasāvakassa vā. Tena hi tvaṁ, kaccāna, taṁ guḷaṁ appaharite vā chaḍḍehi, appāṇake vā udake opilāpehī”ti. “Evaṁ, bhante”ti kho belaṭṭho kaccāno bhagavato paṭissuṇitvā taṁ guḷaṁ appāṇake udake opilāpeti. Atha kho so guḷo udake pakkhitto cicciṭāyati ciṭiciṭāyati padhūpāyati sampadhūpāyati. Seyyathāpi nāma phālo divasaṁsantatto udake pakkhitto cicciṭāyati ciṭiciṭāyati padhūpāyati sampadhūpāyati; Atha kho belaṭṭho kaccāno saṁviggo lomahaṭṭhajāto yena bhagavā tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā bhagavantaṁ abhivādetvā ekamantaṁ nisīdi. Ekamantaṁ nisinnassa kho belaṭṭhassa kaccānassa bhagavā anupubbiṁ kathaṁ kathesi, seyyathidaṁ—
そのとき、ベーラッタ・カッチャーナは、残り物の食事をいただく者たちを黒砂糖でもてなしたのち、世尊にこのように申し上げた。
「世尊よ、残り物の食事をいただく者たちは、黒砂糖でもてなされました。しかも、この黒砂糖はまだたくさん残っております。世尊よ、わたくしはいかに処置いたしましたらよいのでしょうか」と。
「カッチャーナよ、わたしには、天・魔・梵を含むこの世界において、沙門・婆羅門を含む人々のなかに、天・人を含むいかなる者も、その黒砂糖を食して正しく消化することができる者は、如来あるいは如来の弟子のほかには見当たらない。カッチャーナよ、それならば、その黒砂糖を、草の生えていない場所に捨てるか、あるいは生き物のいない水の中に流しなさい」と。
「かしこまりました、世尊よ」と、ベーラッタ・カッチャーナは世尊の言葉を承って、その黒砂糖を生き物のいない水の中に流した。
すると、その黒砂糖は水の中に投じられるや、じゅうじゅうと、ちりちりと音を立て、煙を上げ、激しく煙を上げた。ちょうど、一日じゅう熱せられた鋤先が水の中に投じられて、じゅうじゅうと、ちりちりと音を立て、煙を上げ、激しく煙を上げるように。
そのとき、ベーラッタ・カッチャーナは深く心を動かされ(saṁvigga)、身の毛のよだつ思いがして、世尊のもとへと近づいた。近づいて、世尊を礼拝し、かたわらに坐った。かたわらに坐ったベーラッタ・カッチャーナに対して、世尊は順を追って法を説かれた(anupubbī kathā)。すなわち——
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‘imaṁ cīvaraṁ itthannāmassa dammī’ti. So antarāmagge suṇāti— ‘yo pahiṇati so kālaṅkato’ti. Tassa matakacīvaraṁ adhiṭṭhāti. Dvādhiṭṭhitaṁ. Yassa pahiyyati tassa vissāsā gaṇhāti. Suggahitaṁ. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu bhikkhussa hatthe cīvaraṁ pahiṇati— ‘imaṁ cīvaraṁ itthannāmassa dammī’ti. So antarāmagge suṇāti—
「この衣(こころも)を、某某(それがし)に与えよ」と言いつつ。彼は途中にて聞く――「遣わした者は已に命終(みょうじゅう)せり」と。彼はその亡者の衣を決定受持(けつじょうじゅじ)する。二重に決定受持されたことになる。それを遣わされた者のために、信頼(vissāsa)に基づいて取る。これは正しく取られたことになる。
さてここに、比丘たちよ、ある比丘が他の比丘の手に衣を託して遣わす――「この衣を某某に与えよ」と言いつつ。彼は途中にて聞く――
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‘yassa pahiyyati so kālaṅkato’ti. Tassa matakacīvaraṁ adhiṭṭhāti. Svādhiṭṭhitaṁ. Yo pahiṇati tassa vissāsā gaṇhāti. Duggahitaṁ. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu bhikkhussa hatthe cīvaraṁ pahiṇati— ‘imaṁ cīvaraṁ itthannāmassa dammī’ti. So antarāmagge suṇāti ‘ubho kālaṅkatā’ti. Yo pahiṇati tassa matakacīvaraṁ adhiṭṭhāti. Dvādhiṭṭhitaṁ.
「衣を送り出した者が命終した」との由。その者の死者の衣(マタカチーワラ)を〔受取人が〕受持(アディッタハーナ)する。それは正しく受持されたことになる。送り出した者に対して、親しみの情(ウィッサーサ)をもって〔その衣を〕取るならば、それは不正な取得となる。
さて、比丘たちよ、ここにある比丘が別の比丘の手に衣を託して、「この衣を某(それがし)に与えよ」と言う。その者が途中の道において、「両者ともに命終した」と聞く。〔その場合、〕衣を送り出した者の死者の衣として受持する。それは二重に受持されたことになる。
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経典データの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)