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10,029
偈句数
9,999
日本語訳あり
9,982
パーリ原文
経典 19
テーマ 20
該当 346
すべて 智慧 4354 老い 931 苦しみ 772 正念 695 怒り 356 執着 350 350 業・因果 346 幸せ 337 自己 244 人間関係 243 家族 234 不安 168 仕事 165 渇愛 147 慈悲 115 無常 111 孤独 45 43 感謝 23
vinaya 2606 中部経典 2117 長部経典 1357 相応部経典 1136 増支部経典 857 jataka 563 スッタニパータ 522 ダンマパダ(法句経) 426 テーラガーター 211 テーリーガーター 68 クッダカパータ 57 イティヴッタカ 54 ウダーナ 34 金剛経 5 維摩経 5 般若心経 4 法華経 4 涅槃経 2 AN 1
業・因果 テーラガーター 趣旨一致
Dvādasakanipāta Paṭhamavagga Sīlavattheragāthā “Sīlamevidha sikkhetha, asmiṁ loke susikkhitaṁ; Sīlañhi sabbasampattiṁ, upanāmeti sevitaṁ. Idheva nindaṁ labhati, peccāpāye ca dummano; Sabbattha dummano bālo, sīlesu asamāhito. Idheva kittiṁ labhati, pecca sagge ca summano; Sabbattha sumano dhīro, sīlesu susamāhito. Sīlameva idha aggaṁ, paññavā pana uttamo; Manussesu ca devesu, sīlapaññāṇato jayan”ti. … Sīlavo thero …. Sīlaṁ rakkheyya medhāvī, patthayāno tayo sukhe; Pasaṁsaṁ vittilābhañca, pecca sa
---  この世において、まず戒(シーラ)を学ぶべし。 この世にて善く修められた戒は、  よく守り行ずるならば、 あらゆる繁栄へと人を導く。  戒において心の定まらぬ愚か者は、 この世においても誹りを受け、  死して後には悪趣(アパーヤ)に沈み、心は乱れる。 いかなる処においても、その心は安らかならず。  戒において善く心の定まれる智慧ある者は、 この世においても名声を得、  死して後には天界(サッガ)に生まれ、心は喜びに満つ。 いかなる処においても、その心は安らかなり。  この世において戒こそが最高のものであり、 智慧ある者はさらに優れている。  人の世においても、また天の世においても、 戒と智慧(パンニャー)によってこそ、勝利が得られる。 ---  …… こはシーラヴァ長老の言葉なり …… ---  三つの幸いを願い求める賢明なる者は、 よく戒を守るべし。  その三つとは—— 称讃を得ること、 財と名声を得ること、 そして死して後には天上の楽を受けること、これなり。
副テーマ: cause_effect,moral,accountability
導線タグ: 失恋,別れ
⚠ 初手で出すと冷たく見える
業・因果 テーラガーター 趣旨一致
Dukanipāta Pañcamavagga Sandhitattheragāthā “Assatthe haritobhāse, saṁvirūḷhamhi pādape; Ekaṁ buddhagataṁ saññaṁ, alabhitthaṁ patissato. Ekatiṁse ito kappe, yaṁ saññamalabhiṁ tadā; Tassā saññāya vāhasā, patto me āsavakkhayo”ti. … Sandhito thero … vaggo pañcamo. Tassuddānaṁ Kumārakassapo thero, dhammapālo ca brahmāli; Mogharājā visākho ca, cūḷako ca anūpamo; Vajjito sandhito thero, kilesarajavāhanoti. Dukanipāto niṭṭhito. Tatruddānaṁ Gāthādukanipātamhi, navuti ceva aṭṭha ca; Therā ekūnapaññāsaṁ,
# テーラガーター 二偈集 第五品 サンディタ長老の偈   「緑に輝くアッサッタ樹の、  根も幹も生い茂りたるその木陰にて、  わたしは念(ねん)を凝らし、  仏陀に向かいたるひとつの想(そう)を得たり。  ここより数えて三十一劫(こう)の昔、  そのとき得たるかの想(そう)のゆえに、  その想(そう)の力に乗じて、  今やわれは諸漏(しょろ)の滅尽(めつじん)に至れり。」   ……サンディタ長老…… 第五品。   その摂頌(せっじゅ)—— クマーラカッサパ長老、ダンマパーラ、バラーリ、 モーガラージャー、ヴィサーカ、 チューラカ(無比なる者)、 ヴァッジタ、サンディタ長老—— これらは煩悩の塵(じん)を運び去る者たち。   二偈集、ここに終わる。 その摂頌—— 二偈集においては、九十八の偈があり、 長老たちは四十九人。
副テーマ: moral
導線タグ: 食事,罪悪感
業・因果 テーラガーター 趣旨一致
Aṭṭhakanipāta Paṭhamavagga Mahākaccāyanattheragāthā “Kammaṁ bahukaṁ na kāraye, Parivajjeyya janaṁ na uyyame; So ussukko rasānugiddho, Atthaṁ riñcati yo sukhādhivāho. Paṅkoti hi naṁ avedayuṁ, Yāyaṁ vandanapūjanā kulesu; Sukhumaṁ sallaṁ durubbahaṁ, Sakkāro kāpurisena dujjaho. Na parassupanidhāya, kammaṁ maccassa pāpakaṁ; Attanā taṁ na seveyya, kammabandhū hi mātiyā. Na pare vacanā coro, na pare vacanā muni; Attā ca naṁ yathāvedi, devāpi naṁ tathā vidū. Pare ca na vijānanti, mayamettha yamāmase; Ye
# マハーカッチャーヤナ長老の偈(テーラガーター 8.1) --- 多くの業(カンマ)を作ることなかれ、 人々との交わりを避け、精励すること怠るなかれ。 美味に耽り、貪りに身を委ねる者は、 安楽をもたらすべき真の利(アッタ)を失う。 家々における礼拝と供養—— これは泥沼(パンカ)なりと賢者たちは説きたり。 細き矢は抜きがたく、 名誉(サッカーラ)は劣れる人には捨てがたきもの。 他者に罪悪の業(カンマ)を向けることなく、 死すべき者よ、みずから悪しき業を行なうことなかれ。 業はまさに大地のごとく、 生きとし生けるものの朋(とも)なればこそ。 他者の言葉によって盗人となるにあらず、 他者の言葉によって聖者(ムニ)となるにあらず。 おのれ自身がそれを如実に知るがごとく、 神々もまたそのように知る。 他の者たちは知らず—— 「我らはここにて滅びゆく」と。 ---
副テーマ: cause_effect
導線タグ: 転職,将来,対人恐怖
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,初学者には難しい
業・因果 テーリーガーター 趣旨一致
Soḷasakanipāta Puṇṇātherīgāthā “Udahārī ahaṁ sīte, sadā udakamotariṁ; Ayyānaṁ daṇḍabhayabhītā, vācādosabhayaṭṭitā. “Kummaggapaṭipannaṁ maṁ, ariyamaggaṁ samānayi; Dakābhisecanā bhoti, imaṁ sāṭaṁ dadāmi te”. “Tuyheva sāṭako hotu, nāhamicchāmi sāṭakaṁ; Sace bhāyasi dukkhassa, sace te dukkhamappiyaṁ. Mākāsi pāpakaṁ kammaṁ, āvi vā yadi vā raho; Sace ca pāpakaṁ kammaṁ, karissasi karosi vā. Na te dukkhā pamutyatthi, upeccāpi palāyato; Sace bhāyasi dukkhassa, sace te dukkhamappiyaṁ. Upehi saraṇaṁ buddha
「寒さの中にても、わたしは水を運び、 常に水の中へと降りていった。 ご主人さまがたの笞(むち)の恐ろしさに怯え、 言葉の咎(とが)を受ける恐れに脅かされながら。 「邪道を歩んでいたわたしを、 汝は聖なる道(アリヤマッガ)へと導いてくれた。 水をもって沐浴せしめてくれた、その恩に報いるべく、 この衣(サーティ)をあなたに捧げましょう」と。 「その衣はあなたのものとして持っておきなさい。 わたしは衣など欲しくはない。 もし汝が苦(ドゥッカ)を恐れるならば、 もし汝にとって苦が厭わしいものならば、 悪しき業(カルマ)を造ってはならぬ、 人前においても、また独りひそかな折にも。 もし汝が悪しき業を 今後も造り、あるいは今まさに造っているならば、 いかに飛び去り逃れようとも、 汝は苦より解き放たれることはない。 もし汝が苦を恐れるならば、 もし汝にとって苦が厭わしいものならば、 仏(ブッダ)に帰依しなさい――」
副テーマ: moral
導線タグ: 上司,介護,決断,対人恐怖,食事
⚠ 自己責任論に誤解されやすい
業・因果 テーリーガーター 趣旨一致
Chakkanipāta Vijayātherīgāthā “Catukkhattuṁ pañcakkhattuṁ, vihārā upanikkhamiṁ; Aladdhā cetaso santiṁ, citte avasavattinī. Bhikkhuniṁ upasaṅkamma, sakkaccaṁ paripucchahaṁ; Sā me dhammamadesesi, dhātuāyatanāni ca. Cattāri ariyasaccāni, indriyāni balāni ca; Bojjhaṅgaṭṭhaṅgikaṁ maggaṁ, uttamatthassa pattiyā. Tassāhaṁ vacanaṁ sutvā, karontī anusāsaniṁ; Rattiyā purime yāme, pubbajātimanussariṁ. Rattiyā majjhime yāme, dibbacakkhuṁ visodhayiṁ; Rattiyā pacchime yāme, tamokhandhaṁ padālayiṁ. Pītisukhena
四たび、五たびと、 精舎を出でては戻り、 心の安らぎ(心の寂静)をついに得られず、 わが心は自らの制するところとならなかった。 比丘尼のもとに赴き、 恭しく問いを重ねた。 彼女はわたしに法(ダンマ)を説き示してくださった—— 諸界(ダートゥ)と諸処(アーヤタナ)を、 四聖諦(チャットゥアリヤサッチャーニ)を、 諸根(インドリヤ)と諸力(バラ)を、 七覚支(ボッジャンガ)と八聖道(アッタンギカ・マッガ)を—— 最上の境地を証するための教えとして。 その言葉を聴き、 教えの示すままに実践するうちに、 夜の初更(初夜)において、 わたしは過去の生をことごとく想い起こした。 夜の中更(中夜)において、 天眼(ディッバチャック)を清らかに磨いた。 夜の後更(後夜)において、 闇の塊(タモカンダ)を打ち砕いた。 喜悦と楽(ピーティスカ)とに満たされて……
副テーマ: wisdom,mindfulness,self,suffering
導線タグ: 心の平静,瞑想,精神的な迷い,修行,自己探求,悟り,内なる平和
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
業・因果 vinaya 趣旨一致
kāmānaṁ samatikkamo; Asmimānassa yo vinayo, etaṁ ve paramaṁ sukhan”ti. Mucalindakathā niṭṭhitā. 4. Rājāyatanakathā Atha kho bhagavā sattāhassa accayena tamhā samādhimhā vuṭṭhahitvā mucalindamūlā yena rājāyatanaṁ tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā rājāyatanamūle sattāhaṁ ekapallaṅkena nisīdi vimuttisukhapaṭisaṁvedī. Tena kho pana samayena tapussa bhallikā vāṇijā ukkalā taṁ desaṁ addhānamaggappaṭipannā honti. Atha kho tapussabhallikānaṁ vāṇijānaṁ ñātisālohitā devatā tapussabhallike vāṇije etadavoca— “ayaṁ, mārisā, bhagavā rājāyatanamūle viharati paṭhamābhisambuddho; gacchatha taṁ bhagavantaṁ manthena ca madhupiṇḍikāya ca patimānetha;
「欲(かま)を超え、 我慢(あすみーな)を調伏する、 これぞまことの最上の安楽なり」 ――ムチャリンダの話、ここに終わる。 さて、世尊は七日が過ぎて、その三昧(さまーでぃ)より出定し、ムチャリンダの根元を離れて、ラージャーヤタナの樹のもとに赴かれた。赴かれてのち、ラージャーヤタナの樹の根元にて、七日のあいだ、一つの結跏趺坐(いっかふざ)のまま坐し、解脱の楽(たのしみ)をまのあたりに受けておられた。 そのころ、タプッサとバッリカーという二人の商人が、ウッカラの地より、その地方への旅路(たびじ)にかかっていた。 そこに、タプッサとバッリカーという商人たちの縁者(えんじゃ)にして血族(ちぞく)なる天神(てんじん)が、かの商人たちにこのように告げた。 「尊きかたがたよ、世尊はいまラージャーヤタナの樹の根元に住しておられる。正覚(しょうがく)を開かれてまもなき御方である。参じて、麦焦がし(まんてな)と蜜団子(みつだんご)とをもって、その世尊を敬い供養(くよう)せよ」と。
副テーマ: accountability
導線タグ: 病気,自信
業・因果 vinaya 趣旨一致
Tena kho pana samayena aññataro māṇavako pitaraṁ jīvitā voropesi. So tena pāpakena kammena aṭṭīyati harāyati jigucchati. Atha kho tassa māṇavakassa etadahosi— “kena nu kho ahaṁ upāyena imassa pāpakassa kammassa nikkhantiṁ kareyyan”ti. Atha kho tassa māṇavakassa etadahosi— “ime kho samaṇā sakyaputtiyā dhammacārino samacārino brahmacārino saccavādino sīlavanto kalyāṇadhammā, sace kho ahaṁ samaṇesu sakyaputtiyesu pabbajeyyaṁ, evāhaṁ imassa pāpakassa kammassa nikkhantiṁ kareyyan”ti. Atha kho so māṇavako bhikkhū upasaṅkamitvā pabbajjaṁ yāci. Bhikkhū āyasmantaṁ upāliṁ etadavocuṁ— “pubbepi kho, āvuso upāli, nāgo māṇavakavaṇṇena bhikkhūsu pabbajito. Iṅghāvuso, upāli, imaṁ māṇavakaṁ anuyuñjāhī”ti.
その頃、ある若者(māṇavaka)が父親の命を奪った。彼はその悪しき業(pāpaka kamma)によって、悩み、恥じ、嫌悪を覚えた。そこで彼の心にこのような思いが起こった。「いかなる方便によって、この悪しき業を清めることができようか」と。さらにまた彼の心にこのような思いが起こった。「かのサキャの子らなる沙門(samaṇā sakyaputtiyā)たちは、法にしたがって行じ、正しく行じ、梵行(brahmacariya)を修め、真実を語り、戒を保ち、善き法を持つ者たちである。もし私がサキャの子らなる沙門たちのもとで出家(pabbajjā)するならば、その方途によってこの悪しき業を清めることができよう」と。そこでその若者は比丘たちのもとに近づいて出家を願い求めた。比丘たちは長老ウパーリ(āyasmā upāli)に向かってこのように言った。「友よ、ウパーリよ、以前にも龍(nāga)が若者の姿をとって比丘たちのもとで出家したことがございました。どうか友よ、ウパーリよ、この若者をお調べください」と。
副テーマ: moral
導線タグ: 罪悪感
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
業・因果 vinaya 趣旨一致
Paccatthikānañca viraddhikovido. Paccatthikā yena vajanti niggahaṁ, Mahājano saññapanañca gacchati; Sakañca ādāyamayaṁ na riñcati, Viyākaraṁ pañhamanūpaghātikaṁ. Dūteyyakammesu alaṁ samuggaho, Saṅghassa kiccesu ca āhu naṁ yathā; Karaṁ vaco bhikkhugaṇena pesito, Ahaṁ karomīti na tena maññati. Āpajjati yāvatakesu vatthusu,
敵対者(パッチャッティカー)を折伏することに巧みにして、 敵対者の向かうところ、そこに制伏をもたらし、 大衆(マハージャナ)は説諭せられてその道に従う。 己が主張を手放さずに保ちながら、 問いに答えるに、人を傷つけることなし。 使者の務め(ドゥーテイヤカンマ)においても十分に把握し、 僧伽(サンガ)の事においても、人々はかく彼を称える。 比丘の集いより遣わされ、言葉を伝える者として、 「我れはかく行えり」とは、その者みずから思わず。 いかなる事柄に過ちを犯すとも、
副テーマ: karma,wisdom,work,self
導線タグ: 自我の手放し,奉仕,役割,執着しない行動,無我,コミュニティへの貢献,利他
⚠ 出家者向けの文脈
業・因果 vinaya 趣旨一致
Manussasobhagyatamicchatā vā”ti. Atha kho bhagavā taṁ brāhmaṇaṁ imāhi gāthāhi anumoditvā uṭṭhāyāsanā pakkāmi. Atha kho bhagavā etasmiṁ nidāne etasmiṁ pakaraṇe dhammiṁ kathaṁ katvā bhikkhū āmantesi— “anujānāmi, bhikkhave, yāguñca madhugoḷakañcā”ti. 12. Taruṇapasannamahāmattavatthu Assosuṁ kho manussā bhagavatā kira yāgu anuññātā madhugoḷakañcāti. Te kālasseva, bhojjayāguṁ paṭiyādenti madhugoḷakañca. Bhikkhū kālasseva bhojjayāguyā dhātā madhugoḷakena ca bhattagge na cittarūpaṁ paribhuñjanti. Tena kho pana samayena aññatarena taruṇapasannena mahāmattena svātanāya buddhappamukho bhikkhusaṅgho nimantito hoti. “yannūnāhaṁ aḍḍhatelasannaṁ bhikkhusatānaṁ aḍḍhatelasāni maṁsapātisatāni paṭiyādeyyaṁ, ekamekassa bhikkhuno ekamekaṁ maṁsapātiṁ upanāmeyyan”ti.
「あるいは人間の幸福を願って」と。 そこで世尊は、その婆羅門(バラモン)をこれらの偈(げ)をもって随喜(ずいき)し、座より立ち上がって去られた。そこで世尊は、この因縁によりこの事柄に関して法の話を説かれ、比丘(びく)たちに告げられた――「比丘たちよ、わたしは粥(やく)と蜜丸(みつまる)とを許可する」と。 十二 新たに信を起こした大臣の話 人々は、「世尊によって粥と蜜丸とが許可されたそうだ」と聞いた。彼らは早朝より、食用の粥と蜜丸とを用意した。比丘たちは早朝より食用の粥と蜜丸とを与えられながら、食堂では満足のいくように食事を取ることができなかった。 さてそのころ、ある新たに信を起こした大臣が、翌日のために仏陀(ぶっだ)を筆頭とする比丘僧伽(びくそうが)を招待していた。「それならば、わたしは千三百五十人の比丘たちのために千三百五十の肉鉢(にくはち)を用意し、一人一人の比丘に一つずつの肉鉢を差し上げよう」と。
副テーマ: karma,gratitude,compassion,attachment
導線タグ: 布施,信仰,感謝,食事,僧侶への供養,功徳,寄進
⚠ 出家者向けの文脈
業・因果 vinaya 趣旨一致
Atha kho so taruṇapasanno mahāmatto tassā rattiyā accayena paṇītaṁ khādanīyaṁ bhojanīyaṁ paṭiyādāpetvā aḍḍhatelasāni ca maṁsapātisatāni, bhagavato kālaṁ ārocāpesi—“kālo, bhante, niṭṭhitaṁ bhattan”ti. Atha kho bhagavā pubbaṇhasamayaṁ nivāsetvā pattacīvaramādāya yena tassa taruṇapasannassa mahāmattassa nivesanaṁ tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā paññatte āsane nisīdi, saddhiṁ bhikkhusaṅghena. Atha kho so taruṇapasanno mahāmatto bhattagge bhikkhū parivisati. Bhikkhū evamāhaṁsu— “thokaṁ, āvuso, dehi; thokaṁ, āvuso, dehī”ti. “Mā kho tumhe, bhante—‘ayaṁ taruṇapasanno mahāmatto’ti—thokaṁ thokaṁ paṭiggaṇhatha. Bahuṁ me khādanīyaṁ bhojanīyaṁ paṭiyattaṁ, aḍḍhatelasāni ca maṁsapātisatāni. Ekamekassa bhikkhuno ekamekaṁ maṁsapātiṁ upanāmessāmīti. Paṭiggaṇhatha, bhante, yāvadatthan”ti. “Na kho mayaṁ, āvuso, etaṅkāraṇā thokaṁ thokaṁ paṭiggaṇhāma, api ca mayaṁ kālasseva bhojjayāguyā dhātā madhugoḷakena ca. Tena mayaṁ thokaṁ thokaṁ paṭiggaṇhāmā”ti.
さて、その若き信者たる大臣は、夜の明けるとともに、精妙なる固食(khādanīya)と軟食(bhojanīya)とを調えさせ、また肉の鉢(maṁsapāti)千三百を用意して、世尊に時を告げた——「時至れり、尊師よ、食事の用意整いたり」と。 そこで世尊は、午前の時に衣を着け、鉢と衣(pattacīvara)をとって、比丘僧伽(bhikkhusaṅgha)とともに、かの若き信者たる大臣の邸宅へと赴かれた。赴かれて、設けられた座にお着きになった。 さて、かの若き信者たる大臣は、食堂において比丘たちに給仕した。比丘たちはこのように言った——「少々お与えください、友よ。少々お与えください、友よ」と。 「尊師方よ、この者は若き信者にして大臣なり、と思し召して、少々ずつお受け取りになりませぬよう。わたくしには固食・軟食を多く用意いたし、また肉の鉢も千三百ございます。一人一人の比丘に、一つ一つ肉の鉢をお捧げいたします。尊師方よ、心ゆくままにお受け取りください」と。 「友よ、われらがそのゆえに少々ずつ受け取るのではない。われらはすでに早くより食粥(bhojjayāgū)を蜜丸(madhugoḷaka)とともに施されておるのだ。それゆえにわれらは少々ずつ受け取るのである」と。
副テーマ: cause_effect,accountability
導線タグ: 上司,食事
⚠ 出家者向けの文脈
業・因果 vinaya 趣旨一致
ahaṁ satthā anuttaro; Ekomhi sammāsambuddho, sītibhūtosmi nibbuto. Dhammacakkaṁ pavattetuṁ, Gacchāmi kāsinaṁ puraṁ; Andhībhūtasmiṁ lokasmiṁ, Āhañchaṁ amatadundubhin”ti. “Yathā kho tvaṁ, āvuso, paṭijānāsi, arahasi anantajino”ti. “Mādisā ve jinā honti, ye pattā āsavakkhayaṁ;
「我こそは師(サッター)、無上なる者。 唯一の正等覚者(サンマーサンブッダ)として、 我は涼やかに、涅槃(ニッバーナ)に安んじたり。 法の輪(ダンマチャッカ)を転ぜんがために、 我はカーシの都へと赴かん。 闇に覆われたるこの世において、 我は不死(アマタ)の太鼓を打ち鳴らさん」と。 「友よ、そなたがそのように自称するならば、 汝はまさに無限の勝利者(アナンタジナ)たるにふさわしい」と。 「我のごとき者こそ、まことに勝者(ジナ)と呼ばれるべし—— 漏(アーサヴァ)の滅尽(カッヤ)に達したる者たちが、そうであるように。
副テーマ: accountability
導線タグ: 孤立,別れ,食事,罪悪感,喪失
⚠ 希死念慮の場面では使わない
業・因果 vinaya 趣旨一致
Licchavibhāṇavāro niṭṭhito tatiyo. 19. Sīhasenāpativatthu Tena kho pana samayena abhiññātā abhiññātā licchavī sandhāgāre sannisinnā sannipatitā anekapariyāyena buddhassa vaṇṇaṁ bhāsanti, dhammassa vaṇṇaṁ bhāsanti, saṅghassa vaṇṇaṁ bhāsanti. Tena kho pana samayena sīho senāpati nigaṇṭhasāvako tassaṁ parisāyaṁ nisinno hoti. “nissaṁsayaṁ kho so bhagavā arahaṁ sammāsambuddho bhavissati, tathā hime abhiññātā abhiññātā licchavī sandhāgāre sannisinnā sannipatitā anekapariyāyena buddhassa vaṇṇaṁ bhāsanti, dhammassa vaṇṇaṁ bhāsanti, saṅghassa vaṇṇaṁ bhāsanti. Yannūnāhaṁ taṁ bhagavantaṁ dassanāya upasaṅkameyyaṁ arahantaṁ sammāsambuddhan”ti. Atha kho sīho senāpati yena nigaṇṭho nāṭaputto tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā nigaṇṭhaṁ nāṭaputtaṁ etadavoca— “icchāmahaṁ, bhante, samaṇaṁ gotamaṁ dassanāya upasaṅkamitun”ti. “Kiṁ pana tvaṁ, sīha, kiriyavādo samāno akiriyavādaṁ samaṇaṁ gotamaṁ dassanāya upasaṅkamissasi? Samaṇo hi, sīha, gotamo akiriyavādo akiriyāya dhammaṁ deseti, tena ca sāvake vinetī”ti.
--- リッチャヴィ章(Licchavibhāṇavāra)、第三章おわる。 さてそのころ、名だたるリッチャヴィ族の人々が集会所(sandhāgāra)に集い座して、さまざまの仕方で仏陀(Buddha)の徳を讃え、法(Dhamma)の徳を讃え、僧伽(Saṅgha)の徳を讃えていた。 そのとき、ニガンタ(Nigaṇṭha)の弟子であるシーハ(Sīha)将軍も、その集いの中に座していた。 〔彼はこう思った。〕「かの世尊は、まことに疑いなく阿羅漢(arahaṁ)にして正等覚者(sammāsambuddho)でいらっしゃるにちがいない。それほどにこそ、名だたるリッチャヴィ族の方々がこうして集会所に集い座して、さまざまの仕方で仏陀の徳を讃え、法の徳を讃え、僧伽の徳を讃えておられるのだから。それならば、わたしはかの阿羅漢・正等覚者たる世尊のもとへ、お目にかかりに参上するとしよう」と。 そこでシーハ将軍は、ニガンタ・ナータプッタ(Nigaṇṭha Nāṭaputta)のもとへ赴き、参上してニガンタ・ナータプッタにこう言った。 「尊師よ、わたしは沙門ゴータマ(Samaṇa Gotama)にお目にかかりに参上したいと思います」と。 〔するとニガンタ・ナータプッタは言った。〕「シーハよ、そなたは業有論者(kiriyavādo)でありながら、業無論者(akiriyavādo)である沙門ゴータマのもとへ、なぜお目にかかりに参上しようとするのか。沙門ゴータマは業無論(akiriyavāda)を説き、業無論の法(dhamma)を教え示し、それによって弟子たちを導くのだから」と。
副テーマ: cause_effect,accountability
導線タグ: SNS,子育て,自信,食事,罪悪感
⚠ 出家者向けの文脈
業・因果 vinaya 趣旨一致
Atha kho sīhassa senāpatissa yo ahosi gamikābhisaṅkhāro bhagavantaṁ dassanāya, so paṭippassambhi. Dutiyampi kho abhiññātā abhiññātā licchavī sandhāgāre sannisinnā sannipatitā anekapariyāyena buddhassa vaṇṇaṁ bhāsanti, dhammassa vaṇṇaṁ bhāsanti, saṅghassa vaṇṇaṁ bhāsanti. Tatiyampi kho abhiññātā abhiññātā licchavī sandhāgāre sannisinnā sannipatitā anekapariyāyena buddhassa vaṇṇaṁ bhāsanti, dhammassa vaṇṇaṁ bhāsanti, saṅghassa vaṇṇaṁ bhāsanti. Tatiyampi kho sīhassa senāpatissa etadahosi— Kiñhi me karissanti nigaṇṭhā apalokitā vā anapalokitā vā? Yannūnāhaṁ anapaloketvāva nigaṇṭhe taṁ bhagavantaṁ dassanāya upasaṅkameyyaṁ arahantaṁ sammāsambuddhan”ti. Atha kho sīho senāpati pañcahi rathasatehi divādivassa vesāliyā niyyāsi bhagavantaṁ dassanāya. Yāvatikā yānassa bhūmi, yānena gantvā yānā paccorohitvā pattikova yena bhagavā tenupasaṅkami; upasaṅkamitvā bhagavantaṁ abhivādetvā ekamantaṁ nisīdi. “sutaṁ me taṁ, bhante—‘akiriyavādo samaṇo gotamo akiriyāya dhammaṁ deseti, tena ca sāvake vinetī’ti. Ye te, bhante, evamāhaṁsu—‘akiriyavādo samaṇo gotamo, akiriyāya dhammaṁ deseti, tena ca sāvake vinetī’ti.
さて、将軍シーハが世尊にまみえんとして起こした出立の準備は、そのまま静まった。 再び、名高きリッチャヴィたちが集会堂に集い座して、さまざまな理由(パリヤーヤ)をもって仏(ブッダ)の功徳を称え、法(ダンマ)の功徳を称え、僧伽(サンガ)の功徳を称えた。三度目もまた、名高きリッチャヴィたちが集会堂に集い座して、さまざまな理由をもって仏の功徳を称え、法の功徳を称え、僧伽の功徳を称えた。 三度目にして、将軍シーハの心にこのような思いが起こった。 「ニガンタたちに断りを入れようと入れまいと、彼らが私に何をなしえようか。それならば、ニガンタたちに断りを入れることなく、かの世尊――阿羅漢にして正等覚者(サンマーサンブッダ)――にまみえに参るとしよう」と。 そこで将軍シーハは、五百台の車をしたがえ、日もいまだ高きうちにヴェーサーリーを出立し、世尊にまみえんとした。車の進みうる限りを車で行き、車より降りてのちは徒歩にて世尊のもとへと近づいた。近づいて世尊に礼拝し、かたわらに坐した。 「尊師よ、私はこのようなことを聞き及んでおります。『沙門ゴータマは無作為(アキリヤ)を説く者にして、無作為の法を説き、その弟子たちをそのように導く』と。尊師よ、このように言う者たち――『沙門ゴータマは無作為を説く者にして、無作為の法を説き、その弟子たちをそのように導く』と言う者たちは――」
副テーマ: intention,accountability
導線タグ: 食事,罪悪感
⚠ 希死念慮の場面では使わない,出家者向けの文脈
業・因果 vinaya 趣旨一致
Kacci te, bhante, bhagavato vuttavādino, na ca bhagavantaṁ abhūtena abbhācikkhanti, dhammassa cānudhammaṁ byākaronti, na ca koci sahadhammiko vādānuvādo gārayhaṁ ṭhānaṁ āgacchati? Anabbhakkhātukāmā hi mayaṁ, bhante, bhagavantan”ti. “Atthi, sīha, pariyāyo, yena maṁ pariyāyena sammā vadamāno vadeyya— akiriyavādo samaṇo gotamo, akiriyāya dhammaṁ deseti, tena ca sāvake vinetīti. Ahañhi, sīha, akiriyaṁ vadāmi kāyaduccaritassa vacīduccaritassa manoduccaritassa; anekavihitānaṁ pāpakānaṁ akusalānaṁ dhammānaṁ akiriyaṁ vadāmi. Katamo ca, sīha, pariyāyo, yena maṁ pariyāyena sammā vadamāno vadeyya— kiriyavādo samaṇo gotamo, kiriyāya dhammaṁ deseti, tena ca sāvake vinetīti? Ahañhi, sīha, kiriyaṁ vadāmi kāyasucaritassa vacīsucaritassa manosucaritassa, anekavihitānaṁ kusalānaṁ dhammānaṁ kiriyaṁ vadāmi. Katamo ca, sīha, pariyāyo, yena maṁ pariyāyena sammā vadamāno vadeyya—
「尊者よ、彼らは世尊の説かれたことを正しく語り、世尊を虚偽をもって誹謗することなく、法に従って法を説明し、またいかなる道理ある議論によっても非難されるべき立場に至ることはないでしょうか。われわれは世尊を不当に傷つけることを望まないのです、尊者よ」と。 「シーハよ、一つの理路(パリヤーヤ)がある。その理路によって正しく語る者は、こう語るであろう——『沙門ゴータマは無業論者(アキリヤヴァーダ)である。無業(アキリヤ)の法を説き、その教えをもって弟子たちを導く』と。シーハよ、まことにわたしは、身の悪行(カーヤドゥッチャリタ)、口の悪行(ヴァチードゥッチャリタ)、意の悪行(マノードゥッチャリタ)を為さざること(アキリヤ)を説く。さまざまな悪しき不善の諸法を為さざることを、わたしは説くのである。 では、シーハよ、いかなる理路によって正しく語る者は、こう語るであろうか——『沙門ゴータマは有業論者(キリヤヴァーダ)である。業(キリヤ)の法を説き、その教えをもって弟子たちを導く』と。シーハよ、まことにわたしは、身の善行(カーヤスチャリタ)、口の善行(ヴァチースチャリタ)、意の善行(マノースチャリタ)を為すこと(キリヤ)を説く。さまざまな善き諸法を為すことを、わたしは説くのである。 では、シーハよ、いかなる理路によって正しく語る者は——
副テーマ: moral
導線タグ: 病気,許し
業・因果 vinaya 趣旨一致
anekavihitānaṁ pāpakānaṁ akusalānaṁ dhammānaṁ vinayāya dhammaṁ desemi. Katamo ca, sīha, pariyāyo, yena maṁ pariyāyena sammā vadamāno vadeyya— tapassī samaṇo gotamo, tapassitāya dhammaṁ deseti, tena ca sāvake vinetīti? Tapanīyāhaṁ, sīha, pāpake akusale dhamme vadāmi— kāyaduccaritaṁ vacīduccaritaṁ manoduccaritaṁ. Yassa kho, sīha, tapanīyā pāpakā akusalā dhammā pahīnā ucchinnamūlā tālāvatthukatā anabhāvaṅkatā āyatiṁ anuppādadhammā, tamahaṁ tapassīti vadāmi. Tathāgatassa kho, sīha, tapanīyā pāpakā akusalā dhammā pahīnā ucchinnamūlā tālāvatthukatā anabhāvaṅkatā āyatiṁ anuppādadhammā. Katamo ca, sīha, pariyāyo, yena maṁ pariyāyena sammā vadamāno vadeyya— apagabbho samaṇo gotamo apagabbhatāya dhammaṁ deseti, tena ca sāvake vinetīti? Yassa kho, sīha, āyatiṁ gabbhaseyyā punabbhavābhinibbatti pahīnā ucchinnamūlā tālāvatthukatā anabhāvaṅkatā āyatiṁ anuppādadhammā, tamahaṁ apagabbhoti vadāmi.
「シーハよ、わたしは様々な悪しき不善の法(あくぜんのほう)を除くために法(ダンマ)を説く。では、シーハよ、いかなる道理(パリヤーヤ)によって、正しく語る者が『苦行者(タパッシー)たる沙門ゴータマは、苦行のために法を説き、その法によって弟子たちを導く』と語り得るであろうか。シーハよ、わたしは、身の悪行(カーヤドゥッチャリタ)・語の悪行(ヴァチードゥッチャリタ)・意の悪行(マノードゥッチャリタ)、これらを〈灼くもの(タパニーヤ)〉と呼ぶ。シーハよ、実に灼くが如き悪しき不善の法が、すでに捨断され、根を断ち切られ、棕櫚の幹を切り倒すがごとく滅し去られ、存在することなく、未来において生ずることなき性質のものとなっている、かかる者をわたしは〈苦行者〉と呼ぶのである。シーハよ、如来においては、灼くが如き悪しき不善の法は、すでに捨断され、根を断ち切られ、棕櫚の幹を切り倒すがごとく滅し去られ、存在することなく、未来において生ずることなき性質のものとなっている。 では、シーハよ、いかなる道理によって、正しく語る者が『胎を離れた者(アパガッボ)たる沙門ゴータマは、胎を離れることのために法を説き、その法によって弟子たちを導く』と語り得るであろうか。シーハよ、実に、未来における胎中に宿ること(ガッバセイヤー)、すなわち再生(プナッバヴァ)への再誕が、すでに捨断され、根を断ち切られ、棕櫚の幹を切り倒すがごとく滅し去られ、存在することなく、未来において生ずることなき性質のものとなっている、かかる者をわたしは〈胎を離れた者〉と呼ぶのである。」
副テーマ: moral
導線タグ: 将来,病気,子育て,孤立,自信,休息
⚠ 自己責任論に誤解されやすい
業・因果 vinaya 趣旨一致
Tathāgatassa kho, sīha, āyatiṁ gabbhaseyyā punabbhavābhinibbatti pahīnā ucchinnamūlā tālāvatthukatā anabhāvaṅkatā āyatiṁ anuppādadhammā. Katamo ca, sīha, pariyāyo, yena maṁ pariyāyena sammā vadamāno vadeyya— assattho samaṇo gotamo assāsāya dhammaṁ deseti, tena ca sāvake vinetīti? Ahañhi, sīha, assattho paramena assāsena, assāsāya dhammaṁ desemi, tena ca sāvake vinemi. Evaṁ vutte sīho senāpati bhagavantaṁ etadavoca— “abhikkantaṁ, bhante …pe… upāsakaṁ maṁ bhagavā dhāretu ajjatagge pāṇupetaṁ saraṇaṁ gatan”ti. “Anuviccakāraṁ kho, sīha, karohi; anuviccakāro tumhādisānaṁ ñātamanussānaṁ sādhu hotī”ti. “Imināpāhaṁ, bhante, bhagavato bhiyyoso mattāya attamano abhiraddho, yaṁ maṁ bhagavā evamāha— Mamañhi, bhante, aññatitthiyā sāvakaṁ labhitvā kevalakappaṁ vesāliṁ paṭākaṁ parihareyyuṁ—‘sīho kho amhākaṁ senāpati sāvakattaṁ upagato’ti.
「シーハよ、如来(タターガタ)には、未来において母胎に宿ること、再び生を受けること、それらはすでに断ぜられ、根を断ち切られ、多羅樹の根を断つがごとくなされ、無きものとなり、未来に生ずることなき法となっている。 さて、シーハよ、いかなる理由によって、わたしのことを正しく語る者が、『沙門ゴータマは安慰(アッサーサ)をもって法を説き、それによって弟子たちを導く』と語ることができるであろうか。シーハよ、わたしは真実、最上の安慰をもって安慰のための法を説き、それによって弟子たちを導くのである。」 このように説かれると、将軍シーハは世尊にこう申し上げた。 「尊とし、世尊よ……(中略)……世尊はわたしを、今日より命ある限り帰依処に赴きたる優婆塞(うばそく)としてお認めください。」 「シーハよ、よく思慮を尽くして行うがよい。汝のごとき著名な人にとって、十分に思慮を尽くすことは善いことである。」 「世尊よ、まさにこの御言葉によって、わたしはいよいよ世尊に対し満足し、心喜ぶのであります。世尊よ、他の外道(げどう)の師たちならば、わたしのような弟子を得たならば、旗を掲げてヴェーサーリー全市を練り歩き、『将軍シーハがわれらの弟子となった』と言い触らすことでありましょう。
副テーマ: moral,accountability
導線タグ: 将来,介護,子育て,孤立,自信,別れ,対人恐怖,喪失
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
業・因果 vinaya 趣旨一致
Dutiyampi kho āyasmā ānando abhikkantāya rattiyā nikkhante majjhime yāme uṭṭhāyāsanā ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā yena bhagavā tenañjaliṁ paṇāmetvā bhagavantaṁ etadavoca— Dutiyampi kho bhagavā tuṇhī ahosi. Tatiyampi kho āyasmā ānando abhikkantāya rattiyā nikkhante pacchime yāme uddhaste aruṇe nandimukhiyā rattiyā uṭṭhāyāsanā ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā yena bhagavā tenañjaliṁ paṇāmetvā bhagavantaṁ etadavoca— “Aparisuddhā, ānanda, parisā”ti. Atha kho āyasmato mahāmoggallānassa etadahosi— “kaṁ nu kho bhagavā puggalaṁ sandhāya evamāha— Atha kho āyasmā mahāmoggallāno sabbāvantaṁ bhikkhusaṅghaṁ cetasā ceto paricca manasākāsi. Addasā kho āyasmā mahāmoggallāno taṁ puggalaṁ dussīlaṁ pāpadhammaṁ asucisaṅkassarasamācāraṁ paṭicchannakammantaṁ assamaṇaṁ samaṇapaṭiññaṁ abrahmacāriṁ brahmacāripaṭiññaṁ antopūtiṁ avassutaṁ kasambujātaṁ majjhe bhikkhusaṅghassa nisinnaṁ. Disvāna yena so puggalo tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā taṁ puggalaṁ etadavoca— “uṭṭhehi, āvuso, diṭṭhosi bhagavatā;
再び、アーナンダ尊者は、夜が更けて中夜(majjhima yāma)が過ぎたころ、座より立ち上がり、上衣(uttarāsaṅga)を片肩にかけ、世尊のいます方へと合掌を捧げ、世尊にこのように申し上げた。 「世尊は再びも黙して(tuṇhī)おられます。」 さらに三たび、アーナンダ尊者は、夜が更けて後夜(pacchima yāma)となり、夜明けの曙光が空に高く昇り、暁の喜ばしい面持ちとなったころ、座より立ち上がり、上衣を片肩にかけ、世尊のいます方へと合掌を捧げ、世尊にこのように申し上げた。 すると世尊はこう仰せになった。 「アーナンダよ、衆(parisā)は清浄ならず。」 ここに、マハーモッガッラーナ尊者の心にこのような思いが起こった。 「世尊はいかなる人物を念頭において、かくのごとく仰せになったのであろうか。」 そこでマハーモッガッラーナ尊者は、比丘僧伽(bhikkhusaṅgha)のすべてにわたって、心をもって心を照らし(cetasā ceto paricca)、観察した。するとマハーモッガッラーナ尊者は、その人物が——戒を破り(dussīla)、悪しき性質を有し(pāpadhamma)、不浄にして疑わしき振る舞いをなし(asucisaṅkassarasamācāra)、隠れた行為(paṭicchannakammanta)をなし、沙門(samaṇa)にあらずして沙門を名乗り、梵行者(brahmacārī)にあらずして梵行者を名乗り、内は腐れ(antopūti)、煩悩に染まり(avassuta)、塵芥のごとき者(kasambujāta)として——比丘僧伽の中に座しているのを見た。 見てのち、その人物のもとに近づき、近づいてからその人物にこのように言った。 「友よ、立ち去られよ。あなたは世尊によって見られている(diṭṭhosi bhagavatā)。」
副テーマ: moral
導線タグ: 上司,子育て,睡眠,食事,罪悪感
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
業・因果 vinaya 趣旨一致
Atha kho keṇiyo jaṭilo buddhappamukhaṁ bhikkhusaṅghaṁ paṇītena khādanīyena bhojanīyena sahatthā santappetvā sampavāretvā bhagavantaṁ bhuttāviṁ onītapattapāṇiṁ ekamantaṁ nisīdi. Ekamantaṁ nisinnaṁ kho keṇiyaṁ jaṭilaṁ bhagavā imāhi gāthāhi anumodi— “Aggihuttamukhā yaññā, sāvittī chandaso mukhaṁ; Rājā mukhaṁ manussānaṁ, nadīnaṁ sāgaro mukhaṁ. Nakkhattānaṁ mukhaṁ cando, ādicco tapataṁ mukhaṁ; Puññaṁ ākaṅkhamānānaṁ, saṅgho ve yajataṁ mukhan”ti.
そのとき、結髪行者ケーニヤは、仏陀を筆頭とする比丘の僧伽(サンガ)を、精選された固形食・軟食にて自らの手でもてなし、満足させ奉った。世尊が食事を終えて鉢から手を離されると、ケーニヤは傍らに座した。傍らに座したケーニヤ結髪行者に対し、世尊はこの偈(げ)をもって随喜せられた。 「祭祀の首は火への供献、  詩頌(しじゅ)の首はサーヴィットリーの章句、  人の首は王、  河の首は海。  星宿(しょうしゅく)の首は月、  輝くものの首は太陽、  そして福徳(プンニャ)を求めて供養する者にとって、  僧伽こそは、まことに供養の首である。」
副テーマ: accountability
導線タグ: 上司,子育て,睡眠,食事,罪悪感
⚠ 出家者向けの文脈
業・因果 vinaya 趣旨一致
yassa nakkhamati, so bhāseyya. Sammataṁ saṅghena etehi nimittehi uposathappamukhaṁ. Khamati saṅghassa, tasmā tuṇhī, evametaṁ dhārayāmī’”ti. Tena kho pana samayena aññatarasmiṁ āvāse tadahuposathe navakā bhikkhū paṭhamataraṁ sannipatitvā— “na tāva therā āgacchantī”ti— Uposatho vikāle ahosi. “Anujānāmi, bhikkhave, tadahuposathe therehi bhikkhūhi paṭhamataraṁ sannipatitun”ti. Tena kho pana samayena rājagahe sambahulā āvāsā samānasīmā honti. Tattha bhikkhū vivadanti— “amhākaṁ āvāse uposatho karīyatu, amhākaṁ āvāse uposatho karīyatū”ti.
承認しない者があれば、発言すべきである。『僧伽(サンガ)はこれらの表示をもって布薩(ウポーサタ)の主催を承認した。僧伽はこれを認める。ゆえに沈黙する。私はかくのごとくこれを保持する』と。 さてそのとき、ある住処において、その日の布薩に際し、新参の比丘たちが先に集まって、「長老たちはまだ来られない」と言い、布薩が時ならぬ時刻に行われた。〔そこで世尊はこう仰せられた。〕「比丘たちよ、その日の布薩において、長老たる比丘たちが先に集まることを許す」と。 さてそのとき、王舎城(ラージャガハ)に多くの住処があり、同一の界(シーマー)に属していた。そこにおいて比丘たちが論争した。「我らの住処において布薩を行うべし」「我らの住処において布薩を行うべし」と。
副テーマ: moral
導線タグ: 上司
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
業・因果 vinaya 趣旨一致
Yā sā saṅghena sīmā sammatā samānasaṁvāsā ekuposathā, saṅgho taṁ sīmaṁ ticīvarena avippavāsaṁ sammannati. Yassāyasmato khamati etissā sīmāya ticīvarena avippavāsāya sammuti, so tuṇhassa; yassa nakkhamati, so bhāseyya. Sammatā sā sīmā saṅghena ticīvarena avippavāsā. Khamati saṅghassa, tasmā tuṇhī, evametaṁ dhārayāmī’”ti. Tena kho pana samayena bhikkhū bhagavatā ticīvarena avippavāsasammuti anuññātāti antaraghare cīvarāni nikkhipanti. Tāni cīvarāni nassantipi ḍayhantipi undūrehipi khajjanti. Bhikkhū duccoḷā honti lūkhacīvarā. Bhikkhū evamāhaṁsu— “Idha mayaṁ, āvuso, bhagavatā ticīvarena avippavāsasammuti anuññātāti antaraghare cīvarāni nikkhipimhā.
「かの僧伽(サンガ)によって結界(シーマー)として定められ、同一の住処を共にし、一つの布薩(ウポーサタ)を行う結界において、僧伽はその結界を、三衣(ティチーヴァラ)を離れて宿することなき結界として認許する。この結界において三衣を離れて宿することなき認許を可とする長老は黙しておられよ。可としない者は発言されよ。この結界は僧伽によって三衣を離れて宿することなき結界として認許された。僧伽はこれを可とした。ゆえに黙せり。かくのごとく我はこれを保持する」と。 さてその時、比丘たちは、「世尊によって三衣を離れて宿することなき認許が許された」として、俗家の内に衣(チーヴァラ)を置いた。それらの衣は失われることもあり、焼かれることもあり、またネズミに噛み荒らされることもあった。比丘たちは粗末な衣をまとい、みすぼらしい衣の者となった。そこで比丘たちはかく語った。 「友よ、われわれはここで、『世尊によって三衣を離れて宿することなき認許が許された』として、俗家の内に衣を置いた。
副テーマ: karma,attachment,suffering,mindfulness
導線タグ: 規則を守る,所有物の管理,不注意による損失,共同体のルール,執着と手放し,自業自得,生活の乱れ
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
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