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10,029
偈句数
9,999
日本語訳あり
9,982
パーリ原文
経典 19
テーマ 20
該当 10,029
すべて
智慧 4354
老い 931
苦しみ 772
正念 695
怒り 356
執着 350
死 350
業・因果 346
幸せ 337
自己 244
人間関係 243
家族 234
不安 168
仕事 165
渇愛 147
慈悲 115
無常 111
孤独 45
空 43
感謝 23
vinaya 2606
中部経典 2117
長部経典 1357
相応部経典 1136
増支部経典 857
jataka 563
スッタニパータ 522
ダンマパダ(法句経) 426
テーラガーター 211
テーリーガーター 68
クッダカパータ 57
イティヴッタカ 54
ウダーナ 34
金剛経 5
維摩経 5
般若心経 4
法華経 4
涅槃経 2
AN 1
老い
vinaya
趣旨一致
中
(…) “Kenajja, bhante, yuttan”ti? “Na kho mayaṁ, āvuso, jānāmā”ti. “Katamāyaṁ, bhante, disā”ti? “Na kho mayaṁ, āvuso, jānāmā”ti. corā ime, nayime bhikkhū”ti— ākoṭetvā pakkamiṁsu. Atha kho te bhikkhū bhikkhūnaṁ etamatthaṁ ārocesuṁ. Bhikkhū bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. Atha kho bhagavā etasmiṁ nidāne etasmiṁ pakaraṇe dhammiṁ kathaṁ katvā bhikkhū āmantesi— “Tena hi, bhikkhave, āraññikānaṁ bhikkhūnaṁ vattaṁ paññapessāmi yathā āraññikehi bhikkhūhi sammā vattitabbaṁ.
「尊者よ、今日はいずれの方角へおいでになるのですか」と問われると、「友よ、われわれには分かりかねます」と答えた。「尊者よ、この方角はどちらでしょうか」と重ねて問われても、「友よ、われわれには分かりかねます」と答えた。すると「これは盗賊どもだ、比丘たちではない」と言い、叩いて立ち去った。
そこでその比丘たちは、この事の次第を比丘たちに告げた。比丘たちは世尊にこの事の次第を申し上げた。そこで世尊は、この因縁によりこの事件に関して法の教えを説かれ、比丘たちに告げてこうおっしゃった——
「それならば、比丘たちよ、わたしは阿練若(あれんにゃ)に住む比丘たちのために、阿練若の比丘たちが正しくふるまうべき作法(ヴァッタ)を定めることにしよう。」
⚠ 出家者向けの文脈
老い
vinaya
趣旨一致
中
32. Lakkhaṇāhatavatthu Tena kho pana samayena aññataro puriso lakkhaṇāhato katadaṇḍakammo bhikkhūsu pabbajito hoti. Manussā ujjhāyanti khiyyanti vipācenti— “kathañhi nāma samaṇā sakyaputtiyā lakkhaṇāhataṁ katadaṇḍakammaṁ pabbājessantī”ti. Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Na, bhikkhave, lakkhaṇāhato katadaṇḍakammo pabbājetabbo. Yo pabbājeyya, āpatti dukkaṭassā”ti. 33. Iṇāyikavatthu Tena kho pana samayena aññataro puriso iṇāyiko palāyitvā bhikkhūsu pabbajito hoti. Dhaniyā passitvā evamāhaṁsu—
その時のことであった。ある人が、身体に烙印(らくいん)を押され、刑罰を科せられながらも、比丘たちのもとで出家していた。人々はこれを見て、憤り、そしりそしって言った。
「いったいどうして、釈迦の弟子たる沙門(さもん)たちは、烙印を押され刑罰を受けた者を出家させることができようか」と。
人々はこの事柄を世尊に申し上げた。
〔世尊は言われた。〕「比丘たちよ、烙印を押され刑罰を受けた者を出家させてはならない。もし出家させる者があれば、突吉羅(とつきら)の罪を犯すことになる」と。
---
その時のことであった。ある人が、借財(しゃくざい)を抱えたまま逃げ出し、比丘たちのもとで出家していた。債権者(さいけんしゃ)たちがその者を見かけて、こう言った——
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
老い
vinaya
趣旨一致
中
Atha kho te bhikkhū bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. Atha kho bhagavā etasmiṁ nidāne etasmiṁ pakaraṇe dhammiṁ kathaṁ katvā bhikkhū āmantesi— “na, bhikkhave, atirekacīvaraṁ dhāretabbaṁ. Yo dhāreyya, yathādhammo kāretabbo”ti. Tena kho pana samayena āyasmato ānandassa atirekacīvaraṁ uppannaṁ hoti. Āyasmā ca ānando taṁ cīvaraṁ āyasmato sāriputtassa dātukāmo hoti. Āyasmā ca sāriputto sākete viharati. “bhagavatā sikkhāpadaṁ paññattaṁ— Kathaṁ nu kho mayā paṭipajjitabban”ti? Bhagavato etamatthaṁ ārocesi.
そのとき、かの比丘たちは世尊にこの事のいきさつを申し上げた。そこで世尊は、この因縁、この事件に関して法(ダンマ)の話をなされた後、比丘たちに告げられた——
「比丘たちよ、余分の衣(チーヴァラ)を保持してはならない。保持する者があれば、法(ダンマ)に従って処置されるべきである」と。
さてそのころ、尊者アーナンダのもとに余分の衣が生じた。尊者アーナンダはその衣を尊者サーリプッタに与えようと思っていた。しかるに尊者サーリプッタはサーケータに住しておられた。
〔アーナンダは思った、〕「世尊によって学処(シッカーパダ)が定められた——それでは、わたしはいかに行ずべきであろうか」と。
そこで〔アーナンダは〕この事のいきさつを世尊に申し上げた。
⚠ 出家者向けの文脈
老い
vinaya
趣旨一致
中
eko bālo hoti abyatto āpattibahulo anapadāno; eko gihisaṁsaṭṭho viharati ananulomikehi gihisaṁsaggehi— Aparesampi, bhikkhave, tiṇṇaṁ bhikkhūnaṁ ākaṅkhamāno saṅgho tassapāpiyasikākammaṁ kareyya. Eko adhisīle sīlavipanno hoti, eko ajjhācāre ācāravipanno hoti, eko atidiṭṭhiyā diṭṭhivipanno hoti— Aparesampi, bhikkhave …pe… eko buddhassa avaṇṇaṁ bhāsati, eko dhammassa avaṇṇaṁ bhāsati, eko saṅghassa avaṇṇaṁ bhāsati— 6.4. Aṭṭhārasavatta Tassapāpiyasikākammakatena, bhikkhave, bhikkhunā sammā vattitabbaṁ. Tatrāyaṁ sammāvattanā— Na upasampādetabbaṁ,
ある者は愚かで(bālo)、智慧なく(abyatto)、多くの罪過(āpatti)を犯し、懺悔する機会を持たない。ある者は在家者と交わり(gihisaṁsaṭṭho)、在家との不相応な交際(ananulomika gihisaṁsagga)の中にとどまっている。
比丘たちよ、さらに他の三人の比丘についても、僧伽(saṅgha)は望むならば、その劣悪行為の処罰(tassapāpiyasikākamma)を行うことができる。すなわち、ある者は増上戒(adhisīla)において戒(sīla)を損ない、ある者は行為(ācāra)において振る舞いを損ない、ある者は邪見(atidiṭṭhi)において見解(diṭṭhi)を損なっている。
比丘たちよ、さらに他の者たちについても……(乃至)……ある者は仏(Buddha)の誹りを語り、ある者は法(Dhamma)の誹りを語り、ある者は僧伽(Saṅgha)の誹りを語る。
比丘たちよ、劣悪行為の処罰(tassapāpiyasikākamma)を受けた比丘は、正しく行じなければならない。その正しい行ない(sammāvattanā)とはこれである。
――具足戒(upasampadā)を授けてはならない。
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,初手で出すと冷たく見える,出家者向けの文脈
老い
vinaya
趣旨一致
中
Āraññikena, bhikkhave, bhikkhunā kālasseva uṭṭhāya pattaṁ thavikāya pakkhipitvā aṁse ālaggetvā cīvaraṁ khandhe karitvā upāhanā ārohitvā dārubhaṇḍaṁ mattikābhaṇḍaṁ paṭisāmetvā dvāravātapānaṁ thaketvā senāsanā otaritabbaṁ— idāni gāmaṁ pavisissāmīti. Upāhanā omuñcitvā nīcaṁ katvā papphoṭetvā thavikāya pakkhipitvā aṁse ālaggetvā timaṇḍalaṁ paṭicchādentena parimaṇḍalaṁ nivāsetvā kāyabandhanaṁ bandhitvā saguṇaṁ katvā saṅghāṭiyo pārupitvā gaṇṭhikaṁ paṭimuñcitvā dhovitvā pattaṁ gahetvā sādhukaṁ ataramānena gāmo pavisitabbo. Suppaṭicchannena antaraghare gantabbaṁ …pe… na khambhakatena antaraghare gantabbaṁ. Na oguṇṭhitena antaraghare gantabbaṁ. Na ukkuṭikāya antaraghare gantabbaṁ. Nivesanaṁ pavisantena sallakkhetabbaṁ— ‘iminā pavisissāmi, iminā nikkhamissāmī’ti. Nātisahasā pavisitabbaṁ.
比丘たちよ、阿練若(あれんにゃ)に住む比丘は、早朝に起き、鉢を鉢袋(はちぶくろ)に納めて肩に掛け、衣(ころも)を肩にまとい、草履(ぞうり)を履いて、木製の器具や土器を片付け、戸や窓を閉じて、居所を出るべきである――「今より村に入らんとす」と。
草履を脱いで低く持ち、はたいて鉢袋に収め、肩に掛けて、三輪(さんりん)を覆うように整えて下衣(げえ)をまとい、腰帯を締め、整然と畳んだ僧伽梨(そうぎゃり)を羽織り、紐を結び、鉢を洗って手に取り、焦ることなく、ゆるやかに村に入るべきである。
よく整えた姿で在家の家の内へと進むべきであり……(中略)……腰に手を当てて在家の家の内へ行ってはならない。頭を覆って在家の家の内へ行ってはならない。蹲踞(そんきょ)の姿勢で在家の家の内へ行ってはならない。
宿(やど)に入る折には、よく心に留めるべきである――「この道より入り、この道より出でん」と。あまりに急いで入ってはならない。
⚠ 出家者向けの文脈
老い
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趣旨一致
中
“ayaṁ so amhākaṁ iṇāyiko. Handa naṁ nemā”ti. Anuññātaṁ raññā māgadhena seniyena bimbisārena— Manussā ujjhāyanti khiyyanti vipācenti— “abhayūvarā ime samaṇā sakyaputtiyā. Nayime labbhā kiñci kātuṁ. Kathañhi nāma samaṇā sakyaputtiyā iṇāyikaṁ pabbājessantī”ti. Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Na, bhikkhave, iṇāyiko pabbājetabbo. Yo pabbājeyya, āpatti dukkaṭassā”ti.
「この者はわれらが債務者である。さあ、これを連れ去ろう」と。
マガダ国王セーニヤ・ビンビサーラ王によって許可が与えられていた——ところが、人々は憤慨し、そしりそしって言った——「これらサキャ族の御子(釈迦牟尼)の沙門たちは、恐れを知らぬ者どもだ。この者たちにはいかなることもなし得ない。いかなることあってか、サキャ族の御子の沙門たちが、債務者を出家せしめるのか」と。
〔比丘たちは〕この事の次第を世尊に申し上げた。
「比丘たちよ、債務者を出家させてはならない。出家させる者があれば、突吉羅(dukkaṭa)の罪となる」と。
⚠ 出家者向けの文脈
老い
vinaya
趣旨一致
中
“Kīvaciraṁ panānanda, sāriputto āgacchissatī”ti? “Navamaṁ vā, bhagavā, divasaṁ, dasamaṁ vā”ti. Atha kho bhagavā etasmiṁ nidāne etasmiṁ pakaraṇe dhammiṁ kathaṁ katvā bhikkhū āmantesi— “anujānāmi, bhikkhave, dasāhaparamaṁ atirekacīvaraṁ dhāretun”ti. Tena kho pana samayena bhikkhūnaṁ atirekacīvaraṁ uppannaṁ hoti. “kathaṁ nu kho amhehi atirekacīvare paṭipajjitabban”ti? Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Anujānāmi, bhikkhave, atirekacīvaraṁ vikappetun”ti. Atha kho bhagavā vesāliyaṁ yathābhirantaṁ viharitvā yena bārāṇasī tena cārikaṁ pakkāmi. Anupubbena cārikaṁ caramāno yena bārāṇasī tadavasari.
「アーナンダよ、サーリプッタはいつ頃戻ってまいりますか」と〔世尊は問われた〕。「世尊よ、九日後か、あるいは十日後かと存じます」と〔アーナンダは答えた〕。
そこで世尊は、この因縁(ニダーナ)この事案(パカラナ)に基づいて法(ダンマ)の話をなされ、比丘たちに告げられた——「比丘たちよ、余分の衣(アティレカチーヴァラ)を最長十日間保持することを許可する」と。
さてその頃、比丘たちに余分の衣が生じた。「では、余分の衣についてわれわれはいかに処するべきであろうか」と〔比丘たちは〕この事をWorld尊に申し上げた。「比丘たちよ、余分の衣を浄施(ヴィカッペトゥン)することを許可する」と〔世尊は仰せになった〕。
そののち世尊は、ヴェーサーリーに思いのままに滞在されてから、バーラーナシーに向かって遊行の旅に出発された。次第に遊行を続けられて、バーラーナシーに到着された。
⚠ 出家者向けの文脈
老い
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趣旨一致
中
Nātisahasā nikkhamitabbaṁ. Nātidūre ṭhātabbaṁ. Nāticiraṁ ṭhātabbaṁ. Nātilahuṁ nivattitabbaṁ. ‘bhikkhaṁ dātukāmā vā adātukāmā vā’ti. Sace kammaṁ vā nikkhipati, āsanā vā vuṭṭhāti, kaṭacchuṁ vā parāmasati, bhājanaṁ vā parāmasati, ṭhapeti vā— dātukāmassāti ṭhātabbaṁ. Bhikkhāya diyyamānāya vāmena hatthena saṅghāṭiṁ uccāretvā dakkhiṇena hatthena pattaṁ paṇāmetvā ubhohi hatthehi pattaṁ paṭiggahetvā bhikkhā paṭiggahetabbā. Na ca bhikkhādāyikāya mukhaṁ ulloketabbaṁ. Sallakkhetabbaṁ—
あまり急いで立ち去ってはならない。あまり遠くに立ってもならない。あまり長く立ち続けてもならない。あまり早く立ち去ってもならない——「施食(びくしゃ)を与えようとしているのか、与えようとしていないのか」と。もし作業を置いたり、座から立ち上がったり、杓子(しゃくし)に手を触れたり、器に手を触れたり、あるいは〔食物を〕取り置いたりするならば——施そうとしていると見て、そこに立っていなければならない。
施食が与えられるとき、左の手で僧伽梨衣(サンガーティ)を持ち上げ、右の手で鉢(パッタ)を差し出し、両の手で鉢を受け取って、施食を受けなければならない。施食を施す人の顔を見上げてはならない。よく心に留めなければならない——
⚠ 自己責任論に誤解されやすい
老い
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趣旨一致
中
Tena kho pana samayena aññataro dāso palāyitvā bhikkhūsu pabbajito hoti. Ayyakā passitvā evamāhaṁsu— “ayaṁ so amhākaṁ dāso. Handa naṁ nemā”ti. “māyyo, evaṁ avacuttha, anuññātaṁ raññā māgadhena seniyena bimbisārena ‘ye samaṇesu sakyaputtiyesu pabbajanti, na te labbhā kiñci kātuṁ, svākkhāto dhammo, carantu brahmacariyaṁ sammā dukkhassa antakiriyāyā’”ti. Manussā ujjhāyanti khiyyanti vipācenti— “abhayūvarā ime samaṇā sakyaputtiyā, nayime labbhā kiñci kātuṁ. Kathañhi nāma samaṇā sakyaputtiyā dāsaṁ pabbājessantī”ti. Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Na, bhikkhave, dāso pabbājetabbo.
その頃、ある奴隷が逃げ出して、比丘たちのもとで出家していた。その主人たちが彼を見かけて、こう言った。「あれはわれらの奴隷ではないか。さあ、連れ戻そう。」すると〔比丘たちは〕言った。「尊よ、そのようなことを申してはなりません。マガダ国の王、セーニヤ・ビンビサーラ王によって、すでに許可が与えられております。『釈迦の子ら(サキヤプッティヤ)なる沙門(サマナ)たちのもとに出家する者に対しては、何事もなしてはならない。法はよく説かれている。彼らをして正しく清浄行(ブラフマチャリヤ)を行ぜしめ、苦(ドゥッカ)の終滅(アンタキリヤー)へと至らしめよ』と。」
〔これを聞いた〕人々は憤り、そしりそしって言った。「釈迦の子らなる沙門たちは、まったく罰せられることなく守られている。彼らに対しては何事もなすことができない。それにしても、どうして釈迦の子らなる沙門たちは、奴隷を出家させるというのか。」
人々はこのことを世尊(バガヴァント)に申し上げた。〔世尊はこう言われた。〕「比丘たちよ、奴隷を出家させてはならない。」
⚠ 出家者向けの文脈
老い
vinaya
趣旨一致
中
“seyyathāpi gihī kāmabhogino”ti. Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Na, bhikkhave, ucce mañce sayitabbaṁ. Yo sayeyya, āpatti dukkaṭassā”ti. Tena kho pana samayena aññataro bhikkhu nīce mañce sayanto ahinā daṭṭho hoti. “Anujānāmi, bhikkhave, mañcapaṭipādakan”ti. Tena kho pana samayena chabbaggiyā bhikkhū ucce mañcapaṭipādake dhārenti, saha mañcapaṭipādakehi pavedhenti. Manussā vihāracārikaṁ āhiṇḍantā passitvā ujjhāyanti khiyyanti vipācenti— “seyyathāpi gihī kāmabhogino”ti. “Na, bhikkhave, uccā mañcapaṭipādakā dhāretabbā.
「まるで在家の欲楽を享受する者のようだ」と。かれらはこの事柄を世尊に申し上げた。「比丘たちよ、高い臥床(マンチャ)に臥してはならない。臥する者は悪作(ドゥッカタ)の罪を犯す」と。
さてそのころ、ある比丘が低い臥床に臥していたところ、蛇に咬まれるということがあった。「比丘たちよ、臥床の脚台(マンチャパティパーダカ)を用いることを許可する」と。
さてそのころ、六群比丘(チャッバッギヤ)たちは高い臥床の脚台を用い、脚台ごと臥床を揺り動かしていた。精舎の巡回をしていた人々がそれを見て、嫌悪し、非難し、憤慨して言った。「まるで在家の欲楽を享受する者のようだ」と。「比丘たちよ、高い臥床の脚台を用いてはならない。
⚠ 出家者向けの文脈
老い
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趣旨一致
中
‘sūpaṁ dātukāmā vā adātukāmā vā’ti. Sace kaṭacchuṁ vā parāmasati, bhājanaṁ vā parāmasati, ṭhapeti vā— dātukāmassāti ṭhātabbaṁ. Bhikkhāya dinnāya saṅghāṭiyā pattaṁ paṭicchādetvā sādhukaṁ ataramānena nivattitabbaṁ. Suppaṭicchannena antaraghare gantabbaṁ …pe… na ukkuṭikāya antaraghare gantabbaṁ. Gāmato nikkhamitvā pattaṁ thavikāya pakkhipitvā aṁse ālaggetvā cīvaraṁ saṅgharitvā sīse karitvā upāhanā ārohitvā gantabbaṁ. Āraññikena, bhikkhave, bhikkhunā pānīyaṁ upaṭṭhāpetabbaṁ, paribhojanīyaṁ upaṭṭhāpetabbaṁ, aggi upaṭṭhāpetabbo, araṇisahitaṁ upaṭṭhāpetabbaṁ, kattaradaṇḍo upaṭṭhāpetabbo, nakkhattapadāni uggahetabbāni— sakalāni vā ekadesāni vā, disākusalena bhavitabbaṁ. Idaṁ kho, bhikkhave, āraññikānaṁ bhikkhūnaṁ vattaṁ yathā āraññikehi bhikkhūhi sammā vattitabban”ti.
「おかずを与えようとしているのか、それとも与えようとしていないのか」と〔迷う場合、〕もし杓子(かしゃく)に手を触れるか、あるいは鉢に手を触れるか、あるいは〔おかずを〕置くならば、「与えようとしている」と見なすべきである。施食(せじき)が終わったならば、僧伽梨(そうぎゃり)で鉢を覆い、急がず落ち着いて帰るべきである。鉢をよく覆った状態で、俗家の間を行くべきである……乃至……うずくまりながら俗家の間を行ってはならない。村を出たならば、鉢を袋に入れて肩に掛け、衣(ころも)を畳んで頭上に置き、履物(くつ)を履いて行くべきである。
「比丘たちよ、林住(あらんにゅう)の比丘は、飲み水を用意すべきであり、用途の水を用意すべきであり、火を用意すべきであり、火起こし木(あらに)を揃えて用意すべきであり、斧の柄(えの柄)を用意すべきであり、星座の知識(しょうざのちしき)を、全部であれ一部であれ、習得すべきであり、方角に通じた者となるべきである。比丘たちよ、これが林住の比丘たちの作法(さほう)であり、林住の比丘たちがそのとおりに正しく行ずべきものである。」
⚠ 出家者向けの文脈
老い
vinaya
趣旨一致
中
Atha kho tesaṁ bhikkhūnaṁ etadahosi— Sace mayaṁ imāhi āpattīhi aññamaññaṁ kāressāma, siyāpi taṁ adhikaraṇaṁ kakkhaḷattāya vāḷattāya bhedāya saṁvatteyya. Kathaṁ nu kho amhehi paṭipajjitabban”ti? Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Idha pana, bhikkhave, bhikkhūnaṁ bhaṇḍanajātānaṁ kalahajātānaṁ vivādāpannānaṁ viharataṁ bahuṁ assāmaṇakaṁ ajjhāciṇṇaṁ hoti bhāsitaparikkantaṁ. Tatra ce bhikkhūnaṁ evaṁ hoti— sace mayaṁ imāhi āpattīhi aññamaññaṁ kāressāma, siyāpi taṁ adhikaraṇaṁ kakkhaḷattāya vāḷattāya bhedāya saṁvatteyyā’ti, anujānāmi, bhikkhave, evarūpaṁ adhikaraṇaṁ tiṇavatthārakena vūpasametuṁ. Evañca pana, bhikkhave, vūpasametabbaṁ. Sabbeheva ekajjhaṁ sannipatitabbaṁ, sannipatitvā byattena bhikkhunā paṭibalena saṅgho ñāpetabbo— ‘Suṇātu me, bhante, saṅgho.
そのとき、それらの比丘たちにこのような思いが起こった。「もし我々がこれらの罪過(āpatti)によって互いを罰するならば、その諍事(adhikaraṇa)はますます荒々しく、激しく、分裂へと向かうことにもなりかねない。いったい我々はどのように行ずべきであろうか」と。彼らは世尊にこの事柄を申し上げた。
「比丘たちよ、ここにおいて比丘たちが諍いを生じ、口論を生じ、論争に陥りながら住するとき、多くの沙門にふさわしからぬ行い(assāmaṇaka)が重なり、言葉が乱れ飛ぶことがある。そこで比丘たちにかくのごとき思いが起こる。『もし我々がこれらの罪過によって互いを罰するならば、その諍事はますます荒々しく、激しく、分裂へと向かうことにもなりかねない』と。
比丘たちよ、このような諍事を草で覆う法(tiṇavatthāraka)によって鎮めることを、我は許す。
比丘たちよ、而してかくのごとく鎮めるべきである。すべての者がひとところに集まるべきである。集まりたる後、有能にして堪能なる比丘によって僧伽(saṅgha)に告知されるべきである。
『大徳方よ、僧伽よ、我が言葉を聞かれよ。
⚠ 初手で出すと冷たく見える,出家者向けの文脈
老い
vinaya
趣旨一致
中
Amhākaṁ bhaṇḍanajātānaṁ kalahajātānaṁ vivādāpannānaṁ viharataṁ bahuṁ assāmaṇakaṁ ajjhāciṇṇaṁ bhāsitaparikkantaṁ. Sace mayaṁ imāhi āpattīhi aññamaññaṁ kāressāma, siyāpi taṁ adhikaraṇaṁ kakkhaḷattāya vāḷattāya bhedāya saṁvatteyya. Yadi saṅghassa pattakallaṁ, saṅgho imaṁ adhikaraṇaṁ tiṇavatthārakena vūpasameyya, ṭhapetvā thullavajjaṁ, ṭhapetvā gihippaṭisaṁyuttan’ti. Ekatopakkhikānaṁ bhikkhūnaṁ byattena bhikkhunā paṭibalena sako pakkho ñāpetabbo— ‘Suṇantu me āyasmantā. Amhākaṁ bhaṇḍanajātānaṁ kalahajātānaṁ vivādāpannānaṁ viharataṁ bahuṁ assāmaṇakaṁ ajjhāciṇṇaṁ bhāsitaparikkantaṁ. Sace mayaṁ imāhi āpattīhi aññamaññaṁ kāressāma, siyāpi taṁ adhikaraṇaṁ kakkhaḷattāya vāḷattāya bhedāya saṁvatteyya. Yadāyasmantānaṁ pattakallaṁ, ahaṁ yā ceva āyasmantānaṁ āpatti, yā ca attano āpatti, āyasmantānañceva atthāya, attano ca atthāya, saṅghamajjhe tiṇavatthārakena deseyyaṁ, ṭhapetvā thullavajjaṁ, ṭhapetvā gihippaṭisaṁyuttan’ti. Athāparesaṁ ekatopakkhikānaṁ bhikkhūnaṁ byattena bhikkhunā paṭibalena sako pakkho ñāpetabbo— ‘Suṇantu me āyasmantā.
「尊き方々よ、聞かれよ。われらは諍い(bhaṇḍana)を生じ、争い(kalaha)を生じ、論争(vivāda)に陥りながら住するうち、沙門にふさわしからぬ多くの言葉を語り、多くを口にして過ごしてきた。もしわれらがこれらの罪過(āpatti)をもって互いに責め合うならば、その諍い事(adhikaraṇa)はさらに粗暴となり、激しさを増し、分裂へと向かうことになりかねない。もし僧伽(saṅgha)においてその機が熟しておれば、僧伽はこの諍い事を、草で覆う法(tiṇavatthāraka)によって静めるがよい。ただし重罪(thullavajja)に関わるものを除き、在家者に関わるものを除いて」と。
一方の側の比丘たちにあっては、能弁にして有能な比丘が自らの側に告知すべきである。――「尊き方々よ、聞かれよ。われらは諍いを生じ、争いを生じ、論争に陥りながら住するうち、沙門にふさわしからぬ多くの言葉を語り、多くを口にして過ごしてきた。もしわれらがこれらの罪過をもって互いに責め合うならば、その諍い事はさらに粗暴となり、激しさを増し、分裂へと向かうことになりかねない。もし尊き方々においてその機が熟しておれば、わたしは、尊き方々の罪過をも、またわが自身の罪過をも、尊き方々のためにも、またわが自身のためにも、僧伽の中において、草で覆う法によって告白(desanā)いたしたく存じます。ただし重罪に関わるものを除き、在家者に関わるものを除いて」と。
さらに、他方の側の比丘たちにあっても、能弁にして有能な比丘が自らの側に告知すべきである。――「尊き方々よ、聞かれよ。
⚠ 初手で出すと冷たく見える,出家者向けの文脈
老い
vinaya
趣旨一致
中
Tīṇi tūlāni— rukkhatūlaṁ, latātūlaṁ, poṭakitūlan”ti. Tena kho pana samayena chabbaggiyā bhikkhū addhakāyikāni bibbohanāni dhārenti. Manussā vihāracārikaṁ āhiṇḍantā passitvā ujjhāyanti khiyyanti vipācenti— “seyyathāpi gihī kāmabhogino”ti. “Na, bhikkhave, aḍḍhakāyikāni bibbohanāni dhāretabbāni. Yo dhāreyya, āpatti dukkaṭassa. Anujānāmi, bhikkhave, sīsappamāṇaṁ bibbohanaṁ kātun”ti. Tena kho pana samayena rājagahe giraggasamajjo hoti. Manussā mahāmattānaṁ atthāya bhisiyo paṭiyādenti—
三種の綿がある。すなわち、木綿(rukkhatūla)、蔓綿(latātūla)、および草綿(poṭakitūla)である。
さてその当時、六群比丘たち(chabbaggiyā bhikkhū)は、半身分の大きさの枕(bibbohanā)を用いていた。人々は僧院を見回り歩いていて、それを見て、嫌悪し、非難し、そしりて言った。「まるで在家の欲楽を楽しむ者どものようだ」と。
〔そこで世尊はこう制した。〕「比丘たちよ、半身ほどの大きさの枕を用いてはならない。用いる者には悪作罪(dukkaṭa)を犯すことになる。比丘たちよ、頭の大きさほどの枕を作ることを許可する。」
さてその当時、王舎城(Rājagaha)においてギラッガ(giraggasamajja)の祭りが催されていた。人々は大臣たちのために臥具(bhisi)を用意した。
⚠ 出家者向けの文脈
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dhammiṁ kathaṁ katvā bhikkhū āmantesi— “Tena hi, bhikkhave, bhikkhūnaṁ senāsanavattaṁ paññapessāmi yathā bhikkhūhi senāsane sammā vattitabbaṁ. Yasmiṁ vihāre viharati, sace so vihāro uklāpo hoti, sace ussahati, sodhetabbo. Vihāraṁ sodhentena paṭhamaṁ pattacīvaraṁ nīharitvā ekamantaṁ nikkhipitabbaṁ; nisīdanapaccattharaṇaṁ nīharitvā ekamantaṁ nikkhipitabbaṁ; bhisibibbohanaṁ nīharitvā ekamantaṁ nikkhipitabbaṁ; mañco nīcaṁ katvā sādhukaṁ appaṭighaṁsantena, asaṅghaṭṭentena kavāṭapiṭṭhaṁ, nīharitvā ekamantaṁ nikkhipitabbo; pīṭhaṁ nīcaṁ katvā sādhukaṁ appaṭighaṁsantena, asaṅghaṭṭentena kavāṭapiṭṭhaṁ, nīharitvā ekamantaṁ nikkhipitabbaṁ; mañcapaṭipādakā nīharitvā ekamantaṁ nikkhipitabbā; kheḷamallako nīharitvā ekamantaṁ nikkhipitabbo;
法(ダンマ)にかなう語らいをなされてのち、世尊は比丘たちに告げられた——
「それゆえ、比丘たちよ、比丘たちが臥坐処(センアーサナ)において正しく振る舞うべきよう、臥坐処の作法(センアーサナヴァッタ)を制定しよう。
比丘が住する精舎(ヴィハーラ)に、もしその精舎が汚れておれば、力の及ぶかぎり、掃き清めなければならない。精舎を清める者は、まず鉢と衣(パッタチーヴァラ)を取り出して一隅に置かなければならない。座布と敷物(ニシーダナパッチャッタラナ)を取り出して一隅に置かなければならない。枕と褥(ビシビッボハナ)を取り出して一隅に置かなければならない。臥床(マンチャ)は低く傾けて、扉の框(カヴァータピッタ)に擦れないよう、触れないよう、よくよく注意しながら運び出して一隅に置かなければならない。腰掛(ピータ)もまた低く傾けて、扉の框に擦れないよう、触れないよう、よくよく注意しながら運び出して一隅に置かなければならない。臥床の脚台(マンチャパティパーダカー)を取り出して一隅に置かなければならない。痰壺(ケーラマッラカ)を取り出して一隅に置かなければならない。
⚠ 出家者向けの文脈
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Amhākaṁ bhaṇḍanajātānaṁ kalahajātānaṁ vivādāpannānaṁ viharataṁ bahuṁ assāmaṇakaṁ ajjhāciṇṇaṁ bhāsitaparikkantaṁ. Sace mayaṁ imāhi āpattīhi aññamaññaṁ kāressāma, siyāpi taṁ adhikaraṇaṁ kakkhaḷattāya vāḷattāya bhedāya saṁvatteyya. Yadāyasmantānaṁ pattakallaṁ, ahaṁ yā ceva āyasmantānaṁ āpatti, yā ca attano āpatti, āyasmantānañceva atthāya, attano ca atthāya, saṅghamajjhe tiṇavatthārakena deseyyaṁ, ṭhapetvā thullavajjaṁ, ṭhapetvā gihippaṭisaṁyuttan’ti. Athāparesaṁ ekatopakkhikānaṁ bhikkhūnaṁ byattena bhikkhunā paṭibalena saṅgho ñāpetabbo— ‘Suṇātu me, bhante, saṅgho. Amhākaṁ bhaṇḍanajātānaṁ kalahajātānaṁ vivādāpannānaṁ viharataṁ bahuṁ assāmaṇakaṁ ajjhāciṇṇaṁ bhāsitaparikkantaṁ. Sace mayaṁ imāhi āpattīhi aññamaññaṁ kāressāma, siyāpi taṁ adhikaraṇaṁ kakkhaḷattāya vāḷattāya bhedāya saṁvatteyya. Yadi saṅghassa pattakallaṁ, ahaṁ yā ceva imesaṁ āyasmantānaṁ āpatti, yā ca attano āpatti, imesañceva āyasmantānaṁ atthāya, attano ca atthāya, saṅghamajjhe tiṇavatthārakena deseyyaṁ, ṭhapetvā thullavajjaṁ, ṭhapetvā gihippaṭisaṁyuttaṁ. Esā ñatti. Suṇātu me, bhante, saṅgho.
「われらは諍い(bhaṇḍana)起こり、争い(kalaha)起こり、論諍(vivāda)に陥りながら住するにあたり、沙門(さもん)らしからぬ多くのふるまいを重ね、多くの言葉を費やしてきた。もしわれらがこれらの罪過(āpatti)によって互いに責め合うならば、その案件(adhikaraṇa)は粗暴へと、激烈へと、分裂へと向かうことにもなりかねない。長老がたにとって時(pattakalla)至れば、わたしは長老がたの罪過をも、また自らの罪過をも、長老がたのためにも、また自らのためにも、重罪(thullavajja)を除き、在家に関わる罪を除いて、僧伽(saṅgha)の中において草で覆う如く(tiṇavatthāraka)懺悔(deseti)いたしましょう」と。
次に、他方の一党に属する比丘たちにおいては、有能にして堪能なる比丘によって、僧伽に告知(ñāpeti)がなされるべきである。
「大徳(bhante)よ、僧伽よ、聞きたまえ。われらは諍い起こり、争い起こり、論諍に陥りながら住するにあたり、沙門らしからぬ多くのふるまいを重ね、多くの言葉を費やしてきた。もしわれらがこれらの罪過によって互いに責め合うならば、その案件は粗暴へと、激烈へと、分裂へと向かうことにもなりかねない。もし僧伽にとって時至れば、わたしはこれら長老がたの罪過をも、また自らの罪過をも、これら長老がたのためにも、また自らのためにも、重罪を除き、在家に関わる罪を除いて、僧伽の中において草で覆う如く懺悔いたしましょう。これが告白(ñatti)である。大徳よ、僧伽よ、聞きたまえ。」
⚠ 初手で出すと冷たく見える,出家者向けの文脈
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uṇṇabhisiṁ, coḷabhisiṁ, vākabhisiṁ, tiṇabhisiṁ, paṇṇabhisiṁ. Te vītivatte samajje chaviṁ uppāṭetvā haranti. Addasāsuṁ kho bhikkhū samajjaṭṭhāne bahuṁ uṇṇampi coḷakampi vākampi tiṇampi paṇṇampi chaṭṭitaṁ. Disvāna bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Anujānāmi, bhikkhave, pañca bhisiyo— uṇṇabhisiṁ, coḷabhisiṁ, vākabhisiṁ, tiṇabhisiṁ, paṇṇabhisin”ti. Tena kho pana samayena saṅghassa senāsanaparikkhārikaṁ dussaṁ uppannaṁ hoti. “Anujānāmi, bhikkhave, bhisiṁ onandhitun”ti. Tena kho pana samayena bhikkhū mañcabhisiṁ pīṭhe santharanti, pīṭhabhisiṁ mañce santharanti. Bhisiyo paribhijjanti.
羊毛の褥(うṇṇabhisi)、布の褥(coḷabhisi)、樹皮の褥(vākabhisi)、草の褥(tiṇabhisi)、葉の褥(paṇṇabhisi)〔を用いることを許した〕。それらが競技場において使い古されると、〔人々は〕革を剥ぎ取って持ち去った。比丘たちは競技場の跡地に、羊毛も布も樹皮も草も葉も、多く打ち棄てられているのを見た。見てのち、世尊にこの事の次第を申し上げた。〔世尊は仰せられた。〕「比丘たちよ、五種の褥を許す。すなわち、羊毛の褥、布の褥、樹皮の褥、草の褥、葉の褥である」と。
さてそのころ、僧伽(saṅgha)に住房のための資具として布が生じた。〔世尊は仰せられた。〕「比丘たちよ、褥に覆いを被せることを許す」と。
さてそのころ、比丘たちは臥床用の褥(mañcabhisi)を腰掛に敷き、腰掛用の褥(pīṭhabhisi)を臥床に敷いていた。褥が破損した。
⚠ 出家者向けの文脈
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apassenaphalakaṁ nīharitvā ekamantaṁ nikkhipitabbaṁ; bhummattharaṇaṁ yathāpaññattaṁ sallakkhetvā nīharitvā ekamantaṁ nikkhipitabbaṁ. Sace vihāre santānakaṁ hoti, ullokā paṭhamaṁ ohāretabbaṁ, ālokasandhikaṇṇabhāgā pamajjitabbā. Sace gerukaparikammakatā bhitti kaṇṇakitā hoti, coḷakaṁ temetvā pīḷetvā pamajjitabbā. Sace kāḷavaṇṇakatā bhūmi kaṇṇakitā hoti, coḷakaṁ temetvā pīḷetvā pamajjitabbā. Sace akatā hoti bhūmi, udakena paripphositvā paripphositvā sammajjitabbā— mā vihāro rajena uhaññīti. Saṅkāraṁ vicinitvā ekamantaṁ chaḍḍetabbaṁ. Na bhikkhusāmantā senāsanaṁ papphoṭetabbaṁ. Na vihārasāmantā senāsanaṁ papphoṭetabbaṁ.
背もたれ板(アパッセーナ)を取り出して、一方に置くべきである。床の敷物(ブンマッタラナ)は定められた通りに注意して取り出し、一方に置くべきである。もし精舎(ヴィハーラ)に蜘蛛の巣があれば、まず天井から払い落とし、窓の隅々を掃うべきである。もし壁が赤土(ゲールカ)で塗られていて隅に汚れがあれば、布を湿らせてよく絞り、拭うべきである。もし床が黒色に塗られていて隅に汚れがあれば、布を湿らせてよく絞り、拭うべきである。もし床が塗られていなければ、水を繰り返し撒いてから掃くべきである――「精舎が塵によって傷まないように」と。塵芥(サンカーラ)を集めて一方に捨てるべきである。比丘(ビック)の近くで臥坐具(センアーサナ)を払い落としてはならない。精舎の近くで臥坐具を払い落としてはならない。
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈,初学者には難しい
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‘Kyāhaṁ ussahāmi devassa jīvitaṁ dātuṁ? Devo kho me jīvitaṁ dadeyyā’ti. ‘Tena hi, tāta dīghāvu, tvañceva me jīvitaṁ dehi, ahañca te jīvitaṁ dammī’ti. Atha kho, bhikkhave, brahmadatto ca kāsirājā dīghāvu ca kumāro aññamaññassa jīvitaṁ adaṁsu, pāṇiñca aggahesuṁ, sapathañca akaṁsu addūbhāya. Atha kho, bhikkhave, brahmadatto kāsirājā dīghāvuṁ kumāraṁ etadavoca— ‘tena hi, tāta dīghāvu, rathaṁ yojehi, gamissāmā’ti. ‘Evaṁ, devā’ti kho, bhikkhave, dīghāvu kumāro brahmadattassa kāsirañño paṭissutvā rathaṁ yojetvā brahmadattaṁ kāsirājānaṁ etadavoca— ‘yutto kho te, deva, ratho, yassadāni kālaṁ maññasī’ti. Atha kho, bhikkhave, brahmadatto kāsirājā rathaṁ abhiruhi. Dīghāvu kumāro rathaṁ pesesi.
「わたしごときに、どうして大王の命を救う力がありましょうか。むしろ大王こそ、わたしの命をお救いくださるお方」と。「それならば、ディーガーユよ、そなたはわたしに命を与えよ、わたしもそなたに命を与えよう」と。
かくして、比丘たちよ、カーシの王ブラフマダッタと王子ディーガーユとは、互いに命を与え合い、手を取り合い、裏切らぬことを誓約した。
そこで、比丘たちよ、カーシの王ブラフマダッタは王子ディーガーユにこう言った。「それでは、ディーガーユよ、車を準備せよ、出発しようと思う」と。「かしこまりました、大王」と、比丘たちよ、王子ディーガーユはカーシの王ブラフマダッタの言葉を承けて、車を用意し終えると、カーシの王ブラフマダッタにこう申し上げた。「大王よ、お車の準備が整いました。今こそご出発のお時と存じます」と。
かくして、比丘たちよ、カーシの王ブラフマダッタは車に乗り込んだ。王子ディーガーユは車を進ませた。
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Amhākaṁ bhaṇḍanajātānaṁ kalahajātānaṁ vivādāpannānaṁ viharataṁ bahuṁ assāmaṇakaṁ ajjhāciṇṇaṁ bhāsitaparikkantaṁ. Sace mayaṁ imāhi āpattīhi aññamaññaṁ kāressāma, siyāpi taṁ adhikaraṇaṁ kakkhaḷattāya vāḷattāya bhedāya saṁvatteyya. Ahaṁ yā ceva imesaṁ āyasmantānaṁ āpatti, yā ca attano āpatti, imesañceva āyasmantānaṁ atthāya, attano ca atthāya, saṅghamajjhe tiṇavatthārakena desemi, ṭhapetvā thullavajjaṁ, ṭhapetvā gihippaṭisaṁyuttaṁ. Yassāyasmato khamati amhākaṁ imāsaṁ āpattīnaṁ saṅghamajjhe tiṇavatthārakena desanā, ṭhapetvā thullavajjaṁ, ṭhapetvā gihippaṭisaṁyuttaṁ, so tuṇhassa; yassa nakkhamati, so bhāseyya. Desitā amhākaṁ imā āpattiyo saṅghamajjhe tiṇavatthārakena, ṭhapetvā thullavajjaṁ, ṭhapetvā gihippaṭisaṁyuttaṁ. Khamati saṅghassa, tasmā tuṇhī, evametaṁ dhārayāmī’ti. Athāparesaṁ ekatopakkhikānaṁ bhikkhūnaṁ byattena bhikkhunā paṭibalena saṅgho ñāpetabbo— ‘Suṇātu me, bhante, saṅgho. Amhākaṁ bhaṇḍanajātānaṁ kalahajātānaṁ vivādāpannānaṁ viharataṁ bahuṁ assāmaṇakaṁ ajjhāciṇṇaṁ bhāsitaparikkantaṁ.
「我々は諍い(bhaṇḍana)を生じ、争い(kalaha)を生じ、論争(vivāda)に陥りて住しており、その間に多くの沙門にあるまじき行為を積み重ね、多くの言葉を費やして参りました。もし我々が互いにこれらの罪過(āpatti)をもって相手に責を負わせるならば、その諍い事(adhikaraṇa)はさらに険しく、激しく、分裂へと向かうことになりましょう。そこで私は、これらの尊者方の罪過も、また自らの罪過も、これらの尊者方の利益のためにも、また自らの利益のためにも、重罪(thullavajja)を除き、在家者に関わるものを除いて、僧団(saṅgha)の中にて草を敷くが如く覆う法(tiṇavatthāraka)によって発露(desanā)いたします。これらの罪過を、重罪を除き、在家者に関わるものを除いて、僧団の中にて草を敷くが如く覆う法によって発露することを是とする尊者は黙しておられよ。是としない尊者は語られよ。我々のこれらの罪過は、僧団の中にて草を敷くが如く覆う法によって、重罪を除き、在家者に関わるものを除いて、発露されました。僧団はこれを是としております。ゆえに黙しておられます。この事柄はかくのごとく受持(dhārayāmi)いたします。」
次いで、他の一方の側(ekatopakkha)の比丘たちのために、有能な(byatta)一人の比丘が、応じることのできる(paṭibala)者として、僧団に告知(ñāpeti)すべきである。――「大徳(bhante)よ、僧団よ、聞いてください。我々は諍いを生じ、争いを生じ、論争に陥りて住しており、その間に多くの沙門にあるまじき行為を積み重ね、多くの言葉を費やして参りました。
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