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💬 AIブッダに相談
10,029
偈句数
9,999
日本語訳あり
9,982
パーリ原文
経典 19
テーマ 20
該当 234
すべて
智慧 4354
老い 931
苦しみ 772
正念 695
怒り 356
執着 350
死 350
業・因果 346
幸せ 337
自己 244
人間関係 243
家族 234
不安 168
仕事 165
渇愛 147
慈悲 115
無常 111
孤独 45
空 43
感謝 23
vinaya 2606
中部経典 2117
長部経典 1357
相応部経典 1136
増支部経典 857
jataka 563
スッタニパータ 522
ダンマパダ(法句経) 426
テーラガーター 211
テーリーガーター 68
クッダカパータ 57
イティヴッタカ 54
ウダーナ 34
金剛経 5
維摩経 5
般若心経 4
法華経 4
涅槃経 2
AN 1
家族
テーラガーター
趣旨一致
長
Catukkanipāta Paṭhamavagga Candanattheragāthā “Jātarūpena sañchannā, dāsīgaṇapurakkhatā; Aṅkena puttamādāya, bhariyā maṁ upāgami. Tañca disvāna āyantiṁ, sakaputtassa mātaraṁ; Alaṅkataṁ suvasanaṁ, maccupāsaṁva oḍḍitaṁ. Tato me manasīkāro, yoniso udapajjatha; Ādīnavo pāturahu, nibbidā samatiṭṭhatha. Tato cittaṁ vimucci me, passa dhammasudhammataṁ; Tisso vijjā anuppattā, kataṁ buddhassa sāsanan”ti. … Candano thero ….
黄金の装身具をまとい、
侍女たちを従えて、
我が子を腰に抱きかかえ、
妻は私のもとへとやって来た。
その来たる姿を見たとき——
我が子の母たるその人を。
着飾り、香を薫らせて、
まるで死(maccu)の罠を張り巡らしたかのように。
そのとき、私のうちに
如理の思惟(yoniso manasikāra)が起こった。
過患(ādīnava)があらわれ、
厭離(nibbidā)がわが心に満ちた。
そして、私の心は解き放たれた——
見よ、法(dhamma)の純なる法たることを。
三明(tisso vijjā)は達成され、
仏陀(Buddha)の教えはなし遂げられた。
……チャンダナ長老の言葉……
⚠ 希死念慮の場面では使わない
家族
テーラガーター
趣旨一致
長
Dasakanipāta Paṭhamavagga Kāḷudāyittheragāthā “Aṅgārino dāni dumā bhadante, Phalesino chadanaṁ vippahāya; Te accimantova pabhāsayanti, Samayo mahāvīra bhāgī rasānaṁ. “Buddhassa puttomhi asayhasāhino, Aṅgīrasassappaṭimassa tādino; Pitupitā mayhaṁ tuvaṁsi sakka, Dhammena me gotama ayyakosī”ti. … Kāḷudāyī thero …. Dumāni phullāni manoramāni, Samantato sabbadisā pavanti; Pattaṁ pahāya phalamāsasānā, Kālo ito pakkamanāya vīra. Nevātisītaṁ na panātiuṇhaṁ, Sukhā utu addhaniyā bhadante; Passantu taṁ sāk
「尊者よ、木々はいま燃えるが如く赤く、
果実を宿し、葉蓋を脱ぎ捨てて、
炎を帯びたるごとく輝いております。
大雄(マハーヴィーラ)よ、味わいの恵みを受くる時、まさに今にございます。
わたくしはアンギーラサ(Aṅgīrasa)の御子、
難しき行を成し遂げられし比類なき境地に立つ方の御子にございます。
サッカ(Sakka)よ、あなたはわが父の父、
ゴータマ(Gotama)よ、あなたは法(ダンマ)によってわが祖父にあらせられます」と。
……カーḷウダーイン長老……
花咲く木々は心を和ませ、
四方あまねく香りを放ちています。
葉を捨て、果実を求める季節、
勇者(ヴィーラ)よ、ここよりお立ち発たれる時でございます。
寒すぎず、また暑すぎず、
道を行くに心地よき季節にございます、尊者よ。
サーキャ(Sākiya)の人々があなたを見たてまつらんとしております、
家族
テーラガーター
趣旨一致
長
Dasakanipāta Paṭhamavagga Cūḷapanthakattheragāthā “Dandhā mayhaṁ gatī āsi, paribhūto pure ahaṁ; Bhātā ca maṁ paṇāmesi, ‘gaccha dāni tuvaṁ gharaṁ’. Āyāgo sabbalokassa, āhutīnaṁ paṭiggaho; Puññakkhettaṁ manussānaṁ, paṭiggaṇhittha dakkhiṇan”ti. … Cūḷapanthako thero …. Sohaṁ paṇāmito santo, saṅghārāmassa koṭṭhake; Dummano tattha aṭṭhāsiṁ, sāsanasmiṁ apekkhavā. Bhagavā tattha āgacchi, sīsaṁ mayhaṁ parāmasi; Bāhāya maṁ gahetvāna, saṅghārāmaṁ pavesayi. Anukampāya me satthā, pādāsi pādapuñchaniṁ; ‘Etaṁ
---
十集 第一章
「我が歩みは遅く、
かつては人に蔑まれた身。
兄は我を追い出し、
『さあ、汝は今すぐ家へ帰れ』と言った。
されど今や、全世界の供養の的、
供物(āhuti)を受け取る者、
人々の福田(puññakkhetta)となりて、
施物(dakkhiṇā)を受けるに至った」
……チューラパンタカ長老……
かくして追い出されたる我は、
僧院(saṅghārāma)の門の傍らに立ち、
そこに悄然として佇みつつ、
教え(sāsana)への思いを胸に抱いていた。
世尊(Bhagavā)はそこへ来たりて、
我が頭を撫でてくださった。
腕を取りて我を導き、
僧院へと連れ入れてくださった。
師(satthā)は慈悲をもって我を憐れみ、
足を拭う布(pādapuñchanī)を与えて言われた、
「これを……」と。
家族
テーラガーター
趣旨一致
長
Dasakanipāta Paṭhamavagga Vaṅgantaputtaupasenattheragāthā “Vivittaṁ appanigghosaṁ, vāḷamiganisevitaṁ; Seve senāsanaṁ bhikkhu, paṭisallānakāraṇā. Evaṁ viharamānassa, suddhikāmassa bhikkhuno; Khīyanti āsavā sabbe, nibbutiñcādhigacchatī”ti. … Upaseno vaṅgantaputto thero …. Saṅkārapuñjā āhatvā, susānā rathiyāhi ca; Tato saṅghāṭikaṁ katvā, lūkhaṁ dhāreyya cīvaraṁ. Nīcaṁ manaṁ karitvāna, sapadānaṁ kulā kulaṁ; Piṇḍikāya care bhikkhu, guttadvāro susaṁvuto. Lūkhenapi vā santusse, nāññaṁ patthe rasaṁ bahu
「比丘よ、独居(パティサッラーナ)のために、
人気なく、静かなる、
猛き獣の住む林の臥所(センーアーサナ)に
親しみ住むがよい。
かくのごとく住する者、
清浄を願う比丘にとって、
一切の漏(アーサヴァ)は滅し尽き、
寂滅(ニッブティ)をも証得するであろう。」
……ヴァンガンタプッタ・ウパセーナ長老……
塵芥の山より、
墓場より、街の路地より、
ぼろ布を拾い集め、
そこより糞掃衣(サンガーティ)を縫いて、
粗末な衣(チーヴァラ)を身に纏え。
心を低うして、
家から家へと、順次に、
比丘よ、乞食(ピンディカー)に歩め、
諸根の門を守り、よく護られて。
粗末なるもので足れりとし、
多くの美味(ラサ)を他に求めるなかれ。
⚠ 出家者向けの文脈
家族
テーラガーター
趣旨一致
長
Vīsatinipāta Paṭhamavagga Anuruddhattheragāthā “Pahāya mātāpitaro, bhaginī ñātibhātaro; Pañca kāmaguṇe hitvā, anuruddhova jhāyati. Mama saṅkappamaññāya, satthā loke anuttaro; Manomayena kāyena, iddhiyā upasaṅkami. Yadā me ahu saṅkappo, tato uttari desayi; Nippapañcarato buddho, nippapañcamadesayi. Tassāhaṁ dhammamaññāya, vihāsiṁ sāsane rato; Tisso vijjā anuppattā, kataṁ buddhassa sāsanaṁ. Pañcapaññāsavassāni, yato nesajjiko ahaṁ; Pañcavīsativassāni, yato middhaṁ samūhataṁ. Nāhu assāsapassāsā, ṭh
# アヌルッダ長老の偈( Anuruddhattheragāthā)
---
母と父を捨て去り、
姉妹も、親族も、兄弟たちも。
五つの欲楽(かまぐな)を離れて、
アヌルッダはただ瞑想(ぜんじょう)にふける。
わが思念(しねん)を知りたまいて、
世において無上なる師は、
意によりて造られたる身をもって、
神通力(じんつうりき)にてみもとに来たりたもうた。
わが思念のありしとき、
師はさらに超えたることを説きたもうた。
戯論(けろん)を離れて楽しみたもう仏陀は、
戯論を離れたることを説きたもうた。
その法(ダンマ)を知りて、わたくしは、
教え(さーさな)を喜びとして住した。
三明(さんみょう)はすでに到達され、
仏陀の教えはなし遂げられた。
五十五年の間、
わたくしは結跏趺坐(けっかふざ)の行者であった。
二十五年の間、
睡眠(こんみん)はすでに根絶やしにされた。
呼吸(こきゅう)も、また吐く息も、なかった。——
家族
テーラガーター
趣旨一致
長
Pañcakanipāta Paṭhamavagga Nadīkassapattheragāthā “Atthāya vata me buddho, nadiṁ nerañjaraṁ agā; Yassāhaṁ dhammaṁ sutvāna, micchādiṭṭhiṁ vivajjayiṁ. Yajiṁ uccāvace yaññe, aggihuttaṁ juhiṁ ahaṁ; ‘Esā suddhī’ti maññanto, andhabhūto puthujjano. Diṭṭhigahanapakkhando, parāmāsena mohito; Asuddhiṁ maññisaṁ suddhiṁ, andhabhūto aviddasu. Micchādiṭṭhi pahīnā me, bhavā sabbe padālitā; Juhāmi dakkhiṇeyyaggiṁ, namassāmi tathāgataṁ. Mohā sabbe pahīnā me, bhavataṇhā padālitā; Vikkhīṇo jātisaṁsāro, natthi dāni
---
まことに、わが為に仏陀は
ネーランジャラー河のほとりに来たりたまえり。
その法(ダンマ)を聴きて、われは
邪見(ミッチャーディッティ)を捨て離れたり。
われはかつて、大小さまざまな祭祀を行い、
聖火(アッギフッタ)に供物を捧げた。
「これこそ清浄なり」と思いなして、
盲いたる凡夫(プトゥッジャナ)として生きていた。
邪見の密林に飛び込み、
執取(パラーマーサ)によって迷い惑い、
不浄を清浄と思いなして、
盲いたる無知な者として生きていた。
今や邪見はわが手より捨てられ、
あらゆる生存(バヴァ)は砕かれたり。
われは供養に値する聖火に捧げ物をなし、
如来(タターガタ)を礼拝したてまつる。
あらゆる迷妄はわが手より捨てられ、
生存への渇愛(バヴァタンハー)は砕かれたり。
生死輪廻(ジャーティサンサーラ)は尽き果て、
今はもはや…
⚠ 初手で出すと冷たく見える
家族
テーラガーター
趣旨一致
長
Chakkanipāta Paṭhamavagga Migajālattheragāthā “Sudesito cakkhumatā, buddhenādiccabandhunā; Sabbasaṁyojanātīto, sabbavaṭṭavināsano. Niyyāniko uttaraṇo, taṇhāmūlavisosano; Visamūlaṁ āghātanaṁ, chetvā pāpeti nibbutiṁ. Aññāṇamūlabhedāya, kammayantavighāṭano; Viññāṇānaṁ pariggahe, ñāṇavajiranipātano. Vedanānaṁ viññāpano, upādānappamocano; Bhavaṁ aṅgārakāsuṁva, ñāṇena anupassano. Mahāraso sugambhīro, jarāmaccunivāraṇo; Ariyo aṭṭhaṅgiko maggo, dukkhūpasamano sivo. Kammaṁ kammanti ñatvāna, vipākañca vip
# テーラガーター 第六章第一節 ミガジャーラ長老の偈
眼(まなこ)ある者、太陽の親族なる仏陀によって、
よく説き示されたり——
あらゆる結縛(けつばく)を超え越え、
あらゆる輪廻(りんね)を滅ぼし尽くすものを。
導き出す者、渡らしめる者、
渇愛(タンハー)の根を枯らし尽くし、
毒ある根、苦悩の根を断ち切りて、
涅槃(ニッバーナ)へと至らしめるものを。
無知(アンニャーナ)の根を砕くために、
業(カンマ)という機械を粉砕し、
諸々の識(ヴィンニャーナ)の執取するところに、
智(ジュニャーナ)という金剛を打ち下ろすものを。
諸々の受(ヴェーダナー)を明知し、
取著(ウパーダーナ)より解き放ち、
有(バヴァ)を炭火の穴と見るがごとく、
智慧をもって観(かん)ずるものを。
大いなる滋味、はなはだ深遠にして、
老いと死とを防ぎ止める——
聖なる八支の道(アリヨ・アッタンギコ・マッゴ)、
苦(ドゥッカ)を鎮め、安らかなるものを。
業を業として、また
その異熟(ヴィパーカ)を異熟として知りて……
⚠ 自己責任論に誤解されやすい
家族
テーラガーター
趣旨一致
長
Chakkanipāta Paṭhamavagga Purohitaputtajentattheragāthā “Jātimadena mattohaṁ, bhogaissariyena ca; Saṇṭhānavaṇṇarūpena, madamatto acārihaṁ. Nāttano samakaṁ kañci, atirekaṁ ca maññisaṁ; Atimānahato bālo, patthaddho ussitaddhajo. Mātaraṁ pitarañcāpi, aññepi garusammate; Na kañci abhivādesiṁ, mānatthaddho anādaro. Disvā vināyakaṁ aggaṁ, sārathīnaṁ varuttamaṁ; Tapantamiva ādiccaṁ, bhikkhusaṅghapurakkhataṁ. Mānaṁ madañca chaḍḍetvā, vippasannena cetasā; Sirasā abhivādesiṁ, sabbasattānamuttamaṁ. Atimāno
生まれの誇りに酔いしれ、
財と権勢にも驕りたかぶり、
姿かたち、顔色、容姿をもって、
慢心(māna)に狂い、わが身を誇示して歩んだ。
誰一人として我が身に等しい者なく、
まして我より優れた者などあろうか、と思い上がり、
極まれる驕慢(atimāna)に打たれた愚か者は、
硬くこわばり、高慢の旗を掲げていた。
母をも、父をも、
また尊ぶべき他の人々をも、
誰に対しても礼を尽くすことなく、
慢心に頑なに、敬いを知らなかった。
されどある日、導師(vināyaka)中の最勝なる方、
御者(sārathi)たる者の中で最も優れた方、
燃え盛る太陽のごとく輝き、
比丘の僧伽(saṅgha)に前後を囲まれた御方を、
まのあたりに拝した。
慢心と驕りとをかなぐり捨て、
清く澄みきった心をもって、
一切の生きとし生けるものの中の最上なる方に、
頭を垂れて礼拝した。
極まれる驕慢は——
⚠ 初手で出すと冷たく見える,出家者向けの文脈
家族
テーラガーター
趣旨一致
長
Sattakanipāta Paṭhamavagga Bhaddattheragāthā “Ekaputto ahaṁ āsiṁ, piyo mātu piyo pitu; Bahūhi vatacariyāhi, laddho āyācanāhi ca. Te ca maṁ anukampāya, atthakāmā hitesino; Ubho pitā ca mātā ca, buddhassa upanāmayuṁ. ‘Kicchā laddho ayaṁ putto, sukhumālo sukhedhito; Imaṁ dadāma te nātha, jinassa paricārakaṁ’. Satthā ca maṁ paṭiggayha, ānandaṁ etadabravi; ‘Pabbājehi imaṁ khippaṁ, hessatyājāniyo ayaṁ’. Pabbājetvāna maṁ satthā, vihāraṁ pāvisī jino; Anoggatasmiṁ sūriyasmiṁ, tato cittaṁ vimucci me. Tato
# バッダ長老の偈(Bhaddattheragāthā)
七集・第一章
われはひとり子にて、
母にも愛され、父にも愛されたり。
多くの誓戒(ちかい)の行と
ひたすらなる祈願によりて
授かりし子なりき。
かの父母は、われを憐れみ
わが利益を望み、わが幸を願いて、
ふたりして――父も、母も――
仏陀のみもとへとわれを導きたり。
「この子は難くして得たる子。
やわらかに育ち、安楽のうちに養われたり。
尊よ、この子を御身に捧げん、
勝者(ジナ)の侍者として。」
師(サッタ)はわれを受け入れ、
アーナンダにかく告げたまえり。
「この子を速やかに出家させよ。
この者はやがて駿馬(あじゃにーよ)のごとき者となるであろう。」
師はわれを出家させたのち、
勝者は精舎へと入りたまえり。
日いまだ沈まぬうちに、
わが心は解き放たれたり(解脱せり)。
家族
テーラガーター
趣旨一致
長
Aṭṭhakanipāta Paṭhamavagga Mahāpanthakattheragāthā “Yadā paṭhamamaddakkhiṁ, satthāramakutobhayaṁ; Tato me ahu saṁvego, passitvā purisuttamaṁ. Siriṁ hatthehi pādehi, yo paṇāmeyya āgataṁ; Etādisaṁ so satthāraṁ, ārādhetvā virādhaye. Tadāhaṁ puttadārañca, dhanadhaññañca chaḍḍayiṁ; Kesamassūni chedetvā, pabbajiṁ anagāriyaṁ. Sikkhāsājīvasampanno, indriyesu susaṁvuto; Namassamāno sambuddhaṁ, vihāsiṁ aparājito. Tato me paṇidhī āsi, cetaso abhipatthito; Na nisīde muhuttampi, taṇhāsalle anūhate. Tassa mev
# テーラガーター 8章3 マハーパンタカ長老の偈
---
はじめて師を仰ぎ見しとき、
畏れなき(無畏)そのお方を——
最勝者(プリサウッタマ)を目の当たりにして、
わが心に激しき感動(サンヴェーガ)が起こった。
来たり給う方を、両手と両足をもって
敬礼もせず押しのける者は、
かくのごとき師を
奉じながら、またそむく者となろう。
そのときわれは、子と妻を、
財宝と穀物を、すべて捨てた。
髪と髭を剃り落とし、
家なき出家(アナガーリヤ)の道へと踏み出した。
学処(シッカー)と生活行(アージーヴァ)に具わり、
諸根(インドリヤ)をよく制御して、
等正覚者(サンブッダ)を礼拝しつつ、
われは無敗(アパラージタ)のうちに住した。
そのときわれに誓願が生じた、
心より深く願い求めるものが——
渇愛(タンハー)という矢の抜けぬかぎり、
しばしたりとも座すまじ、と。
家族
テーリーガーター
趣旨一致
中
Ekakanipāta Muttātherīgāthā “Sumuttā sādhumuttāmhi, tīhi khujjehi muttiyā; Udukkhalena musalena, patinā khujjakena ca; Muttāmhi jātimaraṇā, bhavanetti samūhatā”ti. … Muttā therī ….
「われは善く解き放たれたり、三つの曲がれるものより、
よく解き放たれたり——
臼(うす)より、杵(きね)より、
そして佝僂(せむし)なる夫より。
われは解き放たれたり、生と死(じょうし)より、
再生へと導くもの(有の縄)は、
根こそぎ断たれたり。」
……ムッター長老尼……
⚠ 希死念慮の場面では使わない
家族
テーリーガーター
趣旨一致
中
Ekakanipāta Saṅghātherīgāthā “Hitvā ghare pabbajitvā, hitvā puttaṁ pasuṁ piyaṁ; Hitvā rāgañca dosañca, avijjañca virājiya; Samūlaṁ taṇhamabbuyha, upasantāmhi nibbutā”ti. … Saṅghā therī …. Ekakanipāto niṭṭhito.
一偈品 サンガー長老尼の偈
「家を捨て出家し、子を捨て、愛しき家畜をも捨て、
貪欲(ラーガ)をも瞋恚(ドーサ)をも捨て、
無明(アヴィッジャー)をも離れ、
根ごと渇愛(タンハー)を抜き取りて、
われは今、静まり、涅槃(ニッバーナ)に安らう」と。
……サンガー長老尼……
一偈品 了
家族
テーリーガーター
趣旨一致
長
Dukanipāta Sumaṅgalamātātherīgāthā “Sumuttikā sumuttikā, Sādhumuttikāmhi musalassa; Ahiriko me chattakaṁ vāpi, Ukkhalikā me deḍḍubhaṁ vāti. Rāgañca ahaṁ dosañca, Cicciṭi cicciṭīti vihanāmi; Sā rukkhamūlamupagamma, Aho sukhanti sukhato jhāyāmī”ti. … Sumaṅgalamātā therī ….
よく解き放たれた、よく解き放たれた、
杵(きね)からよく解き放たれた、この身よ。
恥知らずなる夫の傘笠も、
煮えたぎる鍋の蛙(かわず)も、
今はもう知らぬ。
貪り(ラーガ)と怒り(ドーサ)とを、
じゅうじゅうと焼き尽くして、
わたしは木の根元に赴き、
「ああ、安楽なることよ」と、
安らかに禅定(ぜんじょう)を修める。
…スマンガラーの母(長老尼)…
家族
テーリーガーター
趣旨一致
長
Vīsatinipāta Cāpātherīgāthā “Laṭṭhihattho pure āsi, so dāni migaluddako; Āsāya palipā ghorā, nāsakkhi pārametave. “Imañca me puttaphalaṁ, kāḷa uppāditaṁ tayā; Taṁ maṁ puttavatiṁ santiṁ, kassa ohāya gacchasi”. “Jahanti putte sappaññā, tato ñātī tato dhanaṁ; Pabbajanti mahāvīrā, nāgo chetvāva bandhanaṁ”. “Idāni te imaṁ puttaṁ, Daṇḍena churikāya vā; Bhūmiyaṁ vā nisumbhissaṁ, Puttasokā na gacchasi”. “Sace puttaṁ siṅgālānaṁ, kukkurānaṁ padāhisi; Na maṁ puttakatte jammi, punarāvattayissasi”. “Handa kh
# テーリーガーター 第十三章第三節 チャーパー長老尼の偈
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「かつては杖を手にしておったのに、今や鹿を追う猟師となり果てた。
恐ろしき欲望の泥沼にはまり込み、彼岸へと渡り切ることができなかった」
「このわが子という果実を、カーラよ、おまえが産ませたのではないか。
子を持つわたしが、こうして安らかに坐しているのに、
いったい誰のために、わたしを捨てて去ろうというのか」
「智慧ある者は子らを捨て、
さらには親族を捨て、財をも捨て、
大いなる勇者として出家する——
象が縄目を断ち切るように」
「今ここでこの子を、
棒で、あるいは刃物で、
地に打ち据えてやろうか。
子への悲しみに沈んだまま、おまえを去らせはせぬぞ」
「もしおまえが、この子を
豺(やまいぬ)や犬どもに投げ与えるというなら、
賤しき女よ、子への未練をもって
わたしをふたたび引き戻すことは、もはやできぬ」
「さあ——」
家族
テーリーガーター
趣旨一致
長
Tiṁsanipāta Subhājīvakambavanikātherīgāthā Jīvakambavanaṁ rammaṁ, Gacchantiṁ bhikkhuniṁ subhaṁ; Dhuttako sannivāresi, Tamenaṁ abravī subhā. Ahaṁ tava vasānugo siyaṁ, Yadi viharemase kānanantare; Na hi matthi tayā piyattaro, Pāṇo kinnarimandalocane. Yadi me vacanaṁ karissasi, Sukhitā ehi agāramāvasa; Pāsādanivātavāsinī, Parikammaṁ te karontu nāriyo. Kāsikasukhumāni dhāraya, Abhiropehi ca mālavaṇṇakaṁ; Kañcanamaṇimuttakaṁ bahuṁ, Vividhaṁ ābharaṇaṁ karomi te. Sudhotarajapacchadaṁ subhaṁ, Gonakatūli
# テーリーガーター 第十四章 スバー(ジーヴァカのマンゴー林の長老尼)の偈
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三十章 スバー・ジーヴァカンバヴァニカー長老尼の偈
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麗しきジーヴァカのマンゴー林へと
歩みゆく比丘尼スバーを、
放蕩者ひとり行く手に立ちはだかり、
かの女(ひと)に語りかけた。
「われはそなたの意のままに従う者となろう、
もし林の奥深くに共に留まってくれるならば。
きんなり(緊那羅)のごとき丸い瞳をもつ御方よ、
そなたよりも愛しきものは、このわが命にはない。
もしわが言葉に従ってくれるならば、
幸せに暮らせ、家へと戻り住まうがよい。
風もそよがぬ御殿の奥深くに住み、
侍女たちがそなたのために身辺を整えよう。
カーシカ(迦尸)の国の細やかな絹を身にまとい、
花の色あいの衣を身につけよ。
黄金・宝玉・真珠をふんだんに、
様々の飾りをわれはそなたに贈ろう。
美しく洗われた上掛けを敷いた、
柔らかな毛布や綿の褥(しとね)に、
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,希死念慮の場面では使わない,出家者向けの文脈
家族
テーリーガーター
趣旨一致
長
Cattālīsanipāta Isidāsītherīgāthā Nagaramhi kusumanāme, Pāṭaliputtamhi pathaviyā maṇḍe; Sakyakulakulīnāyo, Dve bhikkhuniyo hi guṇavatiyo. Annena ca pānena ca, Khajjena ca yañca tattha sannihitaṁ; Chādemi upanayāmi ca, Demi ca yaṁ yassa patirūpaṁ. Kālena upaṭṭhahitvā, Gharaṁ samupagamāmi ummāre; Dhovantī hatthapāde, Pañjalikā sāmikamupemi. Kocchaṁ pasādaṁ añjaniñca, Ādāsakañca gaṇhitvā; Parikammakārikā viya, Sayameva patiṁ vibhūsemi. Sayameva odanaṁ sādhayāmi, Sayameva bhājanaṁ dhovantī; Mātāva e
# テーリーガーター 第十五篇第一章 イシダーシー長老尼の偈
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クスマナーマと呼ばれる都、
大地の宝冠たるパータリプッタの城市に、
シャーキャ族の血筋を引く
二人の徳高き比丘尼あり。
食物と飲み物と、
菓子と、そこに用意されたものを、
わたしは行き渡らせ、手向け、
それぞれふさわしき者に施した。
時に先立ちて起き出でて、
閾のところより家に近づき、
手と足を洗いつつ、
合掌して夫のもとに参った。
櫛と化粧品と眉墨と、
鏡とを手に取りて、
侍女のごとく
みずから夫を装わせた。
みずから飯を炊き、
みずから器を洗いながら、
まるで母が
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⚠ 自己責任論に誤解されやすい,希死念慮の場面では使わない,出家者向けの文脈
家族
テーリーガーター
趣旨一致
長
Mahānipāta Sumedhātherīgāthā Mantāvatiyā nagare, Rañño koñcassa aggamahesiyā; Dhītā āsiṁ sumedhā, Pasāditā sāsanakarehi. Anujānātha maṁ ubhayo, Pabbajituṁ dasabalassa pāvacane; Appossukkā ghaṭissaṁ, Jātimaraṇappahānāya. Kiṁ bhavagate abhinanditena, Kāyakalinā asārena; Bhavataṇhāya nirodhā, Anujānātha pabbajissāmi. Buddhānaṁ uppādo vivajjito, Akkhaṇo khaṇo laddho; Sīlāni brahmacariyaṁ, Yāvajīvaṁ na dūseyyaṁ”. Evaṁ bhaṇati sumedhā, Mātāpitaro “na tāva āhāraṁ; Āharissaṁ gahaṭṭhā, Maraṇavasaṁ gatāva
マンターヴァティーの都に、
コンジャ王の第一妃の娘として、
スメーダーは生まれた——
師の教えに帰依した者たちによって
信心へと導かれた。
「両親よ、どうぞお許しください、
十力(じゅうりき)を具えし御方の御教えに入り、
出家せんことを。
煩わしきことを離れ、
生(しょう)と死(し)を断ち尽くすべく、
ひたすら励みたいのです。
この身に宿り続けることの、
何の喜びがありましょうか。
実体なき、この骨肉の身に。
有(う)への渇愛(かつあい)を滅することのために、
どうか出家をお許しください。
諸仏(しょぶつ)の出現は滅多にないもの——
その得がたき時節に、わたくしは恵まれました。
戒(かい)と梵行(ぼんぎょう)を、
命の続く限り、汚すことなく守りましょう。」
スメーダーはかくのごとく両親に語り、
「在家の身のまま、
食を断ちます——
死の力に従うかのように、
そなたたちがお許しくださるまで」と申した。
⚠ 希死念慮の場面では使わない
家族
テーリーガーター
趣旨一致
長
Pañcakanipāta Tiṁsamattātherīgāthā “Musalāni gahetvāna, dhaññaṁ koṭṭenti māṇavā; Puttadārāni posentā, dhanaṁ vindanti māṇavā. Karotha buddhasāsanaṁ, yaṁ katvā nānutappati; Khippaṁ pādāni dhovitvā, ekamante nisīdatha; Cetosamathamanuyuttā, karotha buddhasāsanaṁ”. Tassā tā vacanaṁ sutvā, paṭācārāya sāsanaṁ; Pāde pakkhālayitvāna, ekamantaṁ upāvisuṁ; Cetosamathamanuyuttā, akaṁsu buddhasāsanaṁ. Rattiyā purime yāme, pubbajātimanussaruṁ; Rattiyā majjhime yāme, dibbacakkhuṁ visodhayuṁ; Rattiyā pacchime
「若者たちは杵(きね)を手に取り、穀物を搗(つ)く。
若者たちは妻子を養い、財を得る。
されば仏の教えを行ぜよ、
行じて後悔することなき教えを。
すみやかに足を洗い、
かたわらに坐せよ。
心の静けさ(心寂止)に専念し、
仏の教えを行ぜよ。」
パーターチャーラーのこの言葉を聞いた彼女たちは、
その教えに従い、
足を洗い清めて、
かたわらに坐した。
心の静けさ(心寂止)に専念して、
仏の教えを行じたのである。
夜の初更(しょこう)に、
彼女たちは過去の生を憶念した(宿命通)。
夜の中更(ちゅうこう)に、
天眼(てんげん)を清浄にした。
夜の後更(ごこう)に、――
⚠ 出家者向けの文脈
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テーリーガーター
趣旨一致
長
Pañcakanipāta Candātherīgāthā “Duggatāhaṁ pure āsiṁ, vidhavā ca aputtikā; Vinā mittehi ñātīhi, bhattacoḷassa nādhigaṁ. Pattaṁ daṇḍañca gaṇhitvā, bhikkhamānā kulā kulaṁ; Sītuṇhena ca ḍayhantī, satta vassāni cārihaṁ. Bhikkhuniṁ puna disvāna, annapānassa lābhiniṁ; Upasaṅkamma avocaṁ, ‘pabbajjaṁ anagāriyaṁ’. Sā ca maṁ anukampāya, pabbājesi paṭācārā; Tato maṁ ovaditvāna, paramatthe niyojayi. Tassāhaṁ vacanaṁ sutvā, akāsiṁ anusāsaniṁ; Amogho ayyāyovādo, tevijjāmhi anāsavā”ti. … Candā therī …. Pañcakan
# テーリーガーター 第五章 チャンダー長老尼の偈
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かつて、わたしは貧しき者であった。
夫もなく、子もなく、
友も、親族も、傍らになく、
食べ物も、衣も、得ることができなかった。
鉢と杖を手に取りて、
家から家へと乞い歩き、
寒さと暑さに身を灼かれながら、
七年の歳月をさまよい続けた。
ある日、食べ物と飲み物を得たる
一人の比丘尼(びくに)と出会い、
わたしは近づいて、こう申し上げた——
「出家(しゅっけ)の道、家なき道へと導いてください」と。
彼女は、慈悲の心もてわたしを憐れみ、
パターチャーラーその人こそ、わたしを出家せしめてくださった。
そして諭し、教え導き、
最高の真理(paramattha)へとわたしを向かわせてくださった。
その御言葉を聴き、
わたしは教えのままに行じた。
尊師の勧めは空しからず——
今、わたしは三明(tevijjā)を得、
煩悩(āsava)の尽きた者となった。
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…… チャンダー長老尼 ……
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
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テーリーガーター
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長
Pañcakanipāta Nanduttarātherīgāthā “Aggiṁ candañca sūriyañca, devatā ca namassihaṁ; Nadītitthāni gantvāna, udakaṁ oruhāmihaṁ. Bahūvatasamādānā, aḍḍhaṁ sīsassa olikhiṁ; Chamāya seyyaṁ kappemi, rattiṁ bhattaṁ na bhuñjahaṁ. Vibhūsāmaṇḍanaratā, nhāpanucchādanehi ca; Upakāsiṁ imaṁ kāyaṁ, kāmarāgena aṭṭitā. Tato saddhaṁ labhitvāna, pabbajiṁ anagāriyaṁ; Disvā kāyaṁ yathābhūtaṁ, kāmarāgo samūhato. Sabbe bhavā samucchinnā, icchā ca patthanāpi ca; Sabbayogavisaṁyuttā, santiṁ pāpuṇi cetaso”ti. … Nanduttarā
# ナンダウッタラー長老尼の偈
―テーリーガーター 第五章第五節―
火と月と太陽とを、
また神々を、われは礼拝した。
川の渡し場へと赴き、
水の中へと降り立った。
多くの誓戒(ヴァタ)を受け持ちつつ、
頭の半ばを剃り上げ、
地の上に臥床を設け、
夜には食を断った。
装飾と着飾りとを喜び、
沐浴と塗油にも心を費やし、
欲愛(カーマラーガ)に苛まれながら、
この身を仕えさせていた。
されどのちに信(サッダ)を得て、
わたしは家なき出家の道へと歩み出た。
身を在りのままに見つめるとき、
欲愛は根こそぎ断ち滅された。
一切の有(バヴァ)は断ち切られ、
願いも、求めも、ともに尽きた。
あらゆる結縛(ヨーガ)より解き放たれ、
心の寂静(サンティ)に、われは至れり。
―ナンダウッタラー―
経典データの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)