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10,029
偈句数
9,999
日本語訳あり
9,982
パーリ原文
経典 19
テーマ 20
該当 772
すべて 智慧 4354 老い 931 苦しみ 772 正念 695 怒り 356 執着 350 350 業・因果 346 幸せ 337 自己 244 人間関係 243 家族 234 不安 168 仕事 165 渇愛 147 慈悲 115 無常 111 孤独 45 43 感謝 23
vinaya 2606 中部経典 2117 長部経典 1357 相応部経典 1136 増支部経典 857 jataka 563 スッタニパータ 522 ダンマパダ(法句経) 426 テーラガーター 211 テーリーガーター 68 クッダカパータ 57 イティヴッタカ 54 ウダーナ 34 金剛経 5 維摩経 5 般若心経 4 法華経 4 涅槃経 2 AN 1
苦しみ テーリーガーター 趣旨一致
Tikanipāta Aparāsāmātherīgāthā “Paṇṇavīsativassāni, yato pabbajitāya me; Nābhijānāmi cittassa, samaṁ laddhaṁ kudācanaṁ. Aladdhā cetaso santiṁ, citte avasavattinī; Tato saṁvegamāpādiṁ, saritvā jinasāsanaṁ. Bahūhi dukkhadhammehi, appamādaratāya me; Taṇhakkhayo anuppatto, kataṁ buddhassa sāsanaṁ; Ajja me sattamī ratti, yato taṇhā visositā”ti. … Aparā sāmā therī ….
--- 出家してより、二十五年の歳月が流れた。 その間、ただの一度も、 心の静けさ(心の平静)を得たことがなかった。 心の安らぎ(寂静)を得られぬまま、 わが心は定まることなく揺れつづけた。 そのとき、深い厭離(ゆえんり)の念がわき起こり、 勝者(ジナ)の教えをふたたび心に思い念じた。 多くの苦(ドゥッカ)をもたらす諸々の事柄のなかで、 わたしは不放逸(ふほういつ)を喜びとして励んだ。 やがて渇愛(タンハー)の滅尽(めつじん)に到り、 仏陀の教えは成就された。 今日、わが身において七夜が明けた―― 渇愛の火が、ついに涸れ果ててより。 --- …アパラー・サーマー長老尼…
副テーマ: suffering,craving,mindfulness,happiness
導線タグ: 心の平和,焦り,瞑想が進まない,修行,渇望からの解放,精神的な苦しみ,努力が報われない
苦しみ テーリーガーター 趣旨一致
Ekādasakanipāta Kisāgotamītherīgāthā “Kalyāṇamittatā muninā, lokaṁ ādissa vaṇṇitā; Kalyāṇamitte bhajamāno, api bālo paṇḍito assa. Bhāvito me maggo, Ariyo aṭṭhaṅgiko amatagāmī; Nibbānaṁ sacchikataṁ, Dhammādāsaṁ avekkhiṁhaṁ. Ahamamhi kantasallā, Ohitabhārā katañhi karaṇīyaṁ; Kisā gotamī therī, Vimuttacittā imaṁ bhaṇī”ti. … Kisā gotamī therī …. Ekādasakanipāto niṭṭhito. Bhajitabbā sappurisā, Paññā tathā vaḍḍhati bhajantānaṁ; Bhajamāno sappurise, Sabbehipi dukkhehi pamucceyya. Dukkhañca vijāneyya, D
--- 善き友(カリャーナミッタ)のことを 牟尼(むに)は世のためにと讃えたまえり。 善き友に親しむ者は たとえ愚かなる者も、賢者となるであろう。 善き人々に親しむべし、 かく親しむ者には智慧(パンニャー)もまた育つ。 善き人々に親しみ続けるならば あらゆる苦(ドゥッカ)よりも解き放たれるであろう。 苦を知り、(苦の起こりを知り、) また苦の滅するをも知るべし—— 我はすでに道を修めたり、 不死(アマタ)へと至る聖なる八支の道(アリヤ・アッタンギカ・マッガ)を。 涅槃(ニッバーナ)はすでに証(あか)しせられ、 法の鏡(ダンマーダーサ)を我は覗き見たり。 我は毒矢(カンタサッラ)を抜き取られし者、 重荷(バーラ)を降ろし、なすべきことはすでになしたり。 かく語りき、キサーゴータミー長老尼、 心解脱(チッタヴィムッタ)を得たる者として。 --- かくして第十一集、終わる。
副テーマ: liberation
導線タグ: 転職,SNS,介護,子育て,決断,別れ,食事,喪失
⚠ 初手で出すと冷たく見える,希死念慮の場面では使わない,出家者向けの文脈
苦しみ テーリーガーター 趣旨一致
Vīsatinipāta Sundarītherīgāthā “Petāni bhoti puttāni, khādamānā tuvaṁ pure; Tuvaṁ divā ca ratto ca, atīva paritappasi. Dukkhaṁ dukkhasamuppādaṁ, dukkhassa ca atikkamaṁ; Ariyaṁ caṭṭhaṅgikaṁ maggaṁ, dukkhūpasamagāminaṁ. Tattha viññātasaddhammo, pabbajjaṁ samarocayi; Sujāto tīhi rattīhi, tisso vijjā aphassayi. “Ehi sārathi gacchāhi, rathaṁ niyyādayāhimaṁ; Ārogyaṁ brāhmaṇiṁ vajja, ‘pabbaji dāni brāhmaṇo; Sujāto tīhi rattīhi, tisso vijjā aphassayi’”. Tato ca rathamādāya, sahassañcāpi sārathi; Ārogyaṁ
かつてそなたは、わが子らを亡くして その骸(むくろ)を前に嘆き悲しみ 昼も夜も、ひたすら身を焦がし 苦しみのうちに過ごしていた。 苦(ドゥッカ)を、苦の生起を 苦の超克を、そして 苦の寂滅(じゃくめつ)へと導く 聖なる八支の道(アリヤ・アッタンギカ・マッガ)を。 彼処(かしこ)にて正法(サッダンマ)を知り 出家(パッバッジャー)を心より欲した。 スジャータは三夜にして 三明(ティッソ・ヴィッジャー)を証得した。 「さあ、御者よ、参れ。 この車を引き戻してくれ。 バラモンの女(ブラーフマニー)に安寧を告げよ—— 『バラモンはいま出家した。 スジャータは三夜にして 三明を証得した』と」。 そこで御者は車を引き返し 一千もの財宝とともに 安寧を——
副テーマ: suffering,family,wisdom,death
導線タグ: 子供の死,悲嘆,喪失,立ち直り,苦しみからの解放,教えによる救い,出家
苦しみ テーリーガーター 趣旨一致
Sattakanipāta Upacālātherīgāthā “Satimatī cakkhumatī, bhikkhunī bhāvitindriyā; Paṭivijjhi padaṁ santaṁ, akāpurisasevitaṁ”. “Kiṁ nu jātiṁ na rocesi, jāto kāmāni bhuñjati; Bhuñjāhi kāmaratiyo, māhu pacchānutāpinī”. “Jātassa maraṇaṁ hoti, hatthapādāna chedanaṁ; Vadhabandhapariklesaṁ, jāto dukkhaṁ nigacchati. Atthi sakyakule jāto, sambuddho aparājito; So me dhammamadesesi, jātiyā samatikkamaṁ. Dukkhaṁ dukkhasamuppādaṁ, dukkhassa ca atikkamaṁ; Ariyaṁ caṭṭhaṅgikaṁ maggaṁ, dukkhūpasamagāminaṁ. Tassāhaṁ
# テーリーガーター 第七章 ウパチャーラー長老尼の偈 「正念(さとり)あり、正見(まさしき眼)あり、 修行によりて諸根を整えたる比丘尼は、 寂静なる境地(パダ)を証し悟れり—— それは卑しき者どもの近づき得ぬ境地なり」 「なにゆえに汝は、生まれることを喜ばぬのか。 生まれたる者は感官の楽(カーマ)を享受するではないか。 欲楽の喜びを受け享け、 後になりて悔いることなかれ」 「生まれたる者には死がある。 手足を断ち切られることもある。 殺戮、束縛、苦悩—— 生まれたる者は苦(ドゥッカ)を受けるのだ。 釈迦族の家に生まれたる者がある、 打ち克たれることなき正覚者(サンブッダ)が。 その方は我に法(ダンマ)を説き示してくださった—— 生(ジャーティ)を超え渡ることを。 苦(ドゥッカ)と、苦の生起(ドゥッカサムッパーダ)と、 苦の超克(アティッカマ)と、 苦の静息(ウパサマ)へと導く 聖なる八支の道(アリヤ・アッタンギカ・マッガ)とを。 その法を聞きて、わたしは——」
副テーマ: suffering,craving,death,wisdom
導線タグ: 輪廻,執着,快楽,苦しみ,生死,解脱,感覚的欲望
⚠ 希死念慮の場面では使わない,出家者向けの文脈
苦しみ 維摩経 直接根拠
衆生病故 菩薩病 衆生病滅 菩薩病滅
衆生が病むがゆえに菩薩もまた病む。衆生の病が癒えれば菩薩の病も癒える。
副テーマ: suffering,compassion,relationship
導線タグ: 孤独感,共感,寄り添い,他者の痛み,つながり,菩薩の慈悲,支え合い
⚠ 宗教色が強い
苦しみ vinaya 趣旨一致
Dhammo asuddho samalehi cintito; Apāpuretaṁ amatassa dvāraṁ, Suṇantu dhammaṁ vimalenānubuddhaṁ. Sele yathā pabbatamuddhaniṭṭhito, Yathāpi passe janataṁ samantato; Tathūpamaṁ dhammamayaṁ sumedha, Pāsādamāruyha samantacakkhu; Sokāvatiṇṇaṁ janatamapetasoko, Avekkhassu jātijarābhibhūtaṁ. Uṭṭhehi vīra vijitasaṅgāma,
汚れある者どもの思念より生まれし法(ダンマ)は不浄なり。 不死(アマタ)の門を開け放て、 汚れなき者によって証られし法(ダンマ)を、聴聞せよ。 岩山の頂に立ちて、 あたかも四方の人々をまざまざと見渡すがごとく、 されば賢明なる者(スメーダ)よ、 法(ダンマ)よりなる高楼に登りたまえ、遍く見る眼(サマンタチャック)を持つ者よ。 憂愁(ソカ)に沈める衆生を、 みずからは憂愁(ソカ)を離れて、 生(ジャーティ)と老(ジャラー)とに制せられたる者どもを、 あまねく見渡したまえ。 立ちあがれ、勇者よ、戦いに勝利せし者よ、
副テーマ: liberation,resilience
導線タグ: 介護,子育て,自信,別れ,対人恐怖,食事,喪失
⚠ 希死念慮の場面では使わない
苦しみ vinaya 趣旨一致
Tena kho pana samayena bhikkhū asenāsanikā vassaṁ upagacchanti. Sītenapi kilamanti, uṇhenapi kilamanti. “Na, bhikkhave, asenāsanikena vassaṁ upagantabbaṁ. Yo upagaccheyya, āpatti dukkaṭassā”ti. Tena kho pana samayena bhikkhū chavakuṭikāya vassaṁ upagacchanti. Manussā ujjhāyanti khiyyanti vipācenti— “seyyathāpi chavaḍāhakā”ti. “Na, bhikkhave, chavakuṭikāya vassaṁ upagantabbaṁ. Yo upagaccheyya, āpatti dukkaṭassā”ti. Tena kho pana samayena bhikkhū chatte vassaṁ upagacchanti.
その時、比丘たちは居処(センアーサナ)なくして雨安居(ヴァッサ)に入っていた。寒さにも苦しみ、暑さにも苦しんでいた。「比丘たちよ、居処なくして雨安居に入ってはならない。もし入るならば、悪作(ドゥッカタ)の罪を犯すことになる」と。 その時、比丘たちは死者小屋(チャヴァクティカー)において雨安居に入っていた。人々は憤り、そしり、非難した——「まるで死体を焼く者のようだ」と。「比丘たちよ、死者小屋において雨安居に入ってはならない。もし入るならば、悪作の罪を犯すことになる」と。 その時、比丘たちは傘(チャッタ)の下において雨安居に入っていた。
副テーマ: suffering,mindfulness,wisdom
導線タグ: 戒律,規律,生活環境,苦労,修行,住居,適切な行動
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ vinaya 趣旨一致
Tena kho pana samayena vassaṁvuṭṭhā bhikkhū anuppanne cīvare pakkamantipi, vibbhamantipi, kālampi karonti, sāmaṇerāpi paṭijānanti, sikkhaṁ paccakkhātakāpi paṭijānanti, antimavatthuṁ ajjhāpannakāpi paṭijānanti, ummattakāpi paṭijānanti, khittacittāpi paṭijānanti, vedanāṭṭāpi paṭijānanti, āpattiyā adassane ukkhittakāpi paṭijānanti, āpattiyā appaṭikamme ukkhittakāpi paṭijānanti, pāpikāya diṭṭhiyā appaṭinissagge ukkhittakāpi paṭijānanti, paṇḍakāpi paṭijānanti, theyyasaṁvāsakāpi paṭijānanti, titthiyapakkantakāpi paṭijānanti, tiracchānagatāpi paṭijānanti, mātughātakāpi paṭijānanti, pitughātakāpi paṭijānanti, arahantaghātakāpi paṭijānanti, bhikkhunidūsakāpi paṭijānanti, saṅghabhedakāpi paṭijānanti, lohituppādakāpi paṭijānanti, ubhatobyañjanakāpi paṭijānanti. Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Idha pana, bhikkhave, vassaṁvuṭṭho bhikkhu anuppanne cīvare pakkamati, sante patirūpe gāhake dātabbaṁ. Idha pana, bhikkhave, vassaṁvuṭṭho bhikkhu anuppanne cīvare vibbhamati, kālaṁ karoti, sāmaṇero paṭijānāti, sikkhaṁ paccakkhātako paṭijānāti, antimavatthuṁ ajjhāpannako paṭijānāti, saṅgho sāmī. Idha pana, bhikkhave, vassaṁvuṭṭho bhikkhu anuppanne cīvare ummattako paṭijānāti, khittacitto paṭijānāti, vedanāṭṭo paṭijānāti, āpattiyā adassane ukkhittako paṭijānāti, āpattiyā appaṭikamme ukkhittako paṭijānāti, pāpikāya diṭṭhiyā appaṭinissagge ukkhittako paṭijānāti, sante patirūpe gāhake dātabbaṁ. Idha pana, bhikkhave, vassaṁvuṭṭho bhikkhu anuppanne cīvare paṇḍako paṭijānāti, theyyasaṁvāsako paṭijānāti, titthiyapakkantako paṭijānāti, tiracchānagato paṭijānāti, mātughātako paṭijānāti, pitughātako paṭijānāti, arahantaghātako paṭijānāti, bhikkhunidūsako paṭijānāti, saṅghabhedako paṭijānāti, lohituppādako paṭijānāti, ubhatobyañjanako paṭijānāti, saṅgho sāmī. Idha pana, bhikkhave, vassaṁvuṭṭho bhikkhu uppanne cīvare abhājite pakkamati, sante patirūpe gāhake dātabbaṁ. Idha pana, bhikkhave, vassaṁvuṭṭho bhikkhu uppanne cīvare abhājite vibbhamati, kālaṁ karoti, sāmaṇero paṭijānāti, sikkhaṁ paccakkhātako paṭijānāti, antimavatthuṁ ajjhāpannako paṭijānāti, saṅgho sāmī. Idha pana, bhikkhave, vassaṁvuṭṭho bhikkhu uppanne cīvare abhājite ummattako paṭijānāti. Khittacitto paṭijānāti, vedanāṭṭo paṭijānāti, āpattiyā adassane ukkhittako paṭijānāti, āpattiyā appaṭikamme ukkhittako paṭijānāti, pāpikāya diṭṭhiyā appaṭinissagge ukkhittako paṭijānāti, sante patirūpe gāhake dātabbaṁ. Idha pana, bhikkhave, vassaṁvuṭṭho bhikkhu uppanne cīvare abhājite paṇḍako paṭijānāti, theyyasaṁvāsako paṭijānāti, titthiyapakkantako paṭijānāti, tiracchānagato paṭijānāti, mātughātako paṭijānāti, pitughātako paṭijānāti, arahantaghātako paṭijānāti, bhikkhunidūsako paṭijānāti, saṅghabhedako paṭijānāti, lohituppādako paṭijānāti, ubhatobyañjanako paṭijānāti, saṅgho sāmī.
# 律蔵 衣犍度 第百十段 さてそのとき、安居(うあんご)を終えた比丘たちが、衣(ころも)いまだ生じざるうちに、〔僧伽を〕去る者もあり、還俗する者もあり、命終わる者もあり、また〔自らを〕沙弥(しゃみ)と称する者もあり、学処(がくしょ)を返上した者と称する者もあり、極重罪(ごくじゅうざい)を犯した者と称する者もあり、心乱れた者と称する者もあり、心散乱した者と称する者もあり、苦痛に悩む者と称する者もあり、罪を認めぬとして挙罪された者と称する者もあり、罪を懺悔せぬとして挙罪された者と称する者もあり、邪見(じゃけん)を捨てぬとして挙罪された者と称する者もあり、黄門(おうもん)と称する者もあり、偸住者(ちゅうじゅうしゃ)と称する者もあり、外道(げどう)に転向した者と称する者もあり、畜生道に堕した者と称する者もあり、母を殺した者と称する者もあり、父を殺した者と称する者もあり、阿羅漢(あらかん)を殺した者と称する者もあり、比丘尼(びくに)を汚した者と称する者もあり、僧伽を破壊した者と称する者もあり、〔仏の〕身より血を出させた者と称する者もあり、両性具有者(りょうせいぐゆうしゃ)と称する者もあった。〔比丘たちは〕この事を世尊に申し上げた。 〔世尊は説かれた。〕「比丘たちよ、ここに安居を終えた比丘が、衣いまだ生じざるうちに去るならば、〔衣を受け取るに〕ふさわしき適切な受取人がいる場合には、〔その者に〕与えられるべし。 比丘たちよ、ここに安居を終えた比丘が、衣いまだ生じざるうちに、還俗する場合、命終わる場合、〔自らを〕沙弥と称する場合、学処を返上した者と称する場合、極重罪を犯した者と称する場合には、僧伽(さんが)が〔その衣の〕所有者となる。 比丘たちよ、ここに安居を終えた比丘が、衣いまだ
副テーマ: suffering,impermanence,death,karma
導線タグ: 喪失,資格剥奪,共同体からの排除,規律,所属の喪失,アイデンティティの崩壊,孤立
⚠ 希死念慮の場面では使わない,出家者向けの文脈
苦しみ vinaya 趣旨一致
Yā sativinayassa kammassa kiriyā karaṇaṁ upagamanaṁ ajjhupagamanaṁ adhivāsanā appaṭikkosanā— Evaṁ vūpasantañce, bhikkhave, adhikaraṇaṁ kārako ukkoṭeti, ukkoṭanakaṁ pācittiyaṁ; chandadāyako khīyati, khīyanakaṁ pācittiyaṁ. 9.6. Amūḷhavinaya Siyā anuvādādhikaraṇaṁ dve samathe anāgamma— sativinayañca, tassapāpiyasikañca; sammukhāvinayena ca, amūḷhavinayena cāti? Idha pana, bhikkhave, bhikkhu ummattako hoti cittavipariyāsakato. Tena ummattakena cittavipariyāsakatena bahuṁ assāmaṇakaṁ ajjhāciṇṇaṁ hoti bhāsitaparikkantaṁ. Taṁ bhikkhū ummattakena cittavipariyāsakatena ajjhāciṇṇena āpattiyā codenti—
「憶念毘奈耶(さてぃゔぃなや)の羯磨(かつまご)の行為・実行・受諾・承認・従順・不異議——このように静息された諍事(ちょうじ)を、比丘たちよ、もし作者がこれを翻(ひるがえ)さんとするならば、翻すことは波逸底迦(はいつてぃか)の罪となる。欲(よく)を与えた者がこれを取り消すならば、取り消すことは波逸底迦の罪となる。 9.6 不痴毘奈耶(ふちびなや) 比丘たちよ、謗罪諍事(ほうざいちょうじ)にして、二つの滅諍法——すなわち憶念毘奈耶と本言治(ほんごんち)とを——用いることなく、現前毘奈耶(げんぜんびなや)と不痴毘奈耶(ふちびなや)とによって静息されることはあり得るであろうか。 比丘たちよ、ここにある比丘が、狂乱し心転倒した者となることがある。その狂乱し心転倒した者によって、沙門に相応しからぬ多くの行為がなされ、多くの言葉が語られることがある。しかるに比丘たちが、その狂乱し心転倒した者がなした行為をもって、彼を罪によって訶責(かしゃく)することがある——」
副テーマ: suffering,wisdom,relationship
導線タグ: 精神的苦痛,規則違反,集団の合意,トラブル解決,責任,精神疾患,コミュニティの秩序
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
苦しみ vinaya 趣旨一致
‘saratāyasmā evarūpiṁ āpattiṁ āpajjitā’ti. ‘ahaṁ kho, āvuso, ummattako ahosiṁ cittavipariyāsakato. Tena me ummattakena cittavipariyāsakatena bahuṁ assāmaṇakaṁ ajjhāciṇṇaṁ bhāsitaparikkantaṁ. Nāhaṁ taṁ sarāmi. Mūḷhena me etaṁ katan’ti. Evampi naṁ vuccamānā codenteva— ‘saratāyasmā evarūpiṁ āpattiṁ āpajjitā’ti. Tassa kho, bhikkhave, bhikkhuno amūḷhassa amūḷhavinayo dātabbo. Evañca pana, bhikkhave, dātabbo— Tena, bhikkhave, bhikkhunā saṅghaṁ upasaṅkamitvā ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā …pe…
「尊者よ、あなたはかかる罪過(āpatti)を犯したことを覚えておられるか」と。「友よ、わたしはかつて狂乱し、心が顛倒しておりました。その狂乱し心の顛倒した状態において、沙門にあるまじき多くの行いをなし、多くの言葉を語り廻りました。わたしはそれを覚えておりません。それは迷乱の中においてなされたことであります」と。このように答えても、なお責め問うのである——「尊者よ、あなたはかかる罪過を犯したことを覚えておられるか」と。 比丘たちよ、その比丘が迷乱より癒えた者(amūḷha)であるならば、迷乱より癒えた者のための律(amūḷhavinaya)を与えるべきである。比丘たちよ、それはかくのごとく与えられるべきである——比丘たちよ、その比丘は僧伽(saṅgha)に近づき、上衣(uttarāsaṅga)を一肩にかけて……(以下略)……
副テーマ: suffering,compassion,wisdom,self
導線タグ: 精神疾患,心の病,過去の行動,責任能力,許し,回復,コミュニティの受容
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ vinaya 趣旨一致
‘ahaṁ, bhante, ummattako ahosiṁ cittavipariyāsakato. Tena me ummattakena cittavipariyāsakatena bahuṁ assāmaṇakaṁ ajjhāciṇṇaṁ bhāsitaparikkantaṁ. Maṁ bhikkhū ummattakena cittavipariyāsakatena ajjhāciṇṇena āpattiyā codenti— “saratāyasmā evarūpiṁ āpattiṁ āpajjitā”ti. “ahaṁ kho, āvuso, ummattako ahosiṁ cittavipariyāsakato. Tena me ummattakena cittavipariyāsakatena bahuṁ assāmaṇakaṁ ajjhāciṇṇaṁ bhāsitaparikkantaṁ. Nāhaṁ taṁ sarāmi. Mūḷhena me etaṁ katan”ti. Evampi maṁ vuccamānā codenteva— “saratāyasmā evarūpiṁ āpattiṁ āpajjitā”ti.
「大徳よ、私はかつて狂乱(ummattaka)の状態にあり、心が顛倒(cittavipariyāsa)しておりました。その狂乱し心の顛倒した状態において、沙門にふさわしからぬ多くの言動(assāmaṇaka)を犯し、口にしてまいりました。比丘たちは、私がその狂乱し心の顛倒した状態において犯した行為をもって、罪過(āpatti)を問いただし、『尊者よ、かかる罪過を犯したことを覚えておられるか』と申します。『友よ、私はかつて狂乱し心が顛倒しておりました。その狂乱し心の顛倒した状態において、沙門にふさわしからぬ多くの言動を犯し、口にいたしました。私にはその記憶がございません。それは迷乱(mūḷha)の中においてなされたことでございます』と申しましても、そのように申し上げてもなお、『尊者よ、かかる罪過を犯したことを覚えておられるか』と、問い責めることをやめないのでございます。」
副テーマ: suffering,anxiety,self,relationship
導線タグ: 精神疾患,心の病,記憶がない,責められる,理解されない,冤罪,苦しみ
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ vinaya 趣旨一致
“Sohaṁ, bhante, amūḷho saṅghaṁ amūḷhavinayaṁ yācāmī”’ti. Dutiyampi yācitabbo. Tatiyampi yācitabbo. Byattena bhikkhunā paṭibalena saṅgho ñāpetabbo— ‘Suṇātu me, bhante, saṅgho. Ayaṁ itthannāmo bhikkhu ummattako ahosi cittavipariyāsakato. Tena ummattakena cittavipariyāsakatena bahuṁ assāmaṇakaṁ ajjhāciṇṇaṁ bhāsitaparikkantaṁ. Taṁ bhikkhū ummattakena cittavipariyāsakatena ajjhāciṇṇena āpattiyā codenti— “saratāyasmā evarūpiṁ āpattiṁ āpajjitā”ti. “ahaṁ kho, āvuso, ummattako ahosiṁ cittavipariyāsakato.
「大徳よ、私はかつて正気を失っておりました。心が顚倒(てんどう)しておりました。その正気を失い心の顚倒せる状態にあったとき、私は沙門にあるまじき多くの過失を犯し、また語り、また行いました。それゆえ比丘たちは、正気を失い心の顚倒せる状態において犯されたその過失をもって、私を責めます——『尊者よ、かかる罪過(āpatti)を犯されたことを覚えておられますか』と。しかして私は、大徳よ、正気を失い心の顚倏せる者でありました。 かくして私は、大徳よ、正気を取り戻した者として、僧伽(saṅgha)に対し、正気にして犯された過失についての律の処罰の免除(amūḷhavinaya)を願い求めます」と。 このように二度目も願い求めるべきである。三度目もまた願い求めるべきである。 ついで能弁にして有能なる比丘が、僧伽に対して宣告(ñatti)すべきである—— 「大徳よ、僧伽よ、聴いてください。この某なる比丘はかつて正気を失い、心が顚倒しておりました。その正気を失い心の顚倒せる状態において、沙門にあるまじき多くの過失が犯され、語られ、行われました。比丘たちはその正気を失い心の顚倒せる状態において犯された過失をもって、彼を責めます——『尊者よ、かかる罪過を犯されたことを覚えておられますか』と。これに対し彼は、『友よ、私はかつて正気を失い、心が顚倒しておりました。
副テーマ: suffering,compassion,wisdom,relationship
導線タグ: 精神疾患,心の病,過去の行動,許し,回復,共同体のサポート,自己責任
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ vinaya 趣旨一致
Tena me ummattakena cittavipariyāsakatena bahuṁ assāmaṇakaṁ ajjhāciṇṇaṁ bhāsitaparikkantaṁ. Nāhaṁ taṁ sarāmi. Mūḷhena me etaṁ katan”ti. Evampi naṁ vuccamānā codenteva— “saratāyasmā evarūpiṁ āpattiṁ āpajjitā”ti. So amūḷho saṅghaṁ amūḷhavinayaṁ yācati. Yadi saṅghassa pattakallaṁ, saṅgho itthannāmassa bhikkhuno amūḷhassa amūḷhavinayaṁ dadeyya. Esā ñatti. Suṇātu me, bhante, saṅgho. Ayaṁ itthannāmo bhikkhu ummattako ahosi cittavipariyāsakato.
「かの狂乱(ummattaka)の状態にあり、心の顛倒(cittavipariyāsa)を来たしていたとき、わたくしは沙門にふさわしからぬ多くの言行を重ね、語り歩いた。わたくしはそれを記憶していない。迷乱(mūḷha)の状態においてなされたことである」と。 このように申し述べても、なお告発する者たちは責め立てる——「尊者よ、かかる罪過(āpatti)を犯したことを憶えておられよ」と。 かの比丘は、今や迷乱を脱し、僧伽(saṅgha)に対して不狂乱による律の処置(amūḷhavinaya)を請う。 もし僧伽の機が熟しているならば、僧伽は某なる比丘に対し、迷乱を脱した者として、不狂乱による律の処置を与えるべきである。これが動議(ñatti)である。 尊き方々よ、僧伽よ、わたくしの申すことを聴かれよ。この某なる比丘は、かつて狂乱の状態にあり、心の顛倒を来たしていた。
副テーマ: suffering,self,compassion,wisdom
導線タグ: 精神疾患,心の病,過去の行い,後悔,許し,回復,自己嫌悪
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ vinaya 趣旨一致
Dadeyya ujubhūtesu, Vippasannena cetasā; Te tassa dhammaṁ desenti, Sabbadukkhāpanūdanaṁ; Yaṁ so dhammaṁ idhaññāya, Parinibbāti anāsavo”ti. Atha kho bhagavā anāthapiṇḍikaṁ gahapatiṁ imāhi gāthāhi anumoditvā uṭṭhāyāsanā pakkāmi. 2.8. Āsanappaṭibāhanādi Tena kho pana samayena aññatarassa ājīvakasāvakassa mahāmattassa saṅghabhattaṁ hoti. Āyasmā upanando sakyaputto pacchā āgantvā vippakatabhojanaṁ ānantarikaṁ bhikkhuṁ vuṭṭhāpesi.
正直な者たちに施せよ、 清らかなる心をもって。 彼らはその者のために法を説く、 一切の苦(dukkha)を除き去る法を。 その法をここに知りて、 漏(āsava)尽きた者は般涅槃(parinibbāna)に入る、と。 かくして世尊は、これらの偈をもって長者アナータピンディカ(Anāthapiṇḍika)に随喜を示し、座より立ちて去られた。 二・八 座を妨げること等 さてその頃、あるアージーヴァカ(ājīvaka)の信者である大臣が、僧伽に食事を施す機会を得た。尊者ウパナンダ・サキャプッタ(Upananda Sakyaputta)は遅れて到着し、食事の途中にある比丘を、すぐ次の席の者を追い立てた。
副テーマ: liberation
導線タグ: 休息,睡眠,食事
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ vinaya 趣旨一致
Tena ummattakena cittavipariyāsakatena bahuṁ assāmaṇakaṁ ajjhāciṇṇaṁ bhāsitaparikkantaṁ. Taṁ bhikkhū ummattakena cittavipariyāsakatena ajjhāciṇṇena āpattiyā codenti— “saratāyasmā evarūpiṁ āpattiṁ āpajjitā”ti. “ahaṁ kho, āvuso, ummattako ahosiṁ cittavipariyāsakato. Tena me ummattakena cittavipariyāsakatena bahuṁ assāmaṇakaṁ ajjhāciṇṇaṁ bhāsitaparikkantaṁ. Nāhaṁ taṁ sarāmi. Mūḷhena me etaṁ katan”ti. Evampi naṁ vuccamānā codenteva— “saratāyasmā evarūpiṁ āpattiṁ āpajjitā”ti. So amūḷho saṅghaṁ amūḷhavinayaṁ yācati.
その比丘は、心の錯乱(cittavipariyāsa)によって狂乱(ummattaka)していた間に、沙門にふさわしからぬ多くのことを行い、語り、犯していた。比丘たちは彼が狂乱し心の錯乱していた間に犯した罪過をもって彼を責める——「尊者よ、かくのごとき罪過(āpatti)を犯したことを憶えているか」と。彼は答える——「友よ、わたしはかつて狂乱し、心の錯乱していた者でした。その狂乱し心の錯乱していた間に、沙門にふさわしからぬ多くのことを行い、語り、犯しました。わたしはそれを憶えていません。迷乱の中においてそれはなされたのです」と。しかるに、かく言われてもなお責め続ける——「尊者よ、かくのごとき罪過を犯したことを憶えているか」と。彼は、今や迷乱を脱して(amūḷha)、僧伽(saṅgha)に対し迷乱者のための律(amūḷhavinaya)を申し請うのである。
副テーマ: suffering,anxiety,self,relationship
導線タグ: 精神疾患,心の病,過去の行い,責任,記憶,許し,やり直し
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ vinaya 趣旨一致
dānakathaṁ sīlakathaṁ saggakathaṁ, kāmānaṁ ādīnavaṁ okāraṁ saṅkilesaṁ, nekkhamme ānisaṁsaṁ pakāsesi. Yadā bhagavā aññāsi belaṭṭhaṁ kaccānaṁ kallacittaṁ, muducittaṁ, vinīvaraṇacittaṁ, udaggacittaṁ, pasannacittaṁ, atha yā buddhānaṁ sāmukkaṁsikā dhammadesanā, taṁ pakāsesi …pe… evameva belaṭṭhassa kaccānassa tasmiṁyeva āsane virajaṁ vītamalaṁ dhammacakkhuṁ udapādi— “yaṁ kiñci samudayadhammaṁ, sabbaṁ taṁ nirodhadhamman”ti. Atha kho belaṭṭho kaccāno diṭṭhadhammo pattadhammo viditadhammo pariyogāḷhadhammo tiṇṇavicikiccho vigatakathaṅkatho vesārajjappatto aparappaccayo satthusāsane bhagavantaṁ etadavoca— “abhikkantaṁ, bhante, abhikkantaṁ, bhante. Seyyathāpi, bhante, nikkujjitaṁ vā ukkujjeyya …pe… evamevaṁ kho bhagavatā anekapariyāyena dhammo pakāsito. Esāhaṁ, bhante, bhagavantaṁ saraṇaṁ gacchāmi, dhammañca, bhikkhusaṅghañca. Upāsakaṁ maṁ bhagavā dhāretu ajjatagge pāṇupetaṁ saraṇagatan”ti.
〔世尊は〕布施の話(ダーナカター)、持戒の話(シーラカター)、天界の話(サッガカター)を説き、また欲楽(カーマ)の過患・卑劣・汚染と、出離(ネッカンマ)の功徳とを明かされた。世尊は、ベラッタ・カッチャーナの心が堪えうる状態となり、柔軟となり、蓋(けが)れを離れ、高揚し、清信(しんじん)に満ちたことを知られたとき、諸仏の特説にして要法たる教法(ダンマデーサナー)を説き明かされた。……かくしてベラッタ・カッチャーナには、まさにその座において、塵を離れ垢を滅した法眼(ダンマチャックン)が生じた——「およそ生起する性質のものは、すべて滅する性質のものである」と。 かくてベラッタ・カッチャーナは、法を見た者、法を得た者、法を知った者、法に深く入った者となり、疑惑を渡り、疑念を去り、確信(ヴェーサーラッジャ)を得、師の教えにおいて他に依らぬ者として、世尊にこう申し上げた。 「尊とし、尊し(アビッカンタン)、尊者よ。尊者よ、たとえば伏せられたものを起こし、……かくのごとく、世尊によって、幾多の方便をもって法は説き明かされました。わたくしはここに、世尊を帰依処(サラナ)とし、法と比丘僧伽(ビックサンガ)とを帰依処と致します。どうか世尊は、わたくしを今日よりいのちある限り帰依した在家信者(ウパーサカ)としてお受け取りください」と。
副テーマ: acceptance
導線タグ: 介護,自信,決断,別れ,依存,喪失
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ vinaya 趣旨一致
Itiha tena khaṇena, tena layena, tena muhuttena yāva brahmalokā saddo abbhuggacchi. Ayañca dasasahassilokadhātu saṅkampi sampakampi sampavedhi; appamāṇo ca uḷāro obhāso loke pāturahosi, atikkamma devānaṁ devānubhāvaṁ. Atha kho bhagavā imaṁ udānaṁ udānesi— “aññāsi vata bho koṇḍañño, aññāsi vata bho koṇḍañño”ti. Iti hidaṁ āyasmato koṇḍaññassa “aññāsikoṇḍañño” tveva nāmaṁ ahosi. Atha kho āyasmā aññāsikoṇḍañño diṭṭhadhammo pattadhammo viditadhammo pariyogāḷhadhammo tiṇṇavicikiccho vigatakathaṅkatho vesārajjappatto aparappaccayo satthusāsane bhagavantaṁ etadavoca— “labheyyāhaṁ, bhante, bhagavato santike pabbajjaṁ, labheyyaṁ upasampadan”ti. “Ehi bhikkhū”ti bhagavā avoca— “svākkhāto dhammo, cara brahmacariyaṁ sammā dukkhassa antakiriyāyā”ti.
その刹那(せつな)に、その瞬間に、その須臾(しゅゆ)のうちに、声は梵天界(ぼんてんかい)にまで響き渡った。この十千世界(じっせんせかい)は震動し、揺れ動き、激しく振動した。そして、計り知れない、偉大なる光明(こうみょう)が世界に現れ、諸天(しょてん)の神々の威力をも超え出た。 そのとき、世尊(せそん)はこの感興の言葉(うだーな)を発せられた―― 「コンダンニャよ、まことに彼は了知した。コンダンニャよ、まことに彼は了知した」と。 かくして、尊者コンダンニャは「アンニャーシ・コンダンニャ(了知せるコンダンニャ)」という名を得るに至った。 そのとき、尊者アンニャーシ・コンダンニャは、法(ダンマ)を見、法を得、法を知り、法の深みに達し、疑惑(ぎわく)を渡り越え、迷いを離れ、無畏(むい)を得て、師の教えにおいて他に依ることなく、世尊にこのように申し上げた―― 「尊師(そんし)よ、願わくは、わたくしは世尊のもとにおいて出家(しゅっけ)を得、具足戒(ぐそくかい)を受けさせていただきたく存じます」と。 世尊は仰せられた―― 「来たれ、比丘(びく)よ。法はよく説かれた。苦(く)を完全に終滅させるために、清らかな行(ぼんぎょう)を正しく歩め」と。
副テーマ: suffering,wisdom
導線タグ: 悟り,真理の理解,修行の目的,苦しみからの解放,精神的な自立,教えへの帰依,出家
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
苦しみ vinaya 趣旨一致
Sāva tassa āyasmato upasampadā ahosi. Atha kho bhagavā tadavasese bhikkhū dhammiyā kathāya ovadi anusāsi. Atha kho āyasmato ca vappassa āyasmato ca bhaddiyassa bhagavatā dhammiyā kathāya ovadiyamānānaṁ anusāsiyamānānaṁ virajaṁ vītamalaṁ dhammacakkhuṁ udapādi— “yaṁ kiñci samudayadhammaṁ sabbaṁ taṁ nirodhadhamman”ti. Te diṭṭhadhammā pattadhammā viditadhammā pariyogāḷhadhammā tiṇṇavicikicchā vigatakathaṅkathā vesārajjappattā aparappaccayā satthusāsane bhagavantaṁ etadavocuṁ— “labheyyāma mayaṁ, bhante, bhagavato santike pabbajjaṁ, labheyyāma upasampadan”ti. “Etha bhikkhavo”ti bhagavā avoca— “svākkhāto dhammo, caratha brahmacariyaṁ sammā dukkhassa antakiriyāyā”ti. Sāva tesaṁ āyasmantānaṁ upasampadā ahosi. Atha kho bhagavā tadavasese bhikkhū nīhārabhatto dhammiyā kathāya ovadi anusāsi.
それが、その尊者(āyasmā)の具足戒(upasampadā)となった。 そこで世尊(Bhagavā)は、残りの比丘(bhikkhu)たちを法(dhamma)にかなう話(dhammī kathā)をもって教え諭された。 そして、尊者ヴァッパ(Vappa)と尊者バッディヤ(Bhaddiya)は、世尊によって法にかなう話をもって教え諭されつつあるうちに、塵を離れ垢を離れた法眼(dhammacakkhu)が生じた——「およそ生起する性質(samudayadhamma)のあるものは、すべて滅する性質(nirodhadhamma)のものである」と。 彼らは、法を見た者となり、法を得た者となり、法を知った者となり、法に深く入った者となり、疑惑(vicikicchā)を渡り越え、疑念を去り、確信(vesārajja)に達し、師の教えにおいて他に依ることなく、世尊にこのように申し上げた——「尊者よ、願わくば我々は世尊のもとにおいて出家(pabbajjā)を得たく、また具足戒を得たく存じます」と。 世尊は仰せられた——「来たれ、比丘たちよ。法は善く説かれた(svākkhāta)。苦(dukkha)の完全な終滅(antakiriyā)のために、正しく梵行(brahmacariya)を歩め」と。 それが、その尊者たちの具足戒となった。 そこで世尊は、残りの比丘たちを、托鉢して戻られた後、法にかなう話をもって教え諭された。
副テーマ: suffering,impermanence,wisdom
導線タグ: 苦しみからの解放,真理の探求,修行,悟り,無常,疑いの克服,精神的自立
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苦しみ vinaya 趣旨一致
Yaṁ tayo bhikkhū piṇḍāya caritvā āharanti, tena chabbaggo yāpeti. Atha kho āyasmato ca mahānāmassa āyasmato ca assajissa bhagavatā dhammiyā kathāya ovadiyamānānaṁ anusāsiyamānānaṁ virajaṁ vītamalaṁ dhammacakkhuṁ udapādi— “yaṁ kiñci samudayadhammaṁ sabbaṁ taṁ nirodhadhamman”ti. Te diṭṭhadhammā pattadhammā viditadhammā pariyogāḷhadhammā tiṇṇavicikicchā vigatakathaṅkathā vesārajjappattā aparappaccayā satthusāsane bhagavantaṁ etadavocuṁ— “labheyyāma mayaṁ, bhante, bhagavato santike pabbajjaṁ, labheyyāma upasampadan”ti. “Etha bhikkhavo”ti bhagavā avoca— “svākkhāto dhammo, caratha brahmacariyaṁ sammā dukkhassa antakiriyāyā”ti. Sāva tesaṁ āyasmantānaṁ upasampadā ahosi. Atha kho bhagavā pañcavaggiye bhikkhū āmantesi— “Rūpaṁ, bhikkhave, anattā.
三人の比丘が托鉢して得た食によって、六群比丘たちは命をつないでいた。 さて、尊者マハーナーマと尊者アッサジとが、世尊より法の教示をもって訓誡され教導されたとき、塵を離れ垢を離れた法眼(ダンマチャック)が生じた。――「およそ生起する性質をもつものは、すべて滅する性質をもつものである」と。 かれらは法を見、法を得、法を知り、法に深く入り、疑惑を渡り越え、迷いを離れ、無畏を得て、師の教えにおいて他に依ることなく、世尊にこう申し上げた。 「尊師よ、願わくば、わたくしどもは世尊のみもとにて出家の身を得、具足戒を得られますよう」と。 世尊はおっしゃった。 「来たれ、比丘たちよ」と。「法はよく説かれた。苦(ドゥッカ)の究竟の滅尽のために、清浄行(ブラフマチャリヤ)を正しく歩め」と。 これがかれら尊者たちの具足戒であった。 そのとき世尊は五群の比丘たちに告げられた。 「比丘たちよ、色(ルーパ)は無我(アナッター)である。
副テーマ: suffering,impermanence,wisdom
導線タグ: 苦しみからの解放,真理の探求,修行,悟り,無常,精神的成長,執着を手放す
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ vinaya 趣旨一致
Rūpañca hidaṁ, bhikkhave, attā abhavissa, nayidaṁ rūpaṁ ābādhāya saṁvatteyya, labbhetha ca rūpe— ‘evaṁ me rūpaṁ hotu, evaṁ me rūpaṁ mā ahosī’ti. Yasmā ca kho, bhikkhave, rūpaṁ anattā, tasmā rūpaṁ ābādhāya saṁvattati, na ca labbhati rūpe— ‘evaṁ me rūpaṁ hotu, evaṁ me rūpaṁ mā ahosī’ti. Vedanā anattā. Vedanā ca hidaṁ, bhikkhave, attā abhavissa, nayidaṁ vedanā ābādhāya saṁvatteyya, labbhetha ca vedanāya— ‘evaṁ me vedanā hotu, evaṁ me vedanā mā ahosī’ti. Yasmā ca kho, bhikkhave, vedanā anattā, tasmā vedanā ābādhāya saṁvattati, na ca labbhati vedanāya— ‘evaṁ me vedanā hotu, evaṁ me vedanā mā ahosī’ti. Saññā anattā.
「比丘たちよ、もし色(ルーパ)が我(アッター)であるならば、この色は苦悩をもたらすことはないであろう。そして色について、『わが色はかくあれ、わが色はかくあるなかれ』と望むことも叶うであろう。しかるに、比丘たちよ、色は無我(アナッター)であるがゆえに、色は苦悩をもたらし、また色について、『わが色はかくあれ、わが色はかくあるなかれ』と望むことも叶わないのである。 受(ヴェーダナー)は無我である。比丘たちよ、もしこの受が我であるならば、この受は苦悩をもたらすことはないであろう。そして受について、『わが受はかくあれ、わが受はかくあるなかれ』と望むことも叶うであろう。しかるに、比丘たちよ、受は無我であるがゆえに、受は苦悩をもたらし、また受について、『わが受はかくあれ、わが受はかくあるなかれ』と望むことも叶わないのである。 想(サンニャー)は無我である。」
副テーマ: suffering,self,emptiness,wisdom
導線タグ: 自己とは何か,無我,苦しみの原因,執着,アイデンティティ,自分らしさ,自己喪失
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経典データの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)

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