律蔵 滅諍犍度 段落112
“Sohaṁ, bhante, amūḷho saṅghaṁ amūḷhavinayaṁ yācāmī”’ti. Dutiyampi yācitabbo. Tatiyampi yācitabbo. Byattena bhikkhunā paṭibalena saṅgho ñāpetabbo— ‘Suṇātu me, bhante, saṅgho. Ayaṁ itthannāmo bhikkhu ummattako ahosi cittavipariyāsakato. Tena ummattakena cittavipariyāsakatena bahuṁ assāmaṇakaṁ ajjhāciṇṇaṁ bhāsitaparikkantaṁ. Taṁ bhikkhū ummattakena cittavipariyāsakatena ajjhāciṇṇena āpattiyā codenti— “saratāyasmā evarūpiṁ āpattiṁ āpajjitā”ti. “ahaṁ kho, āvuso, ummattako ahosiṁ cittavipariyāsakato.
「大徳よ、私はかつて正気を失っておりました。心が顚倒(てんどう)しておりました。その正気を失い心の顚倒せる状態にあったとき、私は沙門にあるまじき多くの過失を犯し、また語り、また行いました。それゆえ比丘たちは、正気を失い心の顚倒せる状態において犯されたその過失をもって、私を責めます——『尊者よ、かかる罪過(āpatti)を犯されたことを覚えておられますか』と。しかして私は、大徳よ、正気を失い心の顚倏せる者でありました。
かくして私は、大徳よ、正気を取り戻した者として、僧伽(saṅgha)に対し、正気にして犯された過失についての律の処罰の免除(amūḷhavinaya)を願い求めます」と。
このように二度目も願い求めるべきである。三度目もまた願い求めるべきである。
ついで能弁にして有能なる比丘が、僧伽に対して宣告(ñatti)すべきである——
「大徳よ、僧伽よ、聴いてください。この某なる比丘はかつて正気を失い、心が顚倒しておりました。その正気を失い心の顚倒せる状態において、沙門にあるまじき多くの過失が犯され、語られ、行われました。比丘たちはその正気を失い心の顚倒せる状態において犯された過失をもって、彼を責めます——『尊者よ、かかる罪過を犯されたことを覚えておられますか』と。これに対し彼は、『友よ、私はかつて正気を失い、心が顚倒しておりました。
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。