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💬 AIブッダに相談
10,029
偈句数
9,999
日本語訳あり
9,982
パーリ原文
経典 19
テーマ 20
該当 10,029
すべて
智慧 4354
老い 931
苦しみ 772
正念 695
怒り 356
執着 350
死 350
業・因果 346
幸せ 337
自己 244
人間関係 243
家族 234
不安 168
仕事 165
渇愛 147
慈悲 115
無常 111
孤独 45
空 43
感謝 23
vinaya 2606
中部経典 2117
長部経典 1357
相応部経典 1136
増支部経典 857
jataka 563
スッタニパータ 522
ダンマパダ(法句経) 426
テーラガーター 211
テーリーガーター 68
クッダカパータ 57
イティヴッタカ 54
ウダーナ 34
金剛経 5
維摩経 5
般若心経 4
法華経 4
涅槃経 2
AN 1
不安
vinaya
趣旨一致
中
Atha kho bhagavā etasmiṁ nidāne etasmiṁ pakaraṇe dhammiṁ kathaṁ katvā bhikkhū āmantesi— “na, bhikkhave, rājabhaṭo pabbājetabbo. Yo pabbājeyya, āpatti dukkaṭassā”ti. 28. Aṅgulimālacoravatthu Tena kho pana samayena coro aṅgulimālo bhikkhūsu pabbajito hoti. Manussā passitvā ubbijjantipi, uttasantipi, palāyantipi, aññenapi gacchanti, aññenapi mukhaṁ karonti, dvārampi thakenti. Manussā ujjhāyanti khiyyanti vipācenti— “kathañhi nāma samaṇā sakyaputtiyā dhajabandhaṁ coraṁ pabbājessantī”ti. Assosuṁ kho bhikkhū tesaṁ manussānaṁ ujjhāyantānaṁ khiyyantānaṁ vipācentānaṁ. Atha kho te bhikkhū bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ …pe…
そのとき世尊は、この縁起(ニダーナ)により、この事件(パカラナ)に関して法(ダンマ)の教えを説かれ、比丘たちに告げられた。
「比丘たちよ、王の臣下は出家させてはならない。もし出家させた者は、突吉羅(ドゥッカタ)の罪を犯すことになる。」
第二十八節 アングリマーラという盗賊の因縁
さてそのころ、アングリマーラという盗賊が、比丘たちのもとで出家していた。人々はその姿を見て、おびえ、戦慄き、逃げ去り、あるいは別の道を行き、あるいは顔をそむけ、あるいは戸を閉ざした。人々は憤り、そしり、口々に言い広めた。
「いったいどうして、釈迦の子らたる沙門(サマナ)たちは、旗印の賊(かの名高き盗賊)を出家させるのか。」
比丘たちは、人々がこのように憤り、そしり、言い広めているのを聞いた。そこでそれらの比丘たちは、この事柄を世尊に申し上げた。……(以下略)……
⚠ 出家者向けの文脈
不安
vinaya
趣旨一致
中
Atha kho bhagavā rājagahe yathābhirantaṁ viharitvā yena vesālī tena cārikaṁ pakkāmi. Addasa bhagavā antarā ca rājagahaṁ antarā ca vesāliṁ addhānamaggappaṭipanno sambahule bhikkhū cīvarehi ubbhaṇḍite sīsepi cīvarabhisiṁ karitvā khandhepi cīvarabhisiṁ karitvā kaṭiyāpi cīvarabhisiṁ karitvā āgacchante, disvāna bhagavato etadahosi— “atilahuṁ kho ime moghapurisā cīvare bāhullāya āvattā. Yannūnāhaṁ bhikkhūnaṁ cīvare sīmaṁ bandheyyaṁ, mariyādaṁ ṭhapeyyan”ti. Atha kho bhagavā anupubbena cārikaṁ caramāno yena vesālī tadavasari. Tatra sudaṁ bhagavā vesāliyaṁ viharati gotamake cetiye. Tena kho pana samayena bhagavā sītāsu hemantikāsu rattīsu antaraṭṭhakāsu himapātasamaye rattiṁ ajjhokāse ekacīvaro nisīdi. Na bhagavantaṁ sītaṁ ahosi. Nikkhante paṭhame yāme sītaṁ bhagavantaṁ ahosi. Dutiyaṁ bhagavā cīvaraṁ pārupi. Na bhagavantaṁ sītaṁ ahosi. Nikkhante majjhime yāme sītaṁ bhagavantaṁ ahosi. Tatiyaṁ bhagavā cīvaraṁ pārupi. Na bhagavantaṁ sītaṁ ahosi. Nikkhante pacchime yāme uddhaste aruṇe nandimukhiyā rattiyā sītaṁ bhagavantaṁ ahosi. Catutthaṁ bhagavā cīvaraṁ pārupi. Na bhagavantaṁ sītaṁ ahosi. Atha kho bhagavato etadahosi—“yepi kho te kulaputtā imasmiṁ dhammavinaye sītālukā sītabhīrukā tepi sakkonti ticīvarena yāpetuṁ.
さて、世尊はラージャガハ(王舎城)に御心のままに滞在されたのち、ヴェーサーリー(毘舎離)へと遊行の途につかれた。世尊は、ラージャガハとヴェーサーリーとの間の旅路を行かれるうちに、多くの比丘たちが衣(チーヴァラ)を頭に積み上げて荷枕とし、肩にも衣の荷枕を作り、腰にも衣の荷枕を作って、重々しく荷を担いながらやって来るのをご覧になった。これをご覧になって、世尊の御心にこのような思いが起こった。
「これらの愚かな者どもは、あまりにも早く衣の豊かさへと傾いてしまっている。比丘たちの衣について、わたしは限度を定め、規定を設けるべきであろう」と。
そこで世尊は、次第に遊行を続けられながら、ヴェーサーリーにたどり着かれた。世尊はそこにて、ヴェーサーリーのゴータマカ(瞿曇)の霊廟に住まわれた。
ちょうどその頃、厳しい冬の夜、八日間の霜の降る季節、雪の降る時節のこと、世尊は夜のあいだ、露天にただ一枚の衣(エーカチーヴァラ)をまとって座しておられた。寒さは世尊を侵さなかった。初夜(パタマ・ヤーマ)が明け去ると、寒さが世尊を侵すようになった。世尊は二枚目の衣をまとわれた。寒さは世尊を侵さなかった。中夜(マッジマ・ヤーマ)が明け去ると、寒さが世尊を侵すようになった。世尊は三枚目の衣をまとわれた。寒さは世尊を侵さなかった。後夜(パッチマ・ヤーマ)が明け去り、夜明けに暁光が昇り、夜が喜びの面を現す時、寒さが世尊を侵すようになった。世尊は四枚目の衣をまとわれた。寒さは世尊を侵さなかった。
そこで世尊の御心にこのような思いが起こった。
「この法と律(ダンマヴィナヤ)において、寒さに敏感で寒さを恐れる善家の子らも、三衣(ティチーヴァラ)をもって過ごすことができる
⚠ 初手で出すと冷たく見える,出家者向けの文脈
不安
vinaya
趣旨一致
中
‘gilānabhattaṁ vā pariyesissāmi, gilānupaṭṭhākabhattaṁ vā pariyesissāmi, gilānabhesajjaṁ vā pariyesissāmi, pucchissāmi vā, upaṭṭhahissāmi vā’ti. Sattāhaṁ sannivatto kātabbo. Idha pana, bhikkhave, bhikkhussa anabhirati uppannā hoti. So ce bhikkhūnaṁ santike dūtaṁ pahiṇeyya— ‘anabhirati me uppannā, āgacchantu bhikkhū, icchāmi bhikkhūnaṁ āgatan’ti, gantabbaṁ, bhikkhave, sattāhakaraṇīyena, appahitepi, pageva pahite— ‘anabhirataṁ vūpakāsessāmi vā, vūpakāsāpessāmi vā, dhammakathaṁ vāssa karissāmī’ti. Sattāhaṁ sannivatto kātabbo. Idha pana, bhikkhave, bhikkhussa kukkuccaṁ uppannaṁ hoti. So ce bhikkhūnaṁ santike dūtaṁ pahiṇeyya— ‘kukkuccaṁ me uppannaṁ, āgacchantu bhikkhū, icchāmi bhikkhūnaṁ āgatan’ti, gantabbaṁ, bhikkhave, sattāhakaraṇīyena, appahitepi, pageva pahite—
「病人のための食事を求めてやろう、あるいは病人の看護者のための食事を求めてやろう、あるいは病人のための薬を求めてやろう、あるいは問いただしてやろう、あるいは看護してやろう」と。七日以内に帰還すべきである。
さてまた、比丘たちよ、ある比丘に不満足(アナビラティ)が生じたとする。もしその者が比丘たちのもとへ使者を遣わして、「わたしに不満足が生じました。比丘たちよ、来てください、比丘たちの来られることを望みます」と伝えるならば、比丘たちよ、七日用事として赴くべきである——使者を遣わされずとも赴くべきであるが、まして使者を遣わされた場合はなおさらのこと——「その不満足を鎮めてやろう、あるいは鎮めさせよう、あるいはその者のために法話(ダンマカター)をしてやろう」と思って。七日以内に帰還すべきである。
さてまた、比丘たちよ、ある比丘に悔恨(クックッチャ)が生じたとする。もしその者が比丘たちのもとへ使者を遣わして、「わたしに悔恨が生じました。比丘たちよ、来てください、比丘たちの来られることを望みます」と伝えるならば、比丘たちよ、七日用事として赴くべきである——使者を遣わされずとも赴くべきであるが、まして使者を遣わされた場合はなおさらのこと——
⚠ 出家者向けの文脈
不安
vinaya
趣旨一致
中
‘ahañhi gilānā, āgacchantu ayyā, icchāmi ayyānaṁ āgatan’ti, gantabbaṁ, bhikkhave, sattāhakaraṇīyena, appahitepi, pageva pahite— ‘gilānabhattaṁ vā pariyesissāmi, gilānupaṭṭhākabhattaṁ vā pariyesissāmi, gilānabhesajjaṁ vā pariyesissāmi, pucchissāmi vā, upaṭṭhahissāmi vā’ti. Sattāhaṁ sannivatto kātabbo. Idha pana, bhikkhave, bhikkhuniyā anabhirati uppannā hoti. Sā ce bhikkhūnaṁ santike dūtaṁ pahiṇeyya— ‘anabhirati me uppannā, āgacchantu ayyā, icchāmi ayyānaṁ āgatan’ti, gantabbaṁ, bhikkhave, sattāhakaraṇīyena, appahitepi, pageva pahite— ‘anabhirataṁ vūpakāsessāmi vā, vūpakāsāpessāmi vā, dhammakathaṁ vāssā karissāmī’ti. Sattāhaṁ sannivatto kātabbo. Idha pana, bhikkhave, bhikkhuniyā kukkuccaṁ uppannaṁ hoti. Sā ce bhikkhūnaṁ santike dūtaṁ pahiṇeyya—
「わたくしは病んでおります。尊者たちよ、どうかお越しください。尊者たちのお越しを願っております」と〔使者を遣わしてきたならば〕、比丘たちよ、七日以内に処理すべき用件として赴かなければならない。使いを遣わされていない場合もさることながら、遣わされた場合はなおさらのことである——「病者のための食を求めよう、あるいは病者の看護者のための食を求めよう、あるいは病者のための薬を求めよう、あるいは〔容態を〕問い尋ねよう、あるいは〔そばに〕侍ろう」と〔思うならば〕。七日以内に戻るべきである。
さてまた、比丘たちよ、ある比丘尼に厭離(アナビラティ)の心が起こったとする。その者が比丘たちのもとへ使者を遣わして——「わたくしに厭離の心が起こりました。尊者たちよ、どうかお越しください。尊者たちのお越しを願っております」と〔申してきたならば〕、比丘たちよ、七日以内に処理すべき用件として赴かなければならない。使いを遣わされていない場合もさることながら、遣わされた場合はなおさらのことである——「厭離の心を鎮めてあげよう、あるいは〔他の者に〕鎮めさせよう、あるいはその者のために法話(ダンマカター)をしてあげよう」と〔思うならば〕。七日以内に戻るべきである。
さてまた、比丘たちよ、ある比丘尼に悔恚(クックッチャ)が起こったとする。その者が比丘たちのもとへ使者を遣わして——
⚠ 出家者向けの文脈
不安
vinaya
趣旨一致
中
‘kukkuccaṁ me uppannaṁ, āgacchantu ayyā, icchāmi ayyānaṁ āgatan’ti, gantabbaṁ, bhikkhave, sattāhakaraṇīyena, appahitepi, pageva pahite— ‘kukkuccaṁ vinodessāmi vā, vinodāpessāmi vā, dhammakathaṁ vāssā karissāmī’ti. Sattāhaṁ sannivatto kātabbo. Idha pana, bhikkhave, bhikkhuniyā diṭṭhigataṁ uppannaṁ hoti. Sā ce bhikkhūnaṁ santike dūtaṁ pahiṇeyya— ‘diṭṭhigataṁ me uppannaṁ, āgacchantu ayyā, icchāmi ayyānaṁ āgatan’ti, gantabbaṁ, bhikkhave, sattāhakaraṇīyena, appahitepi, pageva pahite— ‘diṭṭhigataṁ vivecessāmi vā, vivecāpessāmi vā, dhammakathaṁ vāssā karissāmī’ti. Sattāhaṁ sannivatto kātabbo. Idha pana, bhikkhave, bhikkhunī garudhammaṁ ajjhāpannā hoti mānattārahā. Sā ce bhikkhūnaṁ santike dūtaṁ pahiṇeyya—
「わたくしに悔恚(くけつ)が生じました。尊者がたよ、どうかお越しください。尊者がたのお越しを願い申し上げます」と。比丘たちよ、七日間の用事のために行くべきである。使いが来ていなくとも、まして来ている場合はなおさらのこと——「悔恚を取り除いてあげよう、あるいは取り除かせよう、あるいはその者のために法話をしよう」と思ってならば。七日以内に戻るべきである。
さてまた、比丘たちよ、ここに比丘尼に邪見(じゃけん)が生じたとする。もし彼女が比丘たちのもとへ使いを送って——「わたくしに邪見が生じました。尊者がたよ、どうかお越しください。尊者がたのお越しを願い申し上げます」と。比丘たちよ、七日間の用事のために行くべきである。使いが来ていなくとも、まして来ている場合はなおさらのこと——「邪見を離れさせてあげよう、あるいは離れさせよう、あるいはその者のために法話をしよう」と思ってならば。七日以内に戻るべきである。
さてまた、比丘たちよ、ここに比丘尼が重法(じゅうほう)を犯し、摩那埵(まなった)に値する者があるとする。もし彼女が比丘たちのもとへ使いを送って——
⚠ 出家者向けの文脈
不安
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趣旨一致
中
“akappiyo guḷo sāmiso, na kappati guḷo vikāle paribhuñjitun”ti— kukkuccāyanto sapariso guḷaṁ na paribhuñjati. Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Kimatthāya, bhikkhave, guḷe piṭṭhampi chārikampi pakkhipantī”ti? “Thaddhatthāya, bhagavā”ti. “Sace, bhikkhave, thaddhatthāya guḷe piṭṭhampi chārikampi pakkhipanti, so ca guḷotveva saṅkhaṁ gacchati. Anujānāmi, bhikkhave, yathāsukhaṁ guḷaṁ paribhuñjitun”ti. Addasā kho āyasmā kaṅkhārevato antarāmagge vacce muggaṁ jātaṁ, passitvā— “akappiyā muggā; pakkāpi muggā jāyantī”ti—
「肉の入った黒糖(グラ)は不浄(アカッピヤ)であり、時ならぬ時に黒糖を受用することは許されない」との疑念を抱き、比丘たちの一座はともに黒糖を受用しなかった。そのことを世尊に申し上げた。「比丘たちよ、なぜ黒糖に粉や灰を混ぜ入れるのか」と〔世尊は問われた〕。「堅くするためであります、世尊よ」と〔答えた〕。「比丘たちよ、もし堅くするために黒糖に粉や灰を混ぜ入れるならば、それはやはり黒糖と見なされる。比丘たちよ、思うままに黒糖を受用することを許可する」と。
さて、尊者カンカーレーヴァタは、道の途中において、糞の中に緑豆(ムッガ)が生じているのを見た。見て、「緑豆は不浄(アカッピヤ)である。煮たものからも緑豆は生ずる」と〔思った〕——
不安
vinaya
趣旨一致
中
kukkuccāyanto sapariso muggaṁ na paribhuñjati. Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Sace, bhikkhave, pakkāpi muggā jāyanti, anujānāmi, bhikkhave, yathāsukhaṁ muggaṁ paribhuñjitun”ti. Tena kho pana samayena aññatarassa bhikkhuno udaravātābādho hoti. So loṇasovīrakaṁ apāyi. “Anujānāmi, bhikkhave, gilānassa loṇasovīrakaṁ; agilānassa udakasambhinnaṁ pānaparibhogena paribhuñjitun”ti. 5. Antovuṭṭhādipaṭikkhepakathā Atha kho bhagavā anupubbena cārikaṁ caramāno yena rājagahaṁ tadavasari. Tatra sudaṁ bhagavā rājagahe viharati veḷuvane kalandakanivāpe. Tena kho pana samayena bhagavato udaravātābādho hoti.
〔比丘たちは〕気がかりに思い(くkkuccāyanto)、一同ともどもヤエナリ(muggā)を食することをせずにいた。彼らはこの事情を世尊に申し上げた。
「比丘たちよ、もし煮たヤエナリが生じるならば、比丘たちよ、わたしはヤエナリを心のままに(yathāsukhaṁ)食することを許す。」
さてそのとき、ある比丘に腹部の風の病(udaravātābādho)があった。彼は塩入りの酸粥(loṇasovīraka)を飲んだ。〔世尊はこれを聞いて仰せになった。〕
「比丘たちよ、わたしは病める者(gilāna)には塩入りの酸粥を〔服用することを〕許す。病なき者には水で薄めたものを、飲み物として用いることを許す。」
さてそのとき、世尊は次第に遊行(cārika)しながら、ラージャガハ(Rājagaha、王舎城)へと赴かれた。そこで世尊はラージャガハのヴェルヴァナ(Veḷuvana、竹林)、カランダカニヴァーパ(kalandakanivāpa、栗鼠飼養園)に住しておられた。
さてそのとき、世尊に腹部の風の病(udaravātābādho)が生じた。
⚠ 出家者向けの文脈
不安
vinaya
趣旨一致
中
‘upasampadaṁ ussukkaṁ karissāmi vā, anussāvessāmi vā, gaṇapūrako vā bhavissāmī’ti. Sattāhaṁ sannivatto kātabbo. Idha pana, bhikkhave, sāmaṇerī gilānā hoti. Sā ce bhikkhūnaṁ santike dūtaṁ pahiṇeyya— ‘ahañhi gilānā, āgacchantu ayyā, icchāmi ayyānaṁ āgatan’ti, gantabbaṁ, bhikkhave, sattāhakaraṇīyena, appahitepi, pageva pahite— ‘gilānabhattaṁ vā pariyesissāmi, gilānupaṭṭhākabhattaṁ vā pariyesissāmi, gilānabhesajjaṁ vā pariyesissāmi, pucchissāmi vā, upaṭṭhahissāmi vā’ti. Sattāhaṁ sannivatto kātabbo. Idha pana, bhikkhave, sāmaṇeriyā anabhirati uppannā hoti …pe… sāmaṇeriyā kukkuccaṁ uppannaṁ hoti … sāmaṇeriyā diṭṭhigataṁ uppannaṁ hoti …
「私は具足戒(うぐそくかい)の授与に奔走しよう、あるいは羯磨(かつま)の唱和をしよう、あるいは定足数を満たす者となろう」と思うならば、七日間の外出をなすべきである。
さてまた比丘たちよ、ここに沙弥尼(しゃみに)が病にあるとする。その者がもし比丘たちのもとへ使者を遣わして、「私はまことに病に臥しております。尊者(ありゃ)がたよ、どうかおいでください。尊者がたのお越しを願い求めております」と言ったならば、比丘たちよ、七日用事(しちにちようじ)をもって赴くべきである。使者が遣わされなくとも赴くべきであるのに、まして使者が遣わされたならばなおさらのことである。「病者のための食を求めよう、あるいは病者を看護する者のための食を求めよう、あるいは病者のための薬を求めよう、あるいは問いただそう、あるいは看護しよう」と思うならば、七日間の外出をなすべきである。
さてまた比丘たちよ、ここに沙弥尼に不楽(ふらく)が生じたとする……乃至(ないし)……沙弥尼に悔恚(くかいつ)(kukkucca)が生じたとする……沙弥尼に邪見(じゃけん)が生じたとする……
⚠ 出家者向けの文脈
不安
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趣旨一致
中
puna pāke kukkuccāyanti. “Anujānāmi, bhikkhave, puna pākaṁ pacitun”ti. Tena kho pana samayena rājagahaṁ dubbhikkhaṁ hoti. Manussā loṇampi, telampi, taṇḍulampi, khādanīyampi ārāmaṁ āharanti. Tāni bhikkhū bahi vāsenti; ukkapiṇḍakāpi khādanti, corāpi haranti. “Anujānāmi, bhikkhave, anto vāsetun”ti. Anto vāsetvā bahi pācenti. Damakā parivārenti. Bhikkhū avissaṭṭhā paribhuñjanti.
また、再度調理することについて不安(くっくっチャー)を抱いた。「比丘たちよ、再度調理することを許可する」と〔世尊は仰せになった〕。
さてそのとき、王舎城(ラージャガハ)は飢饉であった。人々は塩も、油も、米も、固形食も、精舎へ持ち運んできた。それらを比丘たちは外に保管していたところ、鳥もついばみ、盗人も奪い去った。「比丘たちよ、内に保管することを許可する」と〔世尊は仰せになった〕。内に保管して外で調理していると、家畜が取り囲んだ。比丘たちは〔食事を〕安心して受用することができなかった。
⚠ 出家者向けの文脈
不安
vinaya
趣旨一致
中
Atha kho tassa brāhmaṇassa acirapakkantassa bhagavato etadahosi— “yesaṁ kho mayā atthāya buddhappamukho bhikkhusaṅgho nimantito, ‘nave ca tile navañca madhuṁ dassāmī’ti, te mayā pamuṭṭhā dātuṁ. Yannūnāhaṁ nave ca tile navañca madhuṁ kolambehi ca ghaṭehi ca ārāmaṁ harāpeyyan”ti. Atha kho so brāhmaṇo nave ca tile navañca madhuṁ kolambehi ca ghaṭehi ca ārāmaṁ harāpetvā yena bhagavā tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā ekamantaṁ aṭṭhāsi. “yesaṁ kho mayā, bho gotama, atthāya buddhappamukho bhikkhusaṅgho nimantito, ‘nave ca tile navañca madhuṁ dassāmī’ti, te mayā pamuṭṭhā dātuṁ. Paṭiggaṇhātu me bhavaṁ gotamo nave ca tile navañca madhun”ti. “Tena hi, brāhmaṇa, bhikkhūnaṁ dehī”ti. Tena kho pana samayena bhikkhū dubbhikkhe appamattakepi pavārenti, paṭisaṅkhāpi paṭikkhipanti, sabbo ca saṅgho pavārito hoti. Bhikkhū kukkuccāyantā na paṭiggaṇhanti. “Paṭiggaṇhatha, bhikkhave, paribhuñjatha.
さて、かのバラモンは、世尊が立ち去られてほどなく、こう思った。「わたしが招待した仏陀を上首とする比丘の僧伽(サンガ)のために、『新しい胡麻と新しい蜂蜜を差し上げよう』と申し上げたのに、わたしはそれを贈ることをすっかり失念してしまった。いっそのこと、新しい胡麻と新しい蜂蜜を桶や壺に入れて、精舎へ運ばせようではないか」と。
そこでかのバラモンは、新しい胡麻と新しい蜂蜜を桶や壺に入れて精舎へ運ばせ、世尊のおられるところへ近づいた。近づいて、かたわらに立ち、こう申し上げた。「ゴータマ師よ、わたしが招待した仏陀を上首とする比丘の僧伽のために、『新しい胡麻と新しい蜂蜜を差し上げよう』と申し上げながら、わたしはそれを贈ることを失念いたしておりました。どうかゴータマ師よ、この新しい胡麻と新しい蜂蜜をお受け取りください」と。
「それならば、バラモンよ、比丘たちに施しなさい」と〔世尊は仰せになった〕。
ところがそのとき、比丘たちは飢饉の折であったので、ごくわずかなものでも〔施しを〕辞退し、熟慮したうえでも断り、僧伽全体がすでに〔施しを〕辞退し終えていた。比丘たちは悔恚(くっきょ)の思いに駆られて、受け取ろうとしなかった。
〔そこで世尊は仰せになった。〕「比丘たちよ、受け取りなさい、受用しなさい。」
⚠ 出家者向けの文脈
不安
vinaya
趣旨一致
中
Svedāni tvaṁ kālena taṁ bhagavantaṁ dassanāya upasaṅkamissasi arahantaṁ sammāsambuddhan”ti. Atha kho anāthapiṇḍiko gahapati— svedānāhaṁ kālena taṁ bhagavantaṁ dassanāya upasaṅkamissāmi arahantaṁ sammāsambuddhanti— buddhagatāya satiyā nipajjitvā rattiyā sudaṁ tikkhattuṁ vuṭṭhāsi pabhātaṁ maññamāno. Atha kho anāthapiṇḍiko gahapati yena sivakadvāraṁ tenupasaṅkami. Amanussā dvāraṁ vivariṁsu. Atha kho anāthapiṇḍikassa gahapatissa nagaramhā nikkhantassa āloko antaradhāyi, andhakāro pāturahosi, bhayaṁ chambhitattaṁ lomahaṁso udapādi; tatova puna nivattitukāmo ahosi. Atha kho sivako yakkho antarahito saddamanussāvesi— “Sataṁ hatthī sataṁ assā,
「では、あなたはいつ頃、かの世尊——阿羅漢にして正等覚者——にお会いするためにまみえに参られるのですか」と。
そこで、給孤独(アナータピンディカ)長者は——「それでは、私はいつ頃、かの世尊——阿羅漢にして正等覚者——にお目にかかりに参ろう」——と、仏陀への念(ねん)を心に抱きつつ臥したが、夜中に三たびも起き上がり、夜明けと思い違えてしまった。
そこで給孤独長者は、シーヴァカの城門へと近づいていった。非人(ひにん)たちが門を開いた。ところが給孤独長者が城外へ出ると、光明は消え失せ、暗闇が現れ出た。恐れ(bhaya)と戦慄(chambhitatta)と身の毛のよだつ思い(lomahaṃsa)とが生じた。そのまま引き返そうという気持ちになった。
そのとき、シーヴァカという夜叉(yakkha)が姿を隠したまま、声を響かせて告げた——
「百頭の象、百頭の馬、
⚠ 出家者向けの文脈
不安
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趣旨一致
中
Atha kho āyasmā upanando sakyaputto purebhattaṁ kulāni payirupāsitvā divā āgacchati. Tena kho pana samayena bhikkhū dubbhikkhe appamattakepi pavārenti, paṭisaṅkhāpi paṭikkhipanti, sabbo ca saṅgho pavārito hoti. Bhikkhū kukkuccāyantā na paṭiggaṇhanti. “Paṭiggaṇhatha, bhikkhave, paribhuñjatha. Anujānāmi, bhikkhave, purebhattaṁ paṭiggahitaṁ bhuttāvinā pavāritena anatirittaṁ paribhuñjitun”ti. Atha kho bhagavā rājagahe yathābhirantaṁ viharitvā yena sāvatthi tena cārikaṁ pakkāmi. Anupubbena cārikaṁ caramāno yena sāvatthi tadavasari. Tatra sudaṁ bhagavā sāvatthiyaṁ viharati jetavane anāthapiṇḍikassa ārāme. Tena kho pana samayena āyasmato sāriputtassa kāyaḍāhābādho hoti. Atha kho āyasmā mahāmoggallāno yenāyasmā sāriputto tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā āyasmantaṁ sāriputtaṁ etadavoca—
そのとき、釈迦族の出身であるウパナンダ長老は、午前中に在家の人々のもとを訪問し、日中になってから戻ってきた。ところがその時、比丘たちは食糧の乏しい時期であったため、ほんのわずかなものしか施食に供しておらず、よく考えた上でそれをも断っており、しかも僧伽全体がすでに施食を終えていた。比丘たちは後悔の念(くくッチャー)を抱いて〔残りの食物を〕受け取ろうとしなかった。〔そこで世尊は仰せられた。〕「比丘たちよ、受け取りなさい、食しなさい。比丘たちよ、わたしは許可する。午前中に受け取ったもので、食事を終えた者が施食を済ませた後であっても、残食とならないものを食することを」と。
やがて世尊は、ラージャガハ(王舎城)においてご意のままに滞在されたのち、サーヴァッティー(舎衛城)へと遊行に出発された。次第に遊行を重ねて、サーヴァッティーに至られた。そこで世尊は、サーヴァッティーのジェータ林(祇陀林)にあるアナータピンディカ(給孤独)長者の園林に滞在された。
ところがその時、サーリプッタ(舎利弗)長老には身体の灼熱する病(カーヤダーハーバーダ)があった。そこでマハーモッガッラーナ(大目犍連)長老は、サーリプッタ長老のもとに近づき、近づいてからサーリプッタ長老にこのように申し上げた――
⚠ 出家者向けの文脈
不安
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趣旨一致
中
Sataṁ assatarīrathā; Sataṁ kaññāsahassāni, Āmukkamaṇikuṇḍalā; Ekassa padavītihārassa, Kalaṁ nāgghanti soḷasiṁ. Abhikkama gahapati abhikkama gahapati, Abhikkantaṁ te seyyo no paṭikkantan”ti. Atha kho anāthapiṇḍikassa gahapatissa andhakāro antaradhāyi, āloko pāturahosi. Yaṁ ahosi bhayaṁ chambhitattaṁ lomahaṁso so paṭippassambhi. tatiyampi kho …
百頭の騾馬に引かれた車があり、
宝石と耳輪を身につけた
幾千もの乙女たちがあろうとも、
一歩を踏み出すその行為の
十六分の一にも値しない。
「進みたまえ、長者よ、進みたまえ、長者よ。
進むことはそなたに益あり、退くことは益なし。」
そのとき、アナータピンディカ(給孤独)長者の周囲に満ちていた暗闇は消え去り、光明が現れた。かつてあった恐れ(bhaya)と戦慄(chambhitatta)と身の毛のよだち(lomahaṃsa)は、静まり消えた。三たびも……
不安
vinaya
趣旨一致
中
Sace koṭṭhako uklāpo hoti, koṭṭhako sammajjitabbo. Sace upaṭṭhānasālā uklāpā hoti, upaṭṭhānasālā sammajjitabbā. Sace aggisālā uklāpā hoti, aggisālā sammajjitabbā. Sace vaccakuṭi uklāpā hoti, vaccakuṭi sammajjitabbā. Sace pānīyaṁ na hoti, pānīyaṁ upaṭṭhāpetabbaṁ. Sace paribhojanīyaṁ na hoti, paribhojanīyaṁ upaṭṭhāpetabbaṁ. Sace ācamanakumbhiyā udakaṁ na hoti, ācamanakumbhiyā udakaṁ āsiñcitabbaṁ. Sace upajjhāyassa anabhirati uppannā hoti, saddhivihārikena vūpakāsetabbo, vūpakāsāpetabbo, dhammakathā vāssa kātabbā. Sace upajjhāyassa kukkuccaṁ uppannaṁ hoti, saddhivihārikena vinodetabbaṁ, vinodāpetabbaṁ, dhammakathā vāssa kātabbā.
もし倉庫(コッタカ)が散らかっているならば、倉庫を掃き清めるべきである。もし集会所(ウパッターナサーラー)が散らかっているならば、集会所を掃き清めるべきである。もし火室(アッギサーラー)が散らかっているならば、火室を掃き清めるべきである。もし厠(ワッチャクティ)が散らかっているならば、厠を掃き清めるべきである。もし飲み水(パーニーヤ)がないならば、飲み水を用意すべきである。もし用水(パリボージャニーヤ)がないならば、用水を用意すべきである。もし口濯ぎの壺(アーチャマナクンビー)に水がないならば、口濯ぎの壺に水を注ぎ入れるべきである。もし和尚(ウパッジャーヤ)に不楽(アナビラティ)が生じたならば、同住の弟子(サッディウィハーリカ)はこれを取り除くよう努め、また取り除かせ、あるいは法の話(ダンマカター)をなすべきである。もし和尚に悔恨(クックッチャ)が生じたならば、同住の弟子はこれを消し去るよう努め、また消し去らせ、あるいは法の話をなすべきである。
不安
vinaya
趣旨一致
中
Atha kho so nāgo mandākiniṁ pokkharaṇiṁ ogāhetvā, soṇḍāya bhisañca muḷālikañca abbāhitvā, suvikkhālitaṁ vikkhāletvā, bhaṇḍikaṁ bandhitvā yenāyasmā mahāmoggallāno tenupasaṅkami. Atha kho āyasmā mahāmoggallāno—seyyathāpi nāma balavā puriso samiñjitaṁ vā bāhaṁ pasāreyya, pasāritaṁ vā bāhaṁ samiñjeyya; evameva—mandākiniyā pokkharaṇiyā tīre antarahito jetavane pāturahosi. Sopi kho nāgo mandākiniyā pokkharaṇiyā tīre antarahito jetavane pāturahosi. Atha kho so nāgo āyasmato mahāmoggallānassa bhise ca muḷālikāyo ca paṭiggahāpetvā jetavane antarahito mandākiniyā pokkharaṇiyā tīre pāturahosi. Atha kho āyasmā mahāmoggallāno āyasmato sāriputtassa bhise ca muḷālikāyo ca upanāmesi. Atha kho āyasmato sāriputtassa bhise ca muḷālikāyo ca bhuttassa kāyaḍāhābādho paṭippassambhi. Bahū bhisā ca muḷālikāyo ca avasiṭṭhā honti. Tena kho pana samayena bhikkhū dubbhikkhe appamattakepi pavārenti, paṭisaṅkhāpi paṭikkhipanti, sabbo ca saṅgho pavārito hoti. Bhikkhū kukkuccāyantā na paṭiggaṇhanti. “Paṭiggaṇhatha, bhikkhave, paribhuñjatha.
そのとき、かの龍(ナーガ)はマンダーキニー池に入り、鼻(の先)で蓮根と蓮茎を引き抜き、よくよく洗い清めて、束にして縛り、アーユスマット・マハーモッガッラーナのもとへと赴いた。するとアーユスマット・マハーモッガッラーナは――ちょうど力ある人が曲げた腕を伸ばし、あるいは伸ばした腕を曲げるように――マンダーキニー池の岸辺から姿を消し、祇園精舎に現れた。かの龍もまた、マンダーキニー池の岸辺から姿を消し、祇園精舎に現れた。そしてかの龍は、アーユスマット・マハーモッガッラーナに蓮根と蓮茎を受け取らせると、祇園精舎から姿を消し、マンダーキニー池の岸辺に再び現れた。
アーユスマット・マハーモッガッラーナは、その蓮根と蓮茎をアーユスマット・サーリプッタに差し出した。アーユスマット・サーリプッタがそれを食すると、身体の灼熱の病(カーヤダーハーバーダ)が鎮まった。蓮根と蓮茎はなお多く余っていた。
しかるにそのころ、比丘たちは飢饉の折につき、わずかなものでさえ布施を受けることを辞退し、熟慮の上で断っており、僧伽(サンガ)全員がすでに食事の布施(パヴァーラナー)を終えていた。比丘たちは後悔(クックッチャ)を懼れて、これを受け取ろうとしなかった。
〔そこで世尊は仰せられた。〕「比丘たちよ、受け取りなさい。食しなさい。」
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
不安
vinaya
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中
Anujānāmi, bhikkhave, vanaṭṭhaṁ pokkharaṭṭhaṁ bhuttāvinā pavāritena anatirittaṁ paribhuñjitun”ti. Tena kho pana samayena sāvatthiyaṁ bahuṁ phalakhādanīyaṁ uppannaṁ hoti, kappiyakārako ca na hoti. Bhikkhū kukkuccāyantā phalaṁ na paribhuñjanti. “Anujānāmi, bhikkhave, abījaṁ nibbattabījaṁ akatakappaṁ phalaṁ paribhuñjitun”ti. 8. Satthakammapaṭikkhepakathā Atha kho bhagavā sāvatthiyaṁ yathābhirantaṁ viharitvā yena rājagahaṁ tena cārikaṁ pakkāmi. Anupubbena cārikaṁ caramāno yena rājagahaṁ tadavasari. Tatra sudaṁ bhagavā rājagahe viharati veḷuvane kalandakanivāpe. Tena kho pana samayena aññatarassa bhikkhuno bhagandalābādho hoti. Atha kho bhagavā senāsanacārikaṁ āhiṇḍanto yena tassa bhikkhuno vihāro tenupasaṅkami.
「比丘たちよ、森にあるもの、池にあるものを、食事を済ませ供養を受けた者が、残食とならぬものを受用することを許可する。」
さてそのころ、舎衛城において果物(phala)の類が豊富に実ったが、浄人(kappiyakāraka)がいなかった。比丘たちは疑惑(kukkucca)を抱いて、果物を受用しようとしなかった。〔そこで世尊は仰せられた。〕「比丘たちよ、種なきもの、種の取り除かれたもの、浄化の作業(kappa)のなされたものでない果物を受用することを許可する。」
八 刀傷の治療の禁止に関する説示(Satthakammapaṭikkhepakathā)
さて世尊は、舎衛城において御心のままに住し給うた後、王舎城(Rājagaha)へと遊行(cārika)の途に就かれた。次第に遊行しながら、王舎城へと到り給うた。そこで世尊は王舎城の竹林(Veḷuvana)、カランダカ鳥の住処に滞在された。
そのころ、ある比丘が痔疾(bhagandalābādha)に罹っていた。そこで世尊は、臥坐所(senāsana)を巡回してめぐり歩かれ、その比丘の房舎(vihāra)へと近づき給うた。
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
不安
vinaya
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中
sace ācamanakumbhiyā udakaṁ na hoti, ācamanakumbhiyā udakaṁ āsiñcitabbaṁ. Sace saddhivihārikassa anabhirati uppannā hoti, upajjhāyena vūpakāsetabbo, vūpakāsāpetabbo, dhammakathā vāssa kātabbā. Sace saddhivihārikassa kukkuccaṁ uppannaṁ hoti, upajjhāyena vinodetabbaṁ, vinodāpetabbaṁ, dhammakathā vāssa kātabbā. Sace saddhivihārikassa diṭṭhigataṁ uppannaṁ hoti, upajjhāyena vivecetabbaṁ, vivecāpetabbaṁ, dhammakathā vāssa kātabbā. Sace saddhivihāriko garudhammaṁ ajjhāpanno hoti parivāsāraho, upajjhāyena ussukkaṁ kātabbaṁ— kinti nu kho saṅgho saddhivihārikassa parivāsaṁ dadeyyāti.
もし手洗い用の水瓶(ācamanakumbhī)に水がないときは、水瓶に水を注がなければならない。
もし同住の弟子(saddhivihārika)に不満(anabhirati)が生じたときは、和尚(upajjhāya)はみずからこれを取り除くよう努め、また他者をしてこれを取り除かしめ、あるいは弟子のために法の話(dhammakathā)をなすべきである。
もし同住の弟子に悔恨(kukkucca)が生じたときは、和尚はみずからこれを消し去るよう努め、また他者をしてこれを消し去らしめ、あるいは弟子のために法の話をなすべきである。
もし同住の弟子に邪見(diṭṭhigata)が生じたときは、和尚はみずからこれを離れさせるよう努め、また他者をしてこれを離れさせしめ、あるいは弟子のために法の話をなすべきである。
もし同住の弟子が重罪(garudhamma)を犯し、別住(parivāsa)に値するときは、和尚は懸命に努力すべきである――「いかにしてこそ、僧伽(saṅgha)は同住の弟子に別住を与えてくれるであろうか」と。
執着
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Idaṁ kho, bhikkhave, upajjhāyānaṁ saddhivihārikesu vattaṁ yathā upajjhāyehi saddhivihārikesu sammā vattitabban”ti. Dutiyabhāṇavāro niṭṭhito. 13. Ācariyavattakathā Tena kho pana samayena antevāsikā ācariyesu na sammā vattanti. Ye te bhikkhū appicchā …pe… te ujjhāyanti khiyyanti vipācenti— “kathañhi nāma antevāsikā ācariyesu na sammā vattissantī”ti. Atha kho te bhikkhū bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ …pe… “saccaṁ kira, bhikkhave, antevāsikā ācariyesu na sammā vattantī”ti? “Saccaṁ, bhagavā”ti …pe… vigarahitvā …pe…
「比丘たちよ、これが和尚(upajjhāya)の弟子(saddhivihārika)に対する作法(vatta)であり、和尚は弟子に対してかくのごとく正しく振る舞うべきである」と。
第二誦段(dutiyabhāṇavāra)、終わる。
一三 阿闍梨の作法を説く(Ācariyavattakathā)
さてそのころ、学生(antevāsika)たちは阿闍梨(ācariya)に対して正しく振る舞っていなかった。少欲なる比丘たちは……乃至……憤り、非難し、声を挙げて言った。「いかなればこそ、学生たちは阿闍梨に対して正しく振る舞わないのか」と。
そこでそれらの比丘たちは、この事を世尊に申し上げた……乃至……「比丘たちよ、まことに学生たちは阿闍梨に対して正しく振る舞っていないというのか」と。「世尊よ、まことにそのとおりでございます」と……乃至……叱責されて……乃至……
⚠ 出家者向けの文脈
執着
vinaya
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中
Puna caparaṁ, bhikkhave, eke samaṇabrāhmaṇā methunaṁ dhammaṁ paṭisevanti, methunadhammā appaṭiviratā— Puna caparaṁ, bhikkhave, eke samaṇabrāhmaṇā jātarūparajataṁ sādiyanti, jātarūparajatappaṭiggahaṇā appaṭiviratā— Puna caparaṁ, bhikkhave, eke samaṇabrāhmaṇā micchājīvena jīvitaṁ kappenti; Idaṁ vatvāna sugato athāparaṁ etadavoca satthā— ‘Rāgadosaparikliṭṭhā, eke samaṇabrāhmaṇā; Avijjānivuṭā posā, piyarūpābhinandino. Suraṁ pivanti merayaṁ, paṭisevanti methunaṁ;
「さらにまた、比丘たちよ、一部の沙門・婆羅門たちは淫事(みだらなこと)を行じ、淫法(メータナ・ダンマ)を離れることなく——
さらにまた、比丘たちよ、一部の沙門・婆羅門たちは金銀(ジャータルーパ・ラジャタ)を受け取り、金銀の受領を断つことなく——
さらにまた、比丘たちよ、一部の沙門・婆羅門たちは邪命(ミッチャー・ジーヴァ)によって生計を営む。」
このように説きたもうて、善逝(スガタ)はさらに、師として次のことを語りたもうた——
貪(ラーガ)と瞋(ドーサ)に穢れたる、
かの沙門・婆羅門たちは、
無明(アヴィッジャー)に覆われた人々、
愛しき形あるものを喜ぶ者たちよ。
酒(スラー)を飲み、醸造酒(メーラヤ)を飲み、
淫事をなすことを離れず——
執着
vinaya
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中
idampi kho ṭhānaṁ sududdasaṁ yadidaṁ sabbasaṅkhārasamatho sabbūpadhipaṭinissaggo taṇhākkhayo virāgo nirodho nibbānaṁ. Ahañceva kho pana dhammaṁ deseyyaṁ, pare ca me na ājāneyyuṁ, so mamassa kilamatho, sā mamassa vihesā”ti. Apissu bhagavantaṁ imā anacchariyā gāthāyo paṭibhaṁsu pubbe assutapubbā— “Kicchena me adhigataṁ, halaṁ dāni pakāsituṁ; Rāgadosaparetehi, nāyaṁ dhammo susambudho. Paṭisotagāmiṁ nipuṇaṁ, gambhīraṁ duddasaṁ aṇuṁ; Rāgarattā na dakkhanti,
この境地もまた、まことに見難いものである。すなわち、一切の行(サンカーラ)の寂止、一切の依(ウパディ)の捨離、渇愛(タンハー)の滅尽、離貪(ヴィラーガ)、滅(ニローダ)、涅槃(ニッバーナ)がそれである。もし我れが法(ダンマ)を説いたとしても、他の者どもが我れを理解しないならば、それは我れにとって疲労となり、我れにとって苦悩となるであろう。」
そのとき、世尊の心に、かつて聞いたことのない、不思議なる偈(ガーター)が浮かびあがった。
「苦労して我れは証り得たり、今さらこれを示すに及ぶまい。
貪(ラーガ)と瞋(ドーサ)に囚われたる者どもには、この法は容易に覚り難し。
流れに逆らいて進み、微妙にして、深遠にして、見難く、細やかなるこの法を、
貪りに染まれる者どもは、見ることあたわず、
経典データの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)