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💬 AIブッダに相談
10,029
偈句数
9,999
日本語訳あり
9,982
パーリ原文
経典 19
テーマ 20
該当 10,029
すべて
智慧 4354
老い 931
苦しみ 772
正念 695
怒り 356
執着 350
死 350
業・因果 346
幸せ 337
自己 244
人間関係 243
家族 234
不安 168
仕事 165
渇愛 147
慈悲 115
無常 111
孤独 45
空 43
感謝 23
vinaya 2606
中部経典 2117
長部経典 1357
相応部経典 1136
増支部経典 857
jataka 563
スッタニパータ 522
ダンマパダ(法句経) 426
テーラガーター 211
テーリーガーター 68
クッダカパータ 57
イティヴッタカ 54
ウダーナ 34
金剛経 5
維摩経 5
般若心経 4
法華経 4
涅槃経 2
AN 1
執着
イティヴッタカ
趣旨一致
長
Ekakanipāta Dutiyavagga Dutiyasekhasutta Vuttañhetaṁ bhagavatā vuttamarahatāti me sutaṁ: “Sekhassa, bhikkhave, bhikkhuno appattamānasassa anuttaraṁ yogakkhemaṁ patthayamānassa viharato bāhiraṁ aṅganti karitvā nāññaṁ ekaṅgampi samanupassāmi yaṁ evaṁ bahūpakāraṁ yathayidaṁ, bhikkhave, kalyāṇamittatā. Kalyāṇamitto, bhikkhave, bhikkhu akusalaṁ pajahati, kusalaṁ bhāvetī”ti. Etamatthaṁ bhagavā avoca. Tatthetaṁ iti vuccati: “Kalyāṇamitto yo bhikkhu, sappatisso sagāravo; Karaṁ mittānaṁ vacanaṁ, sampajān
# イティヴッタカ(如是語)第一集・第二章・第二「有学経」
これは世尊によって説かれた。阿羅漢(アラハン)によって説かれた、とわたしは聞いた。
「比丘たちよ、有学(セッカ)の比丘が、いまだ意の境地に達せず、無上の安穏(ヨーガッケーマ)を願い求めつつあるとき、外なる要素のなかで、善き友(カリヤーナミッター)にまさって、これほどに大いなる助けとなるものを、わたしはほかに一つとして見いだすことができない。比丘たちよ、善き友をもつ比丘は、不善(アクサラ)を捨て去り、善(クサラ)を修め育てるのである。」
世尊はこの義(アッタ)を説かれた。そこにおいて、こう説かれている――
善き友をもつ比丘は、\
慎みあり、敬いある者。\
友の言葉をよく行じ、\
正しき知慧(サンパジャーナ)もて歩みゆく。
⚠ 出家者向けの文脈
執着
イティヴッタカ
趣旨一致
長
Tikanipāta Dutiyavagga Paṭhamarāgasutta Vuttañhetaṁ bhagavatā vuttamarahatāti me sutaṁ: “Yassa kassaci, bhikkhave, rāgo appahīno, doso appahīno, moho appahīno— ayaṁ vuccati, bhikkhave, ‘baddho mārassa paṭimukkassa mārapāso yathākāmakaraṇīyo pāpimato’. Yassa kassaci, bhikkhave, rāgo pahīno, doso pahīno, moho pahīno— ayaṁ vuccati, bhikkhave, ‘abaddho mārassa omukkassa mārapāso na yathākāmakaraṇīyo pāpimato’”ti. Etamatthaṁ bhagavā avoca. Tatthetaṁ iti vuccati: “Yassa rāgo ca doso ca, avijjā ca virā
# イティヴッタカ 第三集 第二章 第一経「貪欲経」
これは世尊によって説かれたことである。阿羅漢によって説かれたことを、かくのごとく私は聞いた。
「比丘たちよ、誰であれ、貪(ラーガ)を断じ尽くさず、瞋(ドーサ)を断じ尽くさず、癡(モーハ)を断じ尽くさざる者――この者を、比丘たちよ、『悪魔(マーラ)に縛られ、悪魔の縄目(mārapāsa)を首にかけられ、悪しき者(パーピマント)の意のままに為されるべき者』と呼ぶ。
比丘たちよ、誰であれ、貪を断じ尽くし、瞋を断じ尽くし、癡を断じ尽くせる者――この者を、比丘たちよ、『悪魔に縛られず、悪魔の縄目を脱し、悪しき者の意のままに為されざる者』と呼ぶ。」
この義(意味)を世尊は説かれた。そこにおいて、かくのごとく説かれる。
貪と瞋と、
また無明(アヴィッジャー)の滅し去りたる者は……
執着
イティヴッタカ
趣旨一致
長
Tikanipāta Catutthavagga Sakkārasutta Vuttañhetaṁ bhagavatā vuttamarahatāti me sutaṁ: Taṁ jhāyinaṁ sātatikaṁ, sukhumadiṭṭhivipassakaṁ; Upādānakkhayārāmaṁ, āhu sappuriso itī”ti. Ayampi attho vutto bhagavatā, iti me sutanti. Dutiyaṁ. “Diṭṭhā mayā, bhikkhave, sattā sakkārena abhibhūtā, pariyādinnacittā, kāyassa bhedā paraṁ maraṇā apāyaṁ duggatiṁ vinipātaṁ nirayaṁ upapannā. Diṭṭhā mayā, bhikkhave, sattā asakkārena abhibhūtā, pariyādinnacittā, kāyassa bhedā paraṁ maraṇā apāyaṁ duggatiṁ vinipātaṁ nira
# イティヴッタカ 第三集 第四章 礼敬経(サッカーラ・スッタ)
これはまた世尊によって説かれたことであり、阿羅漢によって語られたと、わたくしは聞いた。
> 禅定に住し、たゆまず修め、
> 微妙なる観智(ヴィパッサナー)をもって見る者、
> 執着(ウパーダーナ)の滅尽を楽しむその人を、
> 善人(サップリサ)と呼ぶ、と。
この意義もまた世尊によって説かれた、とわたくしは聞いた。
――第二
「比丘たちよ、わたくしはかつて目にした。礼敬(サッカーラ)に圧倒され、心を奪われた衆生たちが、身体の壊滅ののち、死後に、悪趣(アパーヤ)・苦界(ドゥッガティ)・堕処(ヴィニパータ)・地獄(ニラヤ)に生まれたことを。比丘たちよ、またわたくしはかつて目にした。礼敬なきこと(アサッカーラ)に圧倒され、心を奪われた衆生たちもまた、身体の壊滅ののち、死後に、悪趣・苦界・堕処・地獄に生まれたことを。
⚠ 希死念慮の場面では使わない
慈悲
イティヴッタカ
直接根拠
短
慈しみの心の解脱を修し、多く行い、乗り物とし、基とし、実行し、修習し、よく始めた者にとって、十一の利益が期待される。安楽に眠り、安楽に目覚め、悪い夢を見ない。
慈悲
イティヴッタカ
趣旨一致
長
Catukkanipāta Brāhmaṇadhammayāgavagga Carasutta Vuttañhetaṁ bhagavatā vuttamarahatāti me sutaṁ: “Caraṁ vā yadi vā tiṭṭhaṁ, nisinno uda vā sayaṁ; Yo vitakkaṁ vitakketi, pāpakaṁ gehanissitaṁ. Kummaggaṁ paṭipanno so, mohaneyyesu mucchito; Abhabbo tādiso bhikkhu, phuṭṭhuṁ sambodhimuttamaṁ. Yo ca caraṁ vā tiṭṭhaṁ vā, Nisinno uda vā sayaṁ; Vitakkaṁ samayitvāna, Vitakkūpasame rato; Bhabbo so tādiso bhikkhu, Phuṭṭhuṁ sambodhimuttaman”ti. Ayampi attho vutto bhagavatā, iti me sutanti. Ekādasamaṁ. “Carato
# イティヴッタカ 第110経(如是語)
これは世尊によって説かれたことである。阿羅漢たる世尊がかく説かれたと、わたしは聞いた。
---
「歩みつつあるも、立ちつつあるも、
坐せるも、また臥せるも、
家に繋がれた(gehanissita)悪しき
思惟(vitakka)を思い巡らす者——
その者は邪しまな道(kummagga)を歩み、
迷妄を生ぜしめるものに溺れている。
かかる比丘は、無上の正覚(sambodhi)に
触れるに能わざる者なり。
歩みつつあるも、立ちつつあるも、
坐せるも、また臥せるも、
思惟を制して鎮め、
思惟の寂静(vitakkūpasama)を楽しむ者——
かかる比丘こそ、無上の正覚に
触れるに能う者なり。」
---
この義もまた世尊によって説かれた。かくわたしは聞いた。
第十一経。
⚠ 出家者向けの文脈
慈悲
イティヴッタカ
趣旨一致
長
Dukanipāta Dutiyavagga Vitakkasutta Vuttañhetaṁ bhagavatā vuttamarahatāti me sutaṁ: “Tathāgataṁ, bhikkhave, arahantaṁ sammāsambuddhaṁ dve vitakkā bahulaṁ samudācaranti— khemo ca vitakko, paviveko ca. Abyāpajjhārāmo, bhikkhave, tathāgato abyāpajjharato. Tamenaṁ, bhikkhave, tathāgataṁ abyāpajjhārāmaṁ abyāpajjharataṁ eseva vitakko bahulaṁ samudācarati: ‘imāyāhaṁ iriyāya na kañci byābādhemi tasaṁ vā thāvaraṁ vā’ti. Pavivekārāmo, bhikkhave, tathāgato pavivekarato. Tamenaṁ, bhikkhave, tathāgataṁ paviv
これは世尊によって説かれたことであり、阿羅漢によって説かれたことである――かくのごとく、私は聞いた。
「比丘たちよ、如来(タターガタ)、阿羅漢(アラハント)、正等覚者(サンマーサンブッダ)には、ふたつの尋(ヴィタッカ)が頻りに現れる――安穏(ケーマ)の尋と、遠離(パヴィヴェーカ)の尋とである。
比丘たちよ、如来は無悩害(アビャーパッジャ)を喜びとし、無悩害を楽しみとする。比丘たちよ、無悩害を喜びとし無悩害を楽しみとする如来には、この尋が頻りに現れる――『わが振る舞いによって、わたくしは動くもの(タサ)にも動かぬもの(ターヴァラ)にも、いかなる害をも与えることがない』と。
比丘たちよ、如来は遠離(パヴィヴェーカ)を喜びとし、遠離を楽しみとする。比丘たちよ、遠離を喜びとし遠離を楽しみとする如来には――」
⚠ 出家者向けの文脈
空
イティヴッタカ
趣旨一致
長
Tikanipāta Tatiyavagga Nissaraṇiyasutta Vuttañhetaṁ bhagavatā vuttamarahatāti me sutaṁ: “Tisso imā, bhikkhave, nissaraṇiyā dhātuyo. Katamā tisso? Kāmānametaṁ nissaraṇaṁ yadidaṁ nekkhammaṁ, rūpānametaṁ nissaraṇaṁ yadidaṁ āruppaṁ, yaṁ kho pana kiñci bhūtaṁ saṅkhataṁ paṭiccasamuppannaṁ nirodho tassa nissaraṇaṁ— imā kho, bhikkhave, tisso nissaraṇiyā dhātuyo”ti. Etamatthaṁ bhagavā avoca. Tatthetaṁ iti vuccati: “Kāmanissaraṇaṁ ñatvā, rūpānañca atikkamaṁ; Sabbasaṅkhārasamathaṁ, phusaṁ ātāpi sabbadā. Sa
これは世尊によって説かれた、応供(アラハント)によって説かれたと、かくのごとく私は聞いた。
「比丘たちよ、これら三つの出離の界(ニッサラニーヤ・ダートゥ)がある。いかなる三つか。
欲(カーマ)からの出離、それはすなわち出家(ネッカンマ)である。色(ルーパ)からの出離、それはすなわち無色(アールッパ)である。そして、生じたるものであれ、形成されたるものであれ、縁起によりて生起したるものであれ、その一切の滅(ニローダ)、それがその出離である。
比丘たちよ、これらが三つの出離の界である。」
この義(アッタ)を世尊は説きたもうた。ここにおいて次のように説かれる。
欲より出離することを知り、
色を超え越えて、
一切の形成されたるもの(サンカーラ)の寂静(サマタ)に
つねに精励して触れる者は——
⚠ 出家者向けの文脈,初学者には難しい
家族
イティヴッタカ
趣旨一致
長
Catukkanipāta Brāhmaṇadhammayāgavagga Taṇhuppādasutta Vuttañhetaṁ bhagavatā vuttamarahatāti me sutaṁ: “Cattārome, bhikkhave, taṇhuppādā, yattha bhikkhuno taṇhā uppajjamānā uppajjati. Katame cattāro? Cīvarahetu vā, bhikkhave, bhikkhuno taṇhā uppajjamānā uppajjati; piṇḍapātahetu vā, bhikkhave, bhikkhuno taṇhā uppajjamānā uppajjati; senāsanahetu vā, bhikkhave, bhikkhuno taṇhā uppajjamānā uppajjati; itibhavābhavahetu vā, bhikkhave, bhikkhuno taṇhā uppajjamānā uppajjati. Ime kho, bhikkhave, cattāro t
これは世尊によって説かれたものであり、阿羅漢によって説かれたものであると、私は聞いた。
「比丘たちよ、比丘に渇愛(タンハー)が生じるとき、それが生ずるところの渇愛の生起の根拠が、四つある。その四つとはいかなるものか。
比丘たちよ、比丘に渇愛が生じるとき、衣(チーヴァラ)を因として渇愛が生ずることがある。比丘たちよ、比丘に渇愛が生じるとき、托鉢の食(ピンダパータ)を因として渇愛が生ずることがある。比丘たちよ、比丘に渇愛が生じるとき、臥坐処(センアーサナ)を因として渇愛が生ずることがある。比丘たちよ、比丘に渇愛が生じるとき、かくあれかし・かくあるなかれという有無(イティバヴァービャヴァ)を因として渇愛が生ずることがある。
比丘たちよ、これらが渇愛の生起の根拠たる四つである。」
⚠ 出家者向けの文脈
家族
イティヴッタカ
趣旨一致
長
Catukkanipāta Brāhmaṇadhammayāgavagga Sabrahmakasutta Vuttañhetaṁ bhagavatā vuttamarahatāti me sutaṁ: “Sabrahmakāni, bhikkhave, tāni kulāni yesaṁ puttānaṁ mātāpitaro ajjhāgāre pūjitā honti. Sapubbadevatāni, bhikkhave, tāni kulāni yesaṁ puttānaṁ mātāpitaro ajjhāgāre pūjitā honti. Sapubbācariyakāni, bhikkhave, tāni kulāni yesaṁ puttānaṁ mātāpitaro ajjhāgāre pūjitā honti. Sāhuneyyakāni, bhikkhave, tāni kulāni yesaṁ puttānaṁ mātāpitaro ajjhāgāre pūjitā honti. ‘Brahmā’ti, bhikkhave, mātāpitūnaṁ etaṁ
これは世尊によって説かれたことであり、阿羅漢によって説かれたと、わたしは聞いた。
「比丘たちよ、子らが家の中で父母を敬い供養するならば、その家はブラフマー(梵天)とともにある家である。比丘たちよ、子らが家の中で父母を敬い供養するならば、その家はかつての神々(前の守護神)とともにある家である。比丘たちよ、子らが家の中で父母を敬い供養するならば、その家はかつての師(先師)とともにある家である。比丘たちよ、子らが家の中で父母を敬い供養するならば、その家は供養を受けるに値する者とともにある家である。
比丘たちよ、『ブラフマー(梵天)』とは、父母のことにほかならない。
家族
イティヴッタカ
趣旨一致
長
Tikanipāta Tatiyavagga Puttasutta Vuttañhetaṁ bhagavatā vuttamarahatāti me sutaṁ: “Tayome, bhikkhave, puttā santo saṁvijjamānā lokasmiṁ. Katame tayo? Atijāto, anujāto, avajātoti. Kathañca, bhikkhave, putto atijāto hoti? Idha, bhikkhave, puttassa mātāpitaro honti— na buddhaṁ saraṇaṁ gatā, na dhammaṁ saraṇaṁ gatā, na saṅghaṁ saraṇaṁ gatā; pāṇātipātā appaṭiviratā, adinnādānā appaṭiviratā, kāmesumicchācārā appaṭiviratā, musāvādā appaṭiviratā, surāmerayamajjapamādaṭṭhānā appaṭiviratā, dussīlā pāpadha
これはまことに、世尊によって説かれたものである。阿羅漢によって説かれたものを、わたくしはこのように聞いた。
「比丘たちよ、この世に存在し、見出される息子には三種がある。何が三種であるか。優れた息子(アティジャータ)、似た息子(アヌジャータ)、劣った息子(アヴァジャータ)の三種である。
では比丘たちよ、いかにして息子は優れた息子となるのか。比丘たちよ、ここに息子の父母がいて——仏(ブッダ)に帰依せず、法(ダンマ)に帰依せず、僧伽(サンガ)に帰依せず、殺生を離れることなく、与えられざるものを取ることを離れることなく、諸々の欲における邪なる行いを離れることなく、虚偽の語を離れることなく、穀物酒・果実酒・酒類という放逸の因となるものを離れることなく——戒を欠き、悪しき性質を持つ者であるとする。〔続く〕」
家族
イティヴッタカ
趣旨一致
長
Tikanipāta Tatiyavagga Sukhapatthanāsutta Vuttañhetaṁ bhagavatā vuttamarahatāti me sutaṁ: Ayampi attho vutto bhagavatā, iti me sutanti. Sattamaṁ. “Tīṇimāni, bhikkhave, sukhāni patthayamāno sīlaṁ rakkheyya paṇḍito. Katamāni tīṇi? Pasaṁsā me āgacchatūti sīlaṁ rakkheyya paṇḍito, bhogā me uppajjantūti sīlaṁ rakkheyya paṇḍito, kāyassa bhedā paraṁ maraṇā sugatiṁ saggaṁ lokaṁ upapajjissāmīti sīlaṁ rakkheyya paṇḍito. Imāni kho, bhikkhave, tīṇi sukhāni patthayamāno sīlaṁ rakkheyya paṇḍito”ti. Etamatthaṁ
これは世尊によって説かれたことである。かの阿羅漢(アラハン)によって説かれた、とわたしは聞いた。
「比丘たちよ、賢者(パンディタ)は三つの楽(スカ)を望むならば、戒(シーラ)を護るべきである。三つとは何か。
『わたしのもとに称讃が来たれかし』と望むならば、賢者は戒を護るべきである。
『わたしに財富(ボーガ)が生じたれかし』と望むならば、賢者は戒を護るべきである。
『身(カーヤ)の壊れるとき、死後において、善き境涯(スガティ)たる天上の世界に生まれたれかし』と望むならば、賢者は戒を護るべきである。
比丘たちよ、これらの三つの楽を望むならば、賢者は戒を護るべきである。」
この意義もまた世尊によって説かれた。かくわたしは聞いた。
⚠ 希死念慮の場面では使わない
感謝
イティヴッタカ
趣旨一致
長
Catukkanipāta Brāhmaṇadhammayāgavagga Brāhmaṇadhammayāgasutta Vuttañhetaṁ bhagavatā vuttamarahatāti me sutaṁ: “Ahamasmi, bhikkhave, brāhmaṇo yācayogo sadā payatapāṇi antimadehadharo anuttaro bhisakko sallakatto. Tassa me tumhe puttā orasā mukhato jātā dhammajā dhammanimmitā dhammadāyādā, no āmisadāyādā. Dvemāni, bhikkhave, dānāni— āmisadānañca dhammadānañca. Etadaggaṁ, bhikkhave, imesaṁ dvinnaṁ dānānaṁ yadidaṁ dhammadānaṁ. Dveme, bhikkhave, saṁvibhāgā— āmisasaṁvibhāgo ca dhammasaṁvibhāgo ca. Eta
これは世尊によって説かれたものであり、阿羅漢によって説かれたものと、わたくしは聞いた。
「比丘たちよ、わたくしは婆羅門(バラモン)であり、求めに応ずる者にして、常に手を清らかにして施す者、最後の身体を持つ者、無上の医師にして、刺を抜く者である。その、かかるわたくしにとって、汝らは実子であり、口から生まれた者、法(ダンマ)より生まれた者、法によって造られた者、法の相続者であって、財物(あみさ)の相続者ではない。
比丘たちよ、この二種の布施がある——財施(あみさだーな)と法施(ダンマだーな)とである。比丘たちよ、この二種の布施のうち、最も勝れたるものは、すなわち法施(ダンマだーな)である。
比丘たちよ、この二種の分与がある——財の分与(あみささんびばーが)と法の分与(ダンマさんびばーが)とである。比丘たちよ、この二種の分与のうち、最も勝れたるものは、すなわち法の分与(ダンマさんびばーが)である。」
感謝
イティヴッタカ
趣旨一致
長
Catukkanipāta Brāhmaṇadhammayāgavagga Lokasutta Vuttañhetaṁ bhagavatā vuttamarahatāti me sutaṁ: Esa so bhagavā buddho, esa sīho anuttaro; Sadevakassa lokassa, brahmacakkaṁ pavattayi. ye buddhaṁ saraṇaṁ gatā; Saṅgamma taṁ namassanti, mahantaṁ vītasāradaṁ. Danto damayataṁ seṭṭho, santo samayataṁ isi; Mutto mocayataṁ aggo, tiṇṇo tārayataṁ varo. mahantaṁ vītasāradaṁ; Sadevakasmiṁ lokasmiṁ, natthi te paṭipuggalo”ti. Ayampi attho vutto bhagavatā, iti me sutanti. Terasamaṁ. Catukkanipāto niṭṭhito. Tass
# イティヴッタカ 第百十二経「世間経」
これはかの世尊、応供(おうぐ)によって説かれたことである、とわたしは聞いた。
---
かの世尊は覚者(ブッダ)にして、
無上なる獅子(しし)である。
神々を含むこの世界において、
梵輪(ぼんりん)を転じたもうた。
覚者(ブッダ)に帰依した人々は、
集いて、その方を礼拝する――
偉大にして、怯(おび)えを離れたもうた方を。
調伏せられた者の中にあって、調伏する最上の者、
寂静なる者の中にあって、鎮める聖仙(せいせん)、
解脱せる者の中にあって、解放する最高の者、
渡り了(おわ)れる者の中にあって、渡らせる最勝の者。
偉大にして、怯えを離れたもうた方に、
神々を含むこの世界において、
汝に並ぶ人は存在しない、と。
---
この意義もまた世尊によって説かれた、とわたしは聞いた。
---
*第十三経。四集(ししゅう)の章、終わる。*
感謝
イティヴッタカ
趣旨一致
長
Tikanipāta Pañcamavagga Dānasutta Vuttañhetaṁ bhagavatā vuttamarahatāti me sutaṁ: “Dvemāni, bhikkhave, dānāni— āmisadānañca dhammadānañca. Etadaggaṁ, bhikkhave, imesaṁ dvinnaṁ dānānaṁ yadidaṁ dhammadānaṁ. Dveme, bhikkhave, saṁvibhāgā— āmisasaṁvibhāgo ca dhammasaṁvibhāgo ca. Etadaggaṁ, bhikkhave, imesaṁ dvinnaṁ saṁvibhāgānaṁ yadidaṁ dhammasaṁvibhāgo. Dveme, bhikkhave, anuggahā— āmisānuggaho ca dhammānuggaho ca. Etadaggaṁ, bhikkhave, imesaṁ dvinnaṁ anuggahānaṁ yadidaṁ dhammānuggaho”ti. Etamatthaṁ
# イティヴッタカ 第三集 第五章 布施経
これは世尊によって説かれた言葉、尊き方によって説かれた言葉として、わたしは聞いた。
「比丘たちよ、二つの布施(ダーナ)がある——財施(アーミサダーナ)と法施(ダンマダーナ)とである。比丘たちよ、この二つの布施のうちで最も勝れたものは、すなわち法施(ダンマダーナ)である。
比丘たちよ、二つの分与(サンヴィバーガ)がある——財の分与(アーミササンヴィバーガ)と法の分与(ダンマサンヴィバーガ)とである。比丘たちよ、この二つの分与のうちで最も勝れたものは、すなわち法の分与(ダンマサンヴィバーガ)である。
比丘たちよ、二つの援助(アヌッガハ)がある——財による援助(アーミサーヌッガハ)と法による援助(ダンマーヌッガハ)とである。比丘たちよ、この二つの援助のうちで最も勝れたものは、すなわち法による援助(ダンマーヌッガハ)である」と。
この義(アッタ)を世尊は説かれた。
幸せ
イティヴッタカ
趣旨一致
長
Dukanipāta Paṭhamavagga Somanassasutta Vuttañhetaṁ bhagavatā vuttamarahatāti me sutaṁ: “Dvīhi, bhikkhave, dhammehi samannāgato bhikkhu diṭṭheva dhamme sukhasomanassabahulo viharati, yoni cassa āraddhā hoti āsavānaṁ khayāya. Katamehi dvīhi? Saṁvejanīyesu ṭhānesu saṁvejanena, saṁviggassa ca yoniso padhānena. Imehi kho, bhikkhave, dvīhi dhammehi samannāgato bhikkhu diṭṭheva dhamme sukhasomanassabahulo viharati, yoni cassa āraddhā hoti āsavānaṁ khayāyā”ti. Etamatthaṁ bhagavā avoca. Tatthetaṁ iti vuc
これは世尊によって説かれたことである。阿羅漢にして世尊より、このように私は聞いた。
「比丘たちよ、二つの法(ダンマ)を具えた比丘は、まさにこの現世において、楽と喜悦(ソーマナッサ)とに満ちあふれて住し、かつ漏(アーサヴァ)の滅尽に向かう正しき根基が確立される。いかなる二つの法であるか。
畏敬すべき事柄において畏敬の念(サンヴェーガ)を起こすこと、そして畏敬の念を生じた者が如理(ヨーニソ)に精勤すること——これである。
比丘たちよ、まさにこの二つの法を具えた比丘は、現世において楽と喜悦とに満ちあふれて住し、かつ漏の滅尽に向かう正しき根基が確立されるのである」と。
世尊はこの意義を説かれた。
⚠ 出家者向けの文脈
幸せ
イティヴッタカ
趣旨一致
長
Dukanipāta Dutiyavagga Diṭṭhigatasutta Vuttañhetaṁ bhagavatā vuttamarahatāti me sutaṁ: Vitakkā desanā vijjā, paññā dhammena pañcamaṁ; Ajātaṁ dhātusallānaṁ, sikkhā jāgariyena ca; Apāyadiṭṭhiyā ceva, bāvīsati pakāsitāti. Dukanipāto niṭṭhito. “Dvīhi, bhikkhave, diṭṭhigatehi pariyuṭṭhitā devamanussā olīyanti eke, atidhāvanti eke; cakkhumanto ca passanti. Kathañca, bhikkhave, olīyanti eke? Bhavārāmā, bhikkhave, devamanussā bhavaratā bhavasammuditā tesaṁ bhavanirodhāya dhamme desiyamāne cittaṁ na pakk
---
これは世尊によって説かれたものである。阿羅漢によって説かれたと、このように私は聞いた。
> 思惟(ヴィタッカ)と教示と明知(ヴィッジャー)、
> 智慧(パンニャー)は法をもって第五となし、
> 未生なる界への親しみと学処(シッカー)と、
> 不寝不眠の精進をもって、
> さらに悪趣(アパーヤ)の見解をも含めて、
> 二十二のことがらを顕示したまえり。
二集篇(ドゥカニパータ)、終わり。
---
「比丘たちよ、二つの邪見(ディッティガタ)に囚われた天と人とは、ある者は執着して滞り、ある者は行き過ぎる。ただ眼ある者たちのみが、よく見るのである。
では比丘たちよ、いかにしてある者たちは滞るのか。
比丘たちよ、天と人とは有(バヴァ)を楽しみ、有を喜び、有に歓んでいる。そのような者たちは、有の滅(バヴァニローダ)について法が説かれるとき、その心は向かうことなく――
無常
イティヴッタカ
趣旨一致
長
Tikanipāta Tatiyavagga Bhidurasutta Vuttañhetaṁ bhagavatā vuttamarahatāti me sutaṁ: “Bhidurāyaṁ, bhikkhave, kāyo, viññāṇaṁ virāgadhammaṁ, sabbe upadhī aniccā dukkhā vipariṇāmadhammā”ti. Etamatthaṁ bhagavā avoca. Tatthetaṁ iti vuccati: “Kāyañca bhiduraṁ ñatvā, Viññāṇañca virāgunaṁ; Upadhīsu bhayaṁ disvā, Jātimaraṇamaccagā; Sampatvā paramaṁ santiṁ, Kālaṁ kaṅkhati bhāvitatto”ti. Ayampi attho vutto bhagavatā, iti me sutanti. Aṭṭhamaṁ.
# イティヴッタカ 第三集 第三品 第八経「破滅の身」
このことは世尊によって説かれた。阿羅漢によって説かれた、とわたしは聞いた。
「比丘たちよ、この身(カーヤ)は壊れゆくものである。識(ヴィンニャーナ)は離貪(ヴィラーガ)を本性とするものである。一切の生存の素材(ウパディ)は無常(アニッチャ)にして苦(ドゥッカ)であり、変滅することを本性とするものである。」
この意義を世尊は説かれた。これについて、次のように説かれる。
> 身の壊れゆくことを知り、
> 識の染まりなき本性を知り、
> 生存の素材に恐れを見て、
> 生と死を超え渡り、
> 最上の寂静(サンティ)に到達して、
> 心を修めし者は、
> 時の来たるを待つ。
この意義もまた世尊によって説かれた、とわたしは聞いた。
⚠ 希死念慮の場面では使わない
無常
イティヴッタカ
趣旨一致
長
Tikanipāta Catutthavagga Pañcapubbanimittasutta Vuttañhetaṁ bhagavatā vuttamarahatāti me sutaṁ: Sā kho panassa saddhā niviṭṭhā hoti mūlajātā patiṭṭhitā daḷhā asaṁhāriyā samaṇena vā brāhmaṇena vā devena vā mārena vā brahmunā vā kenaci vā lokasmiṁ; idaṁ kho, bhikkhu, devānaṁ suppatiṭṭhitasaṅkhātan”ti. Etamatthaṁ bhagavā avoca. Tatthetaṁ iti vuccati: “Yadā devo devakāyā, cavati āyusaṅkhayā; Tayo saddā niccharanti, devānaṁ anumodataṁ. ‘Ito bho sugatiṁ gaccha, manussānaṁ sahabyataṁ; Manussabhūto sadd
これは世尊によって説かれたものである。阿羅漢にして世尊が説かれたと、このように私は聞いた。
かくて彼の信(サッダー)は、深く根を下ろし、確立され、確固として、沙門によっても、婆羅門によっても、天によっても、魔(マーラ)によっても、梵天によっても、この世のいかなるものによっても、揺るがし去ることのできないものとなる。比丘よ、これこそが諸天において「善く確立されたもの」と称されるのである。
この義(アッタ)を世尊は説かれた。ここにおいて、かく説かれる。
天人が天の衆より
寿命(アーユ)の尽きて逝くとき
天たちの随喜のうちに
三つの声が響き渡る。
「さあ、善き所(スガティ)へと赴け
人間たちの友として
人間として生まれたならば——」
⚠ 出家者向けの文脈
業・因果
イティヴッタカ
趣旨一致
長
Ekakanipāta Tatiyavagga Musāvādasutta Vuttañhetaṁ bhagavatā vuttamarahatāti me sutaṁ: “Ekadhammaṁ atītassa, bhikkhave, purisapuggalassa nāhaṁ tassa kiñci pāpakammaṁ akaraṇīyanti vadāmi. Katamaṁ ekadhammaṁ? Yadidaṁ, bhikkhave, sampajānamusāvādo”ti. Etamatthaṁ bhagavā avoca. Tatthetaṁ iti vuccati: “Ekadhammaṁ atītassa, musāvādissa jantuno; Vitiṇṇaparalokassa, natthi pāpaṁ akāriyan”ti. Ayampi attho vutto bhagavatā, iti me sutanti. Pañcamaṁ.
# イティヴッタカ 第一集 第三品 妄語経
これは世尊によって説かれたものである。尊き方によって説かれたと、わたしは聞いた。
「比丘たちよ、一つの法(ダンマ)を捨て去った人間については、いかなる悪業(パーパカンマ)をも為しかねないと、わたしは言う。その一つの法とは何か。比丘たちよ、すなわち、故意の妄語(サンパジャーナ・ムサーヴァーダ)がそれである。」
この意義を世尊は説かれた。そこにおいて、次のように語られる。
> 一つの法を捨て去りし者、
> 妄語を語る人は、
> 来世(パラローカ)を踏み越えてしまえば、
> 為さぬ悪はないのである。
この意義もまた世尊によって説かれた。このようにわたしは聞いた。
第五経
⚠ 自己責任論に誤解されやすい
経典データの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)