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💬 AIブッダに相談
10,029
偈句数
9,999
日本語訳あり
9,982
パーリ原文
経典 19
テーマ 20
該当 931
すべて
智慧 4354
老い 931
苦しみ 772
正念 695
怒り 356
執着 350
死 350
業・因果 346
幸せ 337
自己 244
人間関係 243
家族 234
不安 168
仕事 165
渇愛 147
慈悲 115
無常 111
孤独 45
空 43
感謝 23
vinaya 2606
中部経典 2117
長部経典 1357
相応部経典 1136
増支部経典 857
jataka 563
スッタニパータ 522
ダンマパダ(法句経) 426
テーラガーター 211
テーリーガーター 68
クッダカパータ 57
イティヴッタカ 54
ウダーナ 34
金剛経 5
維摩経 5
般若心経 4
法華経 4
涅槃経 2
AN 1
老い
テーラガーター
趣旨一致
長
Vīsatinipāta Paṭhamavagga Telakānittheragāthā “Cirarattaṁ vatātāpī, dhammaṁ anuvicintayaṁ; Samaṁ cittassa nālatthaṁ, pucchaṁ samaṇabrāhmaṇe. Taṁ na passāmi tekicchaṁ, yo metaṁ sallamuddhare; Nānārajjena satthena, nāññena vicikicchitaṁ. Ko me asattho avaṇo, Sallamabbhantarapassayaṁ; Ahiṁsaṁ sabbagattāni, Sallaṁ me uddharissati. Dhammappati hi so seṭṭho, visadosappavāhako; Gambhīre patitassa me, thalaṁ pāṇiñca dassaye. Rahadehamasmi ogāḷho, ahāriyarajamattike; Māyāusūyasārambha, thinamiddhamapatth
# テーラガーター 16.3 テーラカーニ長老偈
---
久しき夜を 精進(しょうじん)に励み、
法(ダンマ)をひたすら思い続けたが、
心の平静(さま)をついぞ得られず、
沙門・婆羅門に問い求めた。
この矢を抜き去ることのできる
療治(りょうじ)の者を、我は見出せぬ。
さまざまな彩りなす錐(きり)をもってしても、
異なる術(すべ)をもっていかに試みても。
我が内なる傷は 刃(やいば)も及ばず、
矢は奥処(おくが)に深々と潜む。
すべての肢体を傷つけることなく、
この矢を抜き取る者が欲しい。
まことに彼こそ最勝(さいしょう)の法の師、
煩悩の毒を洗い流す者。
深みに落ちたる我に、
陸地と救いの手とを示し給え。
我はすでに深い湖沼に沈み、
砂の土台ごと泥に没している。
欺瞞・嫉妬・傲慢・
惛沈(こんじん)・睡眠(すいめん)のとりこと成り果てて……
老い
テーラガーター
趣旨一致
長
Vīsatinipāta Paṭhamavagga Aṅgulimālattheragāthā “Gacchaṁ vadesi samaṇaṭṭhitomhi, Mamañca brūsi ṭhitamaṭṭhitoti; Pucchāmi taṁ samaṇa etamatthaṁ, ‘Kathaṁ ṭhito tvaṁ ahamaṭṭhitomhi’”. Disā hi me khantivādānaṁ, avirodhappasaṁsinaṁ; Suṇantu dhammaṁ kālena, tañca anuvidhīyantu. Na hi jātu so mamaṁ hiṁse, aññaṁ vā pana kiñcanaṁ; Pappuyya paramaṁ santiṁ, rakkheyya tasathāvare. Udakañhi nayanti nettikā, Usukārā namayanti tejanaṁ; Dāruṁ namayanti tacchakā, Attānaṁ damayanti paṇḍitā. Daṇḍeneke damayanti, a
# テーラガーター 16・8 アングリマーラ長老の偈
---
「歩みつつ汝は言う、〈沙門よ、我は止まれり〉と、
されど我に向かいては、〈止まらぬ者よ〉と呼びかける。
沙門よ、我はこの事を問う——
いかに止まりて、汝は我を止まらぬと言うのか」と。
---
忍耐(カンティ)を説く者どもの方角において、
争いなきを讃える者どもの方角において、
彼らは時に応じて法(ダンマ)を聞き、
またその法(ダンマ)に従って行ずるがよい。
かの者はついに我を害することなく、
また他のいかなる者をも害することなし。
最高の安らぎ(涅槃・ニッバーナ)に達して、
動くものも動かぬものも、ことごとく護るであろう。
水路を作る者は水を導き、
矢師(ウスカーラ)は矢を矯め、
大工(タッチャカ)は木材を削り整え、
賢者(パンディタ)は自らを調御(ダマ)する。
或る者は棒によって調御され、
老い
テーラガーター
趣旨一致
長
Catukkanipāta Paṭhamavagga Muditattheragāthā “Pabbajiṁ jīvikatthohaṁ, laddhāna upasampadaṁ; Tato saddhaṁ paṭilabhiṁ, daḷhavīriyo parakkamiṁ. Kāmaṁ bhijjatuyaṁ kāyo, maṁsapesī visīyaruṁ; Ubho jaṇṇukasandhīhi, jaṅghāyo papatantu me. Nāsissaṁ na pivissāmi, vihārā ca na nikkhame; Napi passaṁ nipātessaṁ, taṇhāsalle anūhate. Tassa mevaṁ viharato, passa vīriyaparakkamaṁ; Tisso vijjā anuppattā, kataṁ buddhassa sāsanan”ti. … Mudito thero … Catukkanipāto niṭṭhito. Tatruddānaṁ Nāgasamālo bhagu ca, sabhiyo
# ムディタ長老の偈(Muditattheragāthā)
---
生活の糧を求めて、わたしは出家した。
具足戒(うぐそくかい)を授かりしのち、
そこに信(しん)を得て、
強き精進(しょうじん)をもって励んだ。
この身が壊れようとも構わぬ、
肉の繊維が崩れ落ちようとも。
両の膝の関節より、
脛(すね)が落ちようとも。
食わず、飲まず、
僧房を出ることもせぬ。
また横になって臥すこともせぬ、
渇愛(かつあい)の矢の抜けぬかぎりは。
このようにして住するわたしを見よ、
精進(しょうじん)の励みを。
三明(さんみょう)が証得(しょうとく)された、
ブッダの教えはなしとげられた。
---
…ムディタ長老の偈…
四集(しじゅう)おわる。
その摂頌(せっしょう)にいわく——
ナーガサマーラ、バグ、サビヤ……
老い
テーラガーター
趣旨一致
長
Pañcakanipāta Paṭhamavagga Vijitasenattheragāthā “Olaggessāmi te citta, āṇidvāreva hatthinaṁ; Na taṁ pāpe niyojessaṁ, kāmajāla sarīraja. Tvaṁ olaggo na gacchasi, Dvāravivaraṁ gajova alabhanto; Na ca cittakali punappunaṁ, Pasakka pāparato carissasi. Yathā kuñjaraṁ adantaṁ, Navaggahamaṅkusaggaho; Balavā āvatteti akāmaṁ, Evaṁ āvattayissaṁ taṁ. Yathā varahayadamakusalo, Sārathi pavaro dameti ājaññaṁ; Evaṁ damayissaṁ taṁ, Patiṭṭhito pañcasu balesu. Satiyā taṁ nibandhissaṁ, Payutto te damessāmi; Vīriy
---
われは汝を繋ぎ止めん、心よ、
城門に繋がれた象のごとく。
汝を悪へと向かわせることなかれ、
欲望の網、身より生ずるものよ。
繋がれたなら汝は行かぬ、
門の隙間を得られぬ象のごとく。
再び再び、悪に耽り
罪に傾く心の賽は投げさせじ。
調教されぬ象を、
新たに捕らえた者が象鉤を手に、
力ずくで意に反して引き戻すごとく、
われもまた汝を引き戻さん。
優れた調馬師が
駿馬(あじゃんにゃ)を巧みに馴らすごとく、
われもまた汝を調御せん、
五力(ごりき)に安住してこそ。
念(ねん)をもて汝を繋ぎ、
励みて汝を調御せん、
精進(ヴィーリヤ)をもて——
老い
テーラガーター
趣旨一致
長
Chakkanipāta Paṭhamavagga Sirimaṇḍattheragāthā “Channamativassati, vivaṭaṁ nātivassati; Tasmā channaṁ vivaretha, evaṁ taṁ nātivassati. Maccunābbhahato loko, jarāya parivārito; Taṇhāsallena otiṇṇo, icchādhūpāyito sadā. Maccunābbhahato loko, parikkhitto jarāya ca; Haññati niccamattāṇo, pattadaṇḍova takkaro. Āgacchantaggikhandhāva, maccu byādhi jarā tayo; Paccuggantuṁ balaṁ natthi, javo natthi palāyituṁ. Amoghaṁ divasaṁ kayirā, appena bahukena vā; Yaṁ yaṁ vijahate rattiṁ, tadūnaṁ tassa jīvitaṁ. Car
# テーラガーター 第六章第一節 シーリマンダ長老の偈
覆われたるものには雨は降り込み、
開かれたるものには雨は降り込まぬ。
されば覆いを開き解き放て、
そうすれば雨は汝に降り込まぬであろう。
この世(ロカ)は死(マッチュ)に打ち砕かれ、
老い(ジャラー)に取り囲まれている。
渇愛(タンハー)という矢に貫かれ、
欲望(イッチャー)の煙に常に燻されている。
この世は死に打ち砕かれ、
また老いによって包み囲まれている。
守護なく、常に打ちのめされる――
罰せられる盗人が棒で打たれるように。
火の塊のごとく迫り来る
死と病と老いと、この三つのものよ。
これを迎え撃つ力もなく、
逃げ走る速さもまたない。
日々を空しく過ごすことなかれ、
少なきことにおいても多きことにおいても。
夜が過ぎ去るたびに
その分だけ命は短くなりゆく。
⚠ 希死念慮の場面では使わない
老い
テーラガーター
趣旨一致
長
Chakkanipāta Paṭhamavagga Kullattheragāthā “Kullo sivathikaṁ gantvā, addasa itthimujjhitaṁ; Apaviddhaṁ susānasmiṁ, khajjantiṁ kimihī phuṭaṁ. Āturaṁ asuciṁ pūtiṁ, passa kulla samussayaṁ; Uggharantaṁ paggharantaṁ, bālānaṁ abhinanditaṁ. Dhammādāsaṁ gahetvāna, ñāṇadassanapattiyā; Paccavekkhiṁ imaṁ kāyaṁ, tucchaṁ santarabāhiraṁ. Yathā idaṁ tathā etaṁ, yathā etaṁ tathā idaṁ; Yathā adho tathā uddhaṁ, yathā uddhaṁ tathā adho. Yathā divā tathā rattiṁ, yathā rattiṁ tathā divā; Yathā pure tathā pacchā, yat
# クッラ長老の偈(テーラガーター 6.4)
クッラは葬場へと赴き、
捨て置かれた一人の女を見た。
墓場に打ち棄てられ、
蛆虫にまみれて喰われゆく骸を。
「クッラよ、見よ、この身を——
病み、不浄に、腐敗して、
滲み出で、溢れ流れ、
愚かなる者どもの悦び求めるものを。
智慧による見(ñāṇadassana)を得るために
法の鏡(dhammādāsa)を手に取り、
この身を内外ともに
空虚なるものと観じた。
かの屍のごとく、この身もまた。
この身のごとく、かの屍もまた。
下なるもののごとく、上もまた。
上なるもののごとく、下もまた。
昼のごとく、夜もまた。
夜のごとく、昼もまた。
前なるもののごとく、後もまた——
⚠ 初手で出すと冷たく見える
老い
テーリーガーター
趣旨一致
中
Dukanipāta Abhayamātutherīgāthā “Uddhaṁ pādatalā amma, adho ve kesamatthakā; Paccavekkhassumaṁ kāyaṁ, asuciṁ pūtigandhikaṁ. Evaṁ viharamānāya, sabbo rāgo samūhato; Pariḷāho samucchinno, sītibhūtāmhi nibbutā”ti. … Abhayamātā therī ….
「足の裏より上、頭の髪より下、
この身を観察せよ、我が子よ——
不浄にして、腐臭に満てることを。
かくのごとく住しながら、
すべての貪欲(ラーガ)は根ごと断たれ、
熱悩(パリラーハ)は跡形もなく滅し、
我はいま清涼となり、涅槃(ニッバーナ)に安らう」と。
…… アバヤの母・長老尼 ……
老い
テーリーガーター
趣旨一致
長
Dukanipāta Abhirūpanandātherīgāthā “Āturaṁ asuciṁ pūtiṁ, passa nande samussayaṁ; Asubhāya cittaṁ bhāvehi, ekaggaṁ susamāhitaṁ. Animittañca bhāvehi, mānānusayamujjaha; Tato mānābhisamayā, upasantā carissasī”ti. Itthaṁ sudaṁ abhirūpanandā therī gāthāyo abhāsitthāti.
「ナンダーよ、この身(samussaya)を見よ、
病み、穢れ、腐りゆくものを。
不浄(asubhā)に心を向けて修め、
一境に、よく静まり澄ませよ。
また無相(animitta)をも修めよ、
慢(māna)の潜在的傾向(anusaya)を捨て去れ。
そののち、慢を現観(abhisamaya)することにより、
汝は静けさのうちに歩むであろう」と。
かくのごとく、アビルーパナンダー長老尼はこれらの偈を語られた。
⚠ 出家者向けの文脈
老い
テーリーガーター
趣旨一致
長
Dukanipāta Mettikātherīgāthā “Kiñcāpi khomhi dukkhitā, dubbalā gatayobbanā; Daṇḍamolubbha gacchāmi, pabbataṁ abhirūhiya. Nikkhipitvāna saṅghāṭiṁ, pattakañca nikujjiya; Nisinnā camhi selamhi, atha cittaṁ vimucci me; Tisso vijjā anuppattā, kataṁ buddhassa sāsanan”ti. … Mettikā therī ….
「たとえ我は苦(ドゥッカ)しみ、
衰え、若さは過ぎ去りたれども、
杖に身をもたせながら歩みゆき、
山をよじ登りて、
僧伽梨(サンガーティ)衣を脱ぎ置き、
鉢を伏せて、
岩の上に座すとき、
我が心は解き放たれたり。
三明(ティッソ・ヴィッジャー)はすでに得られ、
仏陀の教えは成し遂げられたり」と。
…… メッティカー長老尼 ……
老い
テーリーガーター
趣旨一致
長
Vīsatinipāta Ambapālītherīgāthā “Kāḷakā bhamaravaṇṇasādisā, Vellitaggā mama muddhajā ahuṁ; Te jarāya sāṇavākasādisā, Saccavādivacanaṁ anaññathā. Kānanamhi vanasaṇḍacārinī, Kokilāva madhuraṁ nikūjihaṁ; Taṁ jarāya khalitaṁ tahiṁ tahiṁ, Saccavādivacanaṁ anaññathā. Saṇhakamburiva suppamajjitā, Sobhate su gīvā pure mama; Sā jarāya bhaggā vināmitā, Saccavādivacanaṁ anaññathā. Vaṭṭapalighasadisopamā ubho, Sobhare su bāhā pure mama; Tā jarāya yatha pāṭalibbalitā, Saccavādivacanaṁ anaññathā. Saṇhamuddika
二十詩句品
かつてわが頭の髪は、黒く、蜂の色に似て、
先端は巻き縮れていた。
それが今は老いのために、麻の皮のごとし。
真実を語る者の言葉は、かくて変わらぬ。
かつて森の茂みを歩みつつ、
コーキラ(杜鵑)のごとく、わたしは甘く鳴き響かせた。
それが今は老いのために、あちこちにしわがれている。
真実を語る者の言葉は、かくて変わらぬ。
かつてわが頸は、よく磨かれた滑らかな法螺貝のように、
麗しく輝いていた。
それが今は老いのために、折れ曲がり傾いている。
真実を語る者の言葉は、かくて変わらぬ。
かつてわが両腕は、
丸い鎖の留め金のごとく、麗しく輝いていた。
それが今は老いのために、枯れたパーターリ樹の枝のごとし。
真実を語る者の言葉は、かくて変わらぬ。
滑らかな指輪(を飾るその手)……
⚠ 希死念慮の場面では使わない
老い
テーリーガーター
趣旨一致
長
Pañcakanipāta Vimalātherīgāthā “Mattā vaṇṇena rūpena, sobhaggena yasena ca; Yobbanena cupatthaddhā, aññāsamatimaññihaṁ. Vibhūsetvā imaṁ kāyaṁ, sucittaṁ bālalāpanaṁ; Aṭṭhāsiṁ vesidvāramhi, luddo pāsamivoḍḍiya. Piḷandhanaṁ vidaṁsentī, guyhaṁ pakāsikaṁ bahuṁ; Akāsiṁ vividhaṁ māyaṁ, ujjagghantī bahuṁ janaṁ. Sājja piṇḍaṁ caritvāna, muṇḍā saṅghāṭipārutā; Nisinnā rukkhamūlamhi, avitakkassa lābhinī. Sabbe yogā samucchinnā, ye dibbā ye ca mānusā; Khepetvā āsave sabbe, sītibhūtāmhi nibbutā”ti. … Vimalā pu
# テーリーガーター 第五章第二偈 ヴィマラー長老尼の偈
---
容色(かおかたち)の美しさに、
姿かたちの麗しさに、
幸運と名声とに、
若さの絶頂にあって、わたしは傲慢であった。
他の者たちを、見くだしていた。
この身を飾り立て、
愚か者を誘う、彩られた罠として、
娼婦の門口に立ちはだかり、
猟師が罠を仕掛けるように、わたしは待ち構えていた。
多くの飾りをちらつかせ、
隠すべきものをあらわに晒し、
さまざまな誑かし(たぶらかし)を巡らせながら、
多くの人々を嘲り笑っていた。
されどいまは、鉢を手に托鉢を終え、
剃髪し、袈裟(サンガーティ)をまとい、
木の根元に座している。
分別妄想(ヴィタッカ)を超えた境地を、
わたしは得た。
天上のものも人間のものも、
あらゆる繋縛(ヨーガ)は断ち切られた。
すべての煩悩(アーサヴァ)を燃やし尽くして、
わたしは今、涼やかに、涅槃(ニッバーナ)に安らう。
---
*遊女ヴィマラーの作*
⚠ 初手で出すと冷たく見える
老い
テーリーガーター
趣旨一致
長
Pañcakanipāta Sundarīnandātherīgāthā “Āturaṁ asuciṁ pūtiṁ, passa nande samussayaṁ; Asubhāya cittaṁ bhāvehi, ekaggaṁ susamāhitaṁ. Yathā idaṁ tathā etaṁ, yathā etaṁ tathā idaṁ; Duggandhaṁ pūtikaṁ vāti, bālānaṁ abhinanditaṁ. Evametaṁ avekkhantī, rattindivamatanditā; Tato sakāya paññāya, abhinibbijjha dakkhisaṁ”. “Tassā me appamattāya, vicinantiyā yoniso; Yathābhūtaṁ ayaṁ kāyo, diṭṭho santarabāhiro. Atha nibbindahaṁ kāye, ajjhattañca virajjahaṁ; Appamattā visaṁyuttā, upasantāmhi nibbutā”ti. … Sundar
# テーリーガーター 第五章 スンダリーナンダー長老尼の偈
---
「ナンダよ、この身(samussaya)を見よ——
病み、汚れ、腐敗したるものを。
不浄(asubhā)の観想に心を向け、
一点に集め、よく静め整えよ。
この身のごとく彼の身もあり、
彼の身のごとくこの身もある。
悪臭を放ち、腐り漂う——
それを愚かな者たちは喜び求める。
かくのごとくこれをつぶさに観じながら、
昼夜たゆまず怠ることなく、
ついにはおのれの智慧(paññā)をもって、
厭い離れ、明らかに見届けるであろう」と。
---
「かくして、わたくしは放逸なることなく、
理法のままに(yoniso)つぶさに観じ続けた。
この身を、内にも外にも、
あるがままに(yathābhūtaṁ)見届けた。
そのとき、わたくしはこの身を厭い(nibbindahaṁ)、
内において離欲(virajja)を得た。
放逸なることなく、束縛を脱し、
わたくしはいま寂静(upasanta)にして、涅槃(nibbuta)に達した」と。
——スンダリーナンダー
⚠ 初手で出すと冷たく見える
老い
テーリーガーター
趣旨一致
長
Pañcakanipāta Mittākāḷītherīgāthā “Saddhāya pabbajitvāna, agārasmānagāriyaṁ; Vicariṁhaṁ tena tena, lābhasakkāraussukā. Riñcitvā paramaṁ atthaṁ, hīnamatthaṁ asevihaṁ; Kilesānaṁ vasaṁ gantvā, sāmaññatthaṁ na bujjhihaṁ. Tassā me ahu saṁvego, nisinnāya vihārake; Ummaggapaṭipannāmhi, taṇhāya vasamāgatā. Appakaṁ jīvitaṁ mayhaṁ, jarā byādhi ca maddati; Purāyaṁ bhijjati kāyo, na me kālo pamajjituṁ. Yathābhūtamavekkhantī, khandhānaṁ udayabbayaṁ; Vimuttacittā uṭṭhāsiṁ, kataṁ buddhassa sāsanan”ti. … Mittā
# テーリーガーター 5・6 ミッター長老尼の偈
信(サッダー)によりて出家し、
家より家なき道へと入りたるも、
わたしはあちこちとさまよい歩き、
利得と供養とを求めてやまなかった。
最高の義(アッタ)をかなぐり捨て、
劣った義をのみ求めて過ごし、
煩悩(キレーサ)の支配のもとに堕ちて、
沙門の真の目的を悟ることができなかった。
精舎のうちに座していたとき、
わたしの心に深い慚愧(サンヴェーガ)が湧き起こった——
わたしは邪道を歩んでいたのだ、
渇愛(タンハー)の力に囚われたまま。
わたしの命は短く、
老(ジャラー)と病(ビャーディ)とがこの身を押し砕く。
この身はやがて壊れ散ろう——
今は怠惰に過ごすべき時ではない。
五蘊(カンダ)の生滅(ウダヤッバヤ)を
ありのままに観じたるとき、
わたしは心解脱(ヴィムッタチッター)して立ち上がった。
仏陀の教えは、今や成し遂げられた、と。
——ミッター
老い
テーリーガーター
趣旨一致
長
Pañcakanipāta Soṇātherīgāthā “Dasa putte vijāyitvā, asmiṁ rūpasamussaye; Tatohaṁ dubbalā jiṇṇā, bhikkhuniṁ upasaṅkamiṁ. Sā me dhammamadesesi, khandhāyatanadhātuyo; Tassā dhammaṁ suṇitvāna, kese chetvāna pabbajiṁ. Tassā me sikkhamānāya, dibbacakkhu visodhitaṁ; Pubbenivāsaṁ jānāmi, yattha me vusitaṁ pure. Animittañca bhāvemi, ekaggā susamāhitā; Anantarāvimokkhāsiṁ, anupādāya nibbutā. Pañcakkhandhā pariññātā, tiṭṭhanti chinnamūlakā; Dhi tavatthu jare jamme, natthi dāni punabbhavo”ti. … Soṇā therī …
# テーリーガーター 第五章 ソーナー長老尼の偈
五人品 ソーナー長老尼の偈
「この身(ルーパ)の集まりより、十たりの子を産みしのち、
わたしは衰え老いさらばえて、一人の比丘尼のもとへと赴いた。
彼女はわたしに法(ダンマ)を説き示した——
蘊(カンダ)と処(アーヤタナ)と界(ダートゥ)とを。
その法を聴き終えて、
わたしは髪を剃り、出家した。
学びを修めてゆくなかで、
天眼(ディッバチャック)は清められた。
わたしは前世の住処(プッベーニワーサ)を知る、
かつてわたしが住み暮らした場所を。
無相(アニミッタ)を修め、
一心に、よく定まりて——
わが解脱は間断なく訪れ、
執取(アヌパーダーヤ)なく、涅槃(ニッバーナ)に入った。
五蘊(パンチャカンダ)はことごとく了知され、
根を断たれて、なお立っている。
愚かなるかな、汝よ、老いさらばえた、賤しき身よ——
もはや再び生まれることはない。」
……ソーナー長老尼……
⚠ 出家者向けの文脈
老い
テーリーガーター
直接根拠
短
かつては美しさを誇り、若さに酔っていた。今、この身体は老い、病み、変わり果てた。しかし、心は真理を見出し、安らかである。
老い
テーリーガーター
趣旨一致
長
Chakkanipāta Khemātherīgāthā “Daharā tvaṁ rūpavatī, ahampi daharo yuvā; Pañcaṅgikena turiyena, ehi kheme ramāmase”. “Iminā pūtikāyena, āturena pabhaṅgunā; Aṭṭiyāmi harāyāmi, kāmataṇhā samūhatā. Sattisūlūpamā kāmā, khandhāsaṁ adhikuṭṭanā; Yaṁ ‘tvaṁ kāmaratiṁ’ brūsi, ‘aratī’ dāni sā mama. Sabbattha vihatā nandī, tamokhandho padālito; Evaṁ jānāhi pāpima, nihato tvamasi antaka. Nakkhattāni namassantā, aggiṁ paricaraṁ vane; Yathābhuccamajānantā, bālā suddhimamaññatha. Ahañca kho namassantī, sambuddha
# テーリーガーター 第六章第三詩 ケーマー長老尼の偈
---
「あなたは若く、美しい姿をしている。
わたしもまた若く、青春の盛りにある。
五種の楽器を奏でながら、
さあ、ケーマーよ、ともに楽しもうではないか。」
---
「この腐れゆく身(身体)、
病に侵され、崩れ砕けるこの肉体に、
わたしはうんざりし、恥じ入るのだ。
欲愛(カーマタンハー)は、すでに根こそぎ抜き去られた。
諸々の欲楽(カーマ)は、槍の穂先のごとく、
五蘊(カンダ)を斬り刻む刃のごとし。
あなたが「欲楽の喜び」と呼ぶそのものが、
今のわたしには「不楽」(アラティ)にほかならぬ。
あらゆるところで喜び(ナンディ)は打ち砕かれ、
無明の暗黒(タモカンダ)は裂き破られた。
このことをよく知るがよい、悪魔(パーピマ)よ——
汝はすでに打ち倒された、死の支配者(アンタカ)よ。
星辰を礼拝し、
森の中で火を奉じながら、
真実(ありのまま)を知ることなく、
愚かな者たちは、それをもって清浄となすと思い誤った。
されどわたしは、
正しくさとれる仏陀(サンブッダ)を礼拝し奉る——
老い
テーリーガーター
直接根拠
短
美しかったこの身体は、今は老い、曲がり、杖をつく。真理の家は朽ちることがなく、真理の建造者(仏)は教えを残した。
老い
ウダーナ
趣旨一致
長
Mahākassapasutta Evaṁ me sutaṁ— ekaṁ samayaṁ bhagavā rājagahe viharati veḷuvane kalandakanivāpe. Tena kho pana samayena āyasmā mahākassapo pippaliguhāyaṁ viharati ābādhiko dukkhito bāḷhagilāno. Atha kho āyasmā mahākassapo aparena samayena tamhā ābādhā vuṭṭhāsi. Atha kho āyasmato mahākassapassa tamhā ābādhā vuṭṭhitassa etadahosi: “yannūnāhaṁ rājagahaṁ piṇḍāya paviseyyan”ti. Tena kho pana samayena pañcamattāni devatāsatāni ussukkaṁ āpannāni honti āyasmato mahākassapassa piṇḍapātapaṭilābhāya. Atha
# マハーカッサパの経(大迦葉経)
このように私は聞いた。——ある時、世尊はラージャガハ(王舎城)のヴェーヌヴァナ(竹林精舎)、カランダカニヴァーパ(栗鼠飼養園)に滞在しておられた。
その時、尊者マハーカッサパ(大迦葉)はピッパリー窟において、病を得て苦しみ、重く臥せっておられた。
やがて、尊者マハーカッサパはその病より回復された。すると、病より癒えた尊者マハーカッサパに、こういう思いが生じた。「さあ、わたしはラージャガハに托鉢(ピンダパータ)に入ろう」と。
ところがその時、およそ五百の神々が、尊者マハーカッサパの托鉢の糧を得んがために、心を砕いて準備を整えていた。
⚠ 希死念慮の場面では使わない
老い
ウダーナ
趣旨一致
長
Meghiyasutta Evaṁ me sutaṁ— ekaṁ samayaṁ bhagavā cālikāyaṁ viharati cālike pabbate. Tena kho pana samayena āyasmā meghiyo bhagavato upaṭṭhāko hoti. Atha kho āyasmā meghiyo yena bhagavā tenupasaṅkami; upasaṅkamitvā bhagavantaṁ abhivādetvā ekamantaṁ aṭṭhāsi. Ekamantaṁ ṭhito kho āyasmā meghiyo bhagavantaṁ etadavoca: “icchāmahaṁ, bhante, jantugāmaṁ piṇḍāya pavisitun”ti. “Yassadāni tvaṁ, meghiya, kālaṁ maññasī”ti. Atha kho āyasmā meghiyo sāyanhasamayaṁ paṭisallānā vuṭṭhito yena bhagavā tenupasaṅkami;
このように私は聞いた——
あるとき、世尊はチャーリカーのチャーリカー山に滞在しておられた。そのころ、尊者メーギヤは世尊の侍者であった。
そこで尊者メーギヤは世尊のもとに近づいた。近づいて世尊を礼拝し、かたわらに立った。かたわらに立った尊者メーギヤは、世尊にこのように申し上げた。
「世尊よ、わたくしはジャントゥ村に托鉢に入りたいと思います。」
「メーギヤよ、いま汝が時と思うならば〔そうするがよい〕。」
そこで尊者メーギヤは夕刻、独坐(パṭisallāna)より出定して、世尊のもとに近づいた。
老い
ウダーナ
趣旨一致
長
Paṭhamanānātitthiyasutta Evaṁ me sutaṁ— ekaṁ samayaṁ bhagavā sāvatthiyaṁ viharati jetavane anāthapiṇḍikassa ārāme. Tena kho pana samayena sambahulā nānātitthiyasamaṇabrāhmaṇaparibbājakā sāvatthiyaṁ paṭivasanti nānādiṭṭhikā nānākhantikā nānārucikā nānādiṭṭhinissayanissitā. Santeke samaṇabrāhmaṇā evaṁvādino evaṁdiṭṭhino: “hoti ca na ca hoti tathāgato paraṁ maraṇā, idameva saccaṁ moghamaññan”ti. Santi paneke samaṇabrāhmaṇā evaṁvādino evaṁdiṭṭhino: “neva hoti na na hoti tathāgato paraṁ maraṇā, idame
このように私は聞いた。
あるとき、世尊(バガヴァー)はサーヴァッティー(舎衛城)のジェータ林、アナータピンディカ(給孤独)長者の園にましました。
そのころ、サーヴァッティーには、種々の外道(ティッティヤ)の沙門・婆羅門・遍歴行者たちが多数住んでいた。彼らはそれぞれ異なる見解を持ち、異なる主張を抱き、異なる好みに従い、異なる見解の拠り所に依っていた。
そのなかに、次のように説き、次のように見る沙門・婆羅門たちがいた。
「如来(タターガタ)は死後に存在し、かつまた存在しない。これのみが真実であり、他は空虚である」と。
また、次のように説き、次のように見る沙門・婆羅門たちもいた。
「如来は死後に存在するのでもなく、存在しないのでもない。これのみが真実であり――」と。
⚠ 希死念慮の場面では使わない
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