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💬 AIブッダに相談
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偈句数
9,999
日本語訳あり
9,982
パーリ原文
経典 19
テーマ 20
該当 350
すべて
智慧 4354
老い 931
苦しみ 772
正念 695
怒り 356
執着 350
死 350
業・因果 346
幸せ 337
自己 244
人間関係 243
家族 234
不安 168
仕事 165
渇愛 147
慈悲 115
無常 111
孤独 45
空 43
感謝 23
vinaya 2606
中部経典 2117
長部経典 1357
相応部経典 1136
増支部経典 857
jataka 563
スッタニパータ 522
ダンマパダ(法句経) 426
テーラガーター 211
テーリーガーター 68
クッダカパータ 57
イティヴッタカ 54
ウダーナ 34
金剛経 5
維摩経 5
般若心経 4
法華経 4
涅槃経 2
AN 1
死
vinaya
趣旨一致
中
Yo paribhuñjeyya, āpatti thullaccayassa. Na ca, bhikkhave, appaṭivekkhitvā maṁsaṁ paribhuñjitabbaṁ. Yo paribhuñjeyya, āpatti dukkaṭassā”ti. 10. Hatthimaṁsādipaṭikkhepakathā Tena kho pana samayena rañño hatthī maranti. Manussā dubbhikkhe hatthimaṁsaṁ paribhuñjanti, bhikkhūnaṁ piṇḍāya carantānaṁ hatthimaṁsaṁ denti. Bhikkhū hatthimaṁsaṁ paribhuñjanti. Manussā ujjhāyanti khiyyanti vipācenti— “kathañhi nāma samaṇā sakyaputtiyā hatthimaṁsaṁ paribhuñjissanti. Rājaṅgaṁ hatthī, sace rājā jāneyya, na nesaṁ attamano assā”ti.
〔これを〕受用するならば、偸蘭遮(thullaccaya)の罪を犯すことになる。また比丘たちよ、よく省察することなく肉を受用してはならない。〔省察せずに〕受用するならば、突吉羅(dukkaṭa)の罪を犯すことになる」と。
十 象肉等の禁止に関する話
そのころ、王の象たちが死んでいた。人々は飢饉のなか象の肉を受用し、托鉢に歩く比丘たちに象の肉を施した。比丘たちは象の肉を受用した。人々はこれを憤り、そしり、非難して言った。「いかなる理由があって、釈迦の子たる沙門たちは象の肉を受用するのであろうか。象は王の標(しるし)である。もし王がこれを知るならば、きっとお喜びにはなられまい」と。
⚠ 出家者向けの文脈
死
vinaya
趣旨一致
中
Yassāyasmato khamati imassa cīvarassa ca pattassa ca gilānupaṭṭhākānaṁ dānaṁ, so tuṇhassa; yassa nakkhamati, so bhāseyya. Dinnaṁ idaṁ saṅghena cīvarañca patto ca gilānupaṭṭhākānaṁ. Khamati saṅghassa, tasmā tuṇhī, evametaṁ dhārayāmī’”ti. Tena kho pana samayena aññataro bhikkhu ca sāmaṇero ca gilānaṁ upaṭṭhahiṁsu. So tehi upaṭṭhahiyamāno kālamakāsi. Atha kho tassa gilānupaṭṭhākassa bhikkhuno etadahosi— “kathaṁ nu kho gilānupaṭṭhākassa sāmaṇerassa cīvarapaṭivīso dātabbo”ti? “Anujānāmi, bhikkhave, gilānupaṭṭhākassa sāmaṇerassa samakaṁ paṭivīsaṁ dātun”ti. Tena kho pana samayena aññataro bhikkhu bahubhaṇḍo bahuparikkhāro kālaṅkato hoti.
「この衣(こえ)と鉢(はつ)とを看病人(かんびょうにん)に施すことを、もし承認される長老がおられるならば黙っておられよ。承認されない方は発言されよ。この衣と鉢とは僧伽(さんが)によって看病人たちに施された。僧伽はこれを承認した。ゆえに黙っておられる。このことをかくのごとく保持する」と。
さてそのとき、ある比丘(びく)と沙弥(しゃみ)とが病者を看病していた。その病者は彼らに看病されつつ、命終(みょうじゅう)した。そこでその看病の比丘に、かくの思いが生じた——「看病をした沙弥に対して、いかにして衣の分配(ぶんぱい)を与えるべきであろうか」と。
「比丘たちよ、わたしは許可する。看病をした沙弥に対して、等しき分をもって配分を与えることを」と。
さてそのとき、ある比丘が多くの財物(ざいもつ)と多くの資具(しぐ)とを有したまま命終した。
⚠ 出家者向けの文脈
死
vinaya
趣旨一致
中
Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Na, bhikkhave, hatthimaṁsaṁ paribhuñjitabbaṁ. Yo paribhuñjeyya, āpatti dukkaṭassā”ti. Tena kho pana samayena rañño assā maranti. Manussā dubbhikkhe assamaṁsaṁ paribhuñjanti, bhikkhūnaṁ piṇḍāya carantānaṁ assamaṁsaṁ denti. Bhikkhū assamaṁsaṁ paribhuñjanti. Manussā ujjhāyanti khiyyanti vipācenti— “kathañhi nāma samaṇā sakyaputtiyā assamaṁsaṁ paribhuñjissanti. Rājaṅgaṁ assā, sace rājā jāneyya, na nesaṁ attamano assā”ti. Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ.
比丘たちはこの事柄を世尊に申し上げた。
「比丘たちよ、象の肉を食してはならない。食する者には悪作(ドゥッカタ)の罪を犯すことになる。」
さてそのころ、王の馬が死ぬことがあった。人々は飢饉のとき馬の肉を食し、托鉢(ピンダ)に歩く比丘たちにも馬の肉を施した。比丘たちは馬の肉を食した。人々はこれを憤り、そしり、さまざまに批評した。
「釈迦の子たる沙門たちが、いかにして馬の肉を食することができようか。馬は王の乗り物(王匹)である。もし王がこれを知れば、けっして喜ばれないであろう。」
比丘たちはこの事柄を世尊に申し上げた。
⚠ 出家者向けの文脈
死
vinaya
趣旨一致
中
“Bhikkhussa, bhikkhave, kālaṅkate saṅgho sāmī pattacīvare, api ca gilānupaṭṭhākā bahūpakārā. Anujānāmi, bhikkhave, saṅghena ticīvarañca pattañca gilānupaṭṭhākānaṁ dātuṁ. Yaṁ tattha lahubhaṇḍaṁ lahuparikkhāraṁ taṁ sammukhībhūtena saṅghena bhājetuṁ. Yaṁ tattha garubhaṇḍaṁ garuparikkhāraṁ taṁ āgatānāgatassa cātuddisassa saṅghassa avissajjikaṁ avebhaṅgikan”ti. 25. Naggiyapaṭikkhepakathā Tena kho pana samayena aññataro bhikkhu naggo hutvā yena bhagavā tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā bhagavantaṁ etadavoca— “bhagavā, bhante, anekapariyāyena appicchassa santuṭṭhassa sallekhassa dhutassa pāsādikassa apacayassa vīriyārambhassa vaṇṇavādī. Idaṁ, bhante, naggiyaṁ anekapariyāyena appicchatāya santuṭṭhitāya sallekhāya dhutatāya pāsādikatāya apacayāya vīriyārambhāya saṁvattati. Sādhu, bhante, bhagavā bhikkhūnaṁ naggiyaṁ anujānātū”ti.
「比丘たちよ、比丘が命終(かめいしゅう)した場合、鉢と衣は僧伽(さんが)のものとなる。しかしながら、看病の者どもは多大な功労がある。それゆえ比丘たちよ、僧伽が三衣(さんね)と鉢とを看病の者どもに与えることを許す。そのなかにある軽い財物・軽い資具(しぐ)は、現前の僧伽によって分配すること。そのなかにある重い財物・重い資具は、来たれる者にも来たらざる者にも、四方(しほう)の僧伽に属する不可譲・不可分のものとする。」
二五 裸行拒否の話
さてそのとき、ある比丘が裸身となり、世尊のもとに近づいた。近づいてから、世尊にこのように申し上げた。
「世尊よ、尊師(そんし)は、少欲(しょうよく)・知足(ちそく)・頭陀(ずだ)・捨離(しゃり)・浄信(じょうしん)・消滅・精進(しょうじん)の励行を、さまざまな仕方で讃えられます。尊師よ、この裸行(らぎょう)こそは、さまざまな仕方において、少欲のために、知足のために、頭陀のために、捨離のために、浄信のために、消滅のために、精進の励行のために資するものであります。どうか尊師よ、世尊は比丘たちに裸行をお許しくださいますよう。」
⚠ 出家者向けの文脈
死
vinaya
趣旨一致
中
Te aññamaññaṁ sagāravā sappatissā sabhāgavuttikā viharitvā kāyassa bhedā paraṁ maraṇā sugatiṁ saggaṁ lokaṁ upapajjiṁsu. Evaṁ kho taṁ, bhikkhave, tittiriyaṁ nāma brahmacariyaṁ ahosi. ‘Ye vuḍḍhamapacāyanti, narā dhammassa kovidā; Diṭṭhe dhamme ca pāsaṁsā, samparāye ca suggatī’ti. Te hi nāma, bhikkhave, tiracchānagatā pāṇā aññamaññaṁ sagāravā sappatissā sabhāgavuttikā viharissanti. Idha kho taṁ, bhikkhave, sobhetha yaṁ tumhe evaṁ svākkhāte dhammavinaye pabbajitā samānā aññamaññaṁ agāravā appatissā asabhāgavuttikā vihareyyātha? Netaṁ, bhikkhave, appasannānaṁ vā pasādāya …pe… vigarahitvā …pe…
彼らは互いに敬い、互いに礼を尽くし、同じ行いをもって共に住し、身の壊れた後、死の彼方に、善趣(sugati)なる天上の世界に生まれた。比丘たちよ、かくのごとくであった、「鷓鴣(tittiriya)の梵行(brahmacariya)」と呼ばれるものは。
「長老を敬い奉る者、
法(dhamma)に通じた人々は、
現世においても讃えられ、
来世においても善趣を得る。」
比丘たちよ、彼ら畜生道(tiracchānagata)に堕した生き物でさえ、互いに敬い、互いに礼を尽くし、同じ行いをもって共に住するであろう。比丘たちよ、ここにおいて、かくも善く説かれた法と律(dhammavinaya)に出家した者でありながら、互いに敬わず、礼を尽くさず、同じ行いをもって住しないとすれば、それはいかに恥ずべきことであろうか。比丘たちよ、そのことは、いまだ信を得ていない者たちに信を起こさせるためにもならず……(乃至)……叱責して……(乃至)……
⚠ 出家者向けの文脈
死
vinaya
趣旨一致
中
dhammiṁ kathaṁ katvā bhikkhū āmantesi— “anujānāmi, bhikkhave, yathāvuḍḍhaṁ abhivādanaṁ, paccuṭṭhānaṁ, añjalikammaṁ, sāmīcikammaṁ, aggāsanaṁ, aggodakaṁ, aggapiṇḍaṁ. Na ca, bhikkhave, saṅghikaṁ yathāvuḍḍhaṁ paṭibāhitabbaṁ. Yo paṭibāheyya, āpatti dukkaṭassā”ti. 2.4. Avandiyādipuggala “Dasayime, bhikkhave, avandiyā— pure upasampannena pacchā upasampanno avandiyo, anupasampanno avandiyo, nānāsaṁvāsako vuḍḍhataro adhammavādī avandiyo, mātugāmo avandiyo, paṇḍako avandiyo, pārivāsiko avandiyo, mūlāyapaṭikassanāraho avandiyo, mānattāraho avandiyo, mānattacāriko avandiyo, abbhānāraho avandiyo. Tayome, bhikkhave, vandiyā— pacchā upasampannena pure upasampanno vandiyo, nānāsaṁvāsako vuḍḍhataro dhammavādī vandiyo, sadevake bhikkhave loke samārake sabrahmake sassamaṇabrāhmaṇiyā pajāya sadevamanussāya tathāgato arahaṁ sammāsambuddho vandiyo. 2.5. Āsanappaṭibāhanapaṭikkhepa
法話を終えて、〔世尊は〕比丘たちに告げられた。
「比丘たちよ、わたしは次のことを許可する。〔戒臈の〕長幼の序にしたがって、礼拝すること、起立して迎えること、合掌すること、恭敬の礼を行うこと、上座に坐ること、上席の水を受けること、上席の食を受けること、これらを許可する。比丘たちよ、僧伽に属するものを長幼の序に反して拒んではならない。もし拒む者があれば、悪作罪(dukkaṭa)を犯すこととなる。」
---
「比丘たちよ、礼拝されるべからざる者が十ある。
先に具足戒を受けた者に対して、後に具足戒を受けた者は礼拝されるべからず。未受具足戒の者は礼拝されるべからず。別住(nānāsaṁvāsaka)にある者で、戒臈は長ずるも法に背く説をなす者は礼拝されるべからず。女人(mātugāma)は礼拝されるべからず。黄門(paṇḍaka)は礼拝されるべからず。別住罪(pārivāsika)にある者は礼拝されるべからず。本日治(mūlāyapaṭikassana)に値する者は礼拝されるべからず。摩那埵(mānatta)に値する者は礼拝されるべからず。摩那埵を行じている者は礼拝されるべからず。出罪(abbhāna)に値する者は礼拝されるべからず。
比丘たちよ、礼拝されるべき者が三ある。
後に具足戒を受けた者に対して、先に具足戒を受けた者は礼拝されるべし。別住にある者で、戒臈は長ずるも正法を説く者は礼拝されるべし。比丘たちよ、天・魔・梵を含むこの世において、沙門・婆羅門・天・人を含む生ける者たちのなかにあって、如来・応供・正等覚者は礼拝されるべし。」
---
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
死
vinaya
趣旨一致
中
dibbāya sotadhātuyā visuddhāya atikkantamānusikāya— “idaṁ kho adhikaraṇaṁ kakkhaḷañca vāḷañca. Na kho metaṁ patirūpaṁ yohaṁ evarūpe adhikaraṇe osakkeyyaṁ. Idāni ca pana te bhikkhū āgacchissanti. Sohaṁ tehi ākiṇṇo na phāsu gamissāmi. Yannūnāhaṁ paṭikacceva gaccheyyan”ti. Atha kho āyasmā revato soreyyā saṅkassaṁ agamāsi. Atha kho therā bhikkhū soreyyaṁ gantvā pucchiṁsu— “kahaṁ āyasmā revato”ti? “esāyasmā revato saṅkassaṁ gato”ti.
清浄にして人智を超えた天耳界(dibbā sotadhātu)によって、彼はこう察知した。「この諍事(adhikaraṇa)は荒々しく、また険しいものである。かかる諍事において、わたしが退くことは、まことに相応しくない。しかし今や、あの比丘たちがやって来るであろう。わたしはかれらに取り囲まれて、安らかに過ごすことができまい。いっそのこと、今のうちに立ち去るとしよう」と。
そこで長老レーヴァタ(Revata)は、ソーレーッヤ(Soreyyā)を発ち、サンカッサ(Saṅkassa)へと赴いた。
かくして長老たちである比丘たちは、ソーレーッヤへと赴き、問うた。
「レーヴァタ長老はいずこへ」と。
「あの長老レーヴァタは、サンカッサへ赴かれました」と。
⚠ 出家者向けの文脈
死
vinaya
趣旨一致
中
Duggahitaṁ. Yo pahiṇati tassa vissāsā gaṇhāti. Suggahitaṁ. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu bhikkhussa hatthe cīvaraṁ pahiṇati— ‘imaṁ cīvaraṁ itthannāmassa dehī’ti. So antarāmagge suṇāti— ‘yo pahiṇati so kālaṅkato’ti. Tassa matakacīvaraṁ adhiṭṭhāti. Svādhiṭṭhitaṁ. Yassa pahiyyati tassa vissāsā gaṇhāti.
「誤って取得したことになる。送った者への信頼に基づいて取るからである。正しく取得したことになる。」
さて、比丘たちよ、ここにある比丘が別の比丘の手に衣(チーヴァラ)を預けて、「この衣をかくかくしかじかの者に渡してくれ」と言う。その者が途中の道で、「衣を送った者が亡くなった(カーランカタ)」と聞く。そこで彼は、その亡き者の衣(マタカ・チーヴァラ)として自ら受持(アディッターナ)する。それは正しく受持されたことになる。衣を届けられるべき者が、送った者への信頼に基づいて取ることになるからである。
⚠ 出家者向けの文脈
死
vinaya
趣旨一致
中
Duggahitaṁ. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu bhikkhussa hatthe cīvaraṁ pahiṇati— ‘imaṁ cīvaraṁ itthannāmassa dehī’ti. So antarāmagge suṇāti— ‘yassa pahiyyati so kālaṅkato’ti. Tassa matakacīvaraṁ adhiṭṭhāti. Dvādhiṭṭhitaṁ. Yo pahiṇati tassa vissāsā gaṇhāti. Suggahitaṁ. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu bhikkhussa hatthe cīvaraṁ pahiṇati—
〔誤った受取り〕
誤りて受取られたり。されど比丘たちよ、ここに一人の比丘が、別の比丘の手に衣(チーヴァラ)を託して遣わす——「この衣を、かくかくしかじかの名の者に渡してほしい」と。その者が途中の道にて耳にする——「衣を授けられるべき者が、すでに命終した」と。彼はその死者の衣として定め受ける(アディッタナ)。これは二重に定め受けたることとなる。衣を遣わした者のために、その者の信頼に基づきて受取る。
〔正しき受取り〕
正しく受取られたり。されど比丘たちよ、ここに一人の比丘が、別の比丘の手に衣を託して遣わす——
⚠ 出家者向けの文脈
死
vinaya
趣旨一致
中
‘imaṁ cīvaraṁ itthannāmassa dehī’ti. So antarāmagge suṇāti— ‘ubho kālaṅkatā’ti. Yo pahiṇati tassa matakacīvaraṁ adhiṭṭhāti. Svādhiṭṭhitaṁ. Yassa pahiyyati tassa matakacīvaraṁ adhiṭṭhāti. Dvādhiṭṭhitaṁ. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu bhikkhussa hatthe cīvaraṁ pahiṇati— ‘imaṁ cīvaraṁ itthannāmassa dammī’ti. So antarāmagge yo pahiṇati tassa vissāsā gaṇhāti.
「この衣(こころも)を某(それがし)に渡してくれよ」と。ところが彼は、道の途中で「両者ともに命終した」と聞く。衣を送った者の遺衣(まつごのころも)として確定する。これはよく確定されたものである。衣を送られるべき者の遺衣として確定する。これは二重に確定されたものである。
さて比丘たちよ、ここにおいて、ある比丘が別の比丘の手に衣を託して言う——「この衣を某に与えてくれよ」と。衣を送った者は、道の途中で、その衣を託した者の信頼(vissāsa)に基づいてそれを取る。
⚠ 出家者向けの文脈
死
vinaya
趣旨一致
中
Atha kho belaṭṭho kaccāno vighāsāde guḷehi santappetvā bhagavantaṁ etadavoca— “santappitā, bhante, vighāsādā guḷehi, bahu cāyaṁ guḷo avasiṭṭho. Kathāhaṁ, bhante, paṭipajjāmī”ti? “Nāhaṁ taṁ, kaccāna, passāmi sadevake loke samārake sabrahmake sassamaṇabrāhmaṇiyā pajāya sadevamanussāya yassa so guḷo paribhutto sammā pariṇāmaṁ gaccheyya, aññatra tathāgatassa vā tathāgatasāvakassa vā. Tena hi tvaṁ, kaccāna, taṁ guḷaṁ appaharite vā chaḍḍehi, appāṇake vā udake opilāpehī”ti. “Evaṁ, bhante”ti kho belaṭṭho kaccāno bhagavato paṭissuṇitvā taṁ guḷaṁ appāṇake udake opilāpeti. Atha kho so guḷo udake pakkhitto cicciṭāyati ciṭiciṭāyati padhūpāyati sampadhūpāyati. Seyyathāpi nāma phālo divasaṁsantatto udake pakkhitto cicciṭāyati ciṭiciṭāyati padhūpāyati sampadhūpāyati; Atha kho belaṭṭho kaccāno saṁviggo lomahaṭṭhajāto yena bhagavā tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā bhagavantaṁ abhivādetvā ekamantaṁ nisīdi. Ekamantaṁ nisinnassa kho belaṭṭhassa kaccānassa bhagavā anupubbiṁ kathaṁ kathesi, seyyathidaṁ—
そのとき、ベーラッタ・カッチャーナは、残り物の食事をいただく者たちを黒砂糖でもてなしたのち、世尊にこのように申し上げた。
「世尊よ、残り物の食事をいただく者たちは、黒砂糖でもてなされました。しかも、この黒砂糖はまだたくさん残っております。世尊よ、わたくしはいかに処置いたしましたらよいのでしょうか」と。
「カッチャーナよ、わたしには、天・魔・梵を含むこの世界において、沙門・婆羅門を含む人々のなかに、天・人を含むいかなる者も、その黒砂糖を食して正しく消化することができる者は、如来あるいは如来の弟子のほかには見当たらない。カッチャーナよ、それならば、その黒砂糖を、草の生えていない場所に捨てるか、あるいは生き物のいない水の中に流しなさい」と。
「かしこまりました、世尊よ」と、ベーラッタ・カッチャーナは世尊の言葉を承って、その黒砂糖を生き物のいない水の中に流した。
すると、その黒砂糖は水の中に投じられるや、じゅうじゅうと、ちりちりと音を立て、煙を上げ、激しく煙を上げた。ちょうど、一日じゅう熱せられた鋤先が水の中に投じられて、じゅうじゅうと、ちりちりと音を立て、煙を上げ、激しく煙を上げるように。
そのとき、ベーラッタ・カッチャーナは深く心を動かされ(saṁvigga)、身の毛のよだつ思いがして、世尊のもとへと近づいた。近づいて、世尊を礼拝し、かたわらに坐った。かたわらに坐ったベーラッタ・カッチャーナに対して、世尊は順を追って法を説かれた(anupubbī kathā)。すなわち——
死
vinaya
趣旨一致
中
‘imaṁ cīvaraṁ itthannāmassa dammī’ti. So antarāmagge suṇāti— ‘yo pahiṇati so kālaṅkato’ti. Tassa matakacīvaraṁ adhiṭṭhāti. Dvādhiṭṭhitaṁ. Yassa pahiyyati tassa vissāsā gaṇhāti. Suggahitaṁ. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu bhikkhussa hatthe cīvaraṁ pahiṇati— ‘imaṁ cīvaraṁ itthannāmassa dammī’ti. So antarāmagge suṇāti—
「この衣(こころも)を、某某(それがし)に与えよ」と言いつつ。彼は途中にて聞く――「遣わした者は已に命終(みょうじゅう)せり」と。彼はその亡者の衣を決定受持(けつじょうじゅじ)する。二重に決定受持されたことになる。それを遣わされた者のために、信頼(vissāsa)に基づいて取る。これは正しく取られたことになる。
さてここに、比丘たちよ、ある比丘が他の比丘の手に衣を託して遣わす――「この衣を某某に与えよ」と言いつつ。彼は途中にて聞く――
⚠ 出家者向けの文脈
死
vinaya
趣旨一致
中
‘yassa pahiyyati so kālaṅkato’ti. Tassa matakacīvaraṁ adhiṭṭhāti. Svādhiṭṭhitaṁ. Yo pahiṇati tassa vissāsā gaṇhāti. Duggahitaṁ. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu bhikkhussa hatthe cīvaraṁ pahiṇati— ‘imaṁ cīvaraṁ itthannāmassa dammī’ti. So antarāmagge suṇāti ‘ubho kālaṅkatā’ti. Yo pahiṇati tassa matakacīvaraṁ adhiṭṭhāti. Dvādhiṭṭhitaṁ.
「衣を送り出した者が命終した」との由。その者の死者の衣(マタカチーワラ)を〔受取人が〕受持(アディッタハーナ)する。それは正しく受持されたことになる。送り出した者に対して、親しみの情(ウィッサーサ)をもって〔その衣を〕取るならば、それは不正な取得となる。
さて、比丘たちよ、ここにある比丘が別の比丘の手に衣を託して、「この衣を某(それがし)に与えよ」と言う。その者が途中の道において、「両者ともに命終した」と聞く。〔その場合、〕衣を送り出した者の死者の衣として受持する。それは二重に受持されたことになる。
⚠ 出家者向けの文脈
死
vinaya
趣旨一致
中
Pavattite ca pana bhagavatā dhammacakke, bhummā devā saddamanussāvesuṁ— “etaṁ bhagavatā bārāṇasiyaṁ isipatane migadāye anuttaraṁ dhammacakkaṁ pavattitaṁ, appaṭivattiyaṁ samaṇena vā brāhmaṇena vā devena vā mārena vā brahmunā vā kenaci vā lokasmin”ti. Bhummānaṁ devānaṁ saddaṁ sutvā cātumahārājikā devā saddamanussāvesuṁ …pe… cātumahārājikānaṁ devānaṁ saddaṁ sutvā tāvatiṁsā devā …pe… yāmā devā …pe… tusitā devā …pe… nimmānaratī devā …pe… paranimmitavasavattī devā …pe… brahmakāyikā devā saddamanussāvesuṁ— “etaṁ bhagavatā bārāṇasiyaṁ isipatane migadāye anuttaraṁ dhammacakkaṁ pavattitaṁ appaṭivattiyaṁ samaṇena vā brāhmaṇena vā devena vā mārena vā brahmunā vā kenaci vā lokasmin”ti.
かくして世尊によって法輪(ダンマチャッカ)が転じられたとき、地居の神々(ブンマー・デーワー)が声高らかに告げた。
「これぞ世尊がバーラーナシーのイシパタナ、ミガダーヤにおいて転じ給うた、無上の法輪(アヌッタラ・ダンマチャッカ)なり。いかなる沙門も、婆羅門も、神も、魔も、梵天も、この世のいかなるものによっても、覆すことあたわじ」と。
地居の神々の声を聞いて、四大王天(チャトゥンマハーラージカ・デーワー)の神々もまた声高らかに告げた。……乃至……四大王天の神々の声を聞いて、三十三天(ターワティンサー・デーワー)の神々もまた……乃至……夜摩天(ヤーマー・デーワー)の神々もまた……乃至……兜率天(トゥシター・デーワー)の神々もまた……乃至……化楽天(ニンマーナラティー・デーワー)の神々もまた……乃至……他化自在天(パラニンミタワサワッティー・デーワー)の神々もまた……乃至……梵衆天(ブラフマカーイカー・デーワー)の神々もまた声高らかに告げた。
「これぞ世尊がバーラーナシーのイシパタナ、ミガダーヤにおいて転じ給うた、無上の法輪なり。いかなる沙門も、婆羅門も、神も、魔も、梵天も、この世のいかなるものによっても、覆すことあたわじ」と。
死
vinaya
趣旨一致
中
Atha kho bhagavā nivāsetvā pattacīvaramādāya saddhiṁ bhikkhusaṅghena yena āvasathāgāraṁ tenupasaṅkami; upasaṅkamitvā pāde pakkhāletvā āvasathāgāraṁ pavisitvā majjhimaṁ thambhaṁ nissāya puratthābhimukho nisīdi. Bhikkhusaṅghopi kho pāde pakkhāletvā āvasathāgāraṁ pavisitvā pacchimaṁ bhittiṁ nissāya puratthābhimukho nisīdi, bhagavantaṁyeva purakkhatvā. Pāṭaligāmikāpi kho upāsakā pāde pakkhāletvā āvasathāgāraṁ pavisitvā puratthimaṁ bhittiṁ nissāya pacchimābhimukhā nisīdiṁsu, bhagavantaṁyeva purakkhatvā. Atha kho bhagavā pāṭaligāmike upāsake āmantesi— “Pañcime, gahapatayo, ādīnavā dussīlassa sīlavipattiyā. Idha, gahapatayo, dussīlo sīlavipanno pamādādhikaraṇaṁ mahatiṁ bhogajāniṁ nigacchati. Puna caparaṁ, gahapatayo, dussīlassa sīlavipannassa pāpako kittisaddo abbhuggacchati. Puna caparaṁ, gahapatayo, dussīlo sīlavipanno yaññadeva parisaṁ upasaṅkamati, yadi khattiyaparisaṁ, yadi brāhmaṇaparisaṁ, yadi gahapatiparisaṁ, yadi samaṇaparisaṁ, avisārado upasaṅkamati maṅkubhūto. Puna caparaṁ, gahapatayo, dussīlo sīlavipanno sammūḷho kālaṁ karoti. Puna caparaṁ, gahapatayo, dussīlo sīlavipanno kāyassa bhedā paraṁ maraṇā apāyaṁ duggatiṁ vinipātaṁ nirayaṁ upapajjati.
そのとき世尊は、衣を纏い、鉢と衣を持ち、比丘の僧伽とともに、宿泊所へと赴かれた。赴いて、足を洗い、宿泊所に入り、中央の柱に寄りかかって、東を向いて座られた。比丘の僧伽もまた、足を洗い、宿泊所に入り、西の壁に寄りかかって、東を向いて座った。世尊をまさしく前にして座ったのである。パータリ村の優婆塞たちもまた、足を洗い、宿泊所に入り、東の壁に寄りかかって、西を向いて座った。世尊をまさしく前にして座ったのである。
そのとき世尊は、パータリ村の優婆塞たちに告げられた。
「居士たちよ、戒を破り、戒を失した者には、五つの患いがある。
居士たちよ、ここに戒を破り、戒を失した者は、放逸を因として、大いなる財の喪失を被る。
さらにまた、居士たちよ、戒を破り、戒を失した者には、悪しき名声が広まる。
さらにまた、居士たちよ、戒を破り、戒を失した者は、いかなる集会に赴くにせよ――刹帝利(クシャトリヤ)の集会であれ、婆羅門(バラモン)の集会であれ、居士の集会であれ、沙門(サマナ)の集会であれ――臆して赴き、恥じ入った者となる。
さらにまた、居士たちよ、戒を破り、戒を失した者は、惑乱のうちに命終(かめお)わる。
さらにまた、居士たちよ、戒を破り、戒を失した者は、身の壊れた後、死後に、悪処(あくしょ)・悪趣(あくしゅ)・堕処(だしょ)・地獄(ぢごく)に生まれる。」
⚠ 出家者向けの文脈
死
vinaya
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中
Pañcime, gahapatayo, ānisaṁsā sīlavato sīlasampadāya. Idha, gahapatayo, sīlavā sīlasampanno appamādādhikaraṇaṁ mahantaṁ bhogakkhandhaṁ adhigacchati. Puna caparaṁ, gahapatayo, sīlavato sīlasampannassa kalyāṇo kittisaddo abbhuggacchati. Puna caparaṁ, gahapatayo, sīlavā sīlasampanno yaññadeva parisaṁ upasaṅkamati, yadi khattiyaparisaṁ, yadi brāhmaṇaparisaṁ, yadi gahapatiparisaṁ, yadi samaṇaparisaṁ, visārado upasaṅkamati amaṅkubhūto. Puna caparaṁ, gahapatayo, sīlavā sīlasampanno asammūḷho kālaṁ karoti. Puna caparaṁ, gahapatayo, sīlavā sīlasampanno kāyassa bhedā paraṁ maraṇā sugatiṁ saggaṁ lokaṁ upapajjati. Atha kho bhagavā pāṭaligāmike upāsake bahudeva rattiṁ dhammiyā kathāya sandassetvā samādapetvā samuttejetvā sampahaṁsetvā uyyojesi— “abhikkantā kho, gahapatayo, ratti. Yassadāni tumhe kālaṁ maññathā”ti. “Evaṁ, bhante”ti, kho pāṭaligāmikā upāsakā bhagavato paṭissuṇitvā uṭṭhāyāsanā bhagavantaṁ abhivādetvā padakkhiṇaṁ katvā pakkamiṁsu.
「居士たちよ、戒(シーラ)ある者、戒を成就した者には、五つの功徳がある。居士たちよ、ここに戒ある者、戒を成就した者は、不放逸(アッパマーダ)を因として、大いなる財の集積を得る。また居士たちよ、戒ある者、戒を成就した者には、善き名声が広く世に流れる。また居士たちよ、戒ある者、戒を成就した者は、いかなる集会に赴くにも――刹帝利(カッティヤ)の集会であれ、婆羅門(バラモン)の集会であれ、居士の集会であれ、沙門(サマナ)の集会であれ――おじけることなく、堂々と近づいていく。また居士たちよ、戒ある者、戒を成就した者は、惑乱することなく、命終(カーラ)を迎える。また居士たちよ、戒ある者、戒を成就した者は、身の滅びたのち、死後に、善き境涯(スガティ)なる天上の世界に生まれる。」
かくて世尊は、パータリ村の在家信者たちに対し、夜の大半をかけて法(ダンマ)の教えをもって示し、勧め、励まし、喜ばせたのち、こう告げて退席を促された。
「居士たちよ、夜はすでに更けた。今や、おのおのが時宜(カーラ)と思うままに。」
「かしこまりました、尊師よ。」
パータリ村の在家信者たちはこのように世尊にお答えし、座より立ち上がって、世尊を礼拝し、右繞(うにょう)して立ち去った。
死
vinaya
趣旨一致
中
“Anujānāmi, bhikkhave, yaṁ tiṇṇaṁ pahoti, ettakaṁ pacchimaṁ dīghāsanan”ti. Tena kho pana samayena visākhā migāramātā saṅghassa atthāya sāḷindaṁ pāsādaṁ kārāpetukāmā hoti hatthinakhakaṁ. Atha kho bhikkhūnaṁ etadahosi— “kiṁ nu kho bhagavatā pāsādaparibhogo anuññāto kiṁ ananuññāto”ti? Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Anujānāmi, bhikkhave, sabbaṁ pāsādaparibhogan”ti. Tena kho pana samayena rañño pasenadissa kosalassa ayyikā kālaṅkatā hoti. Tassa kālaṅkiriyāya saṅghassa bahuṁ akappiyabhaṇḍaṁ uppannaṁ hoti, seyyathidaṁ— āsandi, pallaṅko, gonako, cittako, paṭikā, paṭalikā, tūlikā, vikatikā, uddalomī, ekantalomī, kaṭṭissaṁ, koseyyaṁ, kuttakaṁ, hatthattharaṁ, assattharaṁ, rathattharaṁ, ajinapaveṇi, kadalimigapavarapaccattharaṇaṁ, sauttaracchadaṁ, ubhatolohitakūpadhānaṁ. “Anujānāmi, bhikkhave, āsandiyā pāde chinditvā paribhuñjituṁ, pallaṅkassa vāḷe bhinditvā paribhuñjituṁ, tūlikaṁ vijaṭetvā bibbohanaṁ kātuṁ, avasesaṁ bhūmattharaṇaṁ kātun”ti.
「比丘たちよ、三人分に足りるならば、それだけの幅をもつ長椅子(ダーガーサナ)を最後のものとして許可する」と。
さてそのころ、鹿母(ミガーラマーター)ヴィサーカーが、象牙細工をほどこした楼閣サーリンダを、僧伽のために建立しようとしていた。そこで比丘たちにこのような思いが起こった。「はたして世尊は楼閣の使用を許可されたのか、それとも許可されていないのか」と。彼らはこの事柄を世尊に申し上げた。「比丘たちよ、楼閣のあらゆる使用を許可する」と。
さてそのころ、コーサラ国のパセーナディ王の祖母が亡くなった(カーランカター)。その死去に際して、僧伽のもとに多くの不適合の財物(アカッピヤバンダ)が生じた。すなわち、脚付きの寝台(アーサンディー)、長椅子(パランカ)、毛織の敷物(ゴーナカ)、刺繍入りの敷物(チッタカ)、白毛の敷物(パティカー)、花模様の敷物(パタリカー)、綿入りの敷物(トゥーリカー)、房飾りつきの敷物(ヴィカティカー)、両端に毛のある敷物(ウッダローミー)、片端に毛のある敷物(エカンタローミー)、絹糸の織物(カッティッサ)、絹布(コーセッヤ)、絨毯(クッタカ)、象背の敷布(ハッタッタラ)、馬背の敷布(アッサッタラ)、車の敷布(ラタッタラ)、羚羊の皮を繋いだ敷物(アジナパヴェーニー)、カダリー鹿の最上の皮の敷物(カダリーミガパヴァラパッチャッタラナ)、天蓋つきのもの(サウッタラッチャーダ)、両端に赤い枕をそなえたもの(ウバトーローヒタクーパダーナ)である。
「比丘たちよ、脚付きの寝台は脚を切り取って使用することを、長椅子は獣毛を取り去って使用することを、綿入りの敷物は綿を解きほぐして枕と為すことを、その余は床の敷物と為すことを許可する」と。
⚠ 出家者向けの文脈
死
vinaya
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中
tena gilānena bhikkhunā ekaṁ bhikkhuṁ upasaṅkamitvā ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā ukkuṭikaṁ nisīditvā añjaliṁ paggahetvā evamassa vacanīyo— ‘pavāraṇaṁ dammi, pavāraṇaṁ me hara, pavāraṇaṁ me ārocehi, mamatthāya pavārehī’ti kāyena viññāpeti, vācāya viññāpeti, kāyena vācāya viññāpeti, dinnā hoti pavāraṇā; na kāyena viññāpeti, na vācāya viññāpeti, na kāyena vācāya viññāpeti, na dinnā hoti pavāraṇā. Evañcetaṁ labhetha, iccetaṁ kusalaṁ. No ce labhetha, so, bhikkhave, gilāno bhikkhu mañcena vā pīṭhena vā saṅghamajjhe ānetvā pavāretabbaṁ. Sace, bhikkhave, gilānupaṭṭhākānaṁ bhikkhūnaṁ etadahosi— ‘sace kho mayaṁ gilānaṁ ṭhānā cāvessāma, ābādho vā abhivaḍḍhissati, kālaṅkiriyā vā bhavissatī’ti na, bhikkhave, gilāno bhikkhu ṭhānā cāvetabbo. Saṅghena tattha gantvā pavāretabbaṁ; na tveva vaggena saṅghena pavāretabbaṁ. Pavāreyya ce, āpatti dukkaṭassa.
その病める比丘は、一人の比丘のもとに赴き、上衣(ウッタラーサンガ)を片肩にかけ、蹲踞(うずくまり)して座り、合掌して、次のように告げるべきである。——「わたしは自恣(パーヴァーラナー)を委ねます。わたしの自恣をお届けください。わたしの自恣をお伝えください。わたしに代わって自恣をなしてください」と。身によって意思を表示し、語によって意思を表示し、身と語によって意思を表示するならば、自恣は委ねられたこととなる。身によっても意思を表示せず、語によっても意思を表示せず、身と語によっても意思を表示しないならば、自恣は委ねられたこととはならない。かくのごとく〔意思を表示すること〕が叶うならば、それはよいことである。もし叶わないならば、比丘たちよ、その病める比丘を寝台(マンチャ)あるいは床座(ピーター)ごと僧伽の中央に運び入れて、自恣を行わしめるべきである。比丘たちよ、もし病者の看護にあたる比丘たちに、「もしわれらが病者をその場所から移せば、病苦がさらに増すであろう、あるいは命終(カーランキリヤー)に至るであろう」という思いが生じたならば、比丘たちよ、病める比丘をその場所から移してはならない。僧伽がそこに赴いて自恣を行うべきである。ただし、分裂した僧伽(ヴァッガ)によって自恣を行ってはならない。もし〔分裂したまま〕自恣を行うならば、突吉羅(ドゥッカタ)の罪となる。
⚠ 出家者向けの文脈
死
vinaya
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中
Theravāda Vinayapiṭaka Cūḷavagga 15. Khuddakavatthukkhandhaka Tena samayena buddho bhagavā rājagahe viharati veḷuvane kalandakanivāpe. Tena kho pana samayena chabbaggiyā bhikkhū nahāyamānā rukkhe kāyaṁ ugghaṁsenti, ūrumpi bāhumpi urampi piṭṭhimpi. Manussā ujjhāyanti khiyyanti vipācenti— “kathañhi nāma samaṇā sakyaputtiyā nahāyamānā rukkhe kāyaṁ ugghaṁsessanti, ūrumpi bāhumpi urampi piṭṭhimpi, seyyathāpi mallamuṭṭhikā gāmamoddavā”ti. Assosuṁ kho bhikkhū tesaṁ manussānaṁ ujjhāyantānaṁ khiyyantānaṁ vipācentānaṁ. Atha kho te bhikkhū bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. Atha kho bhagavā etasmiṁ nidāne etasmiṁ pakaraṇe bhikkhusaṅghaṁ sannipātāpetvā bhikkhū paṭipucchi—
その時、仏・世尊は王舎城(ラージャガハ)の竹林(ヴェールヴァナ)、迦蘭陀竹園(カランダカニヴァーパ)に滞在しておられた。
さてその頃、六群比丘(チャッバッギヤ)たちは沐浴の際に、樹木に身体をこすりつけ、腿も腕も胸も背中もすりつけていた。人々はこれを見て、憤り、そしりあざけり、声高に非難した。
「いったいどうして、釈迦の子たる沙門(サマナ)たちが、沐浴の折に樹木に身体をこすりつけ、腿も腕も胸も背中もすりつけるのであろうか。まるで村の角力(かくりょく)の闘士のようではないか」と。
比丘たちは、人々が憤り、そしりあざけり、声高に非難するのを耳にした。そこでその比丘たちは、この事のあらましを世尊に申し上げた。
そこで世尊は、この因縁(ニダーナ)、この事件に基づいて比丘僧伽(サンガ)を集会せしめ、比丘たちにお尋ねになった。
⚠ 出家者向けの文脈
死
vinaya
趣旨一致
中
Tena kho pana samayena chabbaggiyā bhikkhū nahāyamānā thambhe kāyaṁ ugghaṁsenti, ūrumpi bāhumpi urampi piṭṭhimpi. Manussā ujjhāyanti khiyyanti vipācenti— “kathañhi nāma samaṇā sakyaputtiyā nahāyamānā thambhe kāyaṁ ugghaṁsessanti, ūrumpi bāhumpi urampi piṭṭhimpi, seyyathāpi mallamuṭṭhikā gāmamoddavā”ti. Assosuṁ kho bhikkhū tesaṁ manussānaṁ ujjhāyantānaṁ khiyyantānaṁ vipācentānaṁ. Atha kho te bhikkhū bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ …pe… “saccaṁ, bhagavā”ti …pe… vigarahitvā …pe… dhammiṁ kathaṁ katvā bhikkhū āmantesi— “na, bhikkhave, nahāyamānena bhikkhunā thambhe kāyo ugghaṁsetabbo. Yo ugghaṁseyya, āpatti dukkaṭassā”ti.
その頃、六群比丘(チャッバッギヤ比丘)たちは、沐浴をしながら柱に身体をこすりつけていた。腿も、腕も、胸も、背も、柱にこすりつけていたのである。人々はこれを見て、嫌悪し、そしり、非難して言った。「釈尊の弟子であるはずの沙門たちが、沐浴のおりに柱に身体をこすりつけるとは、いったいいかなることか。腿も、腕も、胸も、背もこすりつけるとは、まるで村の相撲取り(マッラ・ムッティカ・ガーマモッダヴァ)のようではないか」と。比丘たちはこれを聞き、人々が嫌悪し、そしり、非難していることを耳にした。そこでそれらの比丘たちは、この事のしだいを世尊に申し上げた。……「まことにそのとおりでございます、世尊よ」……世尊はこれを訶責(かしゃく)されたのち……法に関わる話をなされ、比丘たちに告げられた。「比丘たちよ、沐浴をする比丘は、柱に身体をこすりつけてはならない。こすりつける者には、突吉羅(とっきら)の罪科が生ずる」と。
⚠ 出家者向けの文脈
経典データの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)