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💬 AIブッダに相談
10,029
偈句数
9,999
日本語訳あり
9,982
パーリ原文
経典 19
テーマ 20
該当 350
すべて
智慧 4354
老い 931
苦しみ 772
正念 695
怒り 356
執着 350
死 350
業・因果 346
幸せ 337
自己 244
人間関係 243
家族 234
不安 168
仕事 165
渇愛 147
慈悲 115
無常 111
孤独 45
空 43
感謝 23
vinaya 2606
中部経典 2117
長部経典 1357
相応部経典 1136
増支部経典 857
jataka 563
スッタニパータ 522
ダンマパダ(法句経) 426
テーラガーター 211
テーリーガーター 68
クッダカパータ 57
イティヴッタカ 54
ウダーナ 34
金剛経 5
維摩経 5
般若心経 4
法華経 4
涅槃経 2
AN 1
執着
テーラガーター
趣旨一致
長
Ekakanipāta Catutthavagga Vaḍḍhamānattheragāthā “Sattiyā viya omaṭṭho, ḍayhamānova matthake; Bhavarāgappahānāya, sato bhikkhu paribbaje”ti. … Vaḍḍhamāno thero … vaggo catuttho. Tassuddānaṁ Gahvaratīriyo suppiyo, sopāko ceva posiyo; Sāmaññakāni kumāputto, kumāputtasahāyako; Gavampati tissatthero, vaḍḍhamāno mahāyasoti.
———
剣に刺し貫かれたるごとく、
頭上に炎を燃やされたるごとく、
有(う)への貪り(有貪・ヴァヴァラーガ)を断ち捨てんがために、
比丘は念(ねん)を保ちつつ遍歴せよ。
———
……ヴァッダマーナ長老……第四章。
その摂頌(せっしょう)——ガハヴァラティーリヤ、スッピヤ、ソーパーカ、またポーシヤ、サーマンニャカーニ、クマープッタ、クマープッタの友、ガヴァンパティ、ティッサ長老、そして大いなる名声を持つヴァッダマーナ。
⚠ 出家者向けの文脈
執着
テーラガーター
趣旨一致
長
Soḷasakanipāta Paṭhamavagga Udāyittheragāthā “Manussabhūtaṁ sambuddhaṁ, Attadantaṁ samāhitaṁ; Iriyamānaṁ brahmapathe, Cittassūpasame rataṁ. Bhuñjati anavajjāni, sāvajjāni na bhuñjati; Ghāsamacchādanaṁ laddhā, sannidhiṁ parivajjayaṁ. Saṁyojanaṁ aṇuṁ thūlaṁ, sabbaṁ chetvāna bandhanaṁ; Yena yeneva gacchati, anapekkhova gacchati. Yathāpi udake jātaṁ, puṇḍarīkaṁ pavaḍḍhati; Nopalippati toyena, sucigandhaṁ manoramaṁ. Tatheva ca loke jāto, buddho loke viharati; Nopalippati lokena, toyena padumaṁ yathā.
# ウダーイ長老の偈(Udāyittheragāthā)
人として生まれ、正しく覚れる者、
己を調え、心を定めに住し、
梵行(ぼんぎょう)の道を歩みつつ、
心の寂静(じゃくじょう)を楽しむ。
咎なきものを受けて食し、
咎あるものは食さず、
衣食(えじき)を得ては足れりとして、
積み蓄えることを遠ざける。
細かなるも粗大なるも、
一切の結縛(けつばく)・束縛(そくばく)を断ち切りて、
どこへ赴くにも、
顧みることなく歩みゆく。
水の中より生まれ、
清らかに薫り、心を喜ばせる白蓮(びゃくれん)が、
水のほとりに育ちながら、
水に染まることなきがごとく。
しかるごとく、世に生まれた
覚れる者(ブッダ)は世に住しながら、
蓮の花が水に染まらぬように、
世に染まることなし。
⚠ 初手で出すと冷たく見える,初学者には難しい
執着
テーラガーター
趣旨一致
長
Chakkanipāta Paṭhamavagga Sabbakāmittheragāthā “Dvipādakoyaṁ asuci, duggandho parihīrati; Nānākuṇapaparipūro, vissavanto tato tato. Migaṁ nilīnaṁ kūṭena, baḷiseneva ambujaṁ; Vānaraṁ viya lepena, bādhayanti puthujjanaṁ. Rūpā saddā rasā gandhā, phoṭṭhabbā ca manoramā; Pañca kāmaguṇā ete, itthirūpasmi dissare. Ye etā upasevanti, rattacittā puthujjanā; Vaḍḍhenti kaṭasiṁ ghoraṁ, ācinanti punabbhavaṁ. Yo cetā parivajjeti, sappasseva padā siro; Somaṁ visattikaṁ loke, sato samativattati. Kāmesvādīnavaṁ
# テーラガーター 6章14 サッバカーミ長老の偈
この二足の生き物は不浄にして、悪臭を放ちながら歩みゆく。
さまざまな腐屍(くし)に満ち溢れ、あちこちから漏れ流れている。
罠にかかった鹿のごとく、釣り針に掛かった水中の魚のごとく、
粘り餌に捕らわれた猿のごとく、凡夫(ぼんぷ)たちは縛られる。
色(しき)・声(しょう)・香(こう)・味(み)・触(そく)、これら心を喜ばせるもの、
この五欲功徳(ごよくくどく)は、女の姿の上に見出される。
これらを貪り求め、心染まれる凡夫たちは、
恐ろしき墓場を積み重ね、再生(再有)を重ねてゆく。
されど、蛇の頭を足で避けるがごとく、
これらを遠ざける者は、世にある貪りの毒(ヴィサッティカー)を、
正念(さとり)をもって超え去る。
欲(カーマ)の中に危難(ādīnava)を見、
執着
テーラガーター
趣旨一致
長
Chakkanipāta Paṭhamavagga Sappadāsattheragāthā “Paṇṇavīsativassāni, yato pabbajito ahaṁ; Accharāsaṅghātamattampi, cetosantimanajjhagaṁ. Aladdhā cittassekaggaṁ, kāmarāgena aṭṭito; Bāhā paggayha kandanto, vihārā upanikkhamiṁ. Satthaṁ vā āharissāmi, Ko attho jīvitena me; Kathaṁ hi sikkhaṁ paccakkhaṁ, Kālaṁ kubbetha mādiso. Tadāhaṁ khuramādāya, mañcakamhi upāvisiṁ; Parinīto khuro āsi, dhamaniṁ chettumattano. Tato me manasīkāro, yoniso udapajjatha; Ādīnavo pāturahu, nibbidā samatiṭṭhatha. Tato cittaṁ
六集 第一章
二十五年の歳月を、
出家してより経たれども、
指弾(しだん)する一瞬ほどの
心の安らぎさえ、われは得られなかった。
心の一境(いっきょう)を得ることかなわず、
欲愛(かまらーが)に苦しめられ、
両腕を差し伸べて泣きながら、
われは僧房を出ていった。
「刀を手にしよう。
いったい、いのちに何の意味があろうか。
かくのごとき者が、学処(しっかぱだ)を捨てて、
死を迎えるよりほかに、何ができようか。」
そのとき、われは剃刀を取りあげ、
臥床(がしょう)に腰をおろした。
剃刀は研ぎ澄まされており、
おのれの頸動脈を断たんとしていた。
そのとき、われの心に
如理作意(にょりさくい)が起こり、
危難(あだーなわ)があらわれ、
厭離(にっびだー)が満ちあふれた。
そのとき、心は——
⚠ 希死念慮の場面では使わない
執着
テーリーガーター
直接根拠
短
名門の家に生まれ、美しく、多くの求婚者があった。しかしそのすべてを捨てて出家した。財産も美貌も無常であると知ったからである。
執着
テーリーガーター
趣旨一致
中
Ekakanipāta Dhammadinnātherīgāthā “Chandajātā avasāyī, Manasā ca phuṭā siyā; Kāmesu appaṭibaddhacittā, Uddhaṁsotāti vuccatī”ti. … Dhammadinnā therī ….
——一集——
「欲(チャンダ)より生まれ、内に深く行き渡り、
心はそれに満たされながらも、
欲楽(カーマ)に縛られざる心あらば、
その者こそ、上流に向かう者(ウッダンソーター)と呼ばれる」
…… ダンマディンナー長老尼 ……
執着
テーリーガーター
趣旨一致
長
Pañcakanipāta Aññataratherīgāthā “Paṇṇavīsativassāni, yato pabbajitā ahaṁ; Nāccharāsaṅghātamattampi, cittassūpasamajjhagaṁ. Aladdhā cetaso santiṁ, kāmarāgenavassutā; Bāhā paggayha kandantī, vihāraṁ pāvisiṁ ahaṁ. Sā bhikkhuniṁ upāgacchiṁ, yā me saddhāyikā ahu; Sā me dhammamadesesi, khandhāyatanadhātuyo. Tassā dhammaṁ suṇitvāna, ekamante upāvisiṁ; Pubbenivāsaṁ jānāmi, dibbacakkhu visodhitaṁ. Cetopariccañāṇañca, sotadhātu visodhitā; Iddhīpi me sacchikatā, patto me āsavakkhayo; Chaḷabhiññā sacchikat
# テーリーガーター 第五章一 ある長老尼の偈
二十五年の歳月を、
わたしは出家してより過ごした。
されど指を一度はじく刹那ほども、
心の静けさを得ることができなかった。
心の安らぎ(サンティ)を得られぬまま、
欲愛(カーマラーガ)に押し流されて、
わたしは両腕を差し伸べて泣きながら、
精舎(ヴィハーラ)へと入っていった。
そこでわたしは一人の比丘尼のもとへ赴いた、
わたしが信頼を寄せていたその方のもとへ。
彼女はわたしに法(ダンマ)を説き示してくださった、
五蘊(カンダ)と処(アーヤタナ)と界(ダートゥ)を。
その法を聴き終えて、
わたしはかたわらに坐した。
前世の住処(プッベニヴァーサ)をわたしは知り、
天眼(ディッバチャックhu)は清められた。
他心智(チェートパリチャニャーナ)もまた、
耳界(ソータダートゥ)も清められた。
神通(イッディ)もまたわたしに証得され、
漏の滅尽(アーサヴァッカヤ)に到達した。
六神通(チャラビニャー)は証得された。
⚠ 出家者向けの文脈
執着
テーリーガーター
趣旨一致
長
Pañcakanipāta Sīhātherīgāthā “Ayoniso manasikārā, kāmarāgena aṭṭitā; Ahosiṁ uddhatā pubbe, citte avasavattinī. Pariyuṭṭhitā klesehi, subhasaññānuvattinī; Samaṁ cittassa na labhiṁ, rāgacittavasānugā. Kisā paṇḍu vivaṇṇā ca, satta vassāni cārihaṁ; Nāhaṁ divā vā rattiṁ vā, sukhaṁ vindiṁ sudukkhitā. Tato rajjuṁ gahetvāna, pāvisiṁ vanamantaraṁ; Varaṁ me idha ubbandhaṁ, yañca hīnaṁ punācare. Daḷhapāsaṁ karitvāna, rukkhasākhāya bandhiya; Pakkhipiṁ pāsaṁ gīvāyaṁ, atha cittaṁ vimucci me”ti. … Sīhā therī …
# テーリーガーター 第五章 シーハー長老尼の偈
---
如理ならざる思惟(マナシカーラ)によりて、
欲貪(カーマラーガ)に苦しめられ、
われはかつて心乱れ、
己が心の主たることあたわざりき。
煩悩(クレーサ)に覆われ、
浄(シュバ)なりとの想いに従いつつ、
貪りの心に引きずられて、
心の静けさを得ることかなわなかった。
やつれ、青ざめ、色を失いて、
七年のあいだ、わたしはさまよった。
昼も夜も、安らぎを見出すことなく、
ただ深く苦しみのなかにあった。
やがてわたしは縄を手に取り、
林の奥深くへと入っていった。
かくも卑しき生を繰り返すよりは、
ここにて縊れるほうがましと思えたから。
丈夫な輪縄を作り、
木の枝にしっかりと結わえつけ、
その輪をわが首にかけたとき、
――そのとき、わが心は解き放たれた。
---
…シーハー長老尼…
執着
テーリーガーター
趣旨一致
長
Chakkanipāta Guttātherīgāthā “Gutte yadatthaṁ pabbajjā, hitvā puttaṁ vasuṁ piyaṁ; Tameva anubrūhehi, mā cittassa vasaṁ gami. Cittena vañcitā sattā, mārassa visaye ratā; Anekajātisaṁsāraṁ, sandhāvanti aviddasū. Kāmacchandañca byāpādaṁ, sakkāyadiṭṭhimeva ca; Sīlabbataparāmāsaṁ, vicikicchañca pañcamaṁ. Saṁyojanāni etāni, pajahitvāna bhikkhunī; Orambhāgamanīyāni, nayidaṁ punarehisi. Rāgaṁ mānaṁ avijjañca, uddhaccañca vivajjiya; Saṁyojanāni chetvāna, dukkhassantaṁ karissasi. Khepetvā jātisaṁsāraṁ, pa
# テーリーガーター 第六章第七 グッター長老尼偈
---
グッターよ、汝が出家したその目的のために、
愛しき子も財産も捨てたその目的のために、
まさにそれを磨き育てよ。
心(チッタ)の支配に従ってはならぬ。
心に欺かれた生きとし生けるものは、
悪魔(マーラ)の領域に耽溺し、
無数の生死輪廻(サンサーラ)を
智慧なきまま流転し続ける。
欲貪(カーマッチャンダ)と瞋恚(ビャーパーダ)、
有身見(サッカーヤディッティ)もまた、
戒禁取(シーラッバタパラーマーサ)、
そして第五なる疑惑(ヴィチキッチャー)。
比丘尼(ビックニー)よ、これら
下分に繋ぐ五結(オーランバーガーニーヤ・サンヨージャナ)を
断ち捨てたならば、
もはや此岸に戻り来ることはない。
貪(ラーガ)と慢(マーナ)と無明(アヴィッジャー)、
そして掉挙(ウッダッチャ)をも離れ、
諸々の結縛(サンヨージャナ)を断ち切って、
苦(ドゥッカ)の終わりをもたらすであろう。
生死の輪廻を滅ぼし尽くして……
⚠ 初手で出すと冷たく見える,出家者向けの文脈
執着
ウダーナ
趣旨一致
長
Paṭhamalakuṇḍakabhaddiyasutta Evaṁ me sutaṁ— ekaṁ samayaṁ bhagavā sāvatthiyaṁ viharati jetavane anāthapiṇḍikassa ārāme. Tena kho pana samayena āyasmā sāriputto āyasmantaṁ lakuṇḍakabhaddiyaṁ anekapariyāyena dhammiyā kathāya sandasseti samādapeti samuttejeti sampahaṁseti. Atha kho āyasmato lakuṇḍakabhaddiyassa āyasmatā sāriputtena anekapariyāyena dhammiyā kathāya sandassiyamānassa samādapiyamānassa samuttejiyamānassa sampahaṁsiyamānassa anupādāya āsavehi cittaṁ vimucci. Addasā kho bhagavā āyasmant
このように私は聞いた。
ある時、世尊はサーヴァッティー(舎衛城)のジェータ林、アナータピンディカ(給孤独長者)の園に滞在しておられた。
その頃、尊者サーリプッタ(舎利弗)は、尊者ラクンダカ・バッディヤに対し、さまざまな方法をもって法(ダンマ)の話を説き示し、奮い立たせ、励まし、喜ばせていた。
やがて、尊者ラクンダカ・バッディヤは、尊者サーリプッタによってさまざまな方法をもって法の話を説き示され、奮い立たせられ、励まされ、喜ばせられるうちに、執着することなく、諸々の漏(āsava)より心が解脱した。
世尊は、尊者〔ラクンダカ・バッディヤの〕……
---
(原文がここで途切れているため、翻訳はテキストの範囲に従い、ここで終わる)
執着
ウダーナ
趣旨一致
長
Dutiyasattasutta Evaṁ me sutaṁ— ekaṁ samayaṁ bhagavā sāvatthiyaṁ viharati jetavane anāthapiṇḍikassa ārāme. Tena kho pana samayena sāvatthiyā manussā yebhuyyena kāmesu sattā (…) rattā giddhā gathitā mucchitā ajjhosannā andhīkatā sammattakajātā kāmesu viharanti. Atha kho bhagavā pubbaṇhasamayaṁ nivāsetvā pattacīvaramādāya sāvatthiṁ piṇḍāya pāvisi. Addasā kho bhagavā sāvatthiyā te manusse yebhuyyena kāmesu satte ratte giddhe gathite mucchite ajjhopanne andhīkate sammattakajāte kāmesu viharante. Ath
# ウダーナ 7・4 第二・衆生経
このように私は聞いた。——
あるとき、世尊はサーヴァッティーのジェータ林、アナータピンディカの園に滞在しておられた。
そのころ、サーヴァッティーの人々は、その大多数が欲楽(kāma)に執着し、欲楽に染まり、欲楽を貪り、欲楽に縛られ、欲楽に溺れ、欲楽に沈み、欲楽によって盲目となり、酔いしれたるがごとき状態となって、欲楽のうちに暮らしていた。
さて世尊は、午前中に衣を整え、鉢と衣とを持して、托鉢のためにサーヴァッティーへと入られた。世尊は、サーヴァッティーのそれらの人々が、その大多数において、欲楽に執着し、欲楽に染まり、欲楽を貪り、欲楽に縛られ、欲楽に溺れ、欲楽に沈み、欲楽によって盲目となり、酔いしれたるがごとき状態となって、欲楽のうちに暮らしているのを御覧になった。
そこで世尊は——
執着
vinaya
趣旨一致
中
Idaṁ kho, bhikkhave, upajjhāyānaṁ saddhivihārikesu vattaṁ yathā upajjhāyehi saddhivihārikesu sammā vattitabban”ti. Dutiyabhāṇavāro niṭṭhito. 13. Ācariyavattakathā Tena kho pana samayena antevāsikā ācariyesu na sammā vattanti. Ye te bhikkhū appicchā …pe… te ujjhāyanti khiyyanti vipācenti— “kathañhi nāma antevāsikā ācariyesu na sammā vattissantī”ti. Atha kho te bhikkhū bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ …pe… “saccaṁ kira, bhikkhave, antevāsikā ācariyesu na sammā vattantī”ti? “Saccaṁ, bhagavā”ti …pe… vigarahitvā …pe…
「比丘たちよ、これが和尚(upajjhāya)の弟子(saddhivihārika)に対する作法(vatta)であり、和尚は弟子に対してかくのごとく正しく振る舞うべきである」と。
第二誦段(dutiyabhāṇavāra)、終わる。
一三 阿闍梨の作法を説く(Ācariyavattakathā)
さてそのころ、学生(antevāsika)たちは阿闍梨(ācariya)に対して正しく振る舞っていなかった。少欲なる比丘たちは……乃至……憤り、非難し、声を挙げて言った。「いかなればこそ、学生たちは阿闍梨に対して正しく振る舞わないのか」と。
そこでそれらの比丘たちは、この事を世尊に申し上げた……乃至……「比丘たちよ、まことに学生たちは阿闍梨に対して正しく振る舞っていないというのか」と。「世尊よ、まことにそのとおりでございます」と……乃至……叱責されて……乃至……
⚠ 出家者向けの文脈
執着
vinaya
趣旨一致
中
Puna caparaṁ, bhikkhave, eke samaṇabrāhmaṇā methunaṁ dhammaṁ paṭisevanti, methunadhammā appaṭiviratā— Puna caparaṁ, bhikkhave, eke samaṇabrāhmaṇā jātarūparajataṁ sādiyanti, jātarūparajatappaṭiggahaṇā appaṭiviratā— Puna caparaṁ, bhikkhave, eke samaṇabrāhmaṇā micchājīvena jīvitaṁ kappenti; Idaṁ vatvāna sugato athāparaṁ etadavoca satthā— ‘Rāgadosaparikliṭṭhā, eke samaṇabrāhmaṇā; Avijjānivuṭā posā, piyarūpābhinandino. Suraṁ pivanti merayaṁ, paṭisevanti methunaṁ;
「さらにまた、比丘たちよ、一部の沙門・婆羅門たちは淫事(みだらなこと)を行じ、淫法(メータナ・ダンマ)を離れることなく——
さらにまた、比丘たちよ、一部の沙門・婆羅門たちは金銀(ジャータルーパ・ラジャタ)を受け取り、金銀の受領を断つことなく——
さらにまた、比丘たちよ、一部の沙門・婆羅門たちは邪命(ミッチャー・ジーヴァ)によって生計を営む。」
このように説きたもうて、善逝(スガタ)はさらに、師として次のことを語りたもうた——
貪(ラーガ)と瞋(ドーサ)に穢れたる、
かの沙門・婆羅門たちは、
無明(アヴィッジャー)に覆われた人々、
愛しき形あるものを喜ぶ者たちよ。
酒(スラー)を飲み、醸造酒(メーラヤ)を飲み、
淫事をなすことを離れず——
執着
vinaya
趣旨一致
中
idampi kho ṭhānaṁ sududdasaṁ yadidaṁ sabbasaṅkhārasamatho sabbūpadhipaṭinissaggo taṇhākkhayo virāgo nirodho nibbānaṁ. Ahañceva kho pana dhammaṁ deseyyaṁ, pare ca me na ājāneyyuṁ, so mamassa kilamatho, sā mamassa vihesā”ti. Apissu bhagavantaṁ imā anacchariyā gāthāyo paṭibhaṁsu pubbe assutapubbā— “Kicchena me adhigataṁ, halaṁ dāni pakāsituṁ; Rāgadosaparetehi, nāyaṁ dhammo susambudho. Paṭisotagāmiṁ nipuṇaṁ, gambhīraṁ duddasaṁ aṇuṁ; Rāgarattā na dakkhanti,
この境地もまた、まことに見難いものである。すなわち、一切の行(サンカーラ)の寂止、一切の依(ウパディ)の捨離、渇愛(タンハー)の滅尽、離貪(ヴィラーガ)、滅(ニローダ)、涅槃(ニッバーナ)がそれである。もし我れが法(ダンマ)を説いたとしても、他の者どもが我れを理解しないならば、それは我れにとって疲労となり、我れにとって苦悩となるであろう。」
そのとき、世尊の心に、かつて聞いたことのない、不思議なる偈(ガーター)が浮かびあがった。
「苦労して我れは証り得たり、今さらこれを示すに及ぶまい。
貪(ラーガ)と瞋(ドーサ)に囚われたる者どもには、この法は容易に覚り難し。
流れに逆らいて進み、微妙にして、深遠にして、見難く、細やかなるこの法を、
貪りに染まれる者どもは、見ることあたわず、
執着
vinaya
趣旨一致
中
Andhakārena onaddhā, taṇhādāsā sanettikā; Vaḍḍhenti kaṭasiṁ ghoraṁ, ādiyanti punabbhavan’ti. Evaṁvādī kirāhaṁ āyasmante upāsake saddhe pasanne akkosāmi, paribhāsāmi, appasādaṁ karomi; Ekamidaṁ, āvuso, samayaṁ bhagavā rājagahe viharati veḷuvane kalandakanivāpe. Tena kho pana samayena rājantepure rājaparisāyaṁ sannisinnānaṁ sannipatitānaṁ ayamantarakathā udapādi— ‘kappati samaṇānaṁ sakyaputtiyānaṁ jātarūparajataṁ; paṭiggaṇhanti samaṇā sakyaputtiyā jātarūparajatan’ti. Tena kho panāvuso, samayena maṇicūḷako gāmaṇī tassaṁ parisāyaṁ nisinno hoti.
闇に覆われ、渇愛(taṇhā)の奴隷となり、執著の糸に繋がれて、
凄まじき塚を積み上げ、また再生(punabbhava)を受け取る。
このように説く者こそ、わたしだというのか――信心深く、清信ある在家の信者(upāsaka)たちを、罵り、そしり、不信を生じさせるというのか。
友よ、あるとき、世尊はラージャガハ(Rājagaha)のヴェールヴァナ(Veḷuvana)、カランダカ・ニヴァーパに滞在しておられた。そのころ、王宮においては、王の集いに座し集まった人々のあいだに、こういう話題が起こった――「釈子(sakyaputtiya)なる沙門たちは、金銀(jātarūparajata)を受け取ることが許されているのか。釈子なる沙門たちは、金銀を受け取っているのではないか」と。
友よ、そのとき、マニチューラカ(Maṇicūḷaka)という村長(gāmaṇī)が、その集いのなかに座していた。
執着
vinaya
趣旨一致
中
Mā cassa bhāyittha. Mayampi tumhākaṁ pakkhā bhavissāmā”ti. Tena anuppannāni ceva bhaṇḍanāni uppajjanti uppannāni ca bhaṇḍanāni bhiyyobhāvāya vepullāya saṁvattanti. Ye te bhikkhū appicchā …pe… te ujjhāyanti khiyyanti vipācenti— “kathañhi nāma paṇḍukalohitakā bhikkhū attanā bhaṇḍanakārakā kalahakārakā vivādakārakā bhassakārakā saṅghe adhikaraṇakārakā, yepi caññe bhikkhū bhaṇḍanakārakā kalahakārakā vivādakārakā bhassakārakā saṅghe adhikaraṇakārakā te upasaṅkamitvā evaṁ vakkhanti— Atha kho te bhikkhū bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. Atha kho bhagavā etasmiṁ nidāne etasmiṁ pakaraṇe bhikkhusaṅghaṁ sannipātāpetvā bhikkhū paṭipucchi— “saccaṁ kira, bhikkhave, paṇḍukalohitakā bhikkhū attanā bhaṇḍanakārakā kalahakārakā vivādakārakā bhassakārakā saṅghe adhikaraṇakārakā, yepi caññe bhikkhū bhaṇḍanakārakā kalahakārakā vivādakārakā bhassakārakā saṅghe adhikaraṇakārakā te upasaṅkamitvā evaṁ vadanti— “Saccaṁ, bhagavā”ti. Vigarahi buddho bhagavā—
「汝らよ、恐れるなかれ。我々もまた汝らの味方となろう」と。
これによって、いまだ生じていなかった諍い(bhaṇḍana)はあらたに生じ、すでに生じていた諍いはさらに増大し、広がることとなった。
少欲(appiccha)なる……(中略)……かの比丘たちは、嘆き、憤り、そしりていった——「いかなることぞ、パンドゥカとロヒタカの比丘たちは、みずから諍いを起こし、口論を起こし、論争を起こし、雑言を弄し、僧伽(saṅgha)のなかに諍論(adhikaraṇa)を起こしながら、他にも諍いを起こし、口論を起こし、論争を起こし、雑言を弄し、僧伽のなかに諍論を起こすような比丘たちのもとに赴いては、かくのごとく言うとは——」と。
そこで、かの比丘たちは世尊にこのことを申し上げた。
そこで世尊は、この因縁、この出来事において、比丘の僧伽を集め、比丘たちに問いただされた——「比丘たちよ、まことにパンドゥカとロヒタカの比丘たちは、みずから諍いを起こし、口論を起こし、論争を起こし、雑言を弄し、僧伽のなかに諍論を起こしながら、他にも諍いを起こし、口論を起こし、論争を起こし、雑言を弄し、僧伽のなかに諍論を起こすような比丘たちのもとに赴いては、かくのごとく言うと——これは真実のことであるか」と。
「世尊よ、真実にございます」と。
覚者にして世尊は、これを訶責(vigaraha)されて——
⚠ 初手で出すと冷たく見える,出家者向けの文脈
執着
vinaya
趣旨一致
中
“ananucchavikaṁ, bhikkhave, tesaṁ moghapurisānaṁ ananulomikaṁ appatirūpaṁ assāmaṇakaṁ akappiyaṁ akaraṇīyaṁ. Kathañhi nāma te, bhikkhave, moghapurisā attanā bhaṇḍanakārakā …pe… Tena anuppannāni ceva bhaṇḍanāni uppajjanti, uppannāni ca bhaṇḍanāni bhiyyobhāvāya vepullāya saṁvattanti. Netaṁ, bhikkhave, appasannānaṁ vā pasādāya pasannānaṁ vā bhiyyobhāvāya. Atha khvetaṁ, bhikkhave, appasannānañceva appasādāya pasannānañca ekaccānaṁ aññathattāyā”ti. Atha kho bhagavā te bhikkhū anekapariyāyena vigarahitvā dubbharatāya dupposatāya mahicchatāya asantuṭṭhitāya saṅgaṇikāya kosajjassa avaṇṇaṁ bhāsitvā anekapariyāyena subharatāya suposatāya appicchassa santuṭṭhassa sallekhassa dhutassa pāsādikassa apacayassa vīriyārambhassa vaṇṇaṁ bhāsitvā bhikkhūnaṁ tadanucchavikaṁ tadanulomikaṁ dhammiṁ kathaṁ katvā bhikkhū āmantesi— “tena hi, bhikkhave, saṅgho paṇḍukalohitakānaṁ bhikkhūnaṁ tajjanīyakammaṁ karotu. Evañca pana, bhikkhave, kātabbaṁ. Paṭhamaṁ paṇḍukalohitakā bhikkhū codetabbā, codetvā sāretabbā, sāretvā āpattiṁ āropetabbā, āpattiṁ āropetvā byattena bhikkhunā paṭibalena saṅgho ñāpetabbo— ‘Suṇātu me, bhante, saṅgho.
「比丘たちよ、かの愚かな者どもの所業は、ふさわしからず、相応せず、適切ならず、沙門の行にそむき、許されず、なすべからざることである。いかにして彼ら愚かな者どもは、みずから諍い(bhaṇḍana)を引き起こしながら……かくして、未だ生じていない諍いはあらたに生じ、すでに生じた諍いはいよいよ増大し、広がることとなる。このことは、比丘たちよ、未だ信を起こさぬ者に信を生ぜしめるためにも、すでに信を持つ者の信をさらに深めるためにもならない。否、これはまさに、未だ信なき者の不信をいっそう強め、すでに信ある者の一部をして、その心を変ぜしめることとなる」と。
そこで世尊は、かの比丘たちを多くのかたちで呵責(vigarahitvā)されたのち、養いがたきこと(dubbharatā)、扶持しがたきこと(dupposatā)、大欲(mahicchatā)、不満足(asantuṭṭhitā)、交わりを好むこと(saṅgaṇikā)、懈怠(kosajja)の過失を説かれ、さらに多くのかたちにて、養いやすきこと(subharatā)、扶持しやすきこと(suposatā)、少欲(appicchatā)、知足(santuṭṭhitā)、頭陀(dhuta)、精励(vīriyārambha)、徳あること(pāsādikatā)、積まざること(apacaya)の功徳を讃えられ、それにふさわしく、それに相応する法の話(dhammiṁ kathaṁ)を比丘たちに説かれて、こう告げられた。
「さらば、比丘たちよ、僧伽(saṅgha)はパンドゥカロヒタカ(Paṇḍukalohitaka)なる比丘たちに対して、挙罪羯磨(tajjanīyakamma)を行うがよい。そして、比丘たちよ、それはかくのごとくなされるべきである。まず、パンドゥカロヒタカなる比丘たちを諫めるべし。諫めたうえで想起させるべし。想起させたうえで罪を成立させるべし。罪を成立させたうえで、能弁にして羯磨に堪えたる比丘が僧伽に告白すべきである。
『大徳方よ、
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,初手で出すと冷たく見える,出家者向けの文脈
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vinaya
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12. Paṭissavadukkaṭāpatti Tena kho pana samayena āyasmatā upanandena sakyaputtena rañño pasenadissa kosalassa vassāvāso paṭissuto hoti purimikāya. So taṁ āvāsaṁ gacchanto addasa antarāmagge dve āvāse bahucīvarake. “yannūnāhaṁ imesu dvīsu āvāsesu vassaṁ vaseyyaṁ. Evaṁ me bahuṁ cīvaraṁ uppajjissatī”ti. So tesu dvīsu āvāsesu vassaṁ vasi. Rājā pasenadi kosalo ujjhāyati khiyyati vipāceti— “kathañhi nāma ayyo upanando sakyaputto amhākaṁ vassāvāsaṁ paṭissuṇitvā visaṁvādessati. Nanu bhagavatā anekapariyāyena musāvādo garahito, musāvādā veramaṇī pasatthā”ti. Assosuṁ kho bhikkhū rañño pasenadissa kosalassa ujjhāyantassa khiyyantassa vipācentassa.
さてそのころ、尊者ウパナンダ・サキャプッタは、コーサラ国王パセーナディに、前安居(ポリミカー)において安居を行うと約束していた。彼はその住処へ赴く途中、道の途中に、衣(チーヴァラ)の豊かな二つの住処を見た。「私はこの二つの住処で安居を過ごそう。そうすれば多くの衣が得られるであろう」と思い、彼はその二つの住処で安居を過ごした。
コーサラ国王パセーナディは、憤り、叱り、そしり言った。「いかにして尊者ウパナンダ・サキャプッタは、我らへの安居の約束を交わしておきながら、その言葉に背くことができようか。世尊はあまたの道理をもって妄語(ムサーヴァーダ)を戒め、妄語を離れること(ムサーヴァーダー・ヴェーラマニー)を讃えられているではないか」と。
比丘たちは、コーサラ国王パセーナディが憤り、叱り、そしり言っていることを耳にした。
⚠ 出家者向けの文脈
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vinaya
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Ye te bhikkhū appicchā …pe… te ujjhāyanti khiyyanti vipācenti— “kathañhi nāma āyasmā upanando sakyaputto rañño pasenadissa kosalassa vassāvāsaṁ paṭissuṇitvā visaṁvādessati. Atha kho te bhikkhū bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ …pe… atha kho bhagavā etasmiṁ nidāne etasmiṁ pakaraṇe bhikkhusaṅghaṁ sannipātāpetvā āyasmantaṁ upanandaṁ sakyaputtaṁ paṭipucchi— “saccaṁ kira tvaṁ, upananda, rañño pasenadissa kosalassa vassāvāsaṁ paṭissuṇitvā visaṁvādesī”ti? “Saccaṁ, bhagavā”ti. Vigarahi buddho bhagavā …pe… kathañhi nāma tvaṁ, moghapurisa, rañño pasenadissa kosalassa vassāvāsaṁ paṭissuṇitvā visaṁvādessasi. Nanu mayā, moghapurisa, anekapariyāyena musāvādo garahito, musāvādā veramaṇī pasatthā. Netaṁ, moghapurisa, appasannānaṁ vā pasādāya …pe…
少欲(しょうよく)なる比丘たちは……乃至……不満を抱き、そしりそしって言った。「どうしてウパナンダ尊者はシャーキャ族の子でありながら、コーサラ国のパセーナディ王に雨安居(うあんご)を約束しておきながら、その約束を違えることができようか」と。
そこでそれらの比丘たちは、この事の次第を世尊に申し上げた。……乃至……そこで世尊は、この因縁によりこの事件について、比丘僧伽(びくそうが)を集会せしめ、シャーキャ族の子であるウパナンダ尊者に問いただされた。
「ウパナンダよ、そなたはまことに、コーサラ国のパセーナディ王に雨安居を約束しておきながら、その約束を違えたというのか」と。
「世尊よ、まことにそのとおりでございます」と。
目覚めたる世尊、かの師は、その者をお叱りになった。……乃至……「愚かなる者よ、そなたはどうして、コーサラ国のパセーナディ王に雨安居を約束しておきながら、その約束を違えることができたのか。愚かなる者よ、わたしはあまたの仕方で妄語(もうご)を責め、妄語を離れることを讃えたではないか。愚かなる者よ、このことは、いまだ信を得ざる者に信を起こさしめることにもならず……乃至……」
⚠ 初手で出すと冷たく見える,出家者向けの文脈
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vinaya
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Evaṁ vutte, bhagavā upakaṁ ājīvakaṁ gāthāhi ajjhabhāsi— “Sabbābhibhū sabbavidūhamasmi, Sabbesu dhammesu anūpalitto; Sabbañjaho taṇhākkhaye vimutto, Sayaṁ abhiññāya kamuddiseyyaṁ. Na me ācariyo atthi, sadiso me na vijjati; Sadevakasmiṁ lokasmiṁ, natthi me paṭipuggalo. Ahañhi arahā loke,
かくのごとく言われたとき、世尊はウパカなるアージーヴィカ行者に向かって、偈をもって仰せられた——
「われはすべてを征服せる者(sabbābhibhū)、すべてを知れる者(sabbavidū)、
あらゆる事物(ダンマ)に汚されることなく、
すべてを捨て、渇愛(taṇhā)の滅尽によりて解脱せり。
みずから証知したるこのことを、誰に向かいて説くべきか。
われに師なく、われに比肩する者もなし。
神々を含むこの世界において、
われに匹敵する者(paṭipuggalo)は存在しない。
われこそはこの世における阿羅漢(arahā)、
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