🔖 ブックマーク機能はLINEログインで利用できます
💬 AIブッダに相談
10,029
偈句数
9,999
日本語訳あり
9,982
パーリ原文
経典 19
テーマ 20
該当 115
すべて
智慧 4354
老い 931
苦しみ 772
正念 695
怒り 356
執着 350
死 350
業・因果 346
幸せ 337
自己 244
人間関係 243
家族 234
不安 168
仕事 165
渇愛 147
慈悲 115
無常 111
孤独 45
空 43
感謝 23
vinaya 2606
中部経典 2117
長部経典 1357
相応部経典 1136
増支部経典 857
jataka 563
スッタニパータ 522
ダンマパダ(法句経) 426
テーラガーター 211
テーリーガーター 68
クッダカパータ 57
イティヴッタカ 54
ウダーナ 34
金剛経 5
維摩経 5
般若心経 4
法華経 4
涅槃経 2
AN 1
慈悲
テーラガーター
趣旨一致
中
Ekakanipāta Ekādasamavagga Saṅgharakkhitattheragāthā “Na nūnāyaṁ paramahitānukampino, Rahogato anuvigaṇeti sāsanaṁ; Tathāhayaṁ viharati pākatindriyo, Migī yathā taruṇajātikā vane”ti. … Saṅgharakkhito thero ….
「かの者はきっと、最高の利益を慈しむ者(利他慈悲の人)ではないのだろう。
独り閑かな処に退きながらも、教え(サーサナ)をよく省みることもせず、
かくも根(インドリヤ)を制せぬままに住しているとは——
まるで森の中に生まれたばかりの、若き牝鹿のようではないか。」
……長老サンガラッキタの偈……
慈悲
テーラガーター
趣旨一致
長
Dukanipāta Dutiyavagga Mahācundattheragāthā “Sussūsā sutavaddhanī, sutaṁ paññāya vaddhanaṁ; Paññāya atthaṁ jānāti, ñāto attho sukhāvaho. Sevetha pantāni senāsanāni, Careyya saṁyojanavippamokkhaṁ; Sace ratiṁ nādhigaccheyya tattha, Saṅghe vase rakkhitatto satimā”ti. … Mahācundo thero ….
聴こうとする心(sussūsā)は聞慧(suta)を育み、
聞慧はまた智慧(paññā)を育む。
智慧によって人は義利(attha)を知り、
知られた義利はやがて安楽をもたらす。
辺鄙なる独居処(pantāni senāsanāni)に身を置き、
諸々の繋縛(saṁyojana)より解き放たれた道を歩め。
もしそこに喜び(rati)を見出すことあたわずば、
僧伽(saṅgha)のうちに住まい、
己を護り、よく念(sati)を保て。
… マハーチュンダ長老の偈 …
慈悲
テーラガーター
趣旨一致
長
Tikanipāta Paṭhamavagga Upālittheragāthā “Saddhāya abhinikkhamma, navapabbajito navo; Mitte bhajeyya kalyāṇe, suddhājīve atandite. Saddhāya abhinikkhamma, navapabbajito navo; Saṅghasmiṁ viharaṁ bhikkhu, sikkhetha vinayaṁ budho. Saddhāya abhinikkhamma, navapabbajito navo; Kappākappesu kusalo, careyya apurakkhato”ti. … Upālitthero ….
信(サッダー)によりて家を出で、
新たに出家せし者よ、新参の者よ。
善き友(カリヤーナミッタ)に親しみ、
清浄なる生活を営む、怠らざる人々に。
信によりて家を出で、
新たに出家せし者よ、新参の者よ。
僧伽(サンガ)のうちに住する比丘よ、
智慧ある者として、律(ヴィナヤ)を学べ。
信によりて家を出で、
新たに出家せし者よ、新参の者よ。
許されることと許されざることとに巧みにして、
誰かに先立てられることなく、独り歩め。
……ウパーリ長老……
⚠ 出家者向けの文脈
慈悲
テーラガーター
趣旨一致
長
Catukkanipāta Paṭhamavagga Dhammikattheragāthā “Dhammo have rakkhati dhammacāriṁ, Dhammo suciṇṇo sukhamāvahati; Esānisaṁso dhamme suciṇṇe, Na duggatiṁ gacchati dhammacārī. Na hi dhammo adhammo ca, ubho samavipākino; Adhammo nirayaṁ neti, dhammo pāpeti suggatiṁ. Tasmā hi dhammesu kareyya chandaṁ, Dhamme ṭhitā sugatavarassa sāvakā, Nīyanti dhīrā saraṇavaraggagāmino”. “Vipphoṭito gaṇḍamūlo, Taṇhājālo samūhato; So khīṇasaṁsāro na catthi kiñcanaṁ, Cando yathā dosinā puṇṇamāsiyan”ti. … Dhammiko thero
# テーラガーター 4・10 ダンミカ長老の偈
---
まことに法(ダンマ)は、法にしたがい行ずる者を守る。
よく修められた法は、安楽をもたらす。
これぞ、法をよく修めることの功徳(アーニサンサ)なり。
法にしたがい行ずる者は、悪趣(ドゥッガティ)に赴くことなし。
法(ダンマ)と非法(アダンマ)とは、
その二つ、同じ果報をもたらすものにあらず。
非法は地獄(ニラヤ)へと導き、
法は善趣(スッガティ)へと至らしめる。
されば、法に対して志(チャンダ)を起こすがよい。
法の中に立ちて、善逝(スガタ)なる尊者の弟子たちは、
最勝の帰依処(サラナ)へと向かいながら、
智慧ある者たちは涅槃へと導かれてゆく。
---
腫れ物の根は破れ、
渇愛(タンハー)の網は根こそぎ断たれた。
かの輪廻(サンサーラ)の尽きた者には、もはや何ものもない——
月が、晴れわたる満月の夜に輝くがごとく。
---
……ダンミカ長老
⚠ 希死念慮の場面では使わない
慈悲
vinaya
趣旨一致
中
mānitā mānayanti naṁ. Tato naṁ anukampanti, mātā puttaṁva orasaṁ; Devatānukampito poso, sadā bhadrāni passatī”ti. Atha kho bhagavā sunidhavassakāre magadhamahāmatte imāhi gāthāhi anumoditvā uṭṭhāyāsanā pakkāmi. Tena kho pana samayena sunidhavassakārā magadhamahāmattā bhagavantaṁ piṭṭhito piṭṭhito anubandhā honti— “yenajja samaṇo gotamo dvārena nikkhamissati, taṁ gotamadvāraṁ nāma bhavissati; yena titthena gaṅgaṁ nadiṁ uttarissati, taṁ gotamatitthaṁ nāma bhavissatī”ti. Atha kho bhagavā yena dvārena nikkhami, taṁ gotamadvāraṁ nāma ahosi.
〔詩偈〕
尊敬する者は、また尊敬される。
そこに慈しみが生まれ、
母がわが子を愛でるように——
天神(デーヴァター)に護られた人は、
つねに吉祥を目にする。
〔散文〕
さて、世尊はこれらの詩偈によってスニッダとヴァッサカーラのマガダの大臣たちへの随喜の言葉を述べ終え、座より立ち上がって退かれた。
そのとき、スニッダとヴァッサカーラのマガダの大臣たちは、世尊のあとをひたひたと随いて行きながら、こう語り合っていた——「今日、沙門ゴータマがいずれの門より出られるにせよ、その門は『ゴータマ門』と呼ばれることになろう。いずれの渡し場よりガンジス河(ガンガー)を渡られるにせよ、その渡し場は『ゴータマの渡し場』と呼ばれることになろう」と。
さて、世尊がいずれの門より出られたか——その門は『ゴータマ門』と名付けられた。
慈悲
vinaya
趣旨一致
中
Therena bhikkhunā ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā ukkuṭikaṁ nisīditvā añjaliṁ paggahetvā evamassa vacanīyo— ‘saṅghaṁ, āvuso, pavāremi diṭṭhena vā sutena vā parisaṅkāya vā. Vadantu maṁ āyasmanto anukampaṁ upādāya. Passanto paṭikarissāmi. Dutiyampi, āvuso, saṅghaṁ pavāremi diṭṭhena vā sutena vā parisaṅkāya vā. Vadantu maṁ āyasmanto anukampaṁ upādāya. Passanto paṭikarissāmi. Tatiyampi, āvuso, saṅghaṁ pavāremi diṭṭhena vā sutena vā parisaṅkāya vā. Vadantu maṁ āyasmanto anukampaṁ upādāya. Passanto paṭikarissāmī’ti.
長老たる比丘は、上衣(ウッタラーサンガ)を片肩にかけ、蹲踞(うずくまり)の姿勢に坐して、合掌し、次のように申し述べるべきである——
「友よ、わたしは僧伽(サンガ)に対して自恣(パヴァーラナー)をおこないます。見たことによっても、聞いたことによっても、疑わしいと思われることによっても。尊者たちよ、慈悲(アヌカンパ)をもってわたしに告げてください。わたしは〔過ちを〕見たならば、それを改めるでありましょう。
再び、友よ、わたしは僧伽に対して自恣をおこないます。見たことによっても、聞いたことによっても、疑わしいと思われることによっても。尊者たちよ、慈悲をもってわたしに告げてください。わたしは〔過ちを〕見たならば、それを改めるでありましょう。
三たび、友よ、わたしは僧伽に対して自恣をおこないます。見たことによっても、聞いたことによっても、疑わしいと思われることによっても。尊者たちよ、慈悲をもってわたしに告げてください。わたしは〔過ちを〕見たならば、それを改めるでありましょう」と。
⚠ 出家者向けの文脈
慈悲
vinaya
趣旨一致
中
‘Āgacchāhī’ti vattabbo. Ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ kārāpetvā bhikkhūnaṁ pāde vandāpetvā ukkuṭikaṁ nisīdāpetvā añjaliṁ paggaṇhāpetvā upasampadaṁ yācāpetabbo— ‘saṅghaṁ, bhante, upasampadaṁ yācāmi. Ullumpatu maṁ, bhante, saṅgho anukampaṁ upādāya. Dutiyampi, bhante, saṅghaṁ upasampadaṁ yācāmi. Ullumpatu maṁ, bhante, saṅgho anukampaṁ upādāya. Tatiyampi, bhante, saṅghaṁ upasampadaṁ yācāmi. Ullumpatu maṁ, bhante, saṅgho anukampaṁ upādāyā’ti. Byattena bhikkhunā paṭibalena saṅgho ñāpetabbo— ‘Suṇātu me, bhante, saṅgho.
「来たれ」と告げるべし。上衣(ウッタラーサンガ)を一肩に掛けさせ、比丘たちの足に礼拝させ、蹲踞(うずくまり)の姿勢に座らせ、合掌させて、具足戒(ウパサンパダー)を請願させるべし——
「尊き僧伽(サンガ)よ、わたくしは具足戒を請い願います。尊き僧伽よ、慈悲(アヌカンパー)をもって、わたくしをお救いください。尊き僧伽よ、二度目もまた、わたくしは具足戒を請い願います。尊き僧伽よ、慈悲をもって、わたくしをお救いください。尊き僧伽よ、三度目もまた、わたくしは具足戒を請い願います。尊き僧伽よ、慈悲をもって、わたくしをお救いください」と。
次いで、能弁にして有能なる比丘によって、僧伽に告知されるべし——
「尊き僧伽よ、聞かれよ。
⚠ 出家者向けの文脈
慈悲
vinaya
趣旨一致
中
Caratha, bhikkhave, cārikaṁ bahujanahitāya bahujanasukhāya lokānukampāya atthāya hitāya sukhāya devamanussānaṁ. Mā ekena dve agamittha. Desetha, bhikkhave, dhammaṁ ādikalyāṇaṁ majjhekalyāṇaṁ pariyosānakalyāṇaṁ sātthaṁ sabyañjanaṁ kevalaparipuṇṇaṁ parisuddhaṁ brahmacariyaṁ pakāsetha. Santi sattā apparajakkhajātikā, assavanatā dhammassa parihāyanti, bhavissanti dhammassa aññātāro. Ahampi, bhikkhave, yena uruvelā senānigamo tenupasaṅkamissāmi dhammadesanāyā”ti. Atha kho māro pāpimā yena bhagavā tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā bhagavantaṁ gāthāya ajjhabhāsi— “Baddhosi sabbapāsehi, ye dibbā ye ca mānusā; Mahābandhanabaddhosi, na me samaṇa mokkhasī”ti.
「比丘たちよ、遊行せよ。多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世の者たちへの憐愍(あわれみ)のために、神々と人々の利益・幸福・安楽のために。二人して同じ道を行くことなかれ。比丘たちよ、法(ダンマ)を説け——初めも善く、中ほども善く、終わりも善き法を、意義を具え、文辞を具え、完全に円満にして清浄なる梵行(ぼんぎょう)を明かせ。生まれながらに煩悩の塵の薄い者たちがいる。法を聞かずして彼らは衰えてゆく。聞くならば法を知る者となるであろう。比丘たちよ、わたしもまた、ウルヴェーラーのセーナーニガマへと赴き、法を説くであろう。」
そのとき、悪しき魔王マーラは、世尊のもとへと近づいた。近づいて、世尊に偈(げ)をもって語りかけた——
天の絆も人の絆も、
あらゆる縛めに汝は縛られたり。
大いなる束縛に捕らわれし身、
沙門よ、我が手より逃れることはかなわぬ。
⚠ 希死念慮の場面では使わない,出家者向けの文脈
慈悲
vinaya
趣旨一致
中
Yadāyasmantānaṁ pattakallaṁ, mayaṁ aññamaññaṁ pavāreyyāmā’ti. Therena bhikkhunā ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā ukkuṭikaṁ nisīditvā añjaliṁ paggahetvā te bhikkhū evamassu vacanīyā— ‘ahaṁ, āvuso, āyasmante pavāremi diṭṭhena vā sutena vā parisaṅkāya vā. Vadantu maṁ āyasmanto anukampaṁ upādāya. Passanto paṭikarissāmi. Dutiyampi …pe… tatiyampi ahaṁ, āvuso, āyasmante pavāremi diṭṭhena vā sutena vā parisaṅkāya vā. Vadantu maṁ āyasmanto anukampaṁ upādāya. Passanto paṭikarissāmī’ti. Navakena bhikkhunā ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā ukkuṭikaṁ nisīditvā añjaliṁ paggahetvā te bhikkhū evamassu vacanīyā—
「諸長老方(āyasmantāna)の御用意が整いましたならば、われらは互いに自恣(pavāreyyāma)を行いましょう。」
長老比丘(thera bhikkhu)は、上衣(uttarāsaṅga)を一肩にかけ、蹲踞(ukkuṭika)して座し、合掌(añjali)して、かの比丘たちにかくのごとく告げるべし——
「友よ(āvuso)、わたくしは、諸長老方(āyasmanto)に対し、見たること(diṭṭha)によっても、聞いたること(suta)によっても、疑わしきこと(parisaṅkā)によっても、自恣(pavāremi)いたします。どうか諸長老方は、慈しみ(anukampa)をもって、わたくしに告げてください。見て知らば、わたくしは改めます(paṭikarissāmi)。」
再び——「友よ、わたくしは……中略……見て知らば、わたくしは改めます。」
三たび——「友よ、わたくしは、諸長老方に対し、見たることによっても、聞いたることによっても、疑わしきことによっても、自恣いたします。どうか諸長老方は、慈しみをもって、わたくしに告げてください。見て知らば、わたくしは改めます。」
次いで、新参の比丘(navaka bhikkhu)は、上衣を一肩にかけ、蹲踞して座し、合掌して、かの比丘たちにかくのごとく告げるべし——
⚠ 出家者向けの文脈
慈悲
vinaya
趣旨一致
中
‘ahaṁ, bhante, āyasmante pavāremi diṭṭhena vā sutena vā parisaṅkāya vā. Vadantu maṁ āyasmanto anukampaṁ upādāya. Passanto paṭikarissāmi. Dutiyampi …pe… tatiyampi ahaṁ, bhante, āyasmante pavāremi diṭṭhena vā sutena vā parisaṅkāya vā. Vadantu maṁ āyasmanto anukampaṁ upādāya. Passanto paṭikarissāmī’”ti. Tena kho pana samayena aññatarasmiṁ āvāse tadahu pavāraṇāya tayo bhikkhū viharanti. “bhagavatā anuññātaṁ pañcannaṁ saṅghe pavāretuṁ, catunnaṁ aññamaññaṁ pavāretuṁ. Mayañcamhā tayo janā.
「大徳よ、私は長老方に対して、見たこと、聞いたこと、あるいは疑わしいことに基づいて、自恣(パヴァーラナー)を申し述べます。長老方よ、慈悲(アヌカンパー)をもって私に告げてください。もし思い当たることがあれば、私は懺悔して改めます。再びまた……乃至……三たびまた、大徳よ、私は長老方に対して、見たこと、聞いたこと、あるいは疑わしいことに基づいて、自恣を申し述べます。長老方よ、慈悲をもって私に告げてください。もし思い当たることがあれば、私は懺悔して改めます」と。
さてそのとき、ある一つの住処において、その日の自恣(パヴァーラナー)に際して、三人の比丘が住していた。「世尊は、五人以上の場合には僧伽(サンガ)において自恣することを許可され、四人の場合には互いに自恣することを許可された。しかるに我らは三人である。
⚠ 出家者向けの文脈
慈悲
vinaya
趣旨一致
中
Kathaṁ nu kho amhehi pavāretabban”ti? “Anujānāmi, bhikkhave, tiṇṇaṁ aññamaññaṁ pavāretuṁ. Evañca pana, bhikkhave, pavāretabbaṁ. Byattena bhikkhunā paṭibalena te bhikkhū ñāpetabbā— ‘Suṇantu me āyasmantā. Ajja pavāraṇā. Yadāyasmantānaṁ pattakallaṁ, mayaṁ aññamaññaṁ pavāreyyāmā’ti. Therena bhikkhunā ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā ukkuṭikaṁ nisīditvā añjaliṁ paggahetvā te bhikkhū evamassu vacanīyā— ‘ahaṁ, āvuso, āyasmante pavāremi diṭṭhena vā sutena vā parisaṅkāya vā. Vadantu maṁ āyasmantā anukampaṁ upādāya.
「では、我らはいかにして自恣(pavāraṇā)をなすべきであろうか」と。
「比丘たちよ、三人が互いに自恣をなすことを許す。比丘たちよ、自恣はかくのごとくなすべきである。弁舌ある有能な比丘は、かの比丘たちに告知すべきである——
『尊者たちよ、聴かれよ。今日は自恣の日である。尊者たちの時節に適うならば、我らは互いに自恣をなさんと欲す』と。
長老の比丘は、上衣(uttarāsaṅga)を一肩にかけ、胡坐(ukkuṭika)して坐し、合掌して、かの比丘たちにかくのごとく言うべきである——
『友よ、私は尊者たちに対し、見たこと、聞いたこと、あるいは疑わしきことについて、自恣(pavāremi)をなす。尊者たちよ、慈悲(anukampa)をもって、私に告げ知らせていただきたい』と。」
⚠ 出家者向けの文脈
慈悲
vinaya
趣旨一致
中
Passanto paṭikarissāmi. Dutiyampi …pe… tatiyampi ahaṁ, āvuso, āyasmante pavāremi diṭṭhena vā sutena vā parisaṅkāya vā. Vadantu maṁ āyasmantā anukampaṁ upādāya. Passanto paṭikarissāmī’ti. Navakena bhikkhunā ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā ukkuṭikaṁ nisīditvā añjaliṁ paggahetvā te bhikkhū evamassu vacanīyā— ‘ahaṁ, bhante, āyasmante pavāremi diṭṭhena vā sutena vā parisaṅkāya vā. Vadantu maṁ āyasmantā anukampaṁ upādāya. Passanto paṭikarissāmi. Dutiyampi …pe…
「見た上で、改めることにいたします」と。
二度目もまた……(中略)……三度目もまた、「友よ、私は長老方に、見たこと(diṭṭha)によって、聞いたこと(suta)によって、あるいは疑わしいと思ったこと(parisaṅkā)によって、自恣(pavāraṇā)を申し出ます。長老方は、慈悲(anukampā)をもって私に告げてください。見た上で、改めることにいたします」と。
新参の比丘(navaka bhikkhu)は、上衣(uttarāsaṅga)を片肌に脱いで、蹲踞(ukkuṭika)の姿勢にて座り、合掌(añjali)して、かの比丘たちに次のように申し上げるべきである――
「大徳(bhante)よ、私は長老方に、見たことによって、聞いたことによって、あるいは疑わしいと思ったことによって、自恣を申し出ます。長老方は、慈悲をもって私に告げてください。見た上で、改めることにいたします」と。
二度目もまた……(中略)……
⚠ 出家者向けの文脈
慈悲
vinaya
趣旨一致
中
tatiyampi ahaṁ, bhante, āyasmante pavāremi diṭṭhena vā sutena vā parisaṅkāya vā. Vadantu maṁ āyasmantā anukampaṁ upādāya. Passanto paṭikarissāmī’”ti. Tena kho pana samayena aññatarasmiṁ āvāse tadahu pavāraṇāya dve bhikkhū viharanti. “bhagavatā anuññātaṁ pañcannaṁ saṅghe pavāretuṁ, catunnaṁ aññamaññaṁ pavāretuṁ, tiṇṇaṁ aññamaññaṁ pavāretuṁ. Mayañcamhā dve janā. Kathaṁ nu kho amhehi pavāretabban”ti. “Anujānāmi, bhikkhave, dvinnaṁ aññamaññaṁ pavāretuṁ. Evañca pana, bhikkhave, pavāretabbaṁ. Therena bhikkhunā ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā ukkuṭikaṁ nisīditvā añjaliṁ paggahetvā navo bhikkhu evamassa vacanīyo—
「尊者方よ、私は三たびも、見たこと、聞いたこと、あるいは疑いによって、尊者方に自恣(パヴァーラナー)を請います。尊者方は、慈悲(アヌカンパー)をもって私に告げてください。私は、それを見ては懺悔いたします」と。
さて、そのとき、ある住処において、その日の自恣(パヴァーラナー)に二人の比丘が住していた。〔彼らは語った。〕「世尊は、五人では僧伽(サンガ)において自恣することを、四人では互いに自恣することを、三人では互いに自恣することをお許しになられた。しかるに、われらは二人である。いかにして、われらは自恣すべきであろうか」と。
〔世尊は言われた。〕「比丘たちよ、私は二人が互いに自恣することを許す。さて比丘たちよ、このようにして自恣すべきである。上座(テーラ)たる比丘が、上衣(ウッタラーサンガ)を片肌に脱ぎ、蹲踞(うっくじか)して坐り、合掌して、新参の比丘にかく告げるべきである——
⚠ 出家者向けの文脈
慈悲
vinaya
趣旨一致
中
‘ahaṁ, āvuso, āyasmantaṁ pavāremi diṭṭhena vā sutena vā parisaṅkāya vā. Vadatu maṁ āyasmā anukampaṁ upādāya. Passanto paṭikarissāmi. Dutiyampi …pe… tatiyampi ahaṁ, āvuso, āyasmantaṁ pavāremi diṭṭhena vā sutena vā parisaṅkāya vā. Vadatu maṁ āyasmā anukampaṁ upādāya. Passanto paṭikarissāmīti. Navakena bhikkhunā ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā ukkuṭikaṁ nisīditvā añjaliṁ paggahetvā thero bhikkhu evamassa vacanīyo— ‘ahaṁ, bhante, āyasmantaṁ pavāremi diṭṭhena vā sutena vā parisaṅkāya vā. Vadatu maṁ āyasmā anukampaṁ upādāya.
「友よ、私は尊者に対して、見たこと、聞いたこと、あるいは疑念によって、自恣(パヴァーラナー)を申し上げます。尊者よ、慈悲(アヌカンパー)をもって私に告げてください。私は〔過ちを〕見たならば、それを正します。」
再び……乃至……「友よ、三度、私は尊者に対して、見たこと、聞いたこと、あるいは疑念によって、自恣を申し上げます。尊者よ、慈悲をもって私に告げてください。私は〔過ちを〕見たならば、それを正します。」と。
新参の比丘は、上衣(ウッタラーサンガ)を一肩にかけ、蹲踞(うずくまり)の姿勢に座り、合掌して、長老の比丘に次のように申し上げるべきである。
「尊師よ、私は尊者に対して、見たこと、聞いたこと、あるいは疑念によって、自恣を申し上げます。尊者よ、慈悲をもって私に告げてください。私は〔過ちを〕見たならば、それを正します。」と。
⚠ 出家者向けの文脈
慈悲
vinaya
趣旨一致
中
Passanto paṭikarissāmi. Dutiyampi …pe… tatiyampi ahaṁ, bhante, āyasmantaṁ pavāremi diṭṭhena vā sutena vā parisaṅkāya vā. Vadatu maṁ āyasmā anukampaṁ upādāya. Passanto paṭikarissāmī’”ti. Tena kho pana samayena aññatarasmiṁ āvāse tadahu pavāraṇāya eko bhikkhu viharati. “bhagavatā anuññātaṁ pañcannaṁ saṅghe pavāretuṁ, catunnaṁ aññamaññaṁ pavāretuṁ, tiṇṇaṁ aññamaññaṁ pavāretuṁ, dvinnaṁ aññamaññaṁ pavāretuṁ. Ahañcamhi ekako. Kathaṁ nu kho mayā pavāretabban”ti? “Idha pana, bhikkhave, aññatarasmiṁ āvāse tadahu pavāraṇāya eko bhikkhu viharati.
「見届けたならば、懺悔いたします。二度目もまた……乃至……三度目もまた、私は、大徳よ、尊者に対し、見たこと(diṭṭha)によって、あるいは聞いたこと(suta)によって、あるいは疑わしきこと(parisaṅkā)によって、自恣(pavāraṇā)を申し上げます。尊者よ、慈悲(anukampā)をもって私に告げてください。見届けたならば、懺悔いたします」と。
さて、そのとき、ある住処において、自恣の当日、一人の比丘(bhikkhu)が住していた。「世尊(Bhagavā)は、五人のときは僧伽(saṅgha)において自恣することを、四人のときは互いに自恣することを、三人のときは互いに自恣することを、二人のときは互いに自恣することを、それぞれ許可された。しかるに、私は一人である。いかにして自恣をなすべきであろうか」と。
「ここに、比丘たちよ、ある住処において、自恣の当日、一人の比丘が住していた。
⚠ 出家者向けの文脈
慈悲
vinaya
趣旨一致
中
“uḷāraṁ kho te idaṁ, āvuso roja, yaṁ tvaṁ bhagavato paccuggamanaṁ akāsī”ti. “Nāhaṁ, bhante ānanda, bahukato buddhe vā dhamme vā saṅghe vā; so kho ahaṁ, bhante ānanda, ñātīnaṁ daṇḍabhayā evāhaṁ bhagavato paccuggamanaṁ akāsin”ti. Atha kho āyasmā ānando anattamano ahosi “kathañhi nāma rojo mallo evaṁ vakkhatī”ti? Atha kho āyasmā ānando yena bhagavā tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā bhagavantaṁ abhivādetvā ekamantaṁ nisīdi. “ayaṁ, bhante, rojo mallo abhiññāto ñātamanusso. Mahatthiko kho pana evarūpānaṁ ñātamanussānaṁ imasmiṁ dhammavinaye pasādo. Sādhu, bhante, bhagavā tathā karotu, yathā rojo mallo imasmiṁ dhammavinaye pasīdeyyā”ti. “Na kho taṁ, ānanda, dukkaraṁ tathāgatena, yathā rojo mallo imasmiṁ dhammavinaye pasīdeyyā”ti. Atha kho bhagavā rojaṁ mallaṁ mettena cittena pharitvā uṭṭhāyāsanā vihāraṁ pāvisi.
「友よ、ロージャよ、汝が世尊の御出迎えをなされたこと、まことに殊勝なることである」と。「尊者アーナンダよ、わたくしは仏(ブッダ)に対しても、法(ダンマ)に対しても、僧伽(サンガ)に対しても、深く帰依しておるわけではございません。尊者アーナンダよ、わたくしはただ親族の者どもの杖罰(だんばつ)を恐れるがゆえに、世尊の御出迎えをいたしたのでございます」と。
そこで尊者アーナンダは心に不満を覚えた。「いかにしてマッラ族のロージャはかくのごときことを言うのであろうか」と。
そこで尊者アーナンダは世尊のおられるところへと赴き、赴いて世尊を礼拝し、かたわらに坐した。「尊師よ、このマッラ族のロージャは、よく知られた一族の者でございます。かくのごとき一族の者がこの法と律(ダンマヴィナヤ)に対して信敬(しんきょう)を起こすことは、まことに大いなる利益をもたらすことでございましょう。尊師よ、どうか世尊は、マッラ族のロージャがこの法と律において信敬を起こすよう、然るべくおはからいくださいますように」と。
「アーナンダよ、マッラ族のロージャがこの法と律において信敬を起こすよう導くことは、如来(タターガタ)にとって難しいことではない」と。
そこで世尊は、慈(メッタ)の心をもってマッラ族のロージャを遍満し、座より立ちあがって精舎へと入られた。
⚠ 初学者には難しい
慈悲
vinaya
趣旨一致
中
Atha kho rojo mallo bhagavato mettena cittena phuṭṭho, seyyathāpi nāma gāviṁ taruṇavaccho; evameva vihārena vihāraṁ pariveṇena pariveṇaṁ upasaṅkamitvā bhikkhū pucchati— “kahaṁ nu kho, bhante, etarahi so bhagavā viharati arahaṁ sammāsambuddho, dassanakāmā hi mayaṁ taṁ bhagavantaṁ arahantaṁ sammāsambuddhan”ti. “Esāvuso roja, vihāro saṁvutadvāro, tena appasaddo upasaṅkamitvā ataramāno āḷindaṁ pavisitvā ukkāsitvā aggaḷaṁ ākoṭehi, vivarissati te bhagavā dvāran”ti. Atha kho rojo mallo yena so vihāro saṁvutadvāro, tena appasaddo upasaṅkamitvā ataramāno āḷindaṁ pavisitvā ukkāsitvā aggaḷaṁ ākoṭesi. Vivari bhagavā dvāraṁ. Atha kho rojo mallo vihāraṁ pavisitvā bhagavantaṁ abhivādetvā ekamantaṁ nisīdi. Ekamantaṁ nisinnassa kho rojassa mallassa bhagavā anupubbiṁ kathaṁ kathesi, seyyathidaṁ— dānakathaṁ …pe… aparappaccayo satthusāsane bhagavantaṁ etadavoca— “sādhu, bhante, ayyā mamaññeva paṭiggaṇheyyuṁ cīvarapiṇḍapātasenāsanagilānappaccayabhesajjaparikkhāraṁ, no aññesan”ti.
そのころ、マッラ族のロージャは、世尊の慈(メッター)の心に触れられて、あたかも母牛が幼い子牛を慕うように、房舎から房舎へ、僧院から僧院へと巡りながら、比丘たちに問い尋ねた。
「大徳よ、いま現在、かの世尊・応供・正等覚者はどちらにお住まいでありましょうか。われらはその世尊・応供・正等覚者にお目にかかりたく存じます」と。
「友よ、ロージャよ、あちらに扉の閉じられた房舎がございます。静かに近づき、急がずに前廊(アーリンダ)にお入りになり、咳払いをして、かんぬきをお叩きください。世尊がお前の扉を開けてくださるでしょう」と。
そこでマッラ族のロージャは、その扉の閉じられた房舎のほうへ、静かに近づき、急がずに前廊に入り、咳払いをして、かんぬきを叩いた。世尊は扉を開けられた。
そこでマッラ族のロージャは房舎に入り、世尊を礼拝して、かたわらに坐った。かたわらに坐ったマッラ族のロージャに対して、世尊は次第法(アヌプッビー・カター)を説かれた。すなわち、布施の話(ダーナカター)……(中略)……かくして師の教えに対して他に依らぬ者となったロージャは、世尊にこのように申し上げた。
「善いかな、大徳よ。どうか尊い方々は、ほかの者のためにではなく、ただわたしのみのために、衣・食・住・病者のための薬・資具(パリッカーラ)をお受け取りくださいますように」と。
⚠ 出家者向けの文脈
慈悲
vinaya
趣旨一致
中
mettacittenāyasmā cudito, no dosantarena, alaṁ te vippaṭisārāyāti. “Codakena, bhante, bhikkhunā paraṁ codetukāmena kati dhamme ajjhattaṁ manasi karitvā paro codetabbo”ti? “Codakenupāli, bhikkhunā paraṁ codetukāmena pañca dhamme ajjhattaṁ manasi karitvā paro codetabbo— kāruññatā, hitesitā, anukampitā, āpattivuṭṭhānatā, vinayapurekkhāratāti. “Cuditena pana, bhante, bhikkhunā katisu dhammesu patiṭṭhātabban”ti? “Cuditenupāli, bhikkhunā dvīsu dhammesu patiṭṭhātabbaṁ— sacce ca akuppe cā”ti. Dutiyabhāṇavāro niṭṭhito. Pātimokkhaṭṭhapanakkhandhako navamo. Imamhi khandhake vatthū tiṁsa.
「尊者は慈しみの心(メッター)をもってお諫めになったのであり、瞋恚の心からではありません。あなたが後悔される必要はありません。」
「大徳よ、他の比丘を諫めようとする比丘は、いかなる法を内に省みてから、他を諫めるべきでありましょうか。」
「ウパーリよ、他の比丘を諫めようとする比丘は、五つの法を内に省みてから、他を諫めるべきである。すなわち、哀憐(かるなー)、利益を求める心(ひとえしたー)、憐愍(あぬかんぱー)、罪過からの出離への意(あーぱったいー)、律を前提とすること(ヴィナヤプレッカー)、これである。」
「では大徳よ、諫められた比丘は、いかなる法のうちに立つべきでありましょうか。」
「ウパーリよ、諫められた比丘は、二つの法のうちに立つべきである。すなわち、真実(さっか)と不動(あくぱ)とである。」
第二誦分、終わる。第九、波羅提木叉停止犍度、終わる。この犍度における事例は三十である。
⚠ 出家者向けの文脈
慈悲
vinaya
趣旨一致
中
Karuṇā hitānukampi, vuṭṭhānapurekkhārato. Codakassa paṭipatti, sambuddhena pakāsitā; Sacce ceva akuppe ca, cuditasseva dhammatāti. Pātimokkhaṭṭhapanakkhandhako niṭṭhito.
慈悲(カルナー)をもち、利益を願い憐れむ心をもって、
〔相手が〕立ち直ることを先として——
糺弾者(コーダカ)のあり方は、
正覚者(サンブッダ)によって明かされた。
真実においてこそ、また動揺なきにおいてこそ、
糺弾せられた者の法性(ダンマター)においてこそ、と。
波羅提木叉停止犍度(パーティモッカタパナッカンダカ)を終わる。
経典データの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)