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💬 AIブッダに相談
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偈句数
9,999
日本語訳あり
9,982
パーリ原文
経典 19
テーマ 20
該当 695
すべて
智慧 4354
老い 931
苦しみ 772
正念 695
怒り 356
執着 350
死 350
業・因果 346
幸せ 337
自己 244
人間関係 243
家族 234
不安 168
仕事 165
渇愛 147
慈悲 115
無常 111
孤独 45
空 43
感謝 23
vinaya 2606
中部経典 2117
長部経典 1357
相応部経典 1136
増支部経典 857
jataka 563
スッタニパータ 522
ダンマパダ(法句経) 426
テーラガーター 211
テーリーガーター 68
クッダカパータ 57
イティヴッタカ 54
ウダーナ 34
金剛経 5
維摩経 5
般若心経 4
法華経 4
涅槃経 2
AN 1
正念
vinaya
趣旨一致
中
upāsake no bhagavā dhāretu ajjatagge pāṇupetaṁ saraṇaṁ gate”ti. Atha kho so eko puriso yena devadatto tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā devadattaṁ etadavoca— “nāhaṁ, bhante, sakkomi taṁ bhagavantaṁ jīvitā voropetuṁ; mahiddhiko so bhagavā mahānubhāvo”ti. mā tvaṁ samaṇaṁ gotamaṁ jīvitā voropesi. Ahameva samaṇaṁ gotamaṁ jīvitā voropessāmī”ti. 2.4. Lohituppādakakamma Tena kho pana samayena bhagavā gijjhakūṭassa pabbatassa chāyāyaṁ caṅkamati. Atha kho devadatto gijjhakūṭaṁ pabbataṁ āruhitvā mahatiṁ silaṁ pavijjhi— imāya samaṇaṁ gotamaṁ jīvitā voropessāmīti.
「世尊よ、どうか私を在家信者(優婆塞)としてお受け取りください。今日よりいのちの続く限り、帰依いたします」と。
さて、その一人の男はデーヴァダッタのもとへと近づき、近づいてデーヴァダッタにこのように言った。
「尊者よ、私にはあの世尊のいのちを奪うことができませんでした。あの世尊は大いなる神通力(大神力)を具え、大いなる威力(大威力)をそなえた方でありますゆえ」と。
「おまえはゴータマ沙門のいのちを奪うな。わたし自らがゴータマ沙門のいのちを奪おう」と。
二・四 出血業(ロヒタッパーダカカンマ)
さてそのとき、世尊はギッジャクータ山(鷲の峰)の影のなかを経行(きんひん)しておられた。そこでデーヴァダッタはギッジャクータ山に登り、大きな岩を押し転ばした――「この岩でゴータマ沙門のいのちを奪ってしまおう」と。
⚠ 自己責任論に誤解されやすい
正念
vinaya
趣旨一致
中
Chandahārako ce, bhikkhave, dinne chande saṅghappatto sutto na āroceti, pamatto na āroceti, samāpanno na āroceti, āhaṭo hoti chando. Chandahārakassa anāpatti. Chandahārako ce, bhikkhave, dinne chande saṅghappatto sañcicca na āroceti, āhaṭo hoti chando. Chandahārakassa āpatti dukkaṭassa. Anujānāmi, bhikkhave, tadahuposathe pārisuddhiṁ dentena chandampi dātuṁ, santi saṅghassa karaṇīyan”ti. 22. Ñātakādiggahaṇakathā Tena kho pana samayena aññataraṁ bhikkhuṁ tadahuposathe ñātakā gaṇhiṁsu. Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Idha pana, bhikkhave, bhikkhuṁ tadahuposathe ñātakā gaṇhanti. Te ñātakā bhikkhūhi evamassu vacanīyā—
比丘たちよ、もし欲(チャンダ)を運ぶ者が、欲を授けられた後、僧伽(サンガ)に到着しながら、眠っていて告げなかった場合、放逸であって告げなかった場合、禅定(サマーパッティ)に入っていて告げなかった場合、その欲は運ばれたことになる。欲を運ぶ者には波逸提(パーチッティヤ)の罪はない。
比丘たちよ、もし欲を運ぶ者が、欲を授けられた後、僧伽に到着しながら、故意に告げなかった場合、その欲は運ばれたことになる。欲を運ぶ者には突吉羅(ドゥッカタ)の罪がある。
比丘たちよ、わたしは許可する。その日の布薩(ウポーサタ)において清浄(パーリスッディ)を授ける者が、欲をも授けることを。「僧伽にはなすべきことがある」と。
二十二 親族等による連行についての話
さてその時、ある比丘が、その日の布薩において、親族たちに連れ去られた。〔弟子たちは〕この事柄を世尊に申し上げた。
「比丘たちよ、ここに、比丘が布薩の当日に親族たちに連れ去られることがある。その親族たちは、比丘たちによってこのように言われるべきである——」
⚠ 出家者向けの文脈
正念
vinaya
趣旨一致
中
Gilāno ca ananuyogakkhamo vutto bhagavatā. Āgamehi, āvuso, yāva arogā hotha. Arogo arogaṁ ākaṅkhamāno codessasī’ti. Evañce vuccamāno codeti, anādariye pācittiyaṁ. Tehi ce, bhikkhave, bhikkhūhi pavāriyamāne agilāno agilānassa pavāraṇaṁ ṭhapeti, ubho saṅghena samanuyuñjitvā samanugāhitvā yathādhammaṁ kārāpetvā saṅghena pavāretabban”ti. 26. Pavāraṇāsaṅgaha Tena kho pana samayena sambahulā sandiṭṭhā sambhattā bhikkhū kosalesu janapade aññatarasmiṁ āvāse vassaṁ upagacchiṁsu. Tesaṁ samaggānaṁ sammodamānānaṁ avivadamānānaṁ viharataṁ aññataro phāsuvihāro adhigato hoti. Atha kho tesaṁ bhikkhūnaṁ etadahosi— Sace mayaṁ idāni pavāressāma, siyāpi bhikkhū pavāretvā cārikaṁ pakkameyyuṁ.
「病者は〔自恣の〕問責に耐えられぬ者と世尊は仰せになった。『友よ、しばらく待て。汝が健康になるまで。健康な者が健康な者を望んで責めるであろう』と。このように言われてなお責めるならば、軽視による波逸提(パーチッティヤ)となる。比丘たちよ、もしその比丘たちが自恣(パーヴァーラナー)を行う折に、病なき者が病なき者の自恣を留め置くならば、両者をともに僧伽によって審問し、糾明し、法に従って処置を施したうえで、僧伽によって自恣を行わしめるべきである」と。
二十六 自恣の集要(パーヴァーラナーサンガハ)
その時のことであった。多くの相知り相親しんだ比丘たちが、コーサラ国の地方のある住処において雨安居(ヴァッサ)に入った。かれらが和合し、和やかに、諍いなく住するうち、あるひとつの安楽な住み方が得られるにいたった。そこでかれら比丘たちに、こういう思いが起こった。――「もし今われらが自恣を行うならば、あるいは比丘たちは自恣を終えて遊行に旅立ってしまうかもしれぬ。
⚠ 出家者向けの文脈
正念
vinaya
趣旨一致
中
Evaṁ mayaṁ imamhā phāsuvihārā paribāhirā bhavissāma. Kathaṁ nu kho amhehi paṭipajjitabban”ti? Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Idha pana, bhikkhave, sambahulā sandiṭṭhā sambhattā bhikkhū aññatarasmiṁ āvāse vassaṁ upagacchanti. Anujānāmi, bhikkhave, tehi bhikkhūhi pavāraṇāsaṅgahaṁ kātuṁ. Evañca pana, bhikkhave, kātabbo. Sabbeheva ekajjhaṁ sannipatitabbaṁ— sannipatitvā byattena bhikkhunā paṭibalena saṅgho ñāpetabbo— ‘Suṇātu me, bhante, saṅgho. Amhākaṁ samaggānaṁ sammodamānānaṁ avivadamānānaṁ viharataṁ aññataro phāsuvihāro adhigato.
「このようにして、私どもはこの安楽な住処から除け者とされてしまうであろう。いったい、どのように行じるべきであろうか」と。〔比丘たちは〕この事柄を世尊に申し上げた。
「さて比丘たちよ、ここに多くの相知れる、互いに親しむ比丘たちが、ある一つの住処において雨安居(うあんご)に入るとしよう。比丘たちよ、その比丘たちに、自恣(パーリ語:pavāraṇā)の集まりを行うことを私は許可する。そして比丘たちよ、次のように行うべきである。すべての者がひとところに集まるべきである――集まりて、賢く有能な比丘によって僧伽(サンガ)に告知がなされるべきである――
『大徳方よ、僧伽よ、私の言葉を聞かれよ。私どもは和合し、喜び合い、諍うことなく住しておりましたところ、ある一つの安楽なる住処(phāsuvihāra)が得られました。』」
⚠ 出家者向けの文脈
正念
vinaya
趣旨一致
中
Sace mayaṁ idāni pavāressāma, siyāpi bhikkhū pavāretvā cārikaṁ pakkameyyuṁ. Evaṁ mayaṁ imamhā phāsuvihārā paribāhirā bhavissāma. Yadi saṅghassa pattakallaṁ, saṅgho pavāraṇāsaṅgahaṁ kareyya, idāni uposathaṁ kareyya, pātimokkhaṁ uddiseyya, āgame juṇhe komudiyā cātumāsiniyā pavāreyya. Esā ñatti. Suṇātu me, bhante, saṅgho. Amhākaṁ samaggānaṁ sammodamānānaṁ avivadamānānaṁ viharataṁ aññataro phāsuvihāro adhigato. Sace mayaṁ idāni pavāressāma, siyāpi bhikkhū pavāretvā cārikaṁ pakkameyyuṁ. Evaṁ mayaṁ imamhā phāsuvihārā paribāhirā bhavissāma. Saṅgho pavāraṇāsaṅgahaṁ karoti, idāni uposathaṁ karissati, pātimokkhaṁ uddisissati, āgame juṇhe komudiyā cātumāsiniyā pavāressati. Yassāyasmato khamati pavāraṇāsaṅgahassa karaṇaṁ, idāni uposathaṁ karissati, pātimokkhaṁ uddisissati, āgame juṇhe komudiyā cātumāsiniyā pavāressati, so tuṇhassa;
もし我らが今、自恣(パヴァーラナー)を行うならば、比丘たちが自恣を終えて遊行に出発してしまうかもしれない。そのようになれば、我らはこの安楽なる住処(パーシュ・ヴィハーラ)より遠ざかってしまうことになろう。もし僧伽(サンガ)にとって時宜にかなっているならば、僧伽は自恣の延期を行い、今は布薩(ウポーサタ)を行い、波羅提木叉(パーティモッカ)を誦し、来るべき白月の迦剌底迦(コームディー・チャートゥマーシニー)の満月の日に自恣を行うべきである。これが動議(ナッティ)である。
大徳(バンテ)よ、僧伽は我が言葉を聴かれたい。我らは和合し、相い喜び、諍いなく住しているなかで、ある安楽なる住処を得た。もし我らが今、自恣を行うならば、比丘たちが自恣を終えて遊行に出発してしまうかもしれない。そのようになれば、我らはこの安楽なる住処より遠ざかってしまうことになろう。僧伽は自恣の延期を行い、今は布薩を行い、波羅提木叉を誦し、来るべき白月の迦剌底迦の満月の日に自恣を行うものとする。この自恣の延期を行い、今は布薩を行い、波羅提木叉を誦し、来るべき白月の迦剌底迦の満月の日に自恣を行うことを認容される長老は、黙して在られよ。
⚠ 出家者向けの文脈
正念
vinaya
趣旨一致
中
Bhikkhu atthatakathino disaṅgamiko pakkamati …pe… “nevimaṁ cīvaraṁ kāressaṁ, na paccessan”ti. Tassa bhikkhuno sanniṭṭhānantiko kathinuddhāro. Bhikkhu atthatakathino disaṅgamiko pakkamati …pe… “idhevimaṁ cīvaraṁ kāressaṁ, na paccessan”ti. So taṁ cīvaraṁ kāreti. Tassa taṁ cīvaraṁ kayiramānaṁ nassati. Tassa bhikkhuno nāsanantiko kathinuddhāro. Apavilāyananavakaṁ niṭṭhitaṁ. 13. Phāsuvihārapañcaka Bhikkhu atthatakathino phāsuvihāriko cīvaraṁ ādāya pakkamati—
カティナ衣(kathina)を展張された比丘が、遊行のため出発し……〔中略〕……「この衣を作らせることもせず、また受け取ることもしないであろう」と〔心に定める〕。その比丘のカティナ衣の撤収(kathinuddhāra)は、〔その〕決意の確定をもって終わる。
カティナ衣を展張された比丘が、遊行のため出発し……〔中略〕……「ここにおいてこそ、この衣を作らせよう、しかし受け取ることはしないであろう」と〔心に定める〕。彼はその衣を作らせる。しかして、その衣は作られつつある間に失われてしまう。その比丘のカティナ衣の撤収は、〔その衣の〕滅失をもって終わる。
「引き延ばさぬこと」の九事(apavilāyananavakaṁ)、以上にて了結す。
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カティナ衣を展張された比丘が、快適な住処(phāsuvihāra)に安住しつつ、衣を携えて出発する——
⚠ 出家者向けの文脈
正念
vinaya
趣旨一致
中
“amukaṁ nāma āvāsaṁ gamissāmi; tattha me phāsu bhavissati vasissāmi, no ce me phāsu bhavissati, amukaṁ nāma āvāsaṁ gamissāmi; tattha me phāsu bhavissati vasissāmi, no ce me phāsu bhavissati, amukaṁ nāma āvāsaṁ gamissāmi; tattha me phāsu bhavissati vasissāmi, no ce me phāsu bhavissati, paccessan”ti. Tassa bahisīmagatassa evaṁ hoti—“idhevimaṁ cīvaraṁ kāressaṁ, na paccessan”ti. So taṁ cīvaraṁ kāreti. Tassa bhikkhuno niṭṭhānantiko kathinuddhāro. Bhikkhu atthatakathino phāsuvihāriko cīvaraṁ ādāya pakkamati— “amukaṁ nāma āvāsaṁ gamissāmi; tattha me phāsu bhavissati vasissāmi, no ce me phāsu bhavissati, amukaṁ nāma āvāsaṁ gamissāmi;
「某(なにがし)という住処に赴くであろう。そこにおいて私は安楽に住まうことができるであろう、そこに住まおう。もし安楽に住まうことができなければ、某という住処に赴くであろう。そこにおいて私は安楽に住まうことができるであろう、そこに住まおう。もし安楽に住まうことができなければ、某という住処に赴くであろう。そこにおいて私は安楽に住まうことができるであろう、そこに住まおう。もし安楽に住まうことができなければ、〔雨安居の住処に〕帰り来ろう」と。その比丘が界外(けがい)に至りて、かくのごとく思念する――「ここにおいてこそこの衣(こころ)を作らせよう、〔雨安居の住処に〕帰り来る必要はない」と。彼はその衣を作らせる。その比丘にとっては、〔衣の〕完成をもってカティナ(功徳衣)の解除(解除)となる。カティナを展張した住処に住する、安楽に住まえる比丘が、衣を携えて出発する――「某という住処に赴くであろう。そこにおいて私は安楽に住まうことができるであろう、そこに住まおう。もし安楽に住まうことができなければ、某という住処に赴くであろう。
⚠ 出家者向けの文脈
正念
vinaya
趣旨一致
中
tattha me phāsu bhavissati vasissāmi, no ce me phāsu bhavissati, amukaṁ nāma āvāsaṁ gamissāmi; tattha me phāsu bhavissati vasissāmi, no ce me phāsu bhavissati, paccessan”ti. Tassa bahisīmagatassa evaṁ hoti—“nevimaṁ cīvaraṁ kāressaṁ, na paccessan”ti. Tassa bhikkhuno sanniṭṭhānantiko kathinuddhāro. Bhikkhu atthatakathino phāsuvihāriko cīvaraṁ ādāya pakkamati—“amukaṁ nāma āvāsaṁ gamissāmi; tattha me phāsu bhavissati vasissāmi, no ce me phāsu bhavissati, amukaṁ nāma āvāsaṁ gamissāmi; tattha me phāsu bhavissati vasissāmi, no ce me phāsu bhavissati, amukaṁ nāma āvāsaṁ gamissāmi; tattha me phāsu bhavissati vasissāmi, no ce me phāsu bhavissati, paccessan”ti. Tassa bahisīmagatassa evaṁ hoti—“idhevimaṁ cīvaraṁ kāressaṁ, na paccessan”ti. So taṁ cīvaraṁ kāreti. Tassa taṁ cīvaraṁ kayiramānaṁ nassati.
「そこにおいて私は安楽に住むことができるであろう、そこに留まろう。もし安楽に住むことができないならば、某々の住処(āvāsa)に赴こう。そこにおいて安楽に住むことができるであろう、そこに留まろう。もし安楽に住むことができないならば、帰って来よう」と。かの比丘が界外(sīmā)に出た時、このような思いが生じた——「この衣(cīvara)を作ることもせず、帰って来ることもしまい」と。かの比丘にとって、カティナ(kathina)の解除は決意の定まった時をもって成立する。
功徳衣(kathina)が張られた住処において安楽に住む比丘が、衣を携えて発つ——「某々の住処に赴こう。そこにおいて安楽に住むことができるであろう、そこに留まろう。もし安楽に住むことができないならば、某々の住処に赴こう。そこにおいて安楽に住むことができるであろう、そこに留まろう。もし安楽に住むことができないならば、某々の住処に赴こう。そこにおいて安楽に住むことができるであろう、そこに留まろう。もし安楽に住むことができないならば、帰って来よう」と。かの比丘が界外に出た時、このような思いが生じた——「ここにおいてこそこの衣を作ろう、帰って来ることはしまい」と。彼はその衣を作る。彼がその衣を作りつつある間に、その衣は失われてしまった。
⚠ 出家者向けの文脈
正念
vinaya
趣旨一致
中
Tassa bhikkhuno nāsanantiko kathinuddhāro. Bhikkhu atthatakathino phāsuvihāriko cīvaraṁ ādāya pakkamati—“amukaṁ nāma āvāsaṁ gamissāmi; tattha me phāsu bhavissati vasissāmi, no ce me phāsu bhavissati, amukaṁ nāma āvāsaṁ gamissāmi; tattha me phāsu bhavissati vasissāmi, no ce me phāsu bhavissati, amukaṁ nāma āvāsaṁ gamissāmi; tattha me phāsu bhavissati vasissāmi, no ce me phāsu bhavissati, paccessan”ti. So bahisīmagato taṁ cīvaraṁ kāreti. So katacīvaro—“paccessaṁ paccessan”ti bahiddhā kathinuddhāraṁ vītināmeti. Tassa bhikkhuno sīmātikkantiko kathinuddhāro. Bhikkhu atthatakathino phāsuvihāriko cīvaraṁ ādāya pakkamati—“amukaṁ nāma āvāsaṁ gamissāmi; tattha me phāsu bhavissati vasissāmi, no ce me phāsu bhavissati, amukaṁ nāma āvāsaṁ gamissāmi;
その比丘にとって、カティナ(功徳衣)の撤収は、離脱(なさな)によるものである。
カティナが施設されている僧院に住する比丘が、快適な住処を求めて衣を携えて出発する。「某なる僧院に赴こう。そこが快適であれば留まるであろう。もし快適でなければ、某なる僧院に赴こう。そこが快適であれば留まるであろう。もし快適でなければ、某なる僧院に赴こう。そこが快適であれば留まるであろう。もし快適でなければ、戻って来よう」と。
かくして彼は結界の外に出て、その衣を作らせる。衣が完成すると、「戻って来よう、戻って来よう」と思いつつ、結界の外でカティナ(功徳衣)の撤収の時を過ごしてしまう。その比丘にとって、カティナの撤収は、結界(シーマー)を越えることによるものである。
カティナが施設されている僧院に住する比丘が、快適な住処を求めて衣を携えて出発する。「某なる僧院に赴こう。そこが快適であれば留まるであろう。もし快適でなければ、某なる僧院に赴こう。
⚠ 出家者向けの文脈
正念
vinaya
趣旨一致
中
tattha me phāsu bhavissati vasissāmi, no ce me phāsu bhavissati, amukaṁ nāma āvāsaṁ gamissāmi; tattha me phāsu bhavissati vasissāmi, no ce me phāsu bhavissati, paccessan”ti. So bahisīmagato taṁ cīvaraṁ kāreti. So katacīvaro “paccessaṁ paccessan”ti sambhuṇāti kathinuddhāraṁ. Tassa bhikkhuno saha bhikkhūhi kathinuddhāro. Phāsuvihārapañcakaṁ niṭṭhitaṁ. 14. Palibodhāpalibodhakathā Dveme, bhikkhave, kathinassa palibodhā, dve apalibodhā. Āvāsapalibodho ca cīvarapalibodho ca. Kathañca, bhikkhave, āvāsapalibodho hoti?
「そこに安楽があれば、そこに留まって滞在しよう。安楽がなければ、某々という住処に赴こう。そこに安楽があれば、そこに留まって滞在しよう。安楽がなければ、帰ってこよう」と。彼は界外に出て、その衣を作らせる。衣が完成すると、「帰ってこよう、帰ってこよう」と思いながら、功徳衣(カティナ)の撤収を待ち望む。その比丘にとって、功徳衣の撤収は他の比丘たちと同時である。
安楽な住処に関する五項(phāsuvihārapañcaka)、これにて終わる。
第十四節 繋縛・非繋縛の論(palibodhāpalibodha-kathā)
比丘たちよ、功徳衣(カティナ)には二種の繋縛(パリボーダ)と、二種の非繋縛(アパリボーダ)とがある。住処の繋縛(āvāsapalibodha)と、衣の繋縛(cīvarapalibodha)とである。では比丘たちよ、住処の繋縛とは、いかなるものであるか。
⚠ 出家者向けの文脈
正念
vinaya
趣旨一致
中
paṭikarotha taṁ āpattin”ti. Atha kho te bhikkhū na icchiṁsu tassa bhikkhuno vacanena taṁ āpattiṁ paṭikātuṁ. Bhagavato etamatthaṁ ārocesuṁ. “Idha pana, bhikkhave, aññatarasmiṁ āvāse sabbo saṅgho sabhāgaṁ āpattiṁ āpanno hoti. Te ce, bhikkhave, bhikkhū tassa bhikkhuno vacanena taṁ āpattiṁ paṭikareyyuṁ, iccetaṁ kusalaṁ. No ce paṭikareyyuṁ, na te, bhikkhave, bhikkhū tena bhikkhunā akāmā vacanīyā”ti. Codanāvatthubhāṇavāro niṭṭhito dutiyo. 28. Anāpattipannarasaka Tena kho pana samayena aññatarasmiṁ āvāse tadahuposathe sambahulā āvāsikā bhikkhū sannipatiṁsu cattāro vā atirekā vā. Te na jāniṁsu—
「その罪過(āpatti)を懺悔(paṭikāra)せよ」と。
しかるに、その比丘たちは、かの比丘の言葉によって、その罪過を懺悔しようとはしなかった。〔比丘たちは〕世尊にこの事の次第を申し上げた。
「比丘たちよ、ここにある住処において、僧伽(saṅgha)の全員が同類の罪過(sabhāgā āpatti)を犯したとする。もし、比丘たちよ、その比丘たちがかの比丘の言葉によってその罪過を懺悔するならば、それはよいことである。しかし、もし懺悔しないとしても、比丘たちよ、その比丘たちは、かの比丘によって、本人の意に反して〔罪過を〕告知されることはない」と。
告知の事由(codanāvatthu)の誦(bhāṇavāra)、第二を終わる。
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二十八 不犯の十五箇条(Anāpattipannarasaka)
さてそのころ、ある住処において、布薩(uposatha)の当日に、多くの在住の比丘たちが四人あるいはそれ以上、集まった。彼らは知らなかった――
⚠ 出家者向けの文脈
正念
vinaya
趣旨一致
中
Acirupasampanno ca panāyasmā soṇo sītavane viharati. Tassa accāraddhavīriyassa caṅkamato pādā bhijjiṁsu. Caṅkamo lohitena phuṭo hoti, seyyathāpi gavāghātanaṁ. Atha kho āyasmato soṇassa rahogatassa paṭisallīnassa evaṁ cetaso parivitakko udapādi— “ye kho keci bhagavato sāvakā āraddhavīriyā viharanti, ahaṁ tesaṁ aññataro. Atha ca pana me nānupādāya āsavehi cittaṁ vimuccati. Saṁvijjanti kho pana me kule bhogā; Yannūnāhaṁ hīnāyāvattitvā bhoge ca bhuñjeyyaṁ, puññāni ca kareyyan”ti. Atha kho bhagavā āyasmato soṇassa cetasā cetoparivitakkamaññāya— seyyathāpi nāma balavā puriso samiñjitaṁ vā bāhaṁ pasāreyya, pasāritaṁ vā bāhaṁ samiñjeyya; evameva—gijjhakūṭe pabbate antarahito sītavane pāturahosi.
その頃、尊者ソーナはシータヴァナ(寒林)に住していた。具足戒を受けてまだ日も浅かった。ところが、精進(ヴィーリヤ)をあまりに高めすぎたため、経行(チャンカマ)をするうちに両足が裂けてしまった。経行の場は血に染まり、まるで屠牛場のようであった。
さて、尊者ソーナが独り退いて静思していたとき、その心にこのような思惟(パリヴィタッカ)が起こった。
「世尊の弟子たちのうち、精進を奮い起こして住する者があるとすれば、わたしはその一人である。しかるに、わたしの心は執取(ウパーダーナ)することなく諸漏(アーサヴァ)より解脱していない。わが家には財(ボーガ)もある。出家を捨てて俗に還り、財を受用しながら功徳(プンニャ)を積むことも、あるいはできるのではあるまいか」と。
そのとき世尊は、心をもって尊者ソーナの心の思惟を知られた。そして、力ある人が曲げた腕を伸ばし、あるいは伸ばした腕を曲げるように、まさにそのように――霊鷲山(ギッジャクータ)から消え去って、シータヴァナに出現された。
正念
vinaya
趣旨一致
中
Saṁvijjanti kho pana me kule bhogā; Yannūnāhaṁ hīnāyāvattitvā bhoge ca bhuñjeyyaṁ, puññāni ca kareyyan’”ti? “Evaṁ, bhante”ti. “Taṁ kiṁ maññasi, soṇa, kusalo tvaṁ pubbe agārikabhūto vīṇāya tantissare”ti? “Taṁ kiṁ maññasi, soṇa, yadā te vīṇāya tantiyo accāyatā honti, api nu te vīṇā tasmiṁ samaye saravatī vā hoti, kammaññā vā”ti? “Taṁ kiṁ maññasi, soṇa, yadā te vīṇāya tantiyo atisithilā honti, api nu te vīṇā tasmiṁ samaye saravatī vā hoti, kammaññā vā”ti? “Taṁ kiṁ maññasi, soṇa, yadā te vīṇāya tantiyo neva accāyatā honti nātisithilā, same guṇe patiṭṭhitā, api nu te vīṇā tasmiṁ samaye saravatī vā hoti, kammaññā vā”ti? “Evameva kho, soṇa, accāraddhavīriyaṁ uddhaccāya saṁvattati, atilīnavīriyaṁ kosajjāya saṁvattati. Tasmātiha tvaṁ, soṇa, vīriyasamataṁ adhiṭṭhaha, indriyānañca samataṁ paṭivijjha, tattha ca nimittaṁ gaṇhāhī”ti. “Evaṁ, bhante”ti kho āyasmā soṇo bhagavato paccassosi.
「しかるに、私の家には財産がございます。還俗いたしまして、その財を享受しつつ、功徳を積むことができるのではないでしょうか」と。「そうであります、世尊よ」と。「ソーナよ、そなたはどう思うか。そなたは在家のころ、琵琶(ヴィーナー)の弦の音に巧みであったではないか」と。「そうであります、世尊よ」と。「ソーナよ、そなたはどう思うか。そなたの琵琶の弦が張り過ぎているとき、その折に琵琶は音色よく響き、弾きこなすことができるであろうか」と。「いいえ、世尊よ」と。「ソーナよ、そなたはどう思うか。そなたの琵琶の弦が緩み過ぎているとき、その折に琵琶は音色よく響き、弾きこなすことができるであろうか」と。「いいえ、世尊よ」と。「ソーナよ、そなたはどう思うか。そなたの琵琶の弦が張り過ぎることなく、また緩み過ぎることなく、均しく調和のとれた状態に保たれているとき、その折に琵琶は音色よく響き、弾きこなすことができるであろうか」と。「そのとおりであります、世尊よ」と。「まさにそのように、ソーナよ、精進(ヴィーリヤ)が過ぎれば掉挙(ウッダッチャ)に傾き、精進が弛めば懈怠(コーサッジャ)に傾くのである。されば、ソーナよ、そなたは精進の平静(ヴィーリヤサマター)を保つことを決意し、諸根(インドリヤ)の均衡を見きわめ、そこに心の標相(ニミッタ)を取れ」と。「そのとおりであります、世尊よ」と、尊者ソーナは世尊の言葉に謹んで従った。
⚠ 自己責任論に誤解されやすい
正念
vinaya
趣旨一致
中
Ime hi nāma, bhikkhave, gihī odātavatthavasanakā abhijīvanikassa sippassa kāraṇā ācariyesu sagāravā sappatissā sabhāgavuttikā viharissanti. Idha kho taṁ, bhikkhave, sobhetha, yaṁ tumhe evaṁ svākkhāte dhammavinaye pabbajitā samānā ācariyesu ācariyamattesu upajjhāyesu upajjhāyamattesu agāravā appatissā asabhāgavuttikā vihareyyātha. Netaṁ, bhikkhave, appasannānaṁ vā pasādāya …pe… vigarahitvā …pe… dhammiṁ kathaṁ katvā bhikkhū āmantesi— “na, bhikkhave, ācariyesu ācariyamattesu upajjhāyesu upajjhāyamattesu anupāhanesu caṅkamamānesu saupāhanena caṅkamitabbaṁ. Yo caṅkameyya, āpatti dukkaṭassa. Na ca, bhikkhave, ajjhārāme upāhanā dhāretabbā. Yo dhāreyya, āpatti dukkaṭassā”ti. Tena kho pana samayena aññatarassa bhikkhuno pādakhilābādho hoti.
「比丘たちよ、在家の白衣をまとう者たちでさえ、生計の糧たる技芸のゆえに、師(ācariya)に対して恭敬(sagārava)を持ち、尊重(sappatissa)を持ち、和順に住するであろう。比丘たちよ、ここにこそ、汝らの恥ずべきことがある——汝らはかくも善く説かれた法と律(dhamma-vinaya)において出家した者でありながら、師に対して、師格の者に対して、和尚(upajjhāya)に対して、和尚格の者に対して、恭敬なく、尊重なく、和順ならずして住するとは。比丘たちよ、これは未だ信なき者に信を生ぜしめるためにもならず……」と。
かくして〔世尊は〕訶責し、法についての話を説き終えて、比丘たちに告げられた——
「比丘たちよ、師、師格の者、和尚、和尚格の者が履物(upāhana)を履かずに経行(caṅkama)しているときに、履物を履いたままで共に経行してはならない。もし経行するならば、悪作(dukkaṭa)の罪を犯す。また比丘たちよ、寺院(ārāma)の中において履物を履いてはならない。もし履くならば、悪作の罪を犯す」と。
さてそのとき、ある比丘が足に疾患(pādakhilābādha)を患っていた。
⚠ 出家者向けの文脈
正念
vinaya
趣旨一致
中
Na, bhikkhave, pārivāsikena bhikkhunā pakatattena bhikkhunā saddhiṁ ekacchanne āvāse vatthabbaṁ, na ekacchanne anāvāse vatthabbaṁ, na ekacchanne āvāse vā anāvāse vā vatthabbaṁ. Pakatattaṁ bhikkhuṁ disvā āsanā vuṭṭhātabbaṁ. Pakatatto bhikkhu āsanena nimantetabbo. Na pakatattena bhikkhunā saddhiṁ ekāsane nisīditabbaṁ, na nīce āsane nisinne ucce āsane nisīditabbaṁ, na chamāyaṁ nisinne āsane nisīditabbaṁ; na ekacaṅkame caṅkamitabbaṁ, na nīce caṅkame caṅkamante ucce caṅkame caṅkamitabbaṁ,
「比丘たちよ、別住(パーリヴァーシカ)の比丘は、清浄(パカタッタ)の比丘とともに、一つ屋根のある住処に住んではならない。一つ屋根のない住処に住んではならない。一つ屋根のある住処であれ、ない住処であれ、ともに住んではならない。清浄の比丘を見かけたならば、座から立ち上がらなければならない。清浄の比丘には座を勧めなければならない。清浄の比丘とともに同じ座に坐ってはならない。清浄の比丘が低い座に坐っているとき、高い座に坐ってはならない。清浄の比丘が地面に坐っているとき、座に坐ってはならない。ともに同じ経行(キャンカマ)の道を歩いてはならない。清浄の比丘が低い経行の道を歩いているとき、高い経行の道を歩いてはならない。」
⚠ 出家者向けの文脈
正念
vinaya
趣旨一致
中
na chamāyaṁ caṅkamante caṅkame caṅkamitabbaṁ. Na, bhikkhave, pārivāsikena bhikkhunā pārivāsikena vuḍḍhatarena bhikkhunā saddhiṁ …pe… mūlāyapaṭikassanārahena bhikkhunā saddhiṁ …pe… mānattārahena bhikkhunā saddhiṁ …pe… mānattacārikena bhikkhunā saddhiṁ …pe… abbhānārahena bhikkhunā saddhiṁ ekacchanne āvāse vatthabbaṁ, na ekacchanne anāvāse vatthabbaṁ, na ekacchanne āvāse vā anāvāse vā vatthabbaṁ; na ekāsane nisīditabbaṁ, na nīce āsane nisinne ucce āsane nisīditabbaṁ,
地面の上で経行(きんひん)する者と共に経行してはならない。
比丘たちよ、別住(パーリヴァーサ)中の比丘は、別住中のより上座の比丘と共に……〔乃至〕……本日治罪(ムーラーヤパティカッサナ)に値する比丘と共に……〔乃至〕……摩那埵(マーナッタ)に値する比丘と共に……〔乃至〕……摩那埵行(マーナッタチャーリカ)中の比丘と共に……〔乃至〕……出罪(アッバーナ)に値する比丘と共に、一つの屋根のある住処に住んではならず、一つの屋根のない住処に住んではならず、一つの屋根のある住処であれ屋根のない住処であれ、共に住んではならない。また同じ座に坐してはならず、低い座に坐している者の前にあって高い座に坐してはならない。
⚠ 出家者向けの文脈
正念
vinaya
趣旨一致
中
na chamāyaṁ nisinne āsane nisīditabbaṁ; na ekacaṅkame caṅkamitabbaṁ, na nīce caṅkame caṅkamante ucce caṅkame caṅkamitabbaṁ, na chamāyaṁ caṅkamante caṅkame caṅkamitabbaṁ. Pārivāsikacatuttho ce, bhikkhave, parivāsaṁ dadeyya, mūlāya paṭikasseyya, mānattaṁ dadeyya, taṁvīso abbheyya, akammaṁ, na ca karaṇīyan”ti. Catunnavutipārivāsikavattaṁ niṭṭhitaṁ.
地面(じめん)に坐している者の座に坐してはならない。同じ経行(きんひん)の道を行じてはならない。低き経行の道を行ずる者がいるとき、高き経行の道を行じてはならない。地面を経行する者がいるとき、経行の道を行じてはならない。
「比丘たちよ、もし別住(べつじゅう)の義務を負う者〔パーリヴァーシカ、pārivāsika〕が第四の者として別住を与え、根本に引き戻し〔原初より制裁をやり直し〕、摩那埵(まなった、mānatta)を与え、あるいはその罪を出罪(しゅつざい)するならば、それは羯磨(かつま)にあらず、また作すべきことでもない」と。
九十四条・別住者の作法(さほう)、ここに終わる。
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
正念
vinaya
趣旨一致
中
Udakākappiyaṁ magge, parissāvanacoḷakaṁ. Dhammakaraṇaṁ dve bhikkhū, vesāliṁ agamā muni; Daṇḍaṁ ottharakaṁ tattha, anuññāsi parissāvanaṁ. Makasehi paṇītena, bahvābādhā ca jīvako; Caṅkamanajantāgharaṁ, visame nīcavatthuko.
道には水の不浄なるものあり、濾過布(パリッサーヴァナ・チョーラカ)を携えよ。
法器(ダンマカラナ)と二人の比丘とともに、牟尼(むに)はヴェーサーリーへと赴けり。
そこにて杖と敷き台とを用いての濾過を、〔世尊は〕許したまえり。
蚊によりて〔もたらされる〕すぐれたるもの(薬)と、多くの病者と、ジーヴァカと、
経行(きんひん)の場と浴室と、不均らなる地と低き座具とについて〔も定めたまえり〕。
⚠ 出家者向けの文脈
正念
vinaya
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中
na chamāyaṁ nisinne āsane nisīditabbaṁ; na ekacaṅkame caṅkamitabbaṁ, na nīce caṅkame caṅkamante ucce caṅkame caṅkamitabbaṁ, na chamāyaṁ caṅkamante caṅkame caṅkamitabbaṁ. Na, bhikkhave, mūlāyapaṭikassanārahena bhikkhunā pārivāsikena bhikkhunā saddhiṁ …pe… mūlāyapaṭikassanārahena vuḍḍhatarena bhikkhunā saddhiṁ …pe… mānattārahena bhikkhunā saddhiṁ …pe… mānattacārikena bhikkhunā saddhiṁ …pe… abbhānārahena bhikkhunā saddhiṁ ekacchanne āvāse vatthabbaṁ, na ekacchanne anāvāse vatthabbaṁ,
地面に坐している者の座に坐してはならない。同一の経行処(キンヒン)を経行してはならない。低い経行処を経行している者がいるとき、高い経行処を経行してはならない。地面を経行している者がいるとき、経行処を経行してはならない。
比丘たちよ、本罪に戻すべき比丘は、別住(パーリヴァーサ)を行じている比丘とともに……乃至……本罪に戻すべき年長の比丘とともに……乃至……摩那埵(マーナッタ)を行ずべき比丘とともに……乃至……摩那埵を行じている比丘とともに……乃至……出罪(アッバーナ)を受くべき比丘とともに、同一の屋根ある住処に住してはならず、また同一の屋根なき住処にも住してはならない。
⚠ 出家者向けの文脈
正念
vinaya
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中
na ekacchanne āvāse vā anāvāse vā vatthabbaṁ; na ekāsane nisīditabbaṁ; na nīce āsane nisinne ucce āsane nisīditabbaṁ, na chamāyaṁ nisinne āsane nisīditabbaṁ; na ekacaṅkame caṅkamitabbaṁ, na nīce caṅkame caṅkamante ucce caṅkame caṅkamitabbaṁ, na chamāyaṁ caṅkamante caṅkame caṅkamitabbaṁ. Mūlāyapaṭikassanārahacatuttho ce, bhikkhave, parivāsaṁ dadeyya, mūlāya paṭikasseyya, mānattaṁ dadeyya,
〔比丘は〕一つ屋根の下なる住居にも、屋根なき場所にも、ともに住してはならない。一つの座に共に坐してはならない。低き座に坐している者のそばにあって高き座に坐してはならない。地上に坐している者のそばにあって座に坐してはならない。一つの経行処(きんひんじょ)をともに経行してはならない。低き経行処を経行している者のそばにあって高き経行処を経行してはならない。地上を経行している者のそばにあって経行処を経行してはならない。
比丘たちよ、もし本罪より出発して引き戻すに値する第四の者が、別住(パリヴァーサ)を与え、本罪より出発して引き戻し、摩那埵(マーナッタ)を与えるならば、
⚠ 出家者向けの文脈
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