律蔵 自恣犍度 段落109
Gilāno ca ananuyogakkhamo vutto bhagavatā. Āgamehi, āvuso, yāva arogā hotha. Arogo arogaṁ ākaṅkhamāno codessasī’ti. Evañce vuccamāno codeti, anādariye pācittiyaṁ. Tehi ce, bhikkhave, bhikkhūhi pavāriyamāne agilāno agilānassa pavāraṇaṁ ṭhapeti, ubho saṅghena samanuyuñjitvā samanugāhitvā yathādhammaṁ kārāpetvā saṅghena pavāretabban”ti. 26. Pavāraṇāsaṅgaha Tena kho pana samayena sambahulā sandiṭṭhā sambhattā bhikkhū kosalesu janapade aññatarasmiṁ āvāse vassaṁ upagacchiṁsu. Tesaṁ samaggānaṁ sammodamānānaṁ avivadamānānaṁ viharataṁ aññataro phāsuvihāro adhigato hoti. Atha kho tesaṁ bhikkhūnaṁ etadahosi— Sace mayaṁ idāni pavāressāma, siyāpi bhikkhū pavāretvā cārikaṁ pakkameyyuṁ.
「病者は〔自恣の〕問責に耐えられぬ者と世尊は仰せになった。『友よ、しばらく待て。汝が健康になるまで。健康な者が健康な者を望んで責めるであろう』と。このように言われてなお責めるならば、軽視による波逸提(パーチッティヤ)となる。比丘たちよ、もしその比丘たちが自恣(パーヴァーラナー)を行う折に、病なき者が病なき者の自恣を留め置くならば、両者をともに僧伽によって審問し、糾明し、法に従って処置を施したうえで、僧伽によって自恣を行わしめるべきである」と。
二十六 自恣の集要(パーヴァーラナーサンガハ)
その時のことであった。多くの相知り相親しんだ比丘たちが、コーサラ国の地方のある住処において雨安居(ヴァッサ)に入った。かれらが和合し、和やかに、諍いなく住するうち、あるひとつの安楽な住み方が得られるにいたった。そこでかれら比丘たちに、こういう思いが起こった。――「もし今われらが自恣を行うならば、あるいは比丘たちは自恣を終えて遊行に旅立ってしまうかもしれぬ。
導線タグ: 病気,子育て,休息,許し
⚠ 出家者向けの文脈
この教えについて、AIブッダ 禅に相談してみませんか?
🪷 AIブッダ 禅とは
AIブッダ 禅は、仏教経典10,000偈句以上のデータベースから、あなたの悩みに合った教えをAIが選び、経典名・偈番号の出典を明記して届けるサービスです。
一般的なAIは「もっともらしいが出典のない文章」を生成しますが、AIブッダ 禅はRAG(Retrieval-Augmented Generation)技術により、検証済みの経典データベースから該当する偈句を検索し、それに基づいて応答します。すべての回答に出典が付き、引用の信頼度を4段階で開示します。
経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。