律蔵 自恣犍度 段落111
Sace mayaṁ idāni pavāressāma, siyāpi bhikkhū pavāretvā cārikaṁ pakkameyyuṁ. Evaṁ mayaṁ imamhā phāsuvihārā paribāhirā bhavissāma. Yadi saṅghassa pattakallaṁ, saṅgho pavāraṇāsaṅgahaṁ kareyya, idāni uposathaṁ kareyya, pātimokkhaṁ uddiseyya, āgame juṇhe komudiyā cātumāsiniyā pavāreyya. Esā ñatti. Suṇātu me, bhante, saṅgho. Amhākaṁ samaggānaṁ sammodamānānaṁ avivadamānānaṁ viharataṁ aññataro phāsuvihāro adhigato. Sace mayaṁ idāni pavāressāma, siyāpi bhikkhū pavāretvā cārikaṁ pakkameyyuṁ. Evaṁ mayaṁ imamhā phāsuvihārā paribāhirā bhavissāma. Saṅgho pavāraṇāsaṅgahaṁ karoti, idāni uposathaṁ karissati, pātimokkhaṁ uddisissati, āgame juṇhe komudiyā cātumāsiniyā pavāressati. Yassāyasmato khamati pavāraṇāsaṅgahassa karaṇaṁ, idāni uposathaṁ karissati, pātimokkhaṁ uddisissati, āgame juṇhe komudiyā cātumāsiniyā pavāressati, so tuṇhassa;
もし我らが今、自恣(パヴァーラナー)を行うならば、比丘たちが自恣を終えて遊行に出発してしまうかもしれない。そのようになれば、我らはこの安楽なる住処(パーシュ・ヴィハーラ)より遠ざかってしまうことになろう。もし僧伽(サンガ)にとって時宜にかなっているならば、僧伽は自恣の延期を行い、今は布薩(ウポーサタ)を行い、波羅提木叉(パーティモッカ)を誦し、来るべき白月の迦剌底迦(コームディー・チャートゥマーシニー)の満月の日に自恣を行うべきである。これが動議(ナッティ)である。
大徳(バンテ)よ、僧伽は我が言葉を聴かれたい。我らは和合し、相い喜び、諍いなく住しているなかで、ある安楽なる住処を得た。もし我らが今、自恣を行うならば、比丘たちが自恣を終えて遊行に出発してしまうかもしれない。そのようになれば、我らはこの安楽なる住処より遠ざかってしまうことになろう。僧伽は自恣の延期を行い、今は布薩を行い、波羅提木叉を誦し、来るべき白月の迦剌底迦の満月の日に自恣を行うものとする。この自恣の延期を行い、今は布薩を行い、波羅提木叉を誦し、来るべき白月の迦剌底迦の満月の日に自恣を行うことを認容される長老は、黙して在られよ。
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。