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💬 AIブッダに相談
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偈句数
9,999
日本語訳あり
9,982
パーリ原文
経典 19
テーマ 20
該当 356
すべて
智慧 4354
老い 931
苦しみ 772
正念 695
怒り 356
執着 350
死 350
業・因果 346
幸せ 337
自己 244
人間関係 243
家族 234
不安 168
仕事 165
渇愛 147
慈悲 115
無常 111
孤独 45
空 43
感謝 23
vinaya 2606
中部経典 2117
長部経典 1357
相応部経典 1136
増支部経典 857
jataka 563
スッタニパータ 522
ダンマパダ(法句経) 426
テーラガーター 211
テーリーガーター 68
クッダカパータ 57
イティヴッタカ 54
ウダーナ 34
金剛経 5
維摩経 5
般若心経 4
法華経 4
涅槃経 2
AN 1
怒り
スッタニパータ
趣旨一致
短
Sutta Nipāta 4.3 Duṭṭhaṭṭhakasutta
---
怒りをいだいて語る者がいる。
心ねじけて語る者がいる。
またたとえ怒らずとも
罵倒の言葉を投げつける者がいる。
しかし聖者(ムニ)は、
そのいずれをも善しとしない——
怒りに燃えて語ることも、
計略をめぐらして語ることも。
世の人々は、それぞれの見解に執らわれ、
そこに居座って議論を戦わせる。
だがいかなる見解に執着しようとも、
それによって人は縛られる。
己の見解を「勝れたもの」と見なし、
他を「劣ったもの」と貶める者——
そのような者は、論争の中を
さまよい歩くだけである。
賢者(パンディタ)は、
いかなる見解をも「究極のもの」とは語らない。
執着を脱した者には、
縛りはもはや存在しない。
怒り
スッタニパータ
趣旨一致
中
Tena kho pana samayena sabhiyassa paribbājakassa purāṇasālohitāya devatāya pañhā uddiṭṭhā honti:
その時、サビヤという遍歴行者のもとに、かつての血縁の神霊(devatā)が問いを提示していた。
怒り
スッタニパータ
趣旨一致
中
ekaṁ samayaṁ bhagavā aṅguttarāpesu cārikaṁ caramāno mahatā bhikkhusaṅghena saddhiṁ aḍḍhateḷasehi bhikkhusatehi yena āpaṇaṁ nāma aṅguttarāpānaṁ nigamo tadavasari.
あるとき、世尊(Bhagavā)はアンガッタラーパ国の人々のあいだを遍歴されていたが、百三十人の比丘よりなる大いなる比丘僧伽(bhikkhusaṅgha)とともに、アーパナ(Āpaṇa)というアンガッタラーパ人の町に到着された。
⚠ 出家者向けの文脈
怒り
スッタニパータ
趣旨一致
中
“samaṇo khalu, bho, gotamo sakyaputto sakyakulā pabbajito aṅguttarāpesu cārikaṁ caramāno mahatā bhikkhusaṅghena saddhiṁ aḍḍhateḷasehi bhikkhusatehi āpaṇaṁ anuppatto.
「まことに、ゴータマ沙門(さもん)は、釈迦族の出身にして、釈迦族の家より出家せられた方である。その方がアンガッタラーパの諸地を遊行されるにあたり、千二百五十人の比丘(びく)よりなる大いなる比丘僧伽(そうぎゃ)を率いて、アーパナの町に到られた。
⚠ 出家者向けの文脈
怒り
スッタニパータ
趣旨一致
長
Atha kho bhagavā yena parivesanā tenupasaṅkami; upasaṅkamitvā ekamantaṁ aṭṭhāsi. Atha kho kasibhāradvājo brāhmaṇo mahatiyā kaṁsapātiyā pāyasaṁ vaḍḍhetvā bhagavato upanāmesi: “bhuñjatu bhavaṁ gotamo pāyasaṁ. Kassako bhavaṁ; yañhi bhavaṁ gotamo amatapphalaṁ kasiṁ kasatī”ti. “Gāthābhigītaṁ me abhojaneyyaṁ, Sampassataṁ brāhmaṇa nesa dhammo; Gāthābhigītaṁ panudanti buddhā, Dhamme satī brāhmaṇa vuttires
そのとき世尊は、食事の場の方へ近づいて行かれた。近づいて行って、一方の側にお立ちになった。そのときカーシ・バーラドヴァージャ婆羅門(バラモン)は、大きな青銅の鉢に乳粥を盛って、世尊の方へさし出した。
「ゴータマ様、どうぞこの乳粥をお召し上がりください。あなたは農夫でいらっしゃる。ゴータマ様は不死の果(アマタッパラ)をもたらす農耕を耕されているのですから。」
「詩句によって歌われたものは、われには食するに値しない。
バラモンよ、これは正見ある者の法(ダンマ)にあらず。
詩句によって歌われたものを、目覚めた者(ブッダ)たちは退ける。
法(ダンマ)のあるところ、バラモンよ、これがその教えの筋道なり。」
⚠ 希死念慮の場面では使わない
怒り
スッタニパータ
趣旨一致
長
Ekamantaṁ nisinno kho māgho māṇavo bhagavantaṁ etadavoca: Rāgañca dosañca pahāya mohaṁ, Khīṇāsavā vūsitabrahmacariyā; Kālena tesu habyaṁ pavecche, Yo brāhmaṇo puññapekkho yajetha. Yesu na māyā vasati na māno, Khīṇāsavā vūsitabrahmacariyā; Kālena tesu habyaṁ pavecche, Yo brāhmaṇo puññapekkho yajetha. Ye vītalobhā amamā nirāsā, Khīṇāsavā vūsitabrahmacariyā; Kālena tesu habyaṁ pavecche, Yo brāhmaṇo p
マーガ青年は、かたわらに座して世尊にこのように申し上げた。
「貪(とん)と瞋(じん)とを捨て、痴(ち)をも滅して、
漏(ろ)尽きて、梵行(ぼんぎょう)をまっとうした人々——
功徳を求めて祀(まつ)りを行うバラモンは、
時を定めてその人々に供物(くもつ)を捧ぐべきであろう。
欺き(māyā)も慢心(māna)も、その内に宿ることなく、
漏(ろ)尽きて、梵行をまっとうした人々——
功徳を求めて祀りを行うバラモンは、
時を定めてその人々に供物を捧ぐべきであろう。
貪りを離れ、我がものとせず、望みを断ちて、
漏(ろ)尽きて、梵行をまっとうした人々——
功徳を求めて祀りを行うバラモンは、
時を定めてその人々に供物を捧ぐべきであろう。」
怒り
スッタニパータ
趣旨一致
長
“yo te, sabhiya, samaṇo vā brāhmaṇo vā ime pañhe puṭṭho byākaroti tassa santike brahmacariyaṁ careyyāsī”ti. Puccha maṁ sabhiya pañhaṁ, Yaṁ kiñci manasicchasi; Tassa tasseva pañhassa, Ahaṁ antaṁ karomi te”ti. Atha kho sabhiyassa paribbājakassa etadahosi: “acchariyaṁ vata bho, abbhutaṁ vata bho. Yaṁ vatāhaṁ aññesu samaṇabrāhmaṇesu okāsakammamattampi nālatthaṁ taṁ me idaṁ samaṇena gotamena okāsakamma
「サビヤよ、汝の問いに答え得る沙門(しゃもん)もしくは婆羅門(ばらもん)があれば、その者のもとで梵行(ぼんぎょう)を修めるがよい」と。
〔世尊は仰せられた、〕
「サビヤよ、汝の心に思うところを、
いかなる問いなりとも、余に問うがよい。
その問い問いの一つひとつに、
余は汝のために答えを与えよう」と。
そこでサビヤ遊行者にこのような思いが起こった。「ああ、これは驚くべきことである、これはまことに希有なことである。他の沙門・婆羅門たちに対しては、問いを発する機会すら得ることができなかった。しかるにいま、この沙門ゴータマによって、その機会が与えられたのである。
⚠ 自己責任論に誤解されやすい
怒り
スッタニパータ
趣旨一致
長
Atho pasaṁsampi labhanti tattha”. “Sakañhi dhammaṁ paripuṇṇamāhu, Aññassa dhammaṁ pana hīnamāhu; Evampi viggayha vivādayanti, Sakaṁ sakaṁ sammutimāhu saccaṁ. Parassa ce vambhayitena hīno, Na koci dhammesu visesi assa; Puthū hi aññassa vadanti dhammaṁ, Nihīnato samhi daḷhaṁ vadānā. Saddhammapūjāpi nesaṁ tatheva, Yathā pasaṁsanti sakāyanāni; Sabbeva vādā tathiyā bhaveyyuṁ, Suddhī hi nesaṁ paccattame
そこにおいては、称賛をも得るのである」と。
「おのれの法(ダンマ)は完全であると説き、
他者の法(ダンマ)は劣ったものであると説く。
かくのごとく争い、論諍を重ねながら、
おのおのは自らの見解をもって真実となすのである。
もし他者を蔑むことによって劣ったものとなるならば、
諸々の法(ダンマ)のなかにいかなる優れたものも存在しないことになろう。
多くの人びとは、他者の法(ダンマ)を劣ったものと呼びながら、
おのれ自身は堅固なるものを説くと言い張るのである。
かれらが自らの道(アーヤナ)を称讃するのと等しく、
正法(サッダンマ)への尊崇もまた、かれらにおいては同様である。
すべての論説がそれぞれ真実たりうるであろうか——
清浄(スッディ)は、かれらにおいてそれぞれ個別のものとされているのだから。」
怒り
スッタニパータ
趣旨一致
長
Pucchāmi taṁ bhagavā brūhi me taṁ”. “Ye kecime isayo manujā, (puṇṇakāti bhagavā) Khattiyā brāhmaṇā devatānaṁ; Yaññamakappayiṁsu puthūdha loke, Āsīsamānā puṇṇaka itthattaṁ; Jaraṁ sitā yaññamakappayiṁsu”. “Ye kecime isayo manujā, (iccāyasmā puṇṇako) Khattiyā brāhmaṇā devatānaṁ; Yaññamakappayiṁsu puthūdha loke, Kaccissu te bhagavā yaññapathe appamattā; Atāruṁ jātiñca jarañca mārisa, Pucchāmi taṁ bhag
「世尊よ、わたくしはあなたに問い申し上げます。どうかわたくしにお答えください。」
「この世において、仙人たち、人間たち、
刹帝利(クシャトリヤ)たちも、婆羅門(ブラーフマナ)たちも、
諸々の神々に対して、
(プンナカよ)広くこの世に祭祀(ヤジュニャ)を行じました。
彼岸(いたりのきわ)を願い求めながら、プンナカよ、
老い(ジャラ)に怯えつつ、祭祀を行じたのです。」
「この世において、仙人たち、人間たち、
刹帝利たちも、婆羅門たちも、
諸々の神々に対して、
(と具寿プンナカは言えり)広くこの世に祭祀を行じました。
世尊よ、かの祭祀の道において怠りなく励んだ彼らは、
果たして生(ジャーティ)と老い(ジャラ)とを渡り越えたのでしょうか。
尊き方よ、わたくしはあなたに問い申し上げます。」
怒り
テーラガーター
趣旨一致
中
Ekakanipāta Pañcamavagga Sañjayattheragāthā “Yato ahaṁ pabbajito, Agārasmānagāriyaṁ; Nābhijānāmi saṅkappaṁ, Anariyaṁ dosasaṁhitan”ti. … Sañjayo thero ….
我、家より出でて
家なき者(出家者)となりしより、
いまだかつて心に思念(saṅkappa)を抱いたる覚えなし、
怒り(dosa)をはらむ、
聖者にあらざる(anariya)思いを。
…長老サンジャヤ…
怒り
テーラガーター
趣旨一致
中
Ekakanipāta Aṭṭhamavagga Rakkhitattheragāthā “Sabbo rāgo pahīno me, sabbo doso samūhato; Sabbo me vigato moho, sītibhūtosmi nibbuto”ti. … Rakkhito thero ….
「我が貪り(ラーガ)はことごとく捨て去られ、
我が怒り(ドーサ)はことごとく根絶やしにされ、
我が迷い(モーハ)はことごとく消え去った。
我は清涼となり、涅槃(ニッバーナ)に入れり」と。
……ラッキタ長老。
怒り
テーラガーター
趣旨一致
長
Dukanipāta Tatiyavagga Nandakattheragāthā “Yathāpi bhaddo ājañño, khalitvā patitiṭṭhati; Bhiyyo laddhāna saṁvegaṁ, adīno vahate dhuraṁ. Evaṁ dassanasampannaṁ, sammāsambuddhasāvakaṁ; Ājānīyaṁ maṁ dhāretha, puttaṁ buddhassa orasan”ti. … Nandako thero ….
「ちょうど優れた駿馬(ājañña)が、
一度躓いても踏みとどまり、
さらに深い感奮(saṁvega)を得て、
くじけることなく軛(くびき)を引き続けるように、
かくのごとく、正しく等しく覚れる方(sammāsambuddha)の弟子にして、
正見(dassana)を具えた者を、
駿馬のごとき我を知れ——
仏陀の嫡子(orasa)たることを。」
……長老ナンダカ(Nandaka)の偈……
怒り
テーラガーター
趣旨一致
長
Dukanipāta Dutiyavagga Jotidāsattheragāthā “Ye kho te veṭhamissena, nānattena ca kammunā; Manusse uparundhanti, pharusūpakkamā janā; Tepi tattheva kīranti, na hi kammaṁ panassati. Yaṁ karoti naro kammaṁ, Kalyāṇaṁ yadi pāpakaṁ; Tassa tasseva dāyādo, Yaṁ yaṁ kammaṁ pakubbatī”ti. … Jotidāso thero ….
# テーラガーター 第二章 第二節 ジョーティダーサ長老の偈
詐欺(veṭhamissena)によって、あるいは様々な悪業(kamma)によって、
人々を罠にはめ、粗暴な振る舞いで迫る者どもも、
その者たちもまた、まさにその場で打ち砕かれる——
業(kamma)は消え去ることがないのだから。
人が業(kamma)を作るならば、
善(kalyāṇa)であれ、悪(pāpaka)であれ、
その者はその業の相続人(dāyādo)となる、
いかなる業を積み重ねようとも。
……ジョーティダーサ長老
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,初手で出すと冷たく見える
怒り
テーラガーター
趣旨一致
長
Tikanipāta Paṭhamavagga Paccayattheragāthā “Pañcāhāhaṁ pabbajito, sekho appattamānaso; Vihāraṁ me paviṭṭhassa, cetaso paṇidhī ahu. Nāsissaṁ na pivissāmi, vihārato na nikkhame; Napi passaṁ nipātessaṁ, taṇhāsalle anūhate. Tassa mevaṁ viharato, passa vīriyaparakkamaṁ; Tisso vijjā anuppattā, kataṁ buddhassa sāsanan”ti. … Paccayo thero ….
———
出家してよりわずか五日、
いまだ学道(せかん)にあって、心は安定せず。
精舎に入りてのち、こころにひとつの誓いを立てた。
食せじ、飲まじ、
精舎より出づることなく、
また横になりて臥すこともせじ——
渇愛(たんあい)の矢の、いまだ抜けぬあいだは。
かくのごとく修行するわれを見よ、
その精進(しょうじん)の勇猛なることを。
三明(さんみょう)はついに証得され、
仏陀(ぶっだ)の教えは成就された。
———
……パッチャヤ長老……
怒り
テーラガーター
趣旨一致
長
Catukkanipāta Paṭhamavagga Nandakattheragāthā “Dhiratthu pūre duggandhe, mārapakkhe avassute; Navasotāni te kāye, yāni sandanti sabbadā. Mā purāṇaṁ amaññittho, māsādesi tathāgate; Saggepi te na rajjanti, kimaṅgaṁ pana mānuse. Ye ca kho bālā dummedhā, dummantī mohapārutā; Tādisā tattha rajjanti, mārakhittamhi bandhane. Yesaṁ rāgo ca doso ca, avijjā ca virājitā; Tādī tattha na rajjanti, chinnasuttā abandhanā”ti. … Nandako thero ….
# テーラガーター 4.4 ナンダカ長老の偈
---
かの悪臭ふんぷんたる古き器よ、呪われよ。
魔(マーラ)の一党に属し、漏れ流れる穢れに満ちたものよ。
汝の身には九つの孔(あな)があり、
そこから常に汚濁が滲み出づる。
いにしえのことを思い慕うことなかれ。
如来(タターガタ)に近づき諂(へつら)うことなかれ。
天(サッガ)においてすら人々は染まることなく離れてゆく、
いわんや人間(マーヌサ)の世においてをや。
愚かにして智慧なく、
邪(よこしま)なる思いを抱き、痴(モーハ)に覆われた者どもは、
そのような者たちこそ、魔の投げ縄にかかり縛られ、
かの輪廻(さんさら)の境涯に染み着いてやまぬ。
されど、貪(ラーガ)と瞋(ドーサ)と
無明(アヴィッジャー)とが、ことごとく離れ去った者、
そのような方々は、かの境涯に染まることなく、
糸は断ち切られ、縛りは解かれている。
---
……ナンダカ長老の偈——
⚠ 初手で出すと冷たく見える,希死念慮の場面では使わない
怒り
テーラガーター
趣旨一致
長
Aṭṭhakanipāta Paṭhamavagga Sirimittattheragāthā “Akkodhanonupanāhī, amāyo rittapesuṇo; Sa ve tādisako bhikkhu, evaṁ pecca na socati. Akkodhanonupanāhī, amāyo rittapesuṇo; Guttadvāro sadā bhikkhu, evaṁ pecca na socati. Akkodhanonupanāhī, amāyo rittapesuṇo; Kalyāṇasīlo so bhikkhu, evaṁ pecca na socati. Akkodhanonupanāhī, amāyo rittapesuṇo; Kalyāṇamitto so bhikkhu, evaṁ pecca na socati. Akkodhanonupanāhī, amāyo rittapesuṇo; Kalyāṇapañño so bhikkhu, evaṁ pecca na socati. Yassa saddhā tathāgate, acal
---
怒らず、恨みを抱かず、
欺かず、讒言(ざんげん)を離れたる者——
かかる比丘は、まさにそのゆえに、
来世において悲しむことなし。
怒らず、恨みを抱かず、
欺かず、讒言を離れたる者——
つねに諸根の門を守る比丘は、
来世において悲しむことなし。
怒らず、恨みを抱かず、
欺かず、讒言を離れたる者——
戒(シーラ)の清らかなる比丘は、
来世において悲しむことなし。
怒らず、恨みを抱かず、
欺かず、讒言を離れたる者——
善き友(カルヤーナミッタ)をもつ比丘は、
来世において悲しむことなし。
怒らず、恨みを抱かず、
欺かず、讒言を離れたる者——
智慧(パンニャー)の清らかなる比丘は、
来世において悲しむことなし。
如来(タターガタ)への信(サッダー)が
揺るぎなく、しっかりと根ざし——
⚠ 出家者向けの文脈
怒り
テーリーガーター
趣旨一致
中
Ekakanipāta Dhammātherīgāthā “Piṇḍapātaṁ caritvāna, daṇḍamolubbha dubbalā; Vedhamānehi gattehi, tattheva nipatiṁ chamā; Disvā ādīnavaṁ kāye, atha cittaṁ vimucci me”ti. … Dhammā therī ….
托鉢(たくはつ)の行(ぎょう)を終えて、
杖に身をもたせかけ、か弱き身に、
手足の震えとともに、
その場に地へと倒れ伏した。
身体(からだ)のうちに患(わずら)いを見て、
そのとき我が心は解き放たれた。
……ダンマー長老尼……
怒り
ウダーナ
趣旨一致
長
Gopālakasutta Evaṁ me sutaṁ— ekaṁ samayaṁ bhagavā kosalesu cārikaṁ carati mahatā bhikkhusaṅghena saddhiṁ. Atha kho bhagavā maggā okkamma yena aññataraṁ rukkhamūlaṁ tenupasaṅkami; upasaṅkamitvā paññatte āsane nisīdi. Atha kho aññataro gopālako yena bhagavā tenupasaṅkami; upasaṅkamitvā bhagavantaṁ abhivādetvā ekamantaṁ nisīdi. Ekamantaṁ nisinnaṁ kho taṁ gopālakaṁ bhagavā dhammiyā kathāya sandassesi samādapesi samuttejesi sampahaṁsesi. Atha kho so gopālako bhagavatā dhammiyā kathāya sandassito samā
# ウダーナ(感興偈)4・3 牧牛者の経
このように私は聞いた。
あるとき、世尊はコーサラ国において、多くの比丘の僧伽(サンガ)とともに遊行しておられた。そのとき世尊は道をそれて、ある樹の根元に近づかれた。近づいてから、設けられた座に坐られた。
そのとき、ある牧牛者が世尊のもとに近づいてきた。近づいてから、世尊を礼拝して、一方に坐った。一方に坐ったその牧牛者に、世尊は法(ダンマ)に関わる話をもって、教え示し、受持させ、奮い立たせ、喜ばせられた。
そのとき、その牧牛者は、世尊の法に関わる話によって教え示され……
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
経典データの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)