🔖 ブックマーク機能はLINEログインで利用できます
💬 AIブッダに相談
10,029
偈句数
9,999
日本語訳あり
9,982
パーリ原文
経典 19
テーマ 20
該当 10,029
すべて
智慧 4354
老い 931
苦しみ 772
正念 695
怒り 356
執着 350
死 350
業・因果 346
幸せ 337
自己 244
人間関係 243
家族 234
不安 168
仕事 165
渇愛 147
慈悲 115
無常 111
孤独 45
空 43
感謝 23
vinaya 2606
中部経典 2117
長部経典 1357
相応部経典 1136
増支部経典 857
jataka 563
スッタニパータ 522
ダンマパダ(法句経) 426
テーラガーター 211
テーリーガーター 68
クッダカパータ 57
イティヴッタカ 54
ウダーナ 34
金剛経 5
維摩経 5
般若心経 4
法華経 4
涅槃経 2
AN 1
死
スッタニパータ
趣旨一致
長
Atha kho āyasmā vaṅgīso uṭṭhāyāsanā ekaṁsaṁ cīvaraṁ katvā yena bhagavā tenañjaliṁ paṇāmetvā bhagavantaṁ gāthāya ajjhabhāsi: Pahīnajātimaraṇaṁ asesaṁ, Niggayha dhonaṁ vadessāmi dhammaṁ; Na kāmakāro hi puthujjanānaṁ, Saṅkheyyakāro ca tathāgatānaṁ. Sampannaveyyākaraṇaṁ tavedaṁ, Samujjupaññassa samuggahītaṁ; Ayamañjalī pacchimo suppaṇāmito, Mā mohayī jānamanomapañña. Parovaraṁ ariyadhammaṁ viditvā, Mā
そのとき、ヴァンギーサ尊者は座より立ち上がり、衣(チーヴァラ)を片肩にまとい、世尊のおられる方へと合掌を捧げ、偈(ガーター)をもって世尊に申し上げた。
---
生と死(生死)を余すところなく断ち滅ぼし、
清らかなるかた(浄者)として、わたしはダンマを説き示さん。
まことに凡夫(波羅夷)には己が欲するままに振る舞う自由なく、
如来(タターガタ)にはよく量り知られたる所作がある。
これぞそなたの、十全なる答弁(解説)――
正直なる智慧をそなえし者によって、よく受け取られたるもの。
この最後の合掌を、つつしみ深く捧げ奉る。
知りながらも人の心を迷わすことなかれ、おお、偉大なる智慧あるかたよ。
高きと低き(彼岸と此岸)の聖なる法(アリヤ・ダンマ)を知り尽くして、
迷いの中に沈む人々を、どうか惑わせたもうことなかれ――
---
死
スッタニパータ
趣旨一致
長
Idaṁ paṭikkosamakevalī so. Diṭṭhe sute sīlavate mute vā, Ete ca nissāya vimānadassī; Vinicchaye ṭhatvā pahassamāno, Bālo paro akkusaloti cāha. Yeneva bāloti paraṁ dahāti, Tenātumānaṁ kusaloti cāha; Sayamattanā so kusalāvadāno, Aññaṁ vimāneti tadeva pāva. Atisāradiṭṭhiyā so samatto, Mānena matto paripuṇṇamānī; Sayameva sāmaṁ manasābhisitto, Diṭṭhī hi sā tassa tathā samattā. Parassa ce hi vacasā nih
彼はただ否定することのみを事とする。
見られたもの、聞かれたもの、戒(シーラ)と掟、
あるいは感受されたもの——
これらに依りかかり、他を蔑み(ヴィマーナ)、
断定の上に立ちて嘲笑しながら、
「他者は愚者(バーラ)にして不善(アクサラ)なり」と言う。
他者を「愚者」と断ずるその同じことによって、
彼は自らを「善(クサラ)なる者」と言う。
自ら自身を善者と称しながら、
他者を蔑む——まさにそれ自体が過ちである。
彼は過った見解(ディッティ)に囚われ、
慢(マーナ)に酔い、みずから満ちあふれる慢をもち、
自らの心によって自らに灌頂(アビシンチャ)を施し——
その見解こそ彼にとってかくのごとく充満したものなのだ。
もし他者の言葉によって——
⚠ 初手で出すと冷たく見える
空
スッタニパータ
趣旨一致
短
“Eko ahaṁ sakka mahantamoghaṁ,
「釈迦よ、私はひとり、この大いなる激流(ogha)を
家族
スッタニパータ
趣旨一致
短
“Pucchāmi taṁ ādiccabandhu,
「日裔(にちえい)の方よ、あなたに問い申し上げます、
家族
スッタニパータ
趣旨一致
短
Sutta Nipāta 4.15 Attadaṇḍasutta
---
暴力を自らに加えることより、
恐怖が生ずる。
人々がいかに争いを求めるかを見よ。
われ、その悲嘆を語らん。
水の涸れたる池の魚のごとく、
人々が互いに争いあうを見て、
われに恐怖が生じた。
この世はいたるところ虚ろにして、
いずれの方向も揺れ動いている。
われは自らのために一つの住処を求めた――
しかし、すでに占められていないところを
われは見出すことができなかった。
究極において争いなき者たちを見て、
われには嫌悪が生じた。
そこにおいて彼らは矢(さや)をもてり――
その矢は心の奥深くに刺さっている。
この矢に射られたる者は、
あらゆる方向へと走り回る。
しかしこの矢を抜き取ったならば、
走ることなく、沈むこともない。
ここにおいて学ぶべきことが説かれる――
世間においていかなる執着も作るな。
矢を抜き取れ。
こうして昼夜を精進して、
涅槃(ニッバーナ)に向かいて努めよ。
---
家族
スッタニパータ
趣旨一致
中
ekaṁ samayaṁ bhagavā sāvatthiyaṁ viharati pubbārāme migāramātupāsāde.
あるとき、世尊(bhagavā)はサーヴァッティーのプッバーラーマにある、ミガーラマーターの楼閣に滞在しておられた。
家族
スッタニパータ
趣旨一致
中
Tena kho pana samayena aggikabhāradvājassa brāhmaṇassa nivesane aggi pajjalito hoti āhuti paggahitā.
そのとき、アッギカ・バーラドヴァージャ婆羅門(Aggikabhāradvāja)の家では、火が燃え上がり、供物(āhuti)が捧げられていた。
家族
スッタニパータ
趣旨一致
中
Tena kho pana samayena kasibhāradvājassa brāhmaṇassa pañcamattāni naṅgalasatāni payuttāni honti vappakāle.
その時、カシ・バーラドヴァージャ(Kasibhāradvāja)というバラモンのもとには、種まきの季節に、およそ五百の犂(すき)が仕立てられていた。
⚠ 自己責任論に誤解されやすい
家族
スッタニパータ
趣旨一致
長
Atha kho bhagavā sāvatthiyaṁ sapadānaṁ piṇḍāya caramāno yena aggikabhāradvājassa brāhmaṇassa nivesanaṁ tenupasaṅkami. Attahetu parahetu, dhanahetu ca yo naro; Sakkhipuṭṭho musā brūti, taṁ jaññā vasalo iti. Yo ñātīnaṁ sakhīnaṁ vā, dāresu paṭidissati; Sāhasā sampiyena vā, taṁ jaññā vasalo iti. Yo mātaraṁ pitaraṁ vā, jiṇṇakaṁ gatayobbanaṁ; Pahu santo na bharati, taṁ jaññā vasalo iti. Yo mātaraṁ pitar
かくのごとく、世尊はサーヴァッティーにて、軒ごとに托鉢(たくはつ)を行じつつ、バラモンなるアッギカ・バーラドヴァージャの居所へと赴かれた。
己のためにも、他者のためにも、
また財のためにも、
証人として問われながら虚偽を語る者――
その人を賤しき者(ヴァサラ)と知るべし。
親族に対し、あるいは友に対し、
その妻たちのもとに現れ、
暴力をもって、あるいは親しみをよそおいて近づく者――
その人を賤しき者と知るべし。
老い、若き日の過ぎ去った
父や母を養う力ありながら、
養わぬ者――
その人を賤しき者と知るべし。
父や母を……
家族
スッタニパータ
趣旨一致
長
Tasmā munī natthi khilo kuhiñci. Sakañhi diṭṭhiṁ kathamaccayeyya, Chandānunīto ruciyā niviṭṭho; Sayaṁ samattāni pakubbamāno, Yathā hi jāneyya tathā vadeyya. Yo attano sīlavatāni jantu, Anānupuṭṭhova paresa pāva; Anariyadhammaṁ kusalā tamāhu, Yo ātumānaṁ sayameva pāva. Santo ca bhikkhu abhinibbutatto, Itihanti sīlesu akatthamāno; Tamariyadhammaṁ kusalā vadanti, Yassussadā natthi kuhiñci loke. Pakap
それゆえに牟尼(むに)は、いかなるところにも
荒地(あれち)を持たない。
いかにして己(おの)が見解(けんかい)を超え去ることができようか、
欲望(よくぼう)に随(したが)い流れ、好みのうちに沈みきり、
自ら「完全なり」と振る舞いながら、
「知れるがままに語る」と言うならば。
人が他人(ひと)に問われもせぬのに、みずから
己(おの)が戒律(かいりつ)と誓戒(せいかい)とを説きふらすならば、
智慧ある者(もの)はこれを「非聖の法(あらざるもののり)」と呼ぶ——
みずから己(おの)れを語り示す者は、
そのようなものである。
しかし静かなる比丘(びく)は、
完全に涅槃(ねはん)に向かいて心安らかに、
戒(かい)について「然り然り(しかりしかり)」と
誇ることなく、
世(よ)のいかなるところにも
高ぶりを持たない——
智慧ある者はかかる者を「聖なる法(ひじりのり)」と称(たた)える。
⚠ 出家者向けの文脈
家族
スッタニパータ
直接根拠
短
Puttadārassa saṅgaho, kammantā ca anākulā; Etaṃ maṅgalamuttamaṃ.
子を持ち、妻を持つ者には、それだけの苦労がある。しかしそれを縁として、人は深い愛と慈しみを学ぶ。
経典データの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)