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💬 AIブッダに相談
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偈句数
9,999
日本語訳あり
9,982
パーリ原文
経典 19
テーマ 20
該当 2,606
すべて
智慧 4354
老い 931
苦しみ 772
正念 695
怒り 356
執着 350
死 350
業・因果 346
幸せ 337
自己 244
人間関係 243
家族 234
不安 168
仕事 165
渇愛 147
慈悲 115
無常 111
孤独 45
空 43
感謝 23
経典: vinaya
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智慧
vinaya
趣旨一致
中
natthi te bhikkhūhi saddhiṁ saṁvāso”ti. Evaṁ vutte, so puggalo tuṇhī ahosi. Dutiyampi kho āyasmā mahāmoggallāno taṁ puggalaṁ etadavoca— Tatiyampi kho āyasmā mahāmoggallāno taṁ puggalaṁ etadavoca— Tatiyampi kho so puggalo tuṇhī ahosi. Atha kho āyasmā mahāmoggallāno taṁ puggalaṁ bāhāyaṁ gahetvā bahidvārakoṭṭhakā nikkhāmetvā sūcighaṭikaṁ datvā yena bhagavā tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā bhagavantaṁ etadavoca— “nikkhāmito so, bhante, puggalo mayā; suddhā parisā; uddisatu, bhante, bhagavā bhikkhūnaṁ pātimokkhan”ti. “Acchariyaṁ, moggallāna, abbhutaṁ, moggallāna, yāva bāhāgahaṇāpi nāma so moghapuriso āgamessatī”ti.
「汝は比丘たちとともに住することを得ず」と。
かく言われたとき、その者は黙して答えなかった。
尊者マハーモッガッラーナは、再びその者に同じことを告げた。
そのときも、その者は黙して答えなかった。
尊者マハーモッガッラーナは、三たびその者に同じことを告げた。
三たびも、その者は黙して答えなかった。
そこで尊者マハーモッガッラーナは、その者の腕をとって門外へと連れ出し、閂(かんぬき)をかけると、世尊のもとへと参上した。参上して、世尊にこう申し上げた。
「世尊よ、かの者を私は退出させました。衆(しゅ)は清浄となりました。世尊よ、どうか比丘たちのために波羅提木叉(はらだいもっしゃ)をお唱えくださいませ」と。
「モッガッラーナよ、まことに不思議なることかな、モッガッラーナよ、まことに稀有なることかな。かの愚かな者(もごぷりさ)は、腕をとって引き出されるまで、その場を動こうともしなかったとは」と。
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智慧
vinaya
趣旨一致
中
Andhamūgabadhirañca, alajjīnañca nissayaṁ. Vatthabbañca tathāddhānaṁ, yācamānena lakkhaṇā; Āgacchatu vivadanti, ekupajjhāyena kassapo. Dissanti upasampannā, ābādhehi ca pīḷitā; Ananusiṭṭhā vitthenti, tattheva anusāsanā.
盲目にして、唖にして、聾なる者、
また無慚(むざん)なる者への依止(えじ)、
そのように旅程を告げるべきこと、
求める者の標相(ひょうそう)よ。
「来たれ」と争い論じつつ、
一人の和尚(かしょう)のもとにて、
迦葉(かしょう)よ、共に受具(じゅぐ)せよと。
具足戒(ぐそくかい)を受けた者どもが見受けられるに、
病悩(びょうのう)に苦しめられており、
教誡(きょうかい)を受けることなく、迷い広がる——
まさにその場にこそ、教授(きょうじゅ)はなされるべし。
智慧
vinaya
趣旨一致
中
yassa saṅgho kammaṁ karoti, taṁvīso kammaṁ kareyya— akammaṁ na ca karaṇīyaṁ. Vīsativaggakaraṇaṁ. 5. Pārivāsikādikathā Pārivāsikacatuttho ce, bhikkhave, parivāsaṁ dadeyya, mūlāya paṭikasseyya, mānattaṁ dadeyya, taṁvīso abbheyya— akammaṁ na ca karaṇīyaṁ. Mūlāyapaṭikassanārahacatuttho ce, bhikkhave, parivāsaṁ dadeyya, mūlāya paṭikasseyya, mānattaṁ dadeyya, taṁvīso abbheyya— akammaṁ na ca karaṇīyaṁ. Mānattārahacatuttho ce, bhikkhave, parivāsaṁ dadeyya, mūlāya paṭikasseyya, mānattaṁ dadeyya, taṁvīso abbheyya— akammaṁ na ca karaṇīyaṁ.
僧団が羯磨(かつま)を行ふべき者に対して、その二十人目の者が羯磨を行ふときは、その羯磨は非羯磨にして、行はれるべきものにあらず。これが二十人による羯磨の行法なり。
第五節 別住者等に関する論説
比丘たちよ、もし別住(パーリヴァーシカ)を与ふべき者を四番目として二十人が、別住を与へ、本罪への引き戻し(ムーラーヤ・パティカッサナ)を行ひ、摩那埵(まなった)を与へ、その二十人目の者が出罪(アッベーヤ)を行ふときは、その羯磨は非羯磨にして、行はれるべきものにあらず。
比丘たちよ、もし本罪への引き戻しを受けるべき者を四番目として二十人が、別住を与へ、本罪への引き戻しを行ひ、摩那埵を与へ、その二十人目の者が出罪を行ふときは、その羯磨は非羯磨にして、行はれるべきものにあらず。
比丘たちよ、もし摩那埵を受けるべき者を四番目として二十人が、別住を与へ、本罪への引き戻しを行ひ、摩那埵を与へ、その二十人目の者が出罪を行ふときは、その羯磨は非羯磨にして、行はれるべきものにあらず。
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智慧
vinaya
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中
“yannūnāhaṁ imāya candanagaṇṭhiyā pattaṁ lekhāpeyyaṁ. Lekhañca me paribhogaṁ bhavissati, pattañca dānaṁ dassāmī”ti. Atha kho rājagahako seṭṭhi tāya candanagaṇṭhiyā pattaṁ lekhāpetvā sikkāya uḍḍitvā veḷagge ālaggetvā veḷuparamparāya bandhitvā evamāha— “yo samaṇo vā brāhmaṇo vā arahā ceva iddhimā ca dinnaṁyeva pattaṁ oharatū”ti. Atha kho pūraṇo kassapo yena rājagahako seṭṭhi tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā rājagahakaṁ seṭṭhiṁ etadavoca— “ahañhi, gahapati, arahā ceva iddhimā ca, dehi me pattan”ti. “Sace, bhante, āyasmā arahā ceva iddhimā ca dinnaṁyeva pattaṁ oharatū”ti. Atha kho makkhali gosālo … ajito kesakambalo … pakudho kaccāyano …
「それならば、私はこの白檀の木塊でもって鉢を作らせよう。文字を書いたものは自らの用に供し、鉢はそのまま布施として与えよう」と思った。そこでラージャガハ(王舎城)の長者は、その白檀の木塊で鉢を作らせ、紐で縛って竿の先に吊るし、竹竿を幾本も継ぎ足してそれに結わえ付けて、こう宣言した——「沙門(サマナ)であれ婆羅門(バラモン)であれ、阿羅漢(アラハン)にして神通力を有する者であれば、その鉢をおのずから取り下ろすがよい」と。
するとプーラナ・カッサパが、ラージャガハの長者のもとへと近づいた。近づいてから、ラージャガハの長者にこのように言った——「居士よ、私こそは阿羅漢にして神通力を有する者である。その鉢を私に与えよ」と。「もし尊者が真に阿羅漢にして神通力を有する者であれば、その鉢をおのずから取り下ろすがよい」と長者は答えた。
次いで、マッカリ・ゴーサーラが……アジタ・ケーサカンバリンが……パクダ・カッチャーヤナが……
智慧
vinaya
趣旨一致
中
Saṅghepi ca atho bālā, asammatā ca ekato; Ullumpatupasampadā, nissayo ekako tayoti. Imamhi khandhake vatthūni ekasatañca dvāsattati. Mahākhandhako niṭṭhito.
また、僧伽(サンガ)の中に愚者がいる場合、および一方において正式に認められていない場合――すなわち、〔不適正な〕ウルルンパタ受具(ullumpatā upasampadā)と、一人のみによる依止(nissaya)とである。
この犍度(カンダカ)において、事例は百七十二(一一二)である。
大犍度(マハーカンダカ)、終わる。
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智慧
vinaya
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中
‘ahaṁ, āvuso, itthannāmaṁ āpattiṁ āpanno. Ito vuṭṭhahitvā taṁ āpattiṁ paṭikarissāmī’ti vatvā pavāretabbaṁ; na tveva tappaccayā pavāraṇāya antarāyo kātabbo. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu pavārayamāno āpattiyā vematiko hoti. Tena, bhikkhave, bhikkhunā sāmanto bhikkhu evamassa vacanīyo— ‘ahaṁ, āvuso, itthannāmāya āpattiyā vematiko; yadā nibbematiko bhavissāmi tadā taṁ āpattiṁ paṭikarissāmī’ti vatvā pavāretabbaṁ; na tveva tappaccayā pavāraṇāya antarāyo kātabbo”ti. 8. Sabhāgāpattipaṭikammavidhi Tena kho pana samayena aññatarasmiṁ āvāse tadahu pavāraṇāya sabbo saṅgho sabhāgaṁ āpattiṁ āpanno hoti.
「友よ、私はかくかくしかじかの罪(āpatti)を犯した。この自恣(pavāraṇā)を終えたのち、その罪を懺悔(paṭikamma)するであろう」と述べてから、自恣を行うべきである。その事情をもって自恣の妨げとなしてはならない。
さてまた、比丘たちよ、ここに自恣を行う比丘が、ある罪について疑念を抱いている場合がある。その比丘たちよ、かかる比丘は、隣の比丘に対してこのように告げるべきである。——「友よ、私はかくかくしかじかの罪について疑念を抱いている。疑念が晴れたとき、その罪を懺悔するであろう」と述べてから、自恣を行うべきである。その事情をもって自恣の妨げとなしてはならない」と。
第八 共同の罪の懺悔作法(Sabhāgāpattipaṭikammavidhi)
さてその時、ある住処(āvāsa)において、その自恣の当日、僧伽(saṅgha)の全員が等しく同一の罪(sabhāgāpatti)を犯していた。
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智慧
vinaya
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中
Atha kho keṇiyo jaṭilo buddhappamukhaṁ bhikkhusaṅghaṁ pahūtehi pānehi sahatthā santappetvā sampavāretvā bhagavantaṁ dhotahatthaṁ onītapattapāṇiṁ ekamantaṁ nisīdi. Ekamantaṁ nisinnaṁ kho keṇiyaṁ jaṭilaṁ bhagavā dhammiyā kathāya sandassesi samādapesi samuttejesi sampahaṁsesi. Atha kho keṇiyo jaṭilo bhagavatā dhammiyā kathāya sandassito samādapito samuttejito sampahaṁsito bhagavantaṁ etadavoca— “adhivāsetu me bhavaṁ gotamo svātanāya bhattaṁ saddhiṁ bhikkhusaṅghenā”ti. “Mahā kho, keṇiya, bhikkhusaṅgho aḍḍhatelasāni bhikkhusatāni, tvañca brāhmaṇesu abhippasanno”ti. Dutiyampi kho keṇiyo jaṭilo bhagavantaṁ etadavoca— “kiñcāpi kho, bho gotama, mahā bhikkhusaṅgho aḍḍhatelasāni bhikkhusatāni, ahañca brāhmaṇesu abhippasanno, adhivāsetu me bhavaṁ gotamo svātanāya bhattaṁ saddhiṁ bhikkhusaṅghenā”ti. “Mahā kho, keṇiya, bhikkhusaṅgho aḍḍhatelasāni bhikkhusatāni, tvañca brāhmaṇesu abhippasanno”ti. Tatiyampi kho keṇiyo jaṭilo bhagavantaṁ etadavoca— Adhivāsesi bhagavā tuṇhībhāvena.
そのとき、結髪行者(けつはつぎょうじゃ)ケーニヤは、比丘僧伽(びくそうぎゃ)を先頭に仏陀をいただく一行に対して、みずから手をもって豊かな飲み物をもてなし、心ゆくまで供養した。世尊が手を洗い鉢を手から下ろされると、ケーニヤは世尊の傍らに坐した。傍らに坐した結髪行者ケーニヤに対して、世尊は法(ダンマ)にかなった話によって示し、勧め、励まし、喜ばせられた。そこで結髪行者ケーニヤは、世尊の法にかなった話によって示され、勧められ、励まされ、喜ばされて、世尊にこのように申し上げた。
「尊き方ゴータマよ、明日、比丘僧伽とともに私の食事の供養をお受けくださいますように」
「ケーニヤよ、比丘僧伽は大きく、千三百の比丘がいる。そしてあなたはバラモンたちに信心を寄せているではないか」
二度目もまた、結髪行者ケーニヤは世尊にこのように申し上げた。
「ゴータマ尊者よ、比丘僧伽が大きく千三百の比丘がおられるとはいえ、また私がバラモンたちに信心を寄せているとはいえ、どうか尊き方ゴータマは、比丘僧伽とともに明日の私の食事の供養をお受けくださいますように」
「ケーニヤよ、比丘僧伽は大きく、千三百の比丘がいる。そしてあなたはバラモンたちに信心を寄せているではないか」
三度目もまた、結髪行者ケーニヤは世尊に同じことを申し上げた。世尊は沈黙によってこれをお受けになった。
⚠ 出家者向けの文脈
智慧
vinaya
趣旨一致
中
Mānattacārikacatuttho ce, bhikkhave, parivāsaṁ dadeyya, mūlāya paṭikasseyya, mānattaṁ dadeyya, taṁvīso abbheyya— akammaṁ na ca karaṇīyaṁ. Abbhānārahacatuttho ce, bhikkhave, parivāsaṁ dadeyya, mūlāya paṭikasseyya, mānattaṁ dadeyya, taṁvīso abbheyya— akammaṁ na ca karaṇīyaṁ. Ekaccassa, bhikkhave, saṅghamajjhe paṭikkosanā ruhati, ekaccassa na ruhati. Kassa ca, bhikkhave, saṅghamajjhe paṭikkosanā na ruhati? Bhikkhuniyā, bhikkhave, saṅghamajjhe paṭikkosanā na ruhati. Sikkhamānāya, bhikkhave …pe… sāmaṇerassa, bhikkhave … sāmaṇeriyā, bhikkhave …
「もし〔僧伽が〕摩那埵行者(マーナッタチャーリカ)を第四者として、別住(パリヴァーサ)を与え、本罪(ムーラ)に引き戻し、摩那埵(マーナッタ)を与え、その二十人〔の僧伽〕をもって出罪(アッバーナ)させるならば、それは羯磨(カンマ)にあらず、なすべきことにもあらず。もし〔僧伽が〕出罪に値する者(アッバーナーラハ)を第四者として、別住を与え、本罪に引き戻し、摩那埵を与え、その二十人をもって出罪させるならば、それは羯磨にあらず、なすべきことにもあらず。
比丘たちよ、ある者の〔異議〕申し立ては僧伽の中において成り立ち、ある者のそれは成り立たない。比丘たちよ、いかなる者の〔異議〕申し立ては僧伽の中において成り立たないのか。比丘たちよ、比丘尼(ビクニ)の〔異議〕申し立ては僧伽の中において成り立たない。比丘たちよ、式叉摩那(シッカマーナ)の……乃至……比丘たちよ、沙弥(サーマネーラ)の……比丘たちよ、沙弥尼(サーマネーリー)の……」
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智慧
vinaya
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中
Aparehipi, bhikkhave, tīhaṅgehi samannāgatassa bhikkhuno, ākaṅkhamāno saṅgho, pabbājanīyakammaṁ kareyya. Adhisīle sīlavipanno hoti, ajjhācāre ācāravipanno hoti, atidiṭṭhiyā diṭṭhivipanno hoti— Aparehipi, bhikkhave, tīhaṅgehi samannāgatassa bhikkhuno, ākaṅkhamāno saṅgho, pabbājanīyakammaṁ kareyya. Buddhassa avaṇṇaṁ bhāsati, dhammassa avaṇṇaṁ bhāsati, saṅghassa avaṇṇaṁ bhāsati— Aparehipi, bhikkhave, tīhaṅgehi samannāgatassa bhikkhuno, ākaṅkhamāno saṅgho, pabbājanīyakammaṁ kareyya. Kāyikena davena samannāgato hoti, vācasikena davena samannāgato hoti, kāyikavācasikena davena samannāgato hoti— Aparehipi, bhikkhave, tīhaṅgehi samannāgatassa bhikkhuno, ākaṅkhamāno saṅgho, pabbājanīyakammaṁ kareyya. Kāyikena anācārena samannāgato hoti, vācasikena anācārena samannāgato hoti, kāyikavācasikena anācārena samannāgato hoti— Aparehipi, bhikkhave, tīhaṅgehi samannāgatassa bhikkhuno, ākaṅkhamāno saṅgho, pabbājanīyakammaṁ kareyya. Kāyikena upaghātikena samannāgato hoti, vācasikena upaghātikena samannāgato hoti, kāyikavācasikena upaghātikena samannāgato hoti—
「比丘たちよ、また他の三つの要素を具えた比丘に対して、僧伽(サンガ)は望むならば、追放の羯磨(カンマ)を行うことができる。すなわち、増上戒(アディシーラ)において戒(シーラ)を破り、行儀(アーチャーラ)において行儀を破り、見解(ディッティ)において見解を誤っている者——比丘たちよ、また他の三つの要素を具えた比丘に対して、僧伽は望むならば、追放の羯磨を行うことができる。すなわち、仏(ブッダ)の誹りを語り、法(ダンマ)の誹りを語り、僧伽(サンガ)の誹りを語る者——比丘たちよ、また他の三つの要素を具えた比丘に対して、僧伽は望むならば、追放の羯磨を行うことができる。すなわち、身による放逸(カーイカ・ダヴァ)を具え、語による放逸(ヴァーチャシカ・ダヴァ)を具え、身と語による放逸を具えている者——比丘たちよ、また他の三つの要素を具えた比丘に対して、僧伽は望むならば、追放の羯磨を行うことができる。すなわち、身による非行(アナーチャーラ)を具え、語による非行を具え、身と語による非行を具えている者——比丘たちよ、また他の三つの要素を具えた比丘に対して、僧伽は望むならば、追放の羯磨を行うことができる。すなわち、身による害悪(ウパガーティカ)を具え、語による害悪を具え、身と語による害悪を具えている者——」
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
智慧
vinaya
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中
Evañca pana, bhikkhave, dātabbo— Tena, bhikkhave, bhikkhunā saṅghaṁ upasaṅkamitvā, ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā, vuḍḍhānaṁ bhikkhūnaṁ pāde vanditvā, ukkuṭikaṁ nisīditvā, añjaliṁ paggahetvā, evamassa vacanīyo— ‘ahaṁ, bhante, dve saṅghādisesā āpattiyo āpajjiṁ dvemāsappaṭicchannāyo. “ahaṁ kho dve saṅghādisesā āpattiyo āpajjiṁ dvemāsappaṭicchannāyo. Yannūnāhaṁ saṅghaṁ ekissā āpattiyā dvemāsappaṭicchannāya dvemāsaparivāsaṁ yāceyyan”ti. Tassa me parivasantassa lajjīdhammo okkami— “ahaṁ kho dve saṅghādisesā āpattiyo āpajjiṁ dvemāsappaṭicchannāyo. “yannūnāhaṁ saṅghaṁ itarissāpi āpattiyā dvemāsappaṭicchannāya dvemāsaparivāsaṁ yāceyyan”ti. Sohaṁ, bhante, saṅghaṁ itarissāpi āpattiyā dvemāsappaṭicchannāya dvemāsaparivāsaṁ yācāmī’ti. Dutiyampi yācitabbo.
「比丘たちよ、かくのごとく〔別住を〕与えるべきである。
その比丘は僧伽(サンガ)に近づき、上衣(ウッタラーサンガ)を一肩にかけ、年長の比丘たちの足に礼拝し、蹲踞(うずくまり)して座り、合掌して、次のように申し述べるべきである。
『大徳(バンテ)よ、私は二ヶ月にわたり隠覆(いんぷく)せる僧残(サンガーディセーサ)の罪過を二つ犯しました。〔私はこう思いました。〕「私は二ヶ月にわたり隠覆せる僧残の罪過を二つ犯した。いかにも私は、一つの罪過について、二ヶ月隠覆せるがゆえに、僧伽に二ヶ月の別住(パリヴァーサ)を請うべきであろう」と。
別住を行じている私に、恥じ入る心(ラッジーダンマ)が生じました。〔すなわち、〕「私は二ヶ月にわたり隠覆せる僧残の罪過を二つ犯した。いかにも私は、もう一つの罪過についても、二ヶ月隠覆せるがゆえに、僧伽に二ヶ月の別住を請うべきであろう」と。
大徳よ、それゆえ私は、もう一つの罪過についても、二ヶ月隠覆せるがゆえに、僧伽に二ヶ月の別住を請い奉ります。』
二度目もまた請うべきである。」
⚠ 出家者向けの文脈
智慧
vinaya
趣旨一致
中
sañcayo belaṭṭhaputto … nigaṇṭho nāṭaputto yena rājagahako seṭṭhi tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā rājagahakaṁ seṭṭhiṁ etadavoca— Tena kho pana samayena āyasmā ca mahāmoggallāno āyasmā ca piṇḍolabhāradvājo pubbaṇhasamayaṁ nivāsetvā pattacīvaramādāya rājagahaṁ piṇḍāya pavisiṁsu. Atha kho āyasmā piṇḍolabhāradvājo āyasmantaṁ mahāmoggallānaṁ etadavoca— “āyasmā kho mahāmoggallāno arahā ceva iddhimā ca. Gacchāvuso, moggallāna, etaṁ pattaṁ ohara. Tuyheso patto”ti. “Āyasmā kho bhāradvājo arahā ceva iddhimā ca. Gacchāvuso, bhāradvāja, etaṁ pattaṁ ohara. Tuyheso patto”ti.
そのとき、尊者マハーモッガッラーナと尊者ピンドーラ・バーラドヴァージャは、午前中に衣を着け、鉢と衣を持って、王舎城に托鉢のために入った。
そこで尊者ピンドーラ・バーラドヴァージャは、尊者マハーモッガッラーナにこのように言った。
「尊者マハーモッガッラーナは、阿羅漢(arahā)にして、また神通力(iddhi)を具えておられます。友よ、モッガッラーナよ、行って、あの鉢を取り下ろしてください。あの鉢はあなたのものです。」
〔これに対して尊者マハーモッガッラーナは言った。〕
「尊者バーラドヴァージャこそ、阿羅漢にして、また神通力を具えておられます。友よ、バーラドヴァージャよ、行って、あの鉢を取り下ろしてください。あの鉢はあなたのものです。」
――なお、そのころ、サンジャヤ・ベーラッタプッタ……ニガンタ・ナータプッタは、王舎城の長者のもとへと近づき、近づいて、王舎城の長者にこのように語りかけた。
智慧
vinaya
趣旨一致
中
Nīlā atha lohitikā, Mañjiṭṭhā pītakā phalikavaṇṇāyo; Aṅgīrasassa kāye, Anekavaṇṇā acciyo honti. Pattamhi odahitvā, Ahināgaṁ brāhmaṇassa dassesi; “Ayaṁ te kassapa nāgo, Pariyādinno assa tejasā tejo”ti. Atha kho uruvelakassapo jaṭilo bhagavato iminā iddhipāṭihāriyena abhippasanno bhagavantaṁ etadavoca— “idheva, mahāsamaṇa, vihara, ahaṁ te dhuvabhattenā”ti.
青色、また赤色、
茜色、黄色、水晶色——
アンギーラサ(光芒者)の御身より、
幾色もの炎(焔)が燃え立つ。
鉢の中に置きて、
婆羅門(バラモン)に蛇の龍(ナーガ)を見せたもうた。
「迦葉(カッサパ)よ、これが汝の龍ぞ。
その龍の威力は、世尊の威光によって征服されたり」と。
さて、ウルヴェーラの迦葉(ウルヴェーラ・カッサパ)なる結髪行者(ジャティラ)は、世尊のこの神変(イッディ・パーティハーリヤ)によって深く信心を起こし、世尊にかく申し上げた——
「大沙門(マハーサマナ)よ、どうかここに留まりたまえ。わたくしが日々の食をお供えいたしましょう」と。
智慧
vinaya
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中
Theravāda Vinayapiṭaka Mahāvagga 2. Uposathakkhandhaka 1. Sannipātānujānana Tena samayena buddho bhagavā rājagahe viharati gijjhakūṭe pabbate. Tena kho pana samayena aññatitthiyā paribbājakā cātuddase pannarase aṭṭhamiyā ca pakkhassa sannipatitvā dhammaṁ bhāsanti. Te manussā upasaṅkamanti dhammassavanāya. Te labhanti aññatitthiyesu paribbājakesu pemaṁ, labhanti pasādaṁ, labhanti aññatitthiyā paribbājakā pakkhaṁ. Atha kho rañño māgadhassa seniyassa bimbisārassa rahogatassa paṭisallīnassa evaṁ cetaso parivitakko udapādi— “etarahi kho aññatitthiyā paribbājakā cātuddase pannarase aṭṭhamiyā ca pakkhassa sannipatitvā dhammaṁ bhāsanti.
そのとき、仏・世尊(ブッダ・バガヴァン)はラージャガハ(王舎城)のギッジャクータ山(鷲の峰)にとどまっておられた。
さてそのころ、他の教えを奉じる遍歴行者(アンニャティッティヤ・パリッバージャカ)たちが、半月の第十四日・第十五日および第八日に集い会して法を説いていた。人々はその法を聴こうとして彼らのもとに赴いた。そして人々は、他の教えを奉じる遍歴行者たちに対して親愛の情を得、信頼の念を得た。かくして遍歴行者たちは民心の支持を得るに至った。
ときに、マガダ国の王セーニヤ・ビンビサーラ(頻婆娑羅)は、独処して静思するなかに、こころにこのような思いが生じた。
「いまや、他の教えを奉じる遍歴行者たちは、半月の第十四日・第十五日および第八日に集い会して法を説いている。
智慧
vinaya
趣旨一致
中
Atha kho tesaṁ bhikkhūnaṁ etadahosi— “bhagavatā paññattaṁ— ‘na sabhāgā āpatti desetabbā, na sabhāgā āpatti paṭiggahetabbā’ti. Ayañca sabbo saṅgho sabhāgaṁ āpattiṁ āpanno. Kathaṁ nu kho amhehi paṭipajjitabban”ti? “Idha pana, bhikkhave, aññatarasmiṁ āvāse tadahu pavāraṇāya sabbo saṅgho sabhāgaṁ āpattiṁ āpanno hoti. Tehi, bhikkhave, bhikkhūhi eko bhikkhu sāmantā āvāsā sajjukaṁ pāhetabbo— gacchāvuso, taṁ āpattiṁ paṭikaritvā āgaccha, mayaṁ te santike taṁ āpattiṁ paṭikarissāmāti. Evañcetaṁ labhetha, iccetaṁ kusalaṁ. No ce labhetha, byattena bhikkhunā paṭibalena saṅgho ñāpetabbo—
そのとき、かの比丘たちにこのような思いが起こった。「世尊は『同類の罪(sabhāgā āpatti)は告白されるべきでなく、同類の罪は受けられるべきでない』と制定された。しかるに、この僧伽(saṅgha)全員が同類の罪を犯している。では、我々はいかに行ずべきであろうか」と。
〔世尊は説かれた。〕「比丘たちよ、ここに、ある住処(āvāsa)において、自恣(pavāraṇā)のその日に、僧伽の全員が同類の罪を犯せる場合がある。比丘たちよ、そのような場合には、かの比丘たちは、一人の比丘を近隣の住処へ速やかに遣わすべきである。『友よ、行ってその罪を懺悔し(paṭikariyā)、戻ってきてください。我々はあなたの御前においてその罪を懺悔いたします』と。もしそれが叶うならば、それは善いことである。もし叶わぬならば、能弁にして有能な比丘(byatta bhikkhu)によって、僧伽に告知(ñāpeti)がなされるべきである——
⚠ 出家者向けの文脈
智慧
vinaya
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中
Atha kho keṇiyo jaṭilo bhagavato adhivāsanaṁ viditvā uṭṭhāyāsanā pakkāmi. Atha kho bhagavā etasmiṁ nidāne etasmiṁ pakaraṇe dhammiṁ kathaṁ katvā bhikkhū āmantesi— “anujānāmi, bhikkhave, aṭṭha pānāni— ambapānaṁ jambupānaṁ cocapānaṁ mocapānaṁ madhūkapānaṁ muddikapānaṁ sālūkapānaṁ phārusakapānaṁ. Anujānāmi, bhikkhave, sabbaṁ phalarasaṁ ṭhapetvā dhaññaphalarasaṁ. Anujānāmi, bhikkhave, sabbaṁ pattarasaṁ ṭhapetvā ḍākarasaṁ. Anujānāmi, bhikkhave, sabbaṁ puppharasaṁ ṭhapetvā madhūkapuppharasaṁ. Anujānāmi, bhikkhave, ucchurasan”ti. Atha kho keṇiyo jaṭilo tassā rattiyā accayena sake assame paṇītaṁ khādanīyaṁ bhojanīyaṁ paṭiyādāpetvā bhagavato kālaṁ ārocāpesi—“kālo, bho gotama, niṭṭhitaṁ bhattan”ti. Atha kho bhagavā pubbaṇhasamayaṁ nivāsetvā pattacīvaramādāya yena keṇiyassa jaṭilassa assamo tenupasaṅkami; upasaṅkamitvā paññatte āsane nisīdi saddhiṁ bhikkhusaṅghena.
そのとき、結髪行者(けつはつぎょうじゃ)ケーニヤは、世尊が承諾されたことを知り、座より立ち上がって退いた。そこで世尊は、この因縁、この事柄に関して法話を説かれ、比丘たちに告げられた。
「比丘たちよ、わたしは八種の飲み物を許可する。すなわち、マンゴーの飲み物、ジャンブーの飲み物、バナナ(コーカ)の飲み物、芭蕉(モーカ)の飲み物、マドゥーカの飲み物、ブドウの飲み物、蓮根の飲み物、パールシャカの飲み物である。比丘たちよ、わたしは穀物の果汁を除いて、すべての果物の汁を許可する。比丘たちよ、わたしは葉野菜(ダーカ)の汁を除いて、すべての葉の汁を許可する。比丘たちよ、わたしはマドゥーカの花の汁を除いて、すべての花の汁を許可する。比丘たちよ、わたしは甘蔗汁(かんしゃじゅう)を許可する。」
その後、結髪行者ケーニヤは、その夜が明けると、自らの庵(いおり)において優れた固形食・軟食を用意させ、世尊に時刻をお知らせした。「ゴータマよ、時が参りました。食事の準備が整いました」と。
そこで世尊は、午前の時刻に下衣(げえ)をまとい、鉢と衣を持して、結髪行者ケーニヤの庵へと赴かれた。赴かれて、比丘僧伽(びくそうぎゃ)とともに、設えられた座にお着きになった。
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vinaya
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Tatiyampi yācitabbo. Byattena bhikkhunā paṭibalena saṅgho ñāpetabbo— ‘Suṇātu me, bhante, saṅgho. Ayaṁ itthannāmo bhikkhu dve saṅghādisesā āpattiyo āpajji dvemāsappaṭicchannāyo. “ahaṁ kho dve saṅghādisesā āpattiyo āpajjiṁ dvemāsappaṭicchannāyo. Yannūnāhaṁ saṅghaṁ ekissā āpattiyā dvemāsappaṭicchannāya dvemāsaparivāsaṁ yāceyyan”ti. Tassa parivasantassa lajjīdhammo okkami— “ahaṁ kho dve saṅghādisesā āpattiyo āpajjiṁ dvemāsappaṭicchannāyo. “yannūnāhaṁ saṅghaṁ itarissāpi āpattiyā dvemāsappaṭicchannāya dvemāsaparivāsaṁ yāceyyan”ti. So saṅghaṁ itarissāpi āpattiyā dvemāsappaṭicchannāya dvemāsaparivāsaṁ yācati.
三度目もまた、請願がなされるべきである。有能にして堪能なる比丘(びく)によって、僧伽(さんが)に告知がなされるべきである——
「大徳(だいとく)よ、僧伽よ、我が言葉を聞かれよ。これなる某甲(なにがし)という名の比丘は、二箇月の間、隠覆(いんぷ)せられたる二つの僧伽婆尸沙(さんがばしさ)の罪を犯せり。かの者は思惟せり——『我はまことに、二箇月の間、隠覆せられたる二つの僧伽婆尸沙の罪を犯せり。いざ我は、一つの罪につき、二箇月の間、隠覆せられたるものとして、僧伽に二箇月の別住(べつじゅう)を請い願わん』と。かの者が別住を行じつつあるとき、慚愧(ざんぎ)の心が湧き起これり——『我はまことに、二箇月の間、隠覆せられたる二つの僧伽婆尸沙の罪を犯せり。いざ我は、もう一つの罪につきても、二箇月の間、隠覆せられたるものとして、僧伽に二箇月の別住を請い願わん』と。かの者は、もう一つの罪につきても、二箇月の間、隠覆せられたるものとして、僧伽に二箇月の別住を請い願う。」
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Paṭhamaṁ pāṭihāriyaṁ. Atha kho bhagavā uruvelakassapassa jaṭilassa assamassa avidūre aññatarasmiṁ vanasaṇḍe vihāsi. Atha kho cattāro mahārājāno abhikkantāya rattiyā abhikkantavaṇṇā kevalakappaṁ vanasaṇḍaṁ obhāsetvā yena bhagavā tenupasaṅkamiṁsu, upasaṅkamitvā bhagavantaṁ abhivādetvā catuddisā aṭṭhaṁsu seyyathāpi mahantā aggikkhandhā. Atha kho uruvelakassapo jaṭilo tassā rattiyā accayena yena bhagavā tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā bhagavantaṁ etadavoca— “kālo, mahāsamaṇa, niṭṭhitaṁ bhattaṁ. Ke nu kho te, mahāsamaṇa, abhikkantāya rattiyā abhikkantavaṇṇā kevalakappaṁ vanasaṇḍaṁ obhāsetvā yena tvaṁ tenupasaṅkamiṁsu, upasaṅkamitvā taṁ abhivādetvā catuddisā aṭṭhaṁsu seyyathāpi mahantā aggikkhandhā”ti. “Ete kho, kassapa, cattāro mahārājāno yenāhaṁ tenupasaṅkamiṁsu dhammassavanāyā”ti. Atha kho uruvelakassapassa jaṭilassa etadahosi— “mahiddhiko kho mahāsamaṇo mahānubhāvo, yatra hi nāma cattāropi mahārājāno upasaṅkamissanti dhammassavanāya, na tveva ca kho arahā yathā ahan”ti. Atha kho bhagavā uruvelakassapassa jaṭilassa bhattaṁ bhuñjitvā tasmiṁyeva vanasaṇḍe vihāsi.
# 律蔵 大犍度 第七十段——第一の神変
さて、世尊(バガヴァント)はウルヴェーラー・カッサパという結髪行者(ジャティラ)の庵のほど近く、ある林の茂みにお留まりになった。
ところが、夜の更け行くころ、四人の大王(マハーラージャ)たちが、麗しい光輝を放ちながら、林の茂みをくまなく照らしつつ、世尊のおわします方へと近づいて来た。近づいてより世尊を礼拝し、四方に立った。その姿は、まるで大いなる炎の塊のごとくであった。
やがて夜が明けると、ウルヴェーラー・カッサパという結髪行者が世尊のもとへ参り、こう申し上げた。
「時至りました、大沙門(マハーサマナ)よ、食事の用意が整いました。ところで、大沙門よ、夜の更け行くころ、麗しい光輝を放ちながら林の茂みをくまなく照らし、あなたのおわします方へ近づき、礼拝してより四方に立った者たちは、いったい何者でございましょうか。まるで大いなる炎の塊のようでありました」
「カッサパよ、彼らは四人の大王であって、法(ダンマ)を聴聞せんがために私のもとへ参ったのである」
すると、ウルヴェーラー・カッサパという結髪行者の心に、次のような思いが起こった。
「大沙門は大いなる神通力(イッダ)を持ち、大いなる威力(アーヌバーヴァ)を具えた方だ。四人の大王でさえも法を聴聞するために参るとは。——しかしながら、私のような阿羅漢(アラハント)ではあるまい」
かくして世尊は、ウルヴェーラー・カッサパという結髪行者のもとで食事を済まされ、その同じ林の茂みにお留まりになった。
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‘Suṇātu me, bhante, saṅgho. Ayaṁ sabbo saṅgho sabhāgaṁ āpattiṁ āpanno. Yadā aññaṁ bhikkhuṁ suddhaṁ anāpattikaṁ passissati tadā tassa santike taṁ āpattiṁ paṭikarissatī’ti vatvā pavāretabbaṁ; na tveva tappaccayā pavāraṇāya antarāyo kātabbo. Idha pana, bhikkhave, aññatarasmiṁ āvāse tadahu pavāraṇāya sabbo saṅgho sabhāgāya āpattiyā vematiko hoti. Byattena bhikkhunā paṭibalena saṅgho ñāpetabbo— ‘Suṇātu me, bhante, saṅgho. Ayaṁ sabbo saṅgho sabhāgāya āpattiyā vematiko. Yadā nibbematiko bhavissati tadā taṁ āpattiṁ paṭikarissatī’ti vatvā,
「大徳よ、僧伽よ、聴け。この僧伽全体は、同一の罪過(āpatti)を犯せり。清浄にして罪過なき他の比丘を見出したる時、その者のもとにて、かの罪過を懺悔(paṭikāra)すべし」と述べて、自恣(pavāraṇā)を行うべし。しかしながら、そのことを理由として、自恣の妨げとなすべからず。
さて、比丘たちよ、ある住処において、自恣の当日、僧伽全体が同一の罪過について疑念(vematika)を抱いている場合がある。その時は、賢明にして有能なる比丘(byatta bhikkhu)が、僧伽に対して次のように告知すべし——
「大徳よ、僧伽よ、聴け。この僧伽全体は、同一の罪過について疑念を抱けり。疑念なき者となりたる時、かの罪過を懺悔すべし」と述べて、
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titthiyapakkantakassa, bhikkhave … mātughātakassa, bhikkhave … pitughātakassa, bhikkhave … arahantaghātakassa, bhikkhave … bhikkhunidūsakassa, bhikkhave … saṅghabhedakassa, bhikkhave … lohituppādakassa, bhikkhave … ubhatobyañjanakassa, bhikkhave … nānāsaṁvāsakassa, bhikkhave … nānāsīmāya ṭhitassa, bhikkhave …
「比丘たちよ、外道に去った者について……比丘たちよ、母を殺した者について……比丘たちよ、父を殺した者について……比丘たちよ、阿羅漢(アラハン)を殺した者について……比丘たちよ、比丘尼(びくに)を汚した者について……比丘たちよ、僧伽(サンガ)を分裂させた者について……比丘たちよ、〔如来の〕身より血を出させた者について……比丘たちよ、両性(うばとびゃんじゃな)の者について……比丘たちよ、別住(なーなーさんわーさか)の者について……比丘たちよ、別界(なーなーしーまー)に住する者について……」
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Aparesampi, bhikkhave, tiṇṇaṁ bhikkhūnaṁ, ākaṅkhamāno saṅgho, pabbājanīyakammaṁ kareyya. Eko kāyikena davena samannāgato hoti, eko vācasikena davena samannāgato hoti, eko kāyikavācasikena davena samannāgato hoti— Aparesampi, bhikkhave, tiṇṇaṁ bhikkhūnaṁ, ākaṅkhamāno saṅgho, pabbājanīyakammaṁ kareyya. Eko kāyikena anācārena samannāgato hoti, eko vācasikena anācārena samannāgato hoti, eko kāyikavācasikena anācārena samannāgato hoti— Aparesampi, bhikkhave, tiṇṇaṁ bhikkhūnaṁ, ākaṅkhamāno saṅgho, pabbājanīyakammaṁ kareyya. Eko kāyikena upaghātikena samannāgato hoti, eko vācasikena upaghātikena samannāgato hoti, eko kāyikavācasikena upaghātikena samannāgato hoti— Aparesampi, bhikkhave, tiṇṇaṁ bhikkhūnaṁ, ākaṅkhamāno saṅgho, pabbājanīyakammaṁ kareyya. Eko kāyikena micchājīvena samannāgato hoti, eko vācasikena micchājīvena samannāgato hoti, eko kāyikavācasikena micchājīvena samannāgato hoti— Ākaṅkhamānacuddasakaṁ niṭṭhitaṁ. 3.4. Aṭṭhārasavatta
# 律蔵 羯磨犍度 第五十九段
比丘たちよ、さらにまた他の三人の比丘についても、僧伽(サンガ)は、望むならば、追放羯磨(パッバージャニーヤカンマ)を行うことができる。すなわち、一人は身による放逸(カーイカ・ダヴァ)を具えた者であり、一人は語による放逸(ヴァーチャシカ・ダヴァ)を具えた者であり、一人は身と語による放逸(カーイカヴァーチャシカ・ダヴァ)を具えた者である。
比丘たちよ、さらにまた他の三人の比丘についても、僧伽は、望むならば、追放羯磨を行うことができる。すなわち、一人は身による非行(カーイカ・アナーチャーラ)を具えた者であり、一人は語による非行(ヴァーチャシカ・アナーチャーラ)を具えた者であり、一人は身と語による非行(カーイカヴァーチャシカ・アナーチャーラ)を具えた者である。
比丘たちよ、さらにまた他の三人の比丘についても、僧伽は、望むならば、追放羯磨を行うことができる。すなわち、一人は身による害悪(カーイカ・ウパガーティカ)を具えた者であり、一人は語による害悪(ヴァーチャシカ・ウパガーティカ)を具えた者であり、一人は身と語による害悪(カーイカヴァーチャシカ・ウパガーティカ)を具えた者である。
比丘たちよ、さらにまた他の三人の比丘についても、僧伽は、望むならば、追放羯磨を行うことができる。すなわち、一人は身による邪命(カーイカ・ミッチャージーヴァ)を具えた者であり、一人は語による邪命(ヴァーチャシカ・ミッチャージーヴァ)を具えた者であり、一人は身と語による邪命(カーイカヴァーチャシカ・ミッチャージーヴァ)を具えた者である。
――「望む場合の十四事」、ここに終わる。
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