🔖 ブックマーク機能はLINEログインで利用できます
💬 AIブッダに相談
10,029
偈句数
9,999
日本語訳あり
9,982
パーリ原文
経典 19
テーマ 20
該当 107
すべて
智慧 4354
老い 931
苦しみ 772
正念 695
怒り 356
執着 350
死 350
業・因果 346
幸せ 337
自己 244
人間関係 243
家族 234
不安 168
仕事 165
渇愛 147
慈悲 115
無常 111
孤独 45
空 43
感謝 23
経典: vinaya
✕ クリア
苦しみ
vinaya
趣旨一致
中
sikkhāpaccakkhātakassa, bhikkhave … antimavatthuṁ ajjhāpannakassa, bhikkhave … ummattakassa, bhikkhave … khittacittassa, bhikkhave … vedanāṭṭassa, bhikkhave … āpattiyā adassane ukkhittakassa, bhikkhave … āpattiyā appaṭikamme ukkhittakassa, bhikkhave … pāpikāya diṭṭhiyā appaṭinissagge ukkhittakassa, bhikkhave … paṇḍakassa, bhikkhave … theyyasaṁvāsakassa, bhikkhave …
比丘たちよ、学処(sikkhāpada)を捨てた者、……比丘たちよ、最重罪(antima-vatthu)を犯した者、……比丘たちよ、狂乱(ummattaka)の者、……比丘たちよ、心乱れた(khittacitta)者、……比丘たちよ、苦痛(vedanā)に苦しむ者、……比丘たちよ、罪(āpatti)を見ないとして挙罪(ukkhitta)された者、……比丘たちよ、罪を悔い改めないとして挙罪された者、……比丘たちよ、邪見(pāpikā diṭṭhi)を捨てないとして挙罪された者、……比丘たちよ、黄門(paṇḍaka)の者、……比丘たちよ、窃住(theyyasaṁvāsa)の者、……
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ
vinaya
趣旨一致
中
“Tvaṁ khosi, kassapa, pañcannaṁ jaṭilasatānaṁ nāyako vināyako aggo pamukho pāmokkho. Tepi tāva apalokehi, yathā te maññissanti tathā te karissantī”ti. Atha kho uruvelakassapo jaṭilo yena te jaṭilā tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā te jaṭile etadavoca— “icchāmahaṁ, bho, mahāsamaṇe brahmacariyaṁ carituṁ, yathā bhavanto maññanti tathā karontū”ti. “Cirapaṭikā mayaṁ, bho, mahāsamaṇe abhippasannā, sace bhavaṁ, mahāsamaṇe brahmacariyaṁ carissati, sabbeva mayaṁ mahāsamaṇe brahmacariyaṁ carissāmā”ti. Atha kho te jaṭilā kesamissaṁ jaṭāmissaṁ khārikājamissaṁ aggihutamissaṁ udake pavāhetvā yena bhagavā tenupasaṅkamiṁsu, upasaṅkamitvā bhagavato pādesu sirasā nipatitvā bhagavantaṁ etadavocuṁ— “labheyyāma mayaṁ, bhante, bhagavato santike pabbajjaṁ, labheyyāma upasampadan”ti. “Etha bhikkhavo”ti bhagavā avoca— “svākkhāto dhammo, caratha brahmacariyaṁ sammā dukkhassa antakiriyāyā”ti. Sāva tesaṁ āyasmantānaṁ upasampadā ahosi.
「カッサパよ、汝はまさしく五百の結髪修行者(ジャティラ)たちの指導者にして導師、首席にして主席、最上の者である。されば彼らに相談するがよい。彼らが思うところにしたがって行動するであろう」と。
そこでウルヴェーラ・カッサパなる結髪修行者は、かの結髪修行者たちのもとへ近づき、近づいてから彼らにこのように言った。
「諸君よ、わたくしは大沙門(マハーサマナ)のもとで清浄行(ブラフマチャリヤ)を修めたいと思う。諸君は思うところにしたがって行動されよ」と。
「諸君よ、わたくしたちはかねてより大沙門に深く帰信しております。もし貴殿が大沙門のもとで清浄行を修めるならば、われらすべても大沙門のもとで清浄行を修めましょう」と。
そこでかの結髪修行者たちは、結った髪も、祭具も、薪負い籠も、火への供物(アッギフタ)も、すべて水に流し去って、世尊のもとへ近づいた。近づいてから世尊の両足に頭を以て礼拝し、世尊にこのように申し上げた。
「世尊よ、わたくしどもは世尊のもとにおいて出家(パッバッジャー)を、具足戒(ウパサンパダー)を受けることができますでしょうか」と。
世尊はこのように仰せになった。
「来たれ、比丘たちよ」と。「法(ダンマ)はよく説かれている。苦(ドゥッカ)の終滅のために、清浄行を正しく歩め」と。
これがすなわち、かの尊者たちの具足戒であった。
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ
vinaya
趣旨一致
中
ummattakhittavedanā. Adassanāppaṭikamme, diṭṭhi tasseva hoti taṁ; Paṇḍako theyyatitthī ca, tiracchānamātupettikaṁ. Ghātako dūsako cāpi, bhedalohitabyañjanā; saṅghova hoti sāmiko. Harantaññatra kukkuccaṁ, undriyati ca kambalaṁ;
狂乱(ummattaka)し心乱れたる者の苦受(vedanā)。
不見罪に対する懺悔なき場合、その見解はその者自身に帰す。半択迦(paṇḍaka)・盗みて入った者・外道の修行者、また畜生・母・父の近親なる者。殺害者(ghātaka)・破壊者もまた然り、僧伽(saṅgha)を分裂させ、血を流し、標相(byañjana)あるもの——これらの者にとっては、僧伽(saṅgha)のみが主(sāmika)となる。
懸念(kukkucca)なく運び去る者、また毛氈(kambala)を取り外す者——。
苦しみ
vinaya
趣旨一致
中
“svākkhāto dhammo, caratha brahmacariyaṁ sammā dukkhassa antakiriyāyā”ti. Sāva tesaṁ āyasmantānaṁ upasampadā ahosi. Addasā kho gayākassapo jaṭilo kesamissaṁ jaṭāmissaṁ khārikājamissaṁ aggihutamissaṁ udake vuyhamāne, disvānassa etadahosi— “mā heva me bhātūnaṁ upasaggo ahosī”ti. Jaṭile pāhesi— “gacchatha me bhātaro jānāthā”ti. Sāmañca dvīhi jaṭilasatehi saddhiṁ yenāyasmā uruvelakassapo tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā āyasmantaṁ uruvelakassapaṁ etadavoca— “idaṁ nu kho, kassapa, seyyo”ti? “Āmāvuso, idaṁ seyyo”ti. Atha kho te jaṭilā kesamissaṁ jaṭāmissaṁ khārikājamissaṁ aggihutamissaṁ udake pavāhetvā yena bhagavā tenupasaṅkamiṁsu, upasaṅkamitvā bhagavato pādesu sirasā nipatitvā bhagavantaṁ etadavocuṁ—
「法(ダンマ)はよく説かれたものである。苦(ドゥッカ)を終滅させるために、正しく梵行を歩め」と。これが、かの尊者たちの具足戒(受戒)であった。
さて、ガヤー・カッサパ(結髪修行者)は、髪の毛の混じり、結い髪の混じり、荷桶の混じり、火への供物の混じりが水に流されているのを目にした。これを見て、彼はこのように思った。「わが兄弟たちに何か不測の事態が起きたのではないか」と。そこで彼は結髪修行者たちを遣わして言った。「行って、わが兄弟たちのようすを確かめてまいれ」と。
彼自身も二百人の結髪修行者とともに、尊者ウルヴェーラ・カッサパのもとへと近づいた。近づいて、尊者ウルヴェーラ・カッサパにこのように語りかけた。「カッサパよ、これは果たして勝れたことであろうか」と。「友よ、まことにこれは勝れたことです」と。
そこで、かの結髪修行者たちは、髪の毛の混じり、結い髪の混じり、荷桶の混じり、火への供物の混じりを水に流し去り、世尊のおられるところへと近づいた。近づいて、世尊の両足に頭をもって礼拝し、世尊にこのように申し上げた。
苦しみ
vinaya
趣旨一致
中
“labheyyāma mayaṁ, bhante, bhagavato santike pabbajjaṁ, labheyyāma upasampadan”ti. “Etha bhikkhavo”ti bhagavā avoca— “svākkhāto dhammo, caratha brahmacariyaṁ sammā dukkhassa antakiriyāyā”ti. Sāva tesaṁ āyasmantānaṁ upasampadā ahosi. Bhagavato adhiṭṭhānena pañca kaṭṭhasatāni na phāliyiṁsu, phāliyiṁsu; aggī na ujjaliyiṁsu, ujjaliyiṁsu; na vijjhāyiṁsu, vijjhāyiṁsu; pañcamandāmukhisatāni abhinimmini. Etena nayena aḍḍhuḍḍhapāṭihāriyasahassāni honti. Atha kho bhagavā uruvelāyaṁ yathābhirantaṁ viharitvā yena gayāsīsaṁ tena pakkāmi mahatā bhikkhusaṅghena saddhiṁ bhikkhusahassena sabbeheva purāṇajaṭilehi.
「尊き師(バガヴァント)よ、願わくは世尊のみもとにて出家(パッバッジャー)を得、具足戒(ウパサンパダー)を受けさせたまわんことを」と。
世尊は仰せられた——「来たれ、比丘たちよ。法(ダンマ)はよく説かれたり。苦(ドゥッカ)の終滅のために、正しく梵行(ブラフマチャリヤ)を修めよ」と。
これがかの尊者たちの具足戒であった。
世尊の意力(アディッターナ)によって、五百束の薪は割れずにあったが、割れた。火は燃え上がらずにあったが、燃え上がった。消えずにあったが、消えた。五百の口を持つ炉が現れ出た。かくのごとき次第によって、二千五百の神変(パーティハーリヤ)となった。
かくして世尊は、ウルヴェーラーにて思うがままに留まられたのち、ガヤーシーサへと向かわれた。千人の比丘よりなる大いなる比丘僧伽(サンガ)を伴われ、その一切はかつての結髪修行者(ジャティラ)たちであった。
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ
vinaya
趣旨一致
中
Tatra sudaṁ bhagavā gayāyaṁ viharati gayāsīse saddhiṁ bhikkhusahassena. Tatra kho bhagavā bhikkhū āmantesi— “Sabbaṁ, bhikkhave, ādittaṁ. Kiñca, bhikkhave, sabbaṁ ādittaṁ? Cakkhu ādittaṁ, rūpā ādittā, cakkhuviññāṇaṁ ādittaṁ, cakkhusamphasso āditto, yamidaṁ cakkhusamphassapaccayā uppajjati vedayitaṁ sukhaṁ vā dukkhaṁ vā adukkhamasukhaṁ vā tampi ādittaṁ. Kena ādittaṁ? Rāgagginā dosagginā mohagginā ādittaṁ, jātiyā jarāya maraṇena sokehi paridevehi dukkhehi domanassehi upāyāsehi ādittanti vadāmi. Sotaṁ ādittaṁ, saddā ādittā, sotaviññāṇaṁ ādittaṁ, sotasamphasso āditto, yamidaṁ sotasamphassapaccayā uppajjati vedayitaṁ sukhaṁ vā dukkhaṁ vā adukkhamasukhaṁ vā tampi ādittaṁ. Kena ādittaṁ? Rāgagginā dosagginā mohagginā ādittaṁ, jātiyā jarāya maraṇena sokehi paridevehi dukkhehi domanassehi upāyāsehi ādittanti vadāmi.
そのとき世尊は、千人の比丘の僧団とともに、ガヤーのガヤーシーサ(象頭山)に滞在しておられた。そこで世尊は比丘たちに告げられた。
「比丘たちよ、すべては燃えている。では比丘たちよ、いかなるものがすべて燃えているのか。
眼(チャックhu)は燃えている。色(ルーパ)は燃えている。眼識(チャックhuヴィンニャーナ)は燃えている。眼触(チャックhuサンパッサ)は燃えている。この眼触を縁として生じる、楽なる感受(ヴェーダヤタ)であれ、苦なる感受であれ、苦でも楽でもない感受であれ、それもまた燃えている。何によって燃えているのか。貪りの火(ラーガッギ)によって、瞋りの火(ドーサッギ)によって、痴の火(モーハッギ)によって燃えている。生(ジャーティ)によって、老(ジャラー)によって、死(マラナ)によって、愁(ソーカ)・悲(パリデーヴァ)・苦(ドゥッカ)・憂(ドーマナッサ)・悩(ウパーヤーサ)によって燃えていると、わたしは説く。
耳(ソータ)は燃えている。声(サッダ)は燃えている。耳識(ソータヴィンニャーナ)は燃えている。耳触(ソータサンパッサ)は燃えている。この耳触を縁として生じる、楽なる感受であれ、苦なる感受であれ、苦でも楽でもない感受であれ、それもまた燃えている。何によって燃えているのか。貪りの火によって、瞋りの火によって、痴の火によって燃えている。生によって、老によって、死によって、愁・悲・苦・憂・悩によって燃えていると、わたしは説く。」
⚠ 希死念慮の場面では使わない,出家者向けの文脈
苦しみ
vinaya
趣旨一致
中
Ghānaṁ ādittaṁ, gandhā ādittā, ghānaviññāṇaṁ ādittaṁ, ghānasamphasso āditto, yamidaṁ ghānasamphassapaccayā uppajjati vedayitaṁ sukhaṁ vā dukkhaṁ vā adukkhamasukhaṁ vā tampi ādittaṁ. Kena ādittaṁ? Rāgagginā dosagginā mohagginā ādittaṁ, jātiyā jarāya maraṇena sokehi paridevehi dukkhehi domanassehi upāyāsehi ādittanti vadāmi. Jivhā ādittā, rasā ādittā, jivhāviññāṇaṁ ādittaṁ jivhāsamphasso āditto, yamidaṁ jivhāsamphassapaccayā uppajjati vedayitaṁ sukhaṁ vā dukkhaṁ vā adukkhamasukhaṁ vā tampi ādittaṁ. Kena ādittaṁ? Rāgagginā dosagginā mohagginā ādittaṁ, jātiyā jarāya maraṇena sokehi paridevehi dukkhehi domanassehi upāyāsehi ādittanti vadāmi. Kāyo āditto, phoṭṭhabbā ādittā, kāyaviññāṇaṁ ādittaṁ kāyasamphasso āditto, yamidaṁ kāyasamphassapaccayā uppajjati vedayitaṁ sukhaṁ vā dukkhaṁ vā adukkhamasukhaṁ vā tampi ādittaṁ. Kena ādittaṁ? Rāgagginā dosagginā mohagginā ādittaṁ, jātiyā jarāya maraṇena sokehi paridevehi dukkhehi domanassehi upāyāsehi ādittanti vadāmi. Mano āditto, dhammā ādittā, manoviññāṇaṁ ādittaṁ manosamphasso āditto, yamidaṁ manosamphassapaccayā uppajjati vedayitaṁ sukhaṁ vā dukkhaṁ vā adukkhamasukhaṁ vā tampi ādittaṁ.
鼻(はな)は燃えている。諸々の香りは燃えている。鼻識(びしき)は燃えている。鼻触(びそく)は燃えている。この鼻触を縁として生じる、楽なる受(じゅ)も、苦なる受も、苦でも楽でもない受も、それもまた燃えている。何によって燃えているのか。貪りの火(ラーガッギ)によって、怒りの火(ドーサッギ)によって、迷いの火(モーハッギ)によって燃えている。生(しょう)によって、老(ろう)によって、死によって、愁い(うれい)によって、悲歎(ひたん)によって、苦によって、憂悩(ゆうのう)によって、絶望(ぜつぼう)によって燃えていると、わたしは説く。
舌(した)は燃えている。諸々の味は燃えている。舌識(ぜっしき)は燃えている。舌触(ぜっそく)は燃えている。この舌触を縁として生じる、楽なる受も、苦なる受も、苦でも楽でもない受も、それもまた燃えている。何によって燃えているのか。貪りの火によって、怒りの火によって、迷いの火によって燃えている。生によって、老によって、死によって、愁いによって、悲歎によって、苦によって、憂悩によって、絶望によって燃えていると、わたしは説く。
身(み)は燃えている。諸々の触れるもの(所触)は燃えている。身識(しんしき)は燃えている。身触(しんそく)は燃えている。この身触を縁として生じる、楽なる受も、苦なる受も、苦でも楽でもない受も、それもまた燃えている。何によって燃えているのか。貪りの火によって、怒りの火によって、迷いの火によって燃えている。生によって、老によって、死によって、愁いによって、悲歎によって、苦によって、憂悩によって、絶望によって燃えていると、わたしは説く。
意(い)は燃えている。諸々の法(ダンマ)は燃えている。意識(いしき)は燃えている。意触(いそく)は燃えている。この意触を縁として生じる、楽なる受も、苦なる受も、苦でも楽でもない受も、それもまた燃えている。
⚠ 希死念慮の場面では使わない
苦しみ
vinaya
趣旨一致
中
Kena ādittaṁ? Rāgagginā dosagginā mohagginā ādittaṁ, jātiyā jarāya maraṇena sokehi paridevehi dukkhehi domanassehi upāyāsehi ādittanti vadāmi. Evaṁ passaṁ, bhikkhave, sutavā ariyasāvako cakkhusmimpi nibbindati, rūpesupi nibbindati, cakkhuviññāṇepi nibbindati, cakkhusamphassepi nibbindati, yamidaṁ cakkhusamphassapaccayā uppajjati vedayitaṁ sukhaṁ vā dukkhaṁ vā adukkhamasukhaṁ vā, tasmimpi nibbindati. Sotasmimpi nibbindati, saddesupi nibbindati …pe… ghānasmimpi nibbindati, gandhesupi nibbindati …pe… jivhāyapi nibbindati, rasesupi nibbindati …pe… kāyasmimpi nibbindati, phoṭṭhabbesupi nibbindati …pe… manasmimpi nibbindati, dhammesupi nibbindati, manoviññāṇepi nibbindati, manosamphassepi nibbindati, yamidaṁ manosamphassapaccayā uppajjati vedayitaṁ sukhaṁ vā dukkhaṁ vā adukkhamasukhaṁ vā tasmimpi nibbindati, nibbindaṁ virajjati, virāgā vimuccati, vimuttasmiṁ vimuttamiti ñāṇaṁ hoti. Khīṇā jāti, vusitaṁ brahmacariyaṁ, kataṁ karaṇīyaṁ, nāparaṁ itthattāyāti pajānātī”ti.
「何によって燃えているのか。貪りの火(rāgaggi)によって、瞋りの火(dosaggi)によって、迷いの火(mohaggi)によって燃えているのである。生(jāti)によって、老(jarā)によって、死(maraṇa)によって、愁い(soka)・悲歎(parideva)・苦(dukkha)・憂(domanassa)・悩(upāyāsa)によって燃えているのである、とわたしは説く。
比丘たちよ、このように観るとき、教えをよく聞いた聖なる弟子(sutavā ariyasāvaka)は、眼に対しても厭離し(nibbindati)、諸々の色に対しても厭離し、眼識(cakkhuviññāṇa)に対しても厭離し、眼触(cakkhusamphassa)に対しても厭離し、この眼触を縁として生起する楽なる受(vedayita)であれ、苦なる受であれ、不苦不楽なる受であれ、それに対しても厭離する。耳に対しても厭離し、諸々の声に対しても厭離し……鼻に対しても厭離し、諸々の香に対しても厭離し……舌に対しても厭離し、諸々の味に対しても厭離し……身に対しても厭離し、諸々の触に対しても厭離し……意(mana)に対しても厭離し、諸々の法に対しても厭離し、意識(manoviññāṇa)に対しても厭離し、意触(manosamphassa)に対しても厭離し、この意触を縁として生起する楽なる受であれ、苦なる受であれ、不苦不楽なる受であれ、それに対しても厭離する。厭離するがゆえに離欲し(virajjati)、離欲するがゆえに解脱する(vimuccati)。解脱したとき、『解脱した』という智(ñāṇa)が生ずる。『生は尽きた(khīṇā jāti)、梵行(brahmacariya)はすでに完成された、なすべきことはなされた、もはやこのような〔迷いの〕状態に戻ることはない』と、かれは了知するのである。」
⚠ 希死念慮の場面では使わない
苦しみ
vinaya
趣旨一致
中
dānakathaṁ sīlakathaṁ saggakathaṁ kāmānaṁ ādīnavaṁ okāraṁ saṅkilesaṁ nekkhamme ānisaṁsaṁ pakāsesi. Yadā te bhagavā aññāsi kallacitte muducitte vinīvaraṇacitte udaggacitte pasannacitte, atha yā buddhānaṁ sāmukkaṁsikā dhammadesanā, taṁ pakāsesi— dukkhaṁ, samudayaṁ, nirodhaṁ, maggaṁ. Seyyathāpi nāma suddhaṁ vatthaṁ apagatakāḷakaṁ sammadeva rajanaṁ paṭiggaṇheyya; evameva ekādasanahutānaṁ māgadhikānaṁ brāhmaṇagahapatikānaṁ bimbisārappamukhānaṁ tasmiṁyeva āsane virajaṁ vītamalaṁ dhammacakkhuṁ udapādi— “yaṁ kiñci samudayadhammaṁ sabbaṁ taṁ nirodhadhamman”ti. Ekanahutaṁ upāsakattaṁ paṭivedesi. Atha kho rājā māgadho seniyo bimbisāro diṭṭhadhammo pattadhammo viditadhammo pariyogāḷhadhammo tiṇṇavicikiccho vigatakathaṅkatho vesārajjappatto aparappaccayo satthusāsane bhagavantaṁ etadavoca— “pubbe me, bhante, kumārassa sato pañca assāsakā ahesuṁ, te me etarahi samiddhā. Pubbe me, bhante, kumārassa sato etadahosi—
〔世尊は〕布施の話(ダーナカター)、戒の話(シーラカター)、天界の話(サッガカター)を説き、欲楽の過患(ādīnava)・卑賤・汚濁と、出離(nekkhamma)の功徳とを明らかにされた。世尊は、彼らの心が用意を調え、柔軟となり、障蓋を離れ、高揚し、清浄となったと知られたとき、すなわち諸仏に固有の最勝の法の教示(sāmukkaṁsikā dhammadesanā)――苦(dukkha)・集(samudaya)・滅(nirodha)・道(magga)――を説き示された。ちょうど汚れなく清浄な布が染料を正しくよく受け取るように、まさにそのように、ビンビサーラ王を筆頭とするマガダ国の婆羅門・居士、十一万人に、その座においてただちに、塵を離れ垢を離れた法眼(dhammacakkhu)が生じた――「およそ生起する性質のあるものは、すべて滅する性質のものである」と。一万人は優婆塞(upāsaka)の境地を告知した。
かくしてマガダ国の王、セーニヤ・ビンビサーラは、法を見、法を得、法を知り、法に深く入り、疑惑(vicikicchā)を渡り越え、惑いを去り、無畏(vesārajja)を得て、師の教えについて他のものに依ることなく、世尊にこのように申し上げた。
「尊き方よ、かつて私が王子であったとき、五つの望みがありました。それらは今、成就いたしました。尊き方よ、かつて私が王子であったとき、このような思いがありました――」
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ
vinaya
趣旨一致
中
Yo parivāso dinno sudinno, yo parivuttho suparivuttho, avaseso parivasitabbo. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu parivasanto vedanāṭṭo hoti. Vedanāṭṭassa, bhikkhave, parivāso na ruhati. So ce puna avedanāṭṭo hoti, tassa tadeva purimaṁ parivāsadānaṁ. Yo parivāso dinno sudinno, yo parivuttho suparivuttho, avaseso parivasitabbo. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu parivasanto, āpattiyā adassane, ukkhipiyyati. Ukkhittakassa, bhikkhave, parivāso na ruhati. So ce puna osāriyyati, tassa tadeva purimaṁ parivāsadānaṁ. Yo parivāso dinno sudinno, yo parivuttho suparivuttho, avaseso parivasitabbo. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu parivasanto, āpattiyā appaṭikamme, ukkhipiyyati.
与えられた別住(パリヴァーサ)が正しく与えられ、正しく遂行され、残りは遂行されるべきである。
さて比丘たちよ、ここに別住を行じつつある比丘が、苦受(ヴェーダナーッタ)に陥ることがある。比丘たちよ、苦受に陥った者には、別住は成就しない。その者がふたたび苦受を離れたならば、その者にはその先の以前の別住の付与が適用される。与えられた別住が正しく与えられ、正しく遂行され、残りは遂行されるべきである。
さて比丘たちよ、ここに別住を行じつつある比丘が、罪(アーパッティ)を認めないことにより、挙罪(ウッキペイヤティ)される。比丘たちよ、挙罪された者には、別住は成就しない。その者がふたたび解罪(オサーリヤティ)されたならば、その者にはその先の以前の別住の付与が適用される。与えられた別住が正しく与えられ、正しく遂行され、残りは遂行されるべきである。
さて比丘たちよ、ここに別住を行じつつある比丘が、罪を懺悔しないことにより、挙罪される。
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ
vinaya
趣旨一致
中
Yo parivāso dinno sudinno, yo parivuttho suparivuttho. So bhikkhu mūlāya paṭikassitabbo. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu mūlāyapaṭikassanāraho sāmaṇero hoti …pe… khittacitto hoti …pe… vedanāṭṭo hoti …pe… āpattiyā adassane ukkhipiyyati …pe… āpattiyā appaṭikamme ukkhipiyyati …pe… pāpikāya diṭṭhiyā, appaṭinissagge, ukkhipiyyati. Ukkhittakassa, bhikkhave, mūlāyapaṭikassanā na ruhati. So ce puna osāriyyati, tassa tadeva purimaṁ parivāsadānaṁ.
与えられた別住(パリヴァーサ)は正しく与えられ、行われた別住は正しく行われた。その比丘は本初(もとい)に引き戻されるべきである。
さてまた、比丘たちよ、本初に引き戻されるべき比丘が沙弥(サーマネーラ)である場合……乃至……心乱れたる者(キッタチッタ)である場合……乃至……苦痛に悩む者(ヴェーダナーッタ)である場合……乃至……罪(アーパッティ)を見ざることを理由として擯出(ウッキッパ)せられた場合……乃至……罪の懺悔(パティカンマ)をなさざることを理由として擯出せられた場合……乃至……邪見(パーピカー・ディッティ)を捨てざることを理由として擯出せられた場合には、擯出せられたる者に対しては、本初への引き戻しは成り立たない。
比丘たちよ、もしその者が再び僧団に復帰(オサーリヤ)せしめられるならば、その者には以前の別住の賦与そのものが〔再び適用される〕のである。
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ
vinaya
趣旨一致
中
Yo parivāso dinno sudinno, yo parivuttho suparivuttho. So bhikkhu mūlāya paṭikassitabbo. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu mānattāraho vibbhamati. Vibbhantakassa, bhikkhave, mānattadānaṁ na ruhati. So ce puna upasampajjati, tassa tadeva purimaṁ parivāsadānaṁ. Yo parivāso dinno sudinno, yo parivuttho suparivuttho. Tassa bhikkhuno mānattaṁ dātabbaṁ. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu mānattāraho sāmaṇero hoti …pe… khittacitto hoti …pe… vedanāṭṭo hoti …pe…
比丘たちよ、かつて与えられた別住(パリヴァーサ)が正しく与えられ、正しく遂行されたものであれば、その比丘は根本(ムーラ)に引き戻されなければならない。
さて比丘たちよ、ここに摩那埵(マーナッタ)に値する比丘が、〔僧団を〕離脱することがある。離脱した者に対しては、比丘たちよ、摩那埵を与えることは適わない。しかるにその者が再び具足戒を受けるならば、かれにはまさにその以前の別住の付与が〔適用される〕。かつて与えられた別住が正しく与えられ、正しく遂行されたものであれば、その比丘に摩那埵が与えられるべきである。
さて比丘たちよ、ここに摩那埵に値する比丘が沙弥となることがある……あるいは心乱れた者となることがある……あるいは苦受に悩まされた者となることがある……
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ
vinaya
趣旨一致
中
Yo parivāso dinno sudinno, yo parivuttho suparivuttho; yaṁ mānattaṁ dinnaṁ sudinnaṁ, yaṁ mānattaṁ ciṇṇaṁ suciṇṇaṁ, avasesaṁ caritabbaṁ. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu mānattaṁ caranto sāmaṇero hoti …pe… khittacitto hoti …pe… vedanāṭṭo hoti …pe… āpattiyā adassane, ukkhipiyyati …pe… āpattiyā appaṭikamme, ukkhipiyyati …pe… pāpikāya diṭṭhiyā, appaṭinissagge, ukkhipiyyati. Ukkhittakassa, bhikkhave, mānattacariyā na ruhati. So ce puna osāriyyati, tassa tadeva purimaṁ parivāsadānaṁ.
与えられた別住(パリヴァーサ)は正しく与えられ、正しく行われた。与えられた摩那埵(マーナッタ)は正しく与えられ、行われた摩那埵は正しく行われた。残りは行うべきである。
しかるに、比丘たちよ、ここに摩那埵を行じている比丘が沙弥となる場合……乃至……心乱れた者となる場合……乃至……苦(ヴェーダナー)に悩まされた者となる場合……乃至……罪(アーパッティ)を認めないことにより、挙罪される場合……乃至……罪を懺悔しないことにより、挙罪される場合……乃至……邪見(パーピカー・ディッティ)を捨て去らないことにより、挙罪される場合がある。比丘たちよ、挙罪された者には、摩那埵の行が成就しない。もし彼が再び復帰せしめられるならば、その者には、かの先の別住を与えることとなるのである。
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ
vinaya
趣旨一致
中
Iti bhavābhavatañca vītivatto; Taṁ vigatabhayaṁ sukhiṁ asokaṁ, Devā nānubhavanti dassanāyā”ti. 1.2. Devadattavatthu Atha kho bhagavā anupiyāyaṁ yathābhirantaṁ viharitvā yena kosambī tena cārikaṁ pakkāmi. Anupubbena cārikaṁ caramāno yena kosambī tadavasari. Tatra sudaṁ bhagavā kosambiyaṁ viharati ghositārāme. Atha kho devadattassa rahogatassa paṭisallīnassa evaṁ cetaso parivitakko udapādi— “kaṁ nu kho ahaṁ pasādeyyaṁ, yasmiṁ me pasanne bahulābhasakkāro uppajjeyyā”ti? Atha kho devadattassa etadahosi—
かくして有(う)と非有(ひう)とを超え越えたる者は、
恐れを離れ、安楽にして、憂いなし——
神々(デーヴァ)すら、その姿を拝し奉ることあたわず。
1.2 デーヴァダッタの章
さて、世尊はアヌピヤにて御心の赴くままにとどまりたまいしのち、コーサンビーに向かいて遊行(ゆぎょう)に発たれた。次第に遊行を続けたまい、コーサンビーに至られた。そこにて世尊はコーサンビーのゴーシタ園(ぎょしたおん)に滞在されていた。
ときに、デーヴァダッタが独り閑居(かんきょ)し、静かに坐していたところ、その心にかくのごとき思念(しねん)が起こった——「いったいいかなる人の信を得るならば、わが利得(りとく)と供養(くよう)とが多く生ずるであろうか」と。
そこでデーヴァダッタにこのような思いが生じた——
苦しみ
vinaya
趣旨一致
中
“yaṁ kiñci samudayadhammaṁ sabbaṁ taṁ nirodhadhamman”ti. “Eseva dhammo yadi tāvadeva, Paccabyattha padamasokaṁ; Adiṭṭhaṁ abbhatītaṁ, Bahukehi kappanahutehī”ti. Atha kho sāriputto paribbājako yena moggallāno paribbājako tenupasaṅkami. Addasā kho moggallāno paribbājako sāriputtaṁ paribbājakaṁ dūratova āgacchantaṁ, disvāna sāriputtaṁ paribbājakaṁ etadavoca— “vippasannāni kho te, āvuso, indriyāni, parisuddho chavivaṇṇo pariyodāto. Kacci no tvaṁ, āvuso, amataṁ adhigato”ti? “Yathākathaṁ pana tvaṁ, āvuso, amataṁ adhigato”ti?
「およそ生起する性質を持つものは、すべて滅する性質を持つ」と。
「もしこれがまことの法(ダンマ)であるならば、
汝はすでに憂いなき境地(パダ)に到達したのだ、
幾多の劫(カッパ)と那由他(ナユタ)の昔より、
いまだ見られず、すでに過ぎ去りし、かの境地に」と。
そのとき、遍歴修行者(パリッバージャカ)のサーリプッタは、遍歴修行者のモッガッラーナのもとへと赴いた。遍歴修行者のモッガッラーナは、遍歴修行者のサーリプッタがはるか遠くよりやって来るのを見た。見てから、遍歴修行者のサーリプッタにこのように言った。
「友よ、あなたの諸根(インドリヤ)は澄みわたり、肌の色は清らかに輝いております。友よ、もしやあなたは、不死(アマタ)を証得されたのでしょうか」と。
「友よ、では、あなたはどのようにして不死を証得されたのですか」と。
⚠ 希死念慮の場面では使わない
苦しみ
vinaya
趣旨一致
中
vedanāṭṭo hoti …pe… āpattiyā adassane, ukkhipiyyati …pe… āpattiyā appaṭikamme, ukkhipiyyati …pe… pāpikāya diṭṭhiyā, appaṭinissagge, ukkhipiyyati. Ukkhittakassa, bhikkhave, abbhānaṁ na ruhati. So ce puna osāriyyati, tassa tadeva purimaṁ parivāsadānaṁ. Yo parivāso dinno sudinno, yo parivuttho suparivuttho; yaṁ mānattaṁ dinnaṁ sudinnaṁ, yaṁ mānattaṁ ciṇṇaṁ suciṇṇaṁ. So bhikkhu abbhetabbo. Cattālīsakaṁ samattaṁ.
〔彼は〕苦しみに悩んでいる……(中略)……罪過(āpatti)を認めないとして挙罪(ukkhipiyyati)される……(中略)……罪過を悔い改めないとして挙罪される……(中略)……邪見(pāpikā diṭṭhi)を捨て去らないとして挙罪される。
比丘たちよ、挙罪された者(ukkhittaka)に対しては、復権(abbhāna)は成立しない。もし彼が再び僧伽に復帰させられたならば、その者には先の前行別住(parivāsa)がそのままに適用される。与えられた別住は正しく与えられたものであり、行じられた別住は正しく行じられたものである。与えられた摩那埵(mānatta)は正しく与えられたものであり、行じられた摩那埵は正しく行じられたものである。その比丘は出罪(abbhāna)されるべきである。
第四十章、以上にて完結す。
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ
vinaya
趣旨一致
中
“Idhāhaṁ, āvuso, addasaṁ assajiṁ bhikkhuṁ rājagahe piṇḍāya carantaṁ pāsādikena abhikkantena paṭikkantena ālokitena vilokitena samiñjitena pasāritena okkhittacakkhuṁ iriyāpathasampannaṁ. “yaṁ kiñci samudayadhammaṁ sabbaṁ taṁ nirodhadhammanti. Eseva dhammo yadi tāvadeva, Paccabyattha padamasokaṁ; Adiṭṭhaṁ abbhatītaṁ, Bahukehi kappanahutehī”ti. Atha kho moggallāno paribbājako sāriputtaṁ paribbājakaṁ etadavoca— “gacchāma mayaṁ, āvuso, bhagavato santike, so no bhagavā satthā”ti. “Imāni kho, āvuso, aḍḍhateyyāni paribbājakasatāni amhe nissāya amhe sampassantā idha viharanti, tepi tāva apalokema. Yathā te maññissanti, tathā te karissantī”ti.
「友よ、わたしはここ王舎城(ラージャガハ)において、アッサジという比丘が托鉢(ピンダパータ)に歩むのを見た。その歩みは端正にして、進む時も退く時も、見渡す時も振り向く時も、手を曲げる時も伸べる時も、目を伏せ、威儀(イリヤーパタ)を具えていた。
起きるものは何であれ、
すべて滅するものなり。
この法(ダンマ)のみこそ、
悲しみなき境地(パダ)に至らしめん。
幾億劫(カッパ)の永きにわたりて、
いまだ見ず、いまだ至らざりし境地に。」
さて、遊行者(パリッバージャカ)のモッガッラーナは、遊行者サーリプッタに向かってこのように言った。
「友よ、われらは世尊(バガヴァ)のもとへ参ろう。かの世尊こそ、われらの師(サッタ―)である。」
「友よ、この三百五十人の遊行者たちは、われらを頼り、われらを仰いでここに住している。まず彼らにも知らせようではないか。彼らは思うところに従って行動するであろう。」
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ
vinaya
趣旨一致
中
Etaṁ me sāvakayugaṁ, Bhavissati aggaṁ bhaddayugan”ti. Atha kho sāriputtamoggallānā yena bhagavā tenupasaṅkamiṁsu, upasaṅkamitvā bhagavato pādesu sirasā nipatitvā bhagavantaṁ etadavocuṁ— “labheyyāma mayaṁ, bhante, bhagavato santike pabbajjaṁ, labheyyāma upasampadan”ti. “Etha bhikkhavo”ti bhagavā avoca— “svākkhāto dhammo, caratha brahmacariyaṁ sammā dukkhassa antakiriyāyā”ti. Sāva tesaṁ āyasmantānaṁ upasampadā ahosi. 14.1. Abhiññātānaṁpabbajjā Tena kho pana samayena abhiññātā abhiññātā māgadhikā kulaputtā bhagavati brahmacariyaṁ caranti. Manussā ujjhāyanti khiyyanti vipācenti—
「この二人の弟子は、わが弟子の中の最勝(さいしょう)の双璧となるであろう」と。
さて、サーリプッタとモッガッラーナは、世尊のおられるところへ赴いた。赴いて、世尊の御足に頭をもって礼拝し、世尊にこのように申し上げた。
「世尊よ、わたくしどもは世尊のもとにおいて出家(pabbajjā)を得たく存じます。具足戒(upasampadā)を得たく存じます」と。
世尊は仰せられた。
「来たれ、比丘たちよ」と。「法(ダンマ)はよく説かれている。苦(dukkha)を滅尽するために、正しく梵行(brahmacariya)を歩め」と。
これがすなわち、その尊者たちの具足戒であった。
第十四章一節 名族の子弟の出家
さてその当時、マガダ国の名族の子弟たちが、次々と世尊のもとで梵行を修していた。人々は不満を抱き、そしりそれを広めて言った——
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ
vinaya
趣旨一致
中
Tassa, bhikkhave, bhikkhuno purimasmiñca pacchimasmiñca āpattikkhandhe yathāpaṭicchanne parivāsaṁ datvā mānattaṁ dātabbaṁ. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu sambahulā saṅghādisesā āpattiyo āpajjitvā appaṭicchādetvā sāmaṇero hoti …pe… ummattako hoti …pe… khittacitto hoti …pe… (yathā heṭṭhā tathā vitthāretabbaṁ) vedanāṭṭo hoti …pe… tassa honti āpattiyo paṭicchannāyopi appaṭicchannāyopi …pe… ekaccā āpattiyo jānāti, ekaccā āpattiyo na jānāti …pe… ekaccā āpattiyo sarati, ekaccā āpattiyo nassarati …pe… ekaccāsu āpattīsu nibbematiko, ekaccāsu āpattīsu vematiko.
比丘たちよ、その比丘に対しては、前の(罪科の)集積と後の(罪科の)集積とについて、それぞれ覆蔵(パティッチャーナ)した日数に応じてパリヴァーサ(別住)を与えたうえで、マーナッタ(意喜)を与えるべきである。
さて比丘たちよ、ここに或る比丘が、多くの僧残(サンガーディセーサ)の罪を犯しながら覆蔵せざるまま、沙弥となった場合……乃至……狂乱者となった場合……乃至……心が乱れた者となった場合……乃至……(以下、上述のとおり詳しく展開すべし)……苦病(ヴェーダナーッタ)に悩まされる者となった場合……乃至……その者に、覆蔵せる罪もあり、覆蔵せざる罪もある場合……乃至……或る罪は知り、或る罪は知らぬ場合……乃至……或る罪は憶え、或る罪は憶えぬ場合……乃至……或る罪については疑いなく、或る罪については疑いある場合。
⚠ 出家者向けの文脈
苦しみ
vinaya
趣旨一致
中
Yāsu āpattīsu nibbematiko tā āpattiyo chādeti; yāsu āpattīsu vematiko tā āpattiyo nacchādeti. So vedanāṭṭo hoti. So puna avedanāṭṭo hutvā yā āpattiyo pubbe nibbematiko chādesi tā āpattiyo pacchā nibbematiko nacchādeti; yā āpattiyo pubbe nibbematiko chādesi tā āpattiyo pacchā nibbematiko nacchādeti; yā āpattiyo pubbe vematiko nacchādesi tā āpattiyo pacchā nibbematiko chādeti …pe… yā āpattiyo pubbe nibbematiko chādesi tā āpattiyo pacchā nibbematiko chādeti; yā āpattiyo pubbe vematiko nacchādesi tā āpattiyo pacchā nibbematiko nacchādeti …pe… yā āpattiyo pubbe nibbematiko chādesi tā āpattiyo pacchā nibbematiko chādeti; Tassa, bhikkhave, bhikkhuno purimasmiñca pacchimasmiñca āpattikkhandhe yathāpaṭicchanne parivāsaṁ datvā mānattaṁ dātabbaṁ.
彼が疑いなき(nibbematiko)ところの諸々の罪過(āpatti)については、それらの罪過を隠し、疑いある(vematiko)ところの諸々の罪過については、それらの罪過を隠さない。彼は苦痛に苛まれる者となる。そして再び苦痛を免れた者となって、かつて疑いなく隠した諸々の罪過を、後に疑いなく隠さず、かつて疑いなく隠した諸々の罪過を、後に疑いなく隠さず、かつて疑いある者として隠さなかった諸々の罪過を、後に疑いなく隠し……(中略)……かつて疑いなく隠した諸々の罪過を、後に疑いなく隠し、かつて疑いある者として隠さなかった諸々の罪過を、後に疑いなく隠さず……(中略)……かつて疑いなく隠した諸々の罪過を、後に疑いなく隠す。
比丘たちよ、その比丘に対して、前の罪過の集積(āpattikkhandha)と後の罪過の集積とを、それぞれ隠された如くに応じて別住(parivāsa)を与えた上で、摩那埵(mānatta)を与えるべきである。
⚠ 出家者向けの文脈
経典データの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)