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💬 AIブッダに相談
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偈句数
9,999
日本語訳あり
9,982
パーリ原文
経典 19
テーマ 20
該当 1,279
すべて
智慧 4354
老い 931
苦しみ 772
正念 695
怒り 356
執着 350
死 350
業・因果 346
幸せ 337
自己 244
人間関係 243
家族 234
不安 168
仕事 165
渇愛 147
慈悲 115
無常 111
孤独 45
空 43
感謝 23
経典: vinaya
✕ クリア
智慧
vinaya
趣旨一致
中
Idha pana, bhikkhave, bhikkhu sambahulā saṅghādisesā āpattiyo āpajjati parimāṇampi aparimāṇampi, ekanāmampi nānānāmampi, sabhāgampi visabhāgampi, vavatthitampi sambhinnampi. So saṅghaṁ tāsaṁ āpattīnaṁ samodhānaparivāsaṁ yācati. So parivasanto antarā sambahulā saṅghādisesā āpattiyo āpajjati parimāṇāyo appaṭicchannāyo. So saṅghaṁ antarāāpattīnaṁ mūlāyapaṭikassanaṁ yācati. Taṁ saṅgho antarāāpattīnaṁ mūlāya paṭikassati dhammikena kammena akuppena ṭhānārahena, dhammena samodhānaparivāsaṁ deti; adhammena mānattaṁ deti, adhammena abbheti. So, bhikkhave, bhikkhu avisuddho tāhi āpattīhi. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu sambahulā saṅghādisesā āpattiyo āpajjati parimāṇampi aparimāṇampi, ekanāmampi nānānāmampi, sabhāgampi visabhāgampi, vavatthitampi sambhinnampi. So saṅghaṁ tāsaṁ āpattīnaṁ samodhānaparivāsaṁ yācati. So parivasanto antarā sambahulā saṅghādisesā āpattiyo āpajjati parimāṇāyo paṭicchannāyo.
比丘たちよ、ここにある比丘が、量の定まれるものも量の定まらざるものも、同名のものも異名のものも、同類のものも異類のものも、確定せるものも混合せるものも、数多くの僧残(サンガーディセーサ)の罪を犯したとする。彼はその諸々の罪について、統合波羅住(サモダーナパリワーサ)を僧伽(サンガ)に請う。かくして波羅住を行じている間に、量の定まれる、覆蔵せざる数多くの僧残の罪をさらに犯した。彼はその中間の罪について、本罪引戻(ムーラーヤパティカッサナ)を僧伽に請う。僧伽は、法に適い、覆すべからず、正当に行われる羯磨(カンマ)によって、その中間の罪について彼を本罪に引き戻し、法に従って統合波羅住を与え、法に背いて摩那埵(マーナッタ)を与え、法に背いて出罪(アッベータ)を行う。比丘たちよ、この比丘はその諸々の罪について、いまだ清浄ならざるものである。
比丘たちよ、またここにある比丘が、量の定まれるものも量の定まらざるものも、同名のものも異名のものも、同類のものも異類のものも、確定せるものも混合せるものも、数多くの僧残の罪を犯したとする。彼はその諸々の罪について、統合波羅住を僧伽に請う。かくして波羅住を行じている間に、量の定まれる、覆蔵せる数多くの僧残の罪をさらに犯した。
⚠ 出家者向けの文脈
智慧
vinaya
趣旨一致
中
Tena gilānena bhikkhunā saṅghaṁ upasaṅkamitvā ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā vuḍḍhānaṁ bhikkhūnaṁ pāde vanditvā ukkuṭikaṁ nisīditvā añjaliṁ paggahetvā evamassa vacanīyo— ‘ahaṁ, bhante, gilāno; na sakkomi vinā daṇḍena āhiṇḍituṁ; na sakkomi vinā sikkāya pattaṁ pariharituṁ. Sohaṁ, bhante, saṅghaṁ daṇḍasikkāsammutiṁ yācāmī’ti. Dutiyampi yācitabbā. Tatiyampi yācitabbā. Byattena bhikkhunā paṭibalena saṅgho ñāpetabbo— ‘Suṇātu me, bhante, saṅgho. Ayaṁ itthannāmo bhikkhu gilāno, na sakkoti vinā daṇḍena āhiṇḍituṁ, na sakkoti vinā sikkāya pattaṁ pariharituṁ.
その病める比丘(びく)は、僧伽(さんが)のもとに参り、上衣(うわごろも)を一肩にかけて、年長の比丘たちの足に礼拝し、蹲踞(そんきょ)して座り、合掌して、次のように申し上げるべきである。
「尊者方よ、わたくしは病身にございます。杖なくしては歩き回ることができず、肩掛け紐なくしては鉢を携えることもかないません。それゆえ、尊者方よ、わたくしは僧伽に対して、杖と肩掛け紐の使用を許可されんことを願い求めます」と。
さらに二度目にも願い求めるべきである。三度目にも願い求めるべきである。
次いで、弁舌さわやかな有能な比丘によって、僧伽に告知されるべきである。
「尊者方よ、僧伽はわが言葉を聞き給え。ここにしかじかの名の比丘は病身にして、杖なくしては歩き回ることができず、肩掛け紐なくしては鉢を携えることもかなわない。
⚠ 出家者向けの文脈
智慧
vinaya
趣旨一致
中
adiṭṭhaṁ, assutaṁ, aparisaṅkitan”ti. Atha kho devadatto— “na bhagavā imāni pañca vatthūni anujānātī”ti— haṭṭho udaggo sapariso uṭṭhāyāsanā bhagavantaṁ abhivādetvā padakkhiṇaṁ katvā pakkāmi. Atha kho devadatto sapariso rājagahaṁ pavisitvā pañcahi vatthūhi janaṁ saññāpesi— Imāni pañca vatthūni samaṇo gotamo nānujānāti. Te mayaṁ imehi pañcahi vatthūhi samādāya vattāmā”ti. Tattha ye te manussā assaddhā appasannā dubbuddhino, te evamāhaṁsu— “ime kho samaṇā sakyaputtiyā dhutā sallekhavuttino. Samaṇo pana gotamo bāhulliko bāhullāya cetetī”ti.
「(世尊は)かつて見たこともなく、聞いたこともなく、思い及んだこともないことである」と。
そこでデーヴァダッタは、「世尊はこれら五つの事項(pañca vatthū)をお許しにならない」と、従者たちとともに喜び勇んで座より立ち、世尊を礼拝し、右繞(うにょう)して立ち去った。
やがてデーヴァダッタは従者たちとともにラージャガハ(王舎城)に入り、五つの事項をもって人々を説き諭した。
「これら五つの事項を、沙門ゴータマはお許しにならない。われらはこれら五つの事項を受持して行じていこう」と。
そこにいた人々のうち、信なく、浄信なく、邪智なる者たちは、こう言った。
「これらサキャの子らたる沙門たちこそ、頭陀行(dhuta)を守り、少欲知足の生活を送っている。しかるに沙門ゴータマは、ぜいたくを好み、ぜいたくを求めて心を向けている」と。
⚠ 初手で出すと冷たく見える
智慧
vinaya
趣旨一致
中
Yā dhāreyya, āpatti dukkaṭassa. Anujānāmi, bhikkhave, bhikkhuniyā ekapariyākataṁ kāyabandhanaṁ, na ca tena phāsukā nāmetabbā. Yā nāmeyya, āpatti dukkaṭassā”ti. Tena kho pana samayena bhikkhuniyo vilīvena paṭṭena phāsukā nāmenti …pe… cammapaṭṭena phāsukā nāmenti. Dussapaṭṭena phāsukā nāmenti. Dussaveṇiyā phāsukā nāmenti. Dussavaṭṭiyā phāsukā nāmenti. Coḷapaṭṭena phāsukā nāmenti. Coḷaveṇiyā phāsukā nāmenti.
「もし〔それを〕着用するならば、突吉羅(とつきつら)の罪を犯すこととなる。比丘尼衆よ、我は一重に仕立てた腰帯(こしおび)を許可する。しかしながら、それをもって肋帯(ろくたい)と名づけてはならない。もし名づけるならば、突吉羅の罪を犯すこととなる。」
さてその頃、比丘尼たちは籐の帯をもって肋帯と名づけ……乃至……革の帯をもって肋帯と名づけた。布の帯をもって肋帯と名づけた。布の組紐をもって肋帯と名づけた。布の縁飾りをもって肋帯と名づけた。粗布の帯をもって肋帯と名づけた。粗布の組紐をもって肋帯と名づけた。
⚠ 出家者向けの文脈
智慧
vinaya
趣旨一致
中
Yassāyasmato khamati itthannāmassa upasampadā itthannāmena upajjhāyena, so tuṇhassa; yassa nakkhamati, so bhāseyya. Tatiyampi etamatthaṁ vadāmi— suṇātu me, bhante, saṅgho. Ayaṁ itthannāmo itthannāmassa āyasmato upasampadāpekkho. Saṅgho itthannāmaṁ upasampādeti itthannāmena upajjhāyena. Yassāyasmato khamati itthannāmassa upasampadā itthannāmena upajjhāyena, so tuṇhassa; yassa nakkhamati, so bhāseyya. Upasampanno saṅghena itthannāmo itthannāmena upajjhāyena. Khamati saṅghassa, tasmā tuṇhī, evametaṁ dhārayāmī’”ti.
「もし尊者方のうち、これこれの者(いとしなんなめの)が、これこれの和尚(おしょう)のもとに受具(じゅぐ)することを可とされるならば、黙しておられよ。もし不可とされるならば、発言されよ。
三たびもまた、この事柄を申し上げます。——
大徳(だいとく)よ、僧伽(さんぎゃ)は聴かれよ。この者(いとしなんなめ)は、これこれの尊者を和尚として受具を求めるものであります。僧伽は、これこれの者を、これこれの尊者を和尚として受具せしめます。もし尊者方のうち、これこれの者が、これこれの和尚のもとに受具することを可とされるならば、黙しておられよ。もし不可とされるならば、発言されよ。
これこれの者は、これこれの尊者を和尚として、僧伽によって受具せしめられました。僧伽はこれを可としました。ゆえに黙せり。かくのごとく、われはこれを保持す。」
⚠ 出家者向けの文脈
智慧
vinaya
趣旨一致
中
Theravāda Vinayapiṭaka Mahāvagga 5. Cammakkhandhaka 1. Soṇakoḷivisavatthu Tena samayena buddho bhagavā rājagahe viharati gijjhakūṭe pabbate. Tena kho pana samayena rājā māgadho seniyo bimbisāro asītiyā gāmasahassesu issariyādhipaccaṁ rajjaṁ kāreti. Tena kho pana samayena campāyaṁ soṇo nāma koḷiviso seṭṭhiputto sukhumālo hoti. Tassa pādatalesu lomāni jātāni honti. Atha kho rājā māgadho seniyo bimbisāro tāni asīti gāmikasahassāni sannipātāpetvā kenacideva karaṇīyena soṇassa koḷivisassa santike dūtaṁ pāhesi— “āgacchatu soṇo, icchāmi soṇassa āgatan”ti.
# 律蔵 大品 第五 皮革犍度 第一 ソーナ・コーリヴィサの事縁
その時、世尊(bhagavā)たる仏陀は、王舎城(rājagaha)の鷲の峰(gijjhakūṭa)において住しておられた。
さてその頃、マガダ国王(rājā māgadho)セーニヤ・ビンビサーラ(seniyo bimbisāro)は、八万の村々を治め、その統治と権勢を振るっていた。
またその頃、チャンパー(campā)の地に、ソーナ(soṇo)という名のコーリヴィサ(koḷiviso)なる長者の息子がいた。彼はいたって繊細な人物であり、その足の裏には毛が生えていた。
そこでマガダ国王セーニヤ・ビンビサーラは、かの八万の村長たちを集め、ある用向きにより、ソーナ・コーリヴィサのもとへ使者を遣わしていわせた。
「ソーナよ、来たれ。われはソーナの来訪を望む」と。
智慧
vinaya
趣旨一致
中
adhammena samaggā …pe… dhammena vaggā … dhammapatirūpakena vaggā … dhammapatirūpakena samaggā …pe…. Cakkaṁ kātabbaṁ. 19. Paṭisāraṇīyakammapaṭippassaddhikathā Idha pana, bhikkhave, bhikkhu saṅghena paṭisāraṇīyakammakato sammā vattati, lomaṁ pāteti, netthāraṁ vattati, paṭisāraṇīyassa kammassa paṭippassaddhiṁ yācati. Tatra ce bhikkhūnaṁ evaṁ hoti— ‘ayaṁ kho, āvuso, bhikkhu saṅghena paṭisāraṇīyakammakato sammā vattati, lomaṁ pāteti, netthāraṁ vattati, paṭisāraṇīyassa kammassa paṭippassaddhiṁ yācati. Handassa mayaṁ paṭisāraṇīyakammaṁ paṭippassambhemā’ti.
邪法によりて和合せるもの……乃至……正法によりて分裂せるもの……正法に似て非なるものによりて分裂せるもの……正法に似て非なるものによりて和合せるもの……乃至。羯磨(かつま)はなされるべし。
第十九節 謝罪羯磨(パティサーラニーヤカンマ)の解消に関する論
さてここに、比丘たちよ、ある比丘が、僧伽によって謝罪羯磨(パティサーラニーヤカンマ)を課せられ、正しく行動し、従順(ローマ)を示し、〔罪過より〕脱し、その謝罪羯磨の解消を願い求めるとする。
そこで、比丘たちの心にかくのごとき思いが起こるとする。——「この比丘は、友らよ、僧伽によって謝罪羯磨を課せられ、正しく行動し、従順を示し、〔罪過より〕脱し、その謝罪羯磨の解消を願い求めている。さあ、われらは彼のために謝罪羯磨を解消しようではないか」と。
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
智慧
vinaya
趣旨一致
中
So saṅghaṁ antarāāpattīnaṁ mūlāyapaṭikassanaṁ yācati. Taṁ saṅgho antarāāpattīnaṁ mūlāya paṭikassati dhammikena kammena akuppena ṭhānārahena, dhammena samodhānaparivāsaṁ deti; adhammena mānattaṁ deti, adhammena abbheti. So, bhikkhave, bhikkhu avisuddho tāhi āpattīhi. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu sambahulā saṅghādisesā āpattiyo āpajjati parimāṇampi aparimāṇampi, ekanāmampi nānānāmampi, sabhāgampi visabhāgampi, vavatthitampi sambhinnampi. So saṅghaṁ tāsaṁ āpattīnaṁ samodhānaparivāsaṁ yācati. So parivasanto antarā sambahulā saṅghādisesā āpattiyo āpajjati parimāṇāyo paṭicchannāyopi appaṭicchannāyopi. So saṅghaṁ antarāāpattīnaṁ mūlāyapaṭikassanaṁ yācati. Taṁ saṅgho antarāāpattīnaṁ mūlāya paṭikassati dhammikena kammena akuppena ṭhānārahena, dhammena samodhānaparivāsaṁ deti, adhammena mānattaṁ deti, adhammena abbheti. So, bhikkhave, bhikkhu avisuddho tāhi āpattīhi.
彼は僧伽(サンガ)に対し、中間に犯した罪(アーパッティ)について、本初への引き戻し(ムーラーヤパティカッサナ)を請う。僧伽は、法に適い、覆すべからざる、理由ある羯磨(カンマ)によって、彼を中間の罪の本初へと引き戻す。そして法に則り合算別住(サモーダーナパリヴァーサ)を与える。しかるに非法によってマーナッタを与え、非法によって出罪(アッベーティ)を行う。比丘らよ、かかる比丘は、それらの罪によって清浄ならざる者である。
また比丘らよ、ここに或る比丘が、数多の僧残(サンガーディセーサ)の罪を犯す。それは量の定まれるものも量の定まらざるものも、同一の名称を持つものも異なる名称を持つものも、同類のものも異類のものも、確定せるものも混合せるものも含む。彼は僧伽に対し、それらの罪について合算別住を請う。かくて別住(パリヴァーサ)を行じている間に、また数多の僧残の罪を犯す。それは量の定まれるものも、隠せるものも隠さざるものも含む。彼は僧伽に対し、中間に犯した罪について本初への引き戻しを請う。僧伽は、法に適い、覆すべからざる、理由ある羯磨によって、彼を中間の罪の本初へと引き戻す。そして法に則り合算別住を与える。しかるに非法によってマーナッタを与え、非法によって出罪を行う。比丘らよ、かかる比丘は、それらの罪によって清浄ならざる者である。
⚠ 出家者向けの文脈
智慧
vinaya
趣旨一致
中
So saṅghaṁ daṇḍasikkāsammutiṁ yācati. Yadi saṅghassa pattakallaṁ, saṅgho itthannāmassa bhikkhuno daṇḍasikkāsammutiṁ dadeyya. Esā ñatti. Suṇātu me, bhante, saṅgho. Ayaṁ itthannāmo bhikkhu gilāno na sakkoti vinā daṇḍena āhiṇḍituṁ, na sakkoti vinā sikkāya pattaṁ pariharituṁ. So saṅghaṁ daṇḍasikkāsammutiṁ yācati. Saṅgho itthannāmassa bhikkhuno daṇḍasikkāsammutiṁ deti. Yassāyasmato khamati itthannāmassa bhikkhuno daṇḍasikkāsammutiyā dānaṁ, so tuṇhassa; yassa nakkhamati, so bhāseyya. Dinnā saṅghena itthannāmassa bhikkhuno daṇḍasikkāsammuti.
彼は僧伽(サンガ)に対し、杖と袋との許可(ダンダシッカーサンムティ)を求める。もし僧伽において機が熟しているならば、僧伽はかくかくしかじかの比丘に杖と袋との許可を与えるがよい。これが発議(ナッティ)である。
「大徳がたよ、僧伽はわが言葉を聞かれよ。かくかくしかじかの比丘は病のため、杖なくしては歩き回ることができず、袋なくしては鉢を携えることができない。彼は僧伽に対し、杖と袋との許可を求めている。僧伽はかくかくしかじかの比丘に杖と袋との許可を与える。かくかくしかじかの比丘に杖と袋との許可を与えることを認める尊者がたは沈黙されよ。認めない方があれば、発言されよ。」
僧伽によって、かくかくしかじかの比丘に杖と袋との許可が与えられた。
⚠ 出家者向けの文脈
智慧
vinaya
趣旨一致
中
“Idha pana, bhikkhave, bhikkhu pātimokkhe uddissamāne āpattiṁ sarati. Tena, bhikkhave, bhikkhunā sāmanto bhikkhu evamassa vacanīyo— ‘ahaṁ, āvuso, itthannāmaṁ āpattiṁ āpanno. Ito vuṭṭhahitvā taṁ āpattiṁ paṭikarissāmī’ti vatvā uposatho kātabbo, pātimokkhaṁ sotabbaṁ, na tveva tappaccayā uposathassa antarāyo kātabbo. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu pātimokkhe uddissamāne āpattiyā vematiko hoti. Tena, bhikkhave, bhikkhunā sāmanto bhikkhu evamassa vacanīyo— ‘ahaṁ, āvuso, itthannāmāya āpattiyā vematiko. Yadā nibbematiko bhavissāmi, tadā taṁ āpattiṁ paṭikarissāmī’ti vatvā uposatho kātabbo, pātimokkhaṁ sotabbaṁ; na tveva tappaccayā uposathassa antarāyo kātabbo”ti. 27. Sabhāgāpattipaṭikammavidhi
「比丘たちよ、ここに、波羅提木叉(パーティモッカ)が誦されているとき、ある比丘が〔自らの〕罪過(アーパッティ)を想起するということがある。その比丘は、比丘たちよ、傍らにいる比丘に向かってこのように告げるべきである——『友よ、私はかくかくの名の罪過を犯しました。ここを退出してのち、その罪過を懺悔(パティカッラ)いたします』と述べてから、布薩(ウポサタ)を行い、波羅提木叉を聴くべきである。そのことを理由として、布薩に障碍をなしてはならない。
また、比丘たちよ、ここに、波羅提木叉が誦されているとき、ある比丘が〔自らの〕罪過について疑念(ヴェーマティカ)を抱くということがある。その比丘は、比丘たちよ、傍らにいる比丘に向かってこのように告げるべきである——『友よ、私はかくかくの名の罪過について疑念を抱いております。疑念が晴れましたならば、そのとき、その罪過を懺悔いたします』と述べてから、布薩を行い、波羅提木叉を聴くべきである。そのことを理由として、布薩に障碍をなしてはならない。」
二七 同類の罪過の懺悔の作法
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
智慧
vinaya
趣旨一致
中
Idha, bhikkhave, bhikkhu vasati vā tasmiṁ āvāse, sāpekkho vā pakkamati “paccessan”ti. Kathañca, bhikkhave, cīvarapalibodho hoti? Idha, bhikkhave, bhikkhuno cīvaraṁ akataṁ vā hoti vippakataṁ vā, cīvarāsā vā anupacchinnā. Katame ca, bhikkhave, dve kathinassa apalibodhā? Āvāsaapalibodho ca cīvaraapalibodho ca. Kathañca, bhikkhave, āvāsaapalibodho hoti? Idha, bhikkhave, bhikkhu pakkamati tamhā āvāsā cattena vantena muttena anapekkho “na paccessan”ti. Kathañca, bhikkhave, cīvaraapalibodho hoti? Idha, bhikkhave, bhikkhuno cīvaraṁ kataṁ vā hoti, naṭṭhaṁ vā vinaṭṭhaṁ vā daḍḍhaṁ vā, cīvarāsā vā upacchinnā. Kathinakkhandhako niṭṭhito sattamo.
「比丘たちよ、二つのカティナ(功徳衣)の妨げなきこととは何か。住処の妨げなきことと、衣の妨げなきこととである。
比丘たちよ、いかにして住処の妨げなきことがあるか。ここに、比丘たちよ、比丘がその住処を捨て、離れ、放ちて、〔再び戻ることへの〕顧慮なく、『帰って来ぬ』と思いつつその住処より去る。比丘たちよ、これを住処の妨げなきことという。
比丘たちよ、いかにして衣の妨げなきことがあるか。ここに、比丘たちよ、比丘の衣がすでに完成せられ、あるいは失われ、あるいは損なわれ、あるいは焼かれ、あるいは衣への期待が断たれている。比丘たちよ、これを衣の妨げなきことという。
比丘たちよ、いかにして住処の妨げがあるか。ここに、比丘たちよ、比丘がその住処に留まり、あるいは〔再び戻ることへの〕顧慮をもちて、『帰って来よう』と思いつつ去る。比丘たちよ、これを住処の妨げという。
比丘たちよ、いかにして衣の妨げがあるか。ここに、比丘たちよ、比丘の衣がいまだ完成せられず、あるいは未完のままであり、あるいは衣への期待が断たれていない。比丘たちよ、これを衣の妨げという。」
カティナ(功徳衣)犍度、第七、ここに終わる。
⚠ 出家者向けの文脈
智慧
vinaya
趣旨一致
中
Te tassa paṭisāraṇīyakammaṁ paṭippassambhenti— adhammena vaggā. So tamhā āvāsā aññaṁ āvāsaṁ gacchati. Tatthapi bhikkhūnaṁ evaṁ hoti— ‘imassa kho, āvuso, bhikkhuno saṅghena paṭisāraṇīyakammaṁ paṭippassaddhaṁ adhammena vaggehi. Handassa mayaṁ paṭisāraṇīyakammaṁ paṭippassambhemā’ti. Te tassa paṭisāraṇīyakammaṁ paṭippassambhenti— adhammena samaggā …pe… dhammena vaggā … dhammapatirūpakena vaggā …
彼らはその者に対する呵責羯磨(パティサーラニーヤカンマ)を、法に背いた者たちが分裂したまま鎮静させる。その者はその住処(āvāsa)を去り、別の住処へと赴く。そこでもまた比丘たちにこのような思いが起こる。
「友よ、この比丘に対して、僧伽(saṅgha)が行った呵責羯磨は、法に背いた者たちが分裂したまま鎮静させたものである。さあ、我らはこの者に対する呵責羯磨を鎮静させよう」と。
彼らはその者に対する呵責羯磨を鎮静させる――法に背いた者たちが和合したまま……(乃至)……法に従った者たちが分裂したまま……法に似た(dhammapatirūpaka)者たちが分裂したまま……
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
智慧
vinaya
趣旨一致
中
Idha pana, bhikkhave, bhikkhu sambahulā saṅghādisesā āpattiyo āpajjati parimāṇampi aparimāṇampi, ekanāmampi nānānāmampi, sabhāgampi visabhāgampi, vavatthitampi sambhinnampi. So saṅghaṁ tāsaṁ āpattīnaṁ samodhānaparivāsaṁ yācati. So parivasanto antarā sambahulā saṅghādisesā āpattiyo āpajjati aparimāṇāyo appaṭicchannāyo …pe… aparimāṇāyo paṭicchannāyo …pe… aparimāṇāyo paṭicchannāyopi appaṭicchannāyopi …pe… parimāṇāyopi aparimāṇāyopi appaṭicchannāyo. So saṅghaṁ antarāāpattīnaṁ mūlāyapaṭikassanaṁ yācati. Taṁ saṅgho antarāāpattīnaṁ mūlāya paṭikassati dhammikena kammena akuppena ṭhānārahena, dhammena samodhānaparivāsaṁ deti; adhammena mānattaṁ deti, adhammena abbheti. So, bhikkhave, bhikkhu avisuddho tāhi āpattīhi.
「比丘たちよ、ここに或る比丘があって、数多の僧残(サンガーディセーサ)の罪科を犯したとする。その罪科は、定まった日数のものも不定のものも、同一の名称のものも異なる名称のものも、同種のものも異種のものも、確定されたものも混合されたものも含まれている。彼は、それらの罪科を合算した波利婆沙(パリワーサ、別住)を僧伽(サンガ)に請う。かくして別住を行じている間に、さらに数多の僧残の罪科を犯すことがある。すなわち、日数の定まらぬもので覆蔵していないものを……あるいは覆蔵したものを……あるいは覆蔵したものと覆蔵していないものとを……あるいは日数の定まったものも定まらないものも覆蔵していないものを犯すことがある。彼は、途中で犯した罪科について、本初(根本)への引き戻し(マーナッタ)を僧伽に請う。僧伽は、途中で犯した罪科について、法にかなった羯磨(カンマ)によって、揺るぎなく適法の立場から、本初への引き戻しを行ずる。そして法に従って合算の別住を与える。しかるに法に背いて摩那埵(マーナッタ)を与え、法に背いて出罪(アッバーナ)を行ずる。比丘たちよ、かの比丘はそれらの罪科によって清浄ならざる者である。」
⚠ 出家者向けの文脈
智慧
vinaya
趣旨一致
中
Yo kho, devadatta, samaggaṁ saṅghaṁ bhindati, kappaṭṭhikaṁ kibbisaṁ pasavati, kappaṁ nirayamhi paccati. Yo ca kho, devadatta, bhinnaṁ saṅghaṁ samaggaṁ karoti, brahmaṁ puññaṁ pasavati, kappaṁ saggamhi modati. Alaṁ, devadatta. Mā te rucci saṅghabhedo. Garuko kho, devadatta, saṅghabhedo”ti. Atha kho āyasmā ānando pubbaṇhasamayaṁ nivāsetvā pattacīvaramādāya rājagahaṁ piṇḍāya pāvisi. Addasā kho devadatto āyasmantaṁ ānandaṁ rājagahe piṇḍāya carantaṁ. Disvāna yenāyasmā ānando tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā āyasmantaṁ ānandaṁ etadavoca— “ajjataggedānāhaṁ, āvuso ānanda, aññatreva bhagavatā, aññatreva bhikkhusaṅghā, uposathaṁ karissāmi saṅghakammaṁ karissāmī”ti. Atha kho āyasmā ānando rājagahe piṇḍāya caritvā pacchābhattaṁ piṇḍapātapaṭikkanto yena bhagavā tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā bhagavantaṁ abhivādetvā ekamantaṁ nisīdi.
「デーヴァダッタよ、和合せる僧伽(サンガ)を破る者は、一劫(カッパ)にわたる罪業を積み、一劫のあいだ地獄において苦しみを受ける。されどデーヴァダッタよ、破れた僧伽を和合せしめる者は、清らかな大いなる功徳を積み、一劫のあいだ天界において喜びを享ける。デーヴァダッタよ、思いとどまれ。汝の心が僧伽の破和合を喜ぶことのなきように。デーヴァダッタよ、僧伽の破和合とはまことに重き罪である」と。
さて、尊者アーナンダは午前中に衣を纏い、鉢と衣を持ちて、王舎城(ラージャガハ)へと托鉢に入られた。デーヴァダッタは王舎城において托鉢して歩む尊者アーナンダを見た。見てより、尊者アーナンダのもとへ近づき、近づいてより尊者アーナンダにこのように言った。「友アーナンダよ、今日よりわたしは、世尊とは別に、比丘の僧伽(サンガ)とは別に、布薩(ウポーサタ)を行い、僧事(サンガカンマ)を行うであろう」と。
さて尊者アーナンダは、王舎城において托鉢を終え、食後、托鉢より戻りて、世尊のもとへ近づき、近づいてより世尊を礼拝し、かたわらに坐した。
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,希死念慮の場面では使わない,出家者向けの文脈
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Tena kho pana samayena aññatarasmiṁ āvāse tadahuposathe sabbo saṅgho sabhāgaṁ āpattiṁ āpanno hoti. Atha kho tesaṁ bhikkhūnaṁ etadahosi— “bhagavatā paññattaṁ— ‘na sabhāgā āpatti desetabbā, na sabhāgā āpatti paṭiggahetabbā’ti. Ayañca sabbo saṅgho sabhāgaṁ āpattiṁ āpanno. Kathaṁ nu kho amhehi paṭipajjitabban”ti? “Idha pana, bhikkhave, aññatarasmiṁ āvāse tadahuposathe sabbo saṅgho sabhāgaṁ āpattiṁ āpanno hoti. Tehi, bhikkhave, bhikkhūhi eko bhikkhu sāmantā āvāsā sajjukaṁ pāhetabbo— gacchāvuso, taṁ āpattiṁ paṭikaritvā āgaccha; mayaṁ te santike āpattiṁ paṭikarissāmāti.
その時、ある住処において、その日の布薩(ポーサタ)に際し、僧伽(サンガ)の全員が同一の罪(サバーガ・アーパッティ)を犯していた。そこで、かの比丘たちにこのような思いが生じた。「世尊は『同一の罪は告白すべからず、同一の罪は受けるべからず』と制定されておられる。しかるに、この僧伽の全員が同一の罪を犯している。われわれはいかに行ずべきであろうか」と。
「比丘たちよ、ある住処において、その日の布薩に際し、僧伽の全員が同一の罪を犯しているならば、かの比丘たちは、一人の比丘を近隣の住処へと速やかに遣わすべきである。『友よ、行きてその罪を懺悔し、戻ってきたまえ。われらはあなたのもとで罪を懺悔するであろう』と。」
⚠ 出家者向けの文脈
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中
gacchatha, taṁ bhagavantaṁ payirupāsatha; so no bhagavā samparāyike atthe anusāsissatī”ti. Atha kho tāni asīti gāmikasahassāni yena gijjhakūṭo pabbato tenupasaṅkamiṁsu. Tena kho pana samayena āyasmā sāgato bhagavato upaṭṭhāko hoti. Atha kho tāni asīti gāmikasahassāni yenāyasmā sāgato tenupasaṅkamiṁsu, upasaṅkamitvā āyasmantaṁ sāgataṁ etadavocuṁ— “imāni, bhante, asīti gāmikasahassāni idhūpasaṅkantāni bhagavantaṁ dassanāya; sādhu mayaṁ, bhante, labheyyāma bhagavantaṁ dassanāyā”ti. “Tena hi tumhe āyasmanto muhuttaṁ idheva tāva hotha, yāvāhaṁ bhagavantaṁ paṭivedemī”ti. Atha kho āyasmā sāgato tesaṁ asītiyā gāmikasahassānaṁ purato pekkhamānānaṁ pāṭikāya nimujjitvā bhagavato purato ummujjitvā bhagavantaṁ etadavoca— “imāni, bhante, asīti gāmikasahassāni idhūpasaṅkantāni bhagavantaṁ dassanāya;
「さあ、かの世尊のもとへ赴き、親しくお仕えするがよい。世尊は来世の利益についてわれらに教え示してくださるであろう」と。
そこで、その八万の村人たちは、霊鷲山(ギッジャクータ)へと向かった。
そのとき、尊者サーガタ(Sāgata)が世尊の侍者を務めていた。八万の村人たちは尊者サーガタのもとへ近づき、こう申し上げた。
「尊者よ、この八万の村人たちは、世尊にまみえんがためにここに参りました。どうか、尊者よ、われらが世尊にお目通りかなうよう、取り計らっていただけませんでしょうか」と。
「それならば、尊者がたよ、しばらくここでお待ちください。わたしが世尊にご報告申し上げてまいります」と。
そこで尊者サーガタは、八万の村人たちが見守る中、パーティカー(Pāṭikā)の水中に潜り、世尊の御前において水面に浮かび上がり、世尊にこう申し上げた。
「世尊よ、この八万の村人たちが、世尊にまみえんがためにここに参っております。
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Tassuddānaṁ Tiṁsa pāveyyakā bhikkhū, sāketukkaṇṭhitā vasuṁ; Vassaṁvuṭṭhokapuṇṇehi, agamuṁ jinadassanaṁ. Idaṁ vatthu kathinassa, kappissanti ca pañcakā; Anāmantā asamācārā, tatheva gaṇabhojanaṁ. Yāvadatthañca uppādo,
その摂頌(うどゥダーナ)は以下のごとし——
三十人のパーヴェーヤカの比丘たちは、
サーケタを恋い慕いながら安居(あんご)を過ごし、
雨安居(うあんご)を完全に満たしたのち、
勝者(じな)の御顔を拝し奉らんと進み出でたり。
これがカティナ(功徳衣)の因縁事(じんねんじ)にして、
五つの事柄はカルパ(許容)せられ、
招請なくして行くこと、威儀を欠くこと、
また衆食(しゅじき)のことも同様なり。
さらに必要なる限りの受用(じゅゆう)と、その生起のことも。
⚠ 出家者向けの文脈
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dhammapatirūpakena samaggā …pe…. Cakkaṁ kātabbaṁ. 20. Adassaneukkhepanīyakammapaṭippassaddhikathā Idha pana, bhikkhave, bhikkhu saṅghena āpattiyā adassane ukkhepanīyakammakato sammā vattati, lomaṁ pāteti, netthāraṁ vattati, āpattiyā adassane ukkhepanīyassa kammassa paṭippassaddhiṁ yācati. Tatra ce bhikkhūnaṁ evaṁ hoti— ‘ayaṁ kho, āvuso, bhikkhu saṅghena āpattiyā adassane ukkhepanīyakammakato sammā vattati, lomaṁ pāteti, netthāraṁ vattati, āpattiyā adassane ukkhepanīyassa kammassa paṭippassaddhiṁ yācati. Handassa mayaṁ āpattiyā adassane ukkhepanīyakammaṁ paṭippassambhemā’ti. Te tassa āpattiyā adassane ukkhepanīyakammaṁ paṭippassambhenti— adhammena vaggā. So tamhā āvāsā aññaṁ āvāsaṁ gacchati.
さてここに、比丘たちよ、ある比丘が、罪を見ざるによって僧伽(サンガ)より挙罪羯磨(うっけぱにーやかんま)を課せられたとき、正しく行じ、毛を垂れ(ローマン・パータナ)、出離の道を歩み、罪を見ざるによる挙罪羯磨の解除(パティッパッサッディ)を願い求めるとする。
その際、比丘たちの間にかくのごとき思いが起こる――
「友よ、この比丘は、罪を見ざるによって僧伽より挙罪羯磨を課せられたにもかかわらず、正しく行じ、毛を垂れ、出離の道を歩み、罪を見ざるによる挙罪羯磨の解除を願い求めている。さあ、われらは彼の罪を見ざるによる挙罪羯磨を解除しようではないか」と。
しかして彼らは、その者の罪を見ざるによる挙罪羯磨を解除する――法(ダンマ)に背き、分裂したままにして。
彼はその住処(アーワーサ)を去り、他の住処へと赴く。
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
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Ariṭṭhassa bhikkhuno gaddhabādhipubbassa evarūpaṁ pāpakaṁ diṭṭhigataṁ uppannaṁ— tathāhaṁ bhagavatā dhammaṁ desitaṁ ājānāmi yathā yeme antarāyikā dhammā vuttā bhagavatā te paṭisevato nālaṁ antarāyāyāti. So taṁ diṭṭhiṁ na paṭinissajjati. Yadi saṅghassa pattakallaṁ, saṅgho ariṭṭhassa bhikkhuno gaddhabādhipubbassa, pāpikāya diṭṭhiyā appaṭinissagge, ukkhepanīyakammaṁ kareyya— asambhogaṁ saṅghena. Esā ñatti. Suṇātu me, bhante, saṅgho. Ariṭṭhassa bhikkhuno gaddhabādhipubbassa evarūpaṁ pāpakaṁ diṭṭhigataṁ uppannaṁ— tathāhaṁ bhagavatā dhammaṁ desitaṁ ājānāmi yathā yeme antarāyikā dhammā vuttā bhagavatā te paṭisevato nālaṁ antarāyāyāti. So taṁ diṭṭhiṁ na paṭinissajjati.
元鷲匠(ガッダバーディ)の出身なるアリッタ比丘に、かくのごとき邪悪な邪見(ディッティ)が生じた——「わたしは世尊によって説かれた法(ダンマ)を、かくのごとく了解する。世尊によって障礙となると説かれたそれらの諸法(アンタラーイカ・ダンマー)は、それらを行じる者にとって、じつに障礙となるに足りない」と。彼はその見解を捨て去らない。
もし僧伽(サンガ)に時宜を得たこととならば、僧伽は、元鷲匠の出身なるアリッタ比丘が悪しき見解を捨て去らないことに対して、挙罪羯磨(ウッケーパニーヤカンマ)を行うべし——僧伽との別住(アサンボーガ)をもって。これが羯磨の告知(ニャッティ)である。
尊き方々よ、僧伽はわが言葉を聞かれよ。元鷲匠の出身なるアリッタ比丘に、かくのごとき邪悪な邪見が生じた——「わたしは世尊によって説かれた法を、かくのごとく了解する。世尊によって障礙となると説かれたそれらの諸法は、それらを行じる者にとって、じつに障礙となるに足りない」と。彼はその見解を捨て去らない。
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
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Idha pana, bhikkhave, bhikkhu sambahulā saṅghādisesā āpattiyo āpajjati parimāṇampi aparimāṇampi, ekanāmampi nānānāmampi, sabhāgampi visabhāgampi, vavatthitampi sambhinnampi. So saṅghaṁ tāsaṁ āpattīnaṁ samodhānaparivāsaṁ yācati. So parivasanto antarā sambahulā saṅghādisesā āpattiyo āpajjati parimāṇāyopi aparimāṇāyopi paṭicchannāyo. So saṅghaṁ antarāāpattīnaṁ mūlāyapaṭikassanaṁ yācati. Taṁ saṅgho antarāāpattīnaṁ mūlāya paṭikassati dhammikena kammena akuppena ṭhānārahena, dhammena samodhānaparivāsaṁ deti; adhammena mānattaṁ deti, adhammena abbheti. So, bhikkhave, bhikkhu avisuddho tāhi āpattīhi. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu sambahulā saṅghādisesā āpattiyo āpajjati parimāṇampi aparimāṇampi, ekanāmampi nānānāmampi, sabhāgampi visabhāgampi, vavatthitampi sambhinnampi. So saṅghaṁ tāsaṁ āpattīnaṁ samodhānaparivāsaṁ yācati. So parivasanto antarā sambahulā saṅghādisesā āpattiyo āpajjati parimāṇāyopi aparimāṇāyopi paṭicchannāyopi appaṭicchannāyopi.
「比丘たちよ、ここに或る比丘があって、数多くの僧残(サンガーディセーサ)の罪過を犯したとする。それは量の定まれるものも量の定まらぬものも、同一の名のものも異なる名のものも、同類のものも異類のものも、確定せるものも混合せるものも含む。彼は僧伽(サンガ)に対して、それらの罪過についての合算別住(サモーダーナパリヴァーサ)を請う。その別住を行ずる間に、彼はさらに数多くの僧残の罪過を犯す――量の定まれるものも量の定まらぬものも、いずれも隠せるものとして。彼は僧伽に対して、その間の罪過についての本日起算(ムーラーヤパティカッサナ)を請う。僧伽は、その間の罪過について本日起算を行ずる――法に適った羯磨(カンマ)によって、動ずることなく、妥当なるものとして。しかるに〔僧伽は〕法に従って合算別住を与え、法に背いて摩那埵(マーナッタ)を与え、法に背いて出罪(アッベーティ)を行ずる。比丘たちよ、この比丘はそれらの罪過によって清浄ならざる者である。
比丘たちよ、またここに或る比丘があって、数多くの僧残の罪過を犯したとする。それは量の定まれるものも量の定まらぬものも、同一の名のものも異なる名のものも、同類のものも異類のものも、確定せるものも混合せるものも含む。彼は僧伽に対して、それらの罪過についての合算別住を請う。その別住を行ずる間に、彼はさらに数多くの僧残の罪過を犯す――量の定まれるものも量の定まらぬものも、隠せるものも隠さざるものも。」
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