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10,029
偈句数
9,999
日本語訳あり
9,982
パーリ原文
経典 19
テーマ 20
該当 4,354
すべて
智慧 4354
老い 931
苦しみ 772
正念 695
怒り 356
執着 350
死 350
業・因果 346
幸せ 337
自己 244
人間関係 243
家族 234
不安 168
仕事 165
渇愛 147
慈悲 115
無常 111
孤独 45
空 43
感謝 23
vinaya 2606
中部経典 2117
長部経典 1357
相応部経典 1136
増支部経典 857
jataka 563
スッタニパータ 522
ダンマパダ(法句経) 426
テーラガーター 211
テーリーガーター 68
クッダカパータ 57
イティヴッタカ 54
ウダーナ 34
金剛経 5
維摩経 5
般若心経 4
法華経 4
涅槃経 2
AN 1
智慧
スッタニパータ
趣旨一致
短
Na me byākāsi cakkhumā;
眼ある者(チャックマン)は、わたしに説き明かしてはくださらなかった。
智慧
スッタニパータ
趣旨一致
短
Kaṁ brūsi mahāpurisoti,
「いかなる者を、あなたは大人(マハープリサ)と呼ぶのか」と。
智慧
vinaya
趣旨一致
中
“Āhariyittha, bhagavā”ti. “Paribhuñji tvaṁ, bhikkhū”ti? “Paṭivekkhi tvaṁ, bhikkhū”ti? Vigarahi buddho bhagavā …pe… kathañhi nāma tvaṁ, moghapurisa, appaṭivekkhitvā maṁsaṁ paribhuñjissasi. Manussamaṁsaṁ kho tayā, moghapurisa, paribhuttaṁ. Netaṁ, moghapurisa, appasannānaṁ vā pasādāya …pe… vigarahitvā dhammiṁ kathaṁ katvā bhikkhū āmantesi— “santi, bhikkhave, manussā saddhā pasannā, tehi attanopi maṁsāni pariccattāni. Na, bhikkhave, manussamaṁsaṁ paribhuñjitabbaṁ.
「〔肉を〕持ち帰りましたか、世尊よ」と。「〔その肉を〕食しましたか、比丘よ」と。「〔その肉を〕省察しましたか、比丘よ」と。目覚めた方・世尊は訶責された……〔中略〕……「いったいどうして、汝、愚かなる人よ、省察せずして肉を食したのか。汝、愚かなる人よ、人の肉(マヌッサマンサ)を食したのだ。これは、愚かなる人よ、いまだ信を起こさざる者に信を起こさせることにもならず……〔中略〕……」と訶責し、法(ダンマ)の話を説いて、比丘たちに告げられた——
「比丘たちよ、人間の中には信あり浄信ある者がいて、その者たちは自らの身肉をも施し与えることがある。比丘たちよ、人の肉(マヌッサマンサ)を食してはならない。」
⚠ 初手で出すと冷たく見える,出家者向けの文脈
智慧
vinaya
趣旨一致
中
‘Suṇantu me āyasmantā. Ayaṁ itthannāmo bhikkhu dhammakathiko. Imassa suttañhi kho āgataṁ hoti, no suttavibhaṅgo. So atthaṁ asallakkhento byañjanacchāyāya atthaṁ paṭibāhati. Yadāyasmantānaṁ pattakallaṁ, itthannāmaṁ bhikkhuṁ vuṭṭhāpetvā avasesā imaṁ adhikaraṇaṁ vūpasameyyāmā’ti. Te ce, bhikkhave, bhikkhū taṁ bhikkhuṁ vuṭṭhāpetvā sakkonti taṁ adhikaraṇaṁ vūpasametuṁ, idaṁ vuccati, bhikkhave, adhikaraṇaṁ vūpasantaṁ. Sammukhāvinayena. Kiñca tattha sammukhāvinayasmiṁ? Dhammasammukhatā, vinayasammukhatā, puggalasammukhatā …pe… evaṁ vūpasantañce, bhikkhave, adhikaraṇaṁ kārako ukkoṭeti, ukkoṭanakaṁ pācittiyaṁ.
「尊者たちよ、聴かれよ。この某(なにがし)という比丘は法を説く者(ダンマカティカ)である。彼はたしかに経(スッタ)を学び来たれるも、経の分別(スッタヴィバンガ)を学び来たらず。義(アッタ)を正しく観察することなく、文字の影(ビャンジャナッチャーヤー)によって義を退けている。もし尊者たちにご賛同いただけるならば、某という比丘を退席させたうえで、残りの者どもでこの諍事(アディカラナ)を鎮めようではないか」と。
比丘たちよ、もしそれらの比丘たちが、その比丘を退席させたうえで、よく能(よ)くその諍事を鎮めることができるならば、比丘たちよ、これを諍事が鎮められたと言う。現前律(サンムカーヴィナヤ)によって。
さて、その現前律においていかなるものが現前なるや。法の現前(ダンマサンムカター)、律の現前(ヴィナヤサンムカター)、人の現前(プッガラサンムカター)……〔乃至〕……
比丘たちよ、かくのごとく鎮められた諍事を、もし事を起こした者が掘り返すならば、その掘り返すこと(ウッコータナ)は波逸提(パーチッティヤ)となる。
⚠ 出家者向けの文脈
智慧
vinaya
趣旨一致
中
Atha kho aññatarassa daliddassa tunnavāyassa etadahosi— “na kho idaṁ orakaṁ bhavissati, yathayime manussā sakkaccaṁ navakammaṁ karonti; yannūnāhampi navakammaṁ kareyyan”ti. Atha kho so daliddo tunnavāyo sāmaṁ cikkhallaṁ madditvā iṭṭhakāyo cinitvā kuṭṭaṁ uṭṭhāpesi. Tena akusalakena citā vaṅkā bhitti paripati. tatiyampi kho so daliddo tunnavāyo sāmaṁ cikkhallaṁ madditvā iṭṭhakāyo cinitvā kuṭṭaṁ uṭṭhāpesi. Atha kho so daliddo tunnavāyo ujjhāyati khiyyati vipāceti— “ye imesaṁ samaṇānaṁ sakyaputtiyānaṁ denti cīvarapiṇḍapātasenāsanagilānappaccayabhesajjaparikkhāraṁ, te ime ovadanti anusāsanti, tesañca navakammaṁ adhiṭṭhenti. Ahaṁ panamhi daliddo. Na maṁ koci ovadati vā anusāsati vā navakammaṁ vā adhiṭṭhetī”ti.
そのとき、ある貧しき仕立て職人(tunnavāya)の心にこのような思いが生じた。
「これはきっと並大抵のことではあるまい。これほどに人々が心を込めて新作(navakamma)に励んでいるのだから。私もまた新作を手がけてみようではないか」と。
そこでその貧しき仕立て職人は、自ら泥をこね、煉瓦を積み上げ、壁を立ち上げた。しかるに不器用な手仕事ゆえに、壁は歪み曲がり、崩れ落ちてしまった。三度目もまた、その貧しき仕立て職人は自ら泥をこね、煉瓦を積み上げ、壁を立ち上げた。
そこでその貧しき仕立て職人は、憤り、嘆き、悔しさをあらわにして言った。
「釈迦の子らたるこれらの沙門(samaṇa)たちに、衣(cīvara)・食(piṇḍapāta)・臥坐具(senāsana)・病のための薬や資具(gilānappaccayabhesajjaparikkhāra)を施す者たちは、これらの沙門たちから教導(ovadati)を受け、訓誡(anusāsati)を受け、その新作の事をも取り仕切ってもらえる。しかるに私は貧しき身。誰ひとりとして、私を教導する者も、訓誡する者も、新作を取り仕切ってくれる者もいないのだ」と。
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
智慧
vinaya
趣旨一致
中
taṁ vo bhavissati dīgharattaṁ hitāya sukhāyā”ti. Atha kho tapussabhallikā vāṇijā manthañca madhupiṇḍikañca ādāya yena bhagavā tenupasaṅkamiṁsu, upasaṅkamitvā bhagavantaṁ abhivādetvā ekamantaṁ aṭṭhaṁsu. “paṭiggaṇhātu no, bhante, bhagavā manthañca madhupiṇḍikañca, yaṁ amhākaṁ assa dīgharattaṁ hitāya sukhāyā”ti. Atha kho bhagavato etadahosi— “na kho tathāgatā hatthesu paṭiggaṇhanti. Kimhi nu kho ahaṁ paṭiggaṇheyyaṁ manthañca madhupiṇḍikañcā”ti? Atha kho cattāro mahārājāno bhagavato cetasā cetoparivitakkamaññāya catuddisā cattāro selamaye patte bhagavato upanāmesuṁ— “idha, bhante, bhagavā paṭiggaṇhātu manthañca madhupiṇḍikañcā”ti. Paṭiggahesi bhagavā paccagghe selamaye patte manthañca madhupiṇḍikañca, paṭiggahetvā paribhuñji. Atha kho tapussabhallikā vāṇijā bhagavantaṁ onītapattapāṇiṁ viditvā bhagavato pādesu sirasā nipatitvā bhagavantaṁ etadavocuṁ—
そは汝らの長きにわたる利益と安楽のためとなるであろう」と。
さてトゥパッサとバッリカの二人の商人は、麦粉の食物と蜜の菓子(madhupiṇḍika)を携えて、世尊のもとへと近づいた。近づいて世尊を礼拝し、かたわらに立った。そして申し上げた。「世尊よ、どうか世尊は麦粉の食物と蜜の菓子をお受け取りください。それは私どもの長きにわたる利益と安楽のためとなりましょう」と。
そのとき世尊にこのような思いが起こった。「如来(tathāgata)は手の中には受け取らぬものである。さて、私はいかなるものをもって麦粉の食物と蜜の菓子をお受けすべきであろうか」と。
そのとき四人の大王(mahārāja)は、世尊の心の思い(cetoparivitakka)を己の心で察して、四方より四つの石造りの鉢を世尊に捧げた。「世尊よ、どうかここに世尊は麦粉の食物と蜜の菓子をお受け取りください」と。
世尊は清らかな石の鉢に麦粉の食物と蜜の菓子をお受けになり、受け取られてのち、これをお召し上がりになった。
さてトゥパッサとバッリカの二人の商人は、世尊が鉢を手から離されたのを知り、世尊の御足に頭を以て礼拝し、世尊にこのように申し上げた。——
智慧
vinaya
趣旨一致
中
Āpattiyā hoti yathā ca vuṭṭhiti; Ete vibhaṅgā ubhayassa svāgatā, Āpatti vuṭṭhānapadassa kovido. Nissāraṇaṁ gacchati yāni cācaraṁ, Nissārito hoti yathā ca vattanā; Osāraṇaṁ taṁvusitassa jantuno, Etampi jānāti vibhaṅgakovido. Sagāravo vuḍḍhataresu bhikkhusu, Navesu theresu ca majjhimesu ca; Mahājanassatthacarodha paṇḍito,
罪(āpatti)のいかなるものかを知り、またいかにして罪より出づるかをも知る。
これらの分別(vibhaṅga)は、両者にとってよく来たれるものなり。
罪より出づる道に巧みなる者は、
摈出(nissāraṇa)へと赴くべき行いを知り、
摈出されたる者のいかにあるべきかをも知る。
また梵行を全うせし者の僧団への再入(osāraṇa)をも、
この分別に通達せる者はよく知るのである。
比丘たちの中にて、年長の者を敬い、
新参の者に対しても、長老(thera)に対しても、中輩(majjhima)に対しても、
等しく礼敬(sagārava)を保ちて、
大衆の利益のために行動する者こそ、
まことに智者(paṇḍita)と呼ぶにふさわしい。
⚠ 出家者向けの文脈
経典データの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)