律蔵 臥坐具犍度 段落53
Atha kho aññatarassa daliddassa tunnavāyassa etadahosi— “na kho idaṁ orakaṁ bhavissati, yathayime manussā sakkaccaṁ navakammaṁ karonti; yannūnāhampi navakammaṁ kareyyan”ti. Atha kho so daliddo tunnavāyo sāmaṁ cikkhallaṁ madditvā iṭṭhakāyo cinitvā kuṭṭaṁ uṭṭhāpesi. Tena akusalakena citā vaṅkā bhitti paripati. tatiyampi kho so daliddo tunnavāyo sāmaṁ cikkhallaṁ madditvā iṭṭhakāyo cinitvā kuṭṭaṁ uṭṭhāpesi. Atha kho so daliddo tunnavāyo ujjhāyati khiyyati vipāceti— “ye imesaṁ samaṇānaṁ sakyaputtiyānaṁ denti cīvarapiṇḍapātasenāsanagilānappaccayabhesajjaparikkhāraṁ, te ime ovadanti anusāsanti, tesañca navakammaṁ adhiṭṭhenti. Ahaṁ panamhi daliddo. Na maṁ koci ovadati vā anusāsati vā navakammaṁ vā adhiṭṭhetī”ti.
そのとき、ある貧しき仕立て職人(tunnavāya)の心にこのような思いが生じた。
「これはきっと並大抵のことではあるまい。これほどに人々が心を込めて新作(navakamma)に励んでいるのだから。私もまた新作を手がけてみようではないか」と。
そこでその貧しき仕立て職人は、自ら泥をこね、煉瓦を積み上げ、壁を立ち上げた。しかるに不器用な手仕事ゆえに、壁は歪み曲がり、崩れ落ちてしまった。三度目もまた、その貧しき仕立て職人は自ら泥をこね、煉瓦を積み上げ、壁を立ち上げた。
そこでその貧しき仕立て職人は、憤り、嘆き、悔しさをあらわにして言った。
「釈迦の子らたるこれらの沙門(samaṇa)たちに、衣(cīvara)・食(piṇḍapāta)・臥坐具(senāsana)・病のための薬や資具(gilānappaccayabhesajjaparikkhāra)を施す者たちは、これらの沙門たちから教導(ovadati)を受け、訓誡(anusāsati)を受け、その新作の事をも取り仕切ってもらえる。しかるに私は貧しき身。誰ひとりとして、私を教導する者も、訓誡する者も、新作を取り仕切ってくれる者もいないのだ」と。
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⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。