律蔵 自恣犍度 段落54
Tehi pavāriyamāne athaññe āvāsikā bhikkhū āgacchanti bahutarā. Tehi, bhikkhave, bhikkhūhi puna pavāretabbaṁ. Pavāritānaṁ āpatti dukkaṭassa. Idha pana, bhikkhave, aññatarasmiṁ āvāse tadahu pavāraṇāya sambahulā āvāsikā bhikkhū sannipatanti, pañca vā atirekā vā. ‘atthaññe āvāsikā bhikkhū anāgatā’ti. Te ‘kappati nu kho amhākaṁ pavāretuṁ, na nu kho kappatī’ti vematikā pavārenti. Tehi pavāriyamāne athaññe āvāsikā bhikkhū āgacchanti samasamā. Pavāritā suppavāritā, avasesehi pavāretabbaṁ. Pavāritānaṁ āpatti dukkaṭassa. Idha pana, bhikkhave, aññatarasmiṁ āvāse tadahu pavāraṇāya sambahulā āvāsikā bhikkhū sannipatanti, pañca vā atirekā vā.
彼らが自恣(パーヴァーラナー)を行じている間に、さらに他の同じ住処(アーヴァーサ)の比丘たちがより多く到着した場合、比丘たちよ、その比丘たちによって改めて自恣を行ぜられなければならない。すでに自恣を行じ終えた者たちが〔これを怠れば〕、突吉羅(ドゥッカタ)の罪を犯すことになる。
また比丘たちよ、ある住処において、その日の自恣(パーヴァーラナー)のために多くの同じ住処の比丘たちが集まった場合、すなわち五人あるいはそれ以上が集まった場合に、「まだ来ていない同じ住処の比丘たちがいる」として、「われらが自恣を行じることは許されるのであろうか、許されないのであろうか」と疑いを抱きながら自恣を行じたとする。彼らが自恣を行じている間に、さらに他の同じ住処の比丘たちが同数だけ到着した場合には、すでに自恣を行じた者たちの自恣は正しく行じられたものとし、残りの者たちによって改めて自恣を行ぜられなければならない。すでに自恣を行じ終えた者たちが〔これを怠れば〕、突吉羅(ドゥッカタ)の罪を犯すことになる。
また比丘たちよ、ある住処において、その日の自恣のために多くの同じ住処の比丘たちが集まった場合、すなわち五人あるいはそれ以上が集まった場合のことである。
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。