智慧
中部経典
趣旨一致
中部経典(MN77 §6.70–8.12)
Even when disciples of the ascetic Gotama, having clashed with their spiritual companions, disavow the training and return to a lesser life, they speak only praise of the teacher, the teaching, and the Saṅgha. They blame only themselves, not others: “We were unlucky, we had little merit. For even after going forth in such a well explained teaching and training we weren’t able to practice for life the perfectly full and pure spiritual life.” They become monastery workers or lay followers, and the
たとえ沙門ゴータマ(釈尊)の弟子たちが、梵行(ぼんぎょう)をともにする者たちと相容れず、学処(がくしょ)を返上して低き生活へと退いた場合においても、彼らはなお師(ぶっだ)を讃嘆し、法(ダンマ)を讃嘆し、僧伽(サンガ)を讃嘆することをやめない。そして他者を責めることなく、ただおのれ自身を責めてこう言うのである。
「われらはまことに不運であった。われらは福徳(ぷんにゃ)が薄かった。かくも善く説かれた法と律(りつ)において出家しながら、われらは生涯にわたって、完全に円満(えんまん)にして清浄(しょうじょう)なる梵行を修め続けることができなかったのだ」と。
そして彼らは寺男(あらーみか)となるか、あるいは在家信者(うばそく・優婆塞)となり、五学処(ごがくしょ)を受持(じゅじ)してその道を歩み続けるのである。
かくのごとく、沙門ゴータマはその弟子たちから深く尊崇せられ……