律蔵 比丘尼犍度 段落6
Vassaṁvuṭṭhāya bhikkhuniyā ubhatosaṅghe tīhi ṭhānehi pavāretabbaṁ— diṭṭhena vā, sutena vā, parisaṅkāya vā. Ayampi dhammo sakkatvā garukatvā mānetvā pūjetvā yāvajīvaṁ anatikkamanīyo. Garudhammaṁ ajjhāpannāya bhikkhuniyā ubhatosaṅghe pakkhamānattaṁ caritabbaṁ. Ayampi dhammo sakkatvā garukatvā mānetvā pūjetvā yāvajīvaṁ anatikkamanīyo. Dve vassāni chasu dhammesu sikkhitasikkhāya sikkhamānāya ubhatosaṅghe upasampadā pariyesitabbā. Ayampi dhammo sakkatvā garukatvā mānetvā pūjetvā yāvajīvaṁ anatikkamanīyo. Na bhikkhuniyā kenaci pariyāyena bhikkhu akkositabbo paribhāsitabbo. Ayampi dhammo sakkatvā garukatvā mānetvā pūjetvā yāvajīvaṁ anatikkamanīyo. Ajjatagge ovaṭo bhikkhunīnaṁ bhikkhūsu vacanapatho, anovaṭo bhikkhūnaṁ bhikkhunīsu vacanapatho.
雨安居(うあんご)を終えた比丘尼は、両衆(びくしゅ)において三つの事柄によって自恣(じし)を行わねばならない――見たること、聞いたること、疑わしいことによって。この法もまた、敬い、重んじ、尊び、供養し、命ある限り犯すべからざるものである。
重法(ガルダンマ)を犯した比丘尼は、両衆において半月の摩那埵(まなった)を行わねばならない。この法もまた、敬い、重んじ、尊び、供養し、命ある限り犯すべからざるものである。
六法において二年間の学処(がくしょ)を修めた学女(シッカマーナ)は、両衆において具足戒(ぐそくかい)を求めねばならない。この法もまた、敬い、重んじ、尊び、供養し、命ある限り犯すべからざるものである。
比丘尼は、いかなる理由によっても比丘を罵り、謗ってはならない。この法もまた、敬い、重んじ、尊び、供養し、命ある限り犯すべからざるものである。
今日よりのち、比丘尼から比丘への言葉の道は閉ざされ、比丘から比丘尼への言葉の道は閉ざされていない。
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。