律蔵 遮止犍度 段落33
‘iṅgha tāva āyasmā kāyikaṁ sikkhassū’ti. Itissa bhavanti vattāro. Puna caparaṁ, upāli, codakena bhikkhunā paraṁ codetukāmena evaṁ paccavekkhitabbaṁ— ‘parisuddhavacīsamācāro nu khomhi, parisuddhenamhi vacīsamācārena samannāgato—acchiddena appaṭimaṁsena? Saṁvijjati nu kho me eso dhammo udāhu no’ti? acchiddena appaṭimaṁsena, tassa bhavanti vattāro— ‘iṅgha tāva āyasmā vācasikaṁ sikkhassū’ti. Itissa bhavanti vattāro. Puna caparaṁ, upāli, codakena bhikkhunā paraṁ codetukāmena evaṁ paccavekkhitabbaṁ— ‘mettaṁ nu kho me cittaṁ paccupaṭṭhitaṁ sabrahmacārīsu anāghātaṁ, saṁvijjati nu kho me eso dhammo udāhu no’ti? No ce, upāli, bhikkhuno mettacittaṁ paccupaṭṭhitaṁ hoti sabrahmacārīsu anāghātaṁ, tassa bhavanti vattāro— ‘iṅgha tāva āyasmā sabrahmacārīsu mettacittaṁ upaṭṭhāpehī’ti. Itissa bhavanti vattāro. Puna caparaṁ, upāli, codakena bhikkhunā paraṁ codetukāmena evaṁ paccavekkhitabbaṁ—
「まずは尊者よ、身(カーヤ)の修学に努められよ」と。かくして彼には諫める者が現れるのである。
さらにまた、ウパーリよ、他者を告発しようとする告発比丘は、次のように省察しなければならない——「わたしは言葉(ヴァチー)の行いが清浄であるか、欠けるところなく、批難の余地なき、清浄な言葉の行いを具えているか。このような法がわたしに存しているか、それとも存していないか」と。もし欠けるところなく批難の余地なき清浄な言葉の行いを具えていないならば、彼には諫める者が現れるであろう——「まずは尊者よ、語(ヴァチャシカ)の修学に努められよ」と。かくして彼には諫める者が現れるのである。
さらにまた、ウパーリよ、他者を告発しようとする告発比丘は、次のように省察しなければならない——「わたしの心(チッタ)は、共に梵行を修する者たちに対して、害意なく、慈(メッタ)の心をもって向き合っているか。このような法がわたしに存しているか、それとも存していないか」と。ウパーリよ、もし比丘の心が、共に梵行を修する者たちに対して、害意なき慈の心をもって向き合っていないならば、彼には諫める者が現れるであろう——「まずは尊者よ、共に梵行を修する者たちに対して慈の心を起こされよ」と。かくして彼には諫める者が現れるのである。
さらにまた、ウパーリよ、他者を告発しようとする告発比丘は、次のように省察しなければならない——
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。