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業・因果 vinaya 趣旨一致

律蔵 破僧犍度 段落48

aparisuddhañāṇadassano samāno ‘parisuddhañāṇadassanomhī’ti paṭijānāti ‘parisuddhaṁ me ñāṇadassanaṁ pariyodātaṁ asaṅkiliṭṭhan’ti ca. Tamenaṁ sāvakā evaṁ jānanti— Mayañceva kho pana gihīnaṁ āroceyyāma, nāssassa manāpaṁ. Sammannati kho pana cīvarapiṇḍapātasenāsanagilānappaccayabhesajjaparikkhārena— yaṁ tumo karissati, tumova tena paññāyissatī’ti. Evarūpaṁ kho, bhikkhave, satthāraṁ sāvakā ñāṇadassanato rakkhanti; evarūpo ca pana satthā sāvakehi ñāṇadassanato rakkhaṁ paccāsīsati. Ahaṁ kho pana, bhikkhave, parisuddhasīlo samāno ‘parisuddhasīlomhī’ti paṭijānāmi ‘parisuddhaṁ me sīlaṁ pariyodātaṁ asaṅkiliṭṭhan’ti ca. Na ca maṁ sāvakā sīlato rakkhanti; na cāhaṁ sāvakehi sīlato rakkhaṁ paccāsīsāmi.
清浄ならざる智見(ñāṇadassana)を有しながら、「われは清浄ならざる智見を有する」とは認めず、「わが智見は清浄にして、明浄であり、汚れなきものである」と称する者がいる。その師の弟子たちはこのように知る——「もしわれわれが在家の人々にこのことを告げるならば、師の心に適うまい。しかも師は衣・食・臥坐具・病者への薬品・資具をもって供養を受けている。師が何をなすかは、師自身によってこそ明らかにされるであろう」と。比丘たちよ、このような師を、弟子たちは智見に関して守護するのである。またこのような師は、弟子たちによって智見に関して守護されることを期待するのである。 しかるに、比丘たちよ、われは清浄なる戒(sīla)を有するがゆえに、「われは清浄なる戒を有する」と認め、「わが戒は清浄にして、明浄であり、汚れなきものである」と称する。弟子たちはわれを戒に関して守護しない。またわれも、弟子たちによって戒に関して守護されることを期待しない。
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導線タグ: 介護,食事
⚠ 自己責任論に誤解されやすい

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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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