律蔵 破僧犍度 段落41
evameva tassa purisassa tasmiṁyeva āsane virajaṁ vītamalaṁ dhammacakkhuṁ udapādi— “yaṁ kiñci samudayadhammaṁ sabbaṁ taṁ nirodhadhamman”ti. Atha kho so puriso diṭṭhadhammo pattadhammo viditadhammo pariyogāḷhadhammo tiṇṇavicikiccho vigatakathaṅkatho vesārajjappatto aparappaccayo satthusāsane bhagavantaṁ etadavoca— “abhikkantaṁ, bhante, abhikkantaṁ, bhante. Seyyathāpi, bhante, nikkujjitaṁ vā ukkujjeyya, paṭicchannaṁ vā vivareyya, mūḷhassa vā maggaṁ ācikkheyya, andhakāre vā telapajjotaṁ dhāreyya— ‘cakkhumanto rūpāni dakkhantī’ti— evamevaṁ bhagavatā anekapariyāyena dhammo pakāsito. Esāhaṁ, bhante, bhagavantaṁ saraṇaṁ gacchāmi, dhammañca, bhikkhusaṅghañca. Upāsakaṁ maṁ bhagavā dhāretu ajjatagge pāṇupetaṁ saraṇaṁ gatan”ti. Atha kho bhagavā taṁ purisaṁ etadavoca—
まさにそのように、その人物には、その座において、塵を離れ垢を離れた法眼(ダンマチャック)が生じた——「およそ生起する性質のものは、すべて滅する性質のものである」と。
そのとき、その人物は、法を見た者、法を得た者、法を知った者、法に深く入った者となり、疑惑を渡り越え、惑いを離れ、無畏(ヴェーサーラッジャ)を得て、師の教えにおいて他に依らぬ者となって、世尊にこのように申し上げた。
「尊とし、尊とし、世尊よ。世尊よ、たとえば、倒れたものを起こし、覆われたものを開き、迷える者に道を示し、暗闇の中に油の灯火を掲げて『眼ある者は形あるものを見るであろう』とするように、まさにそのように、世尊によって、さまざまな方法をもって法が説き示されました。世尊よ、わたくしはここに、世尊を帰依処(サラナ)とし奉ります。法をも、比丘の僧伽をも。世尊よ、今日よりいのちある限り帰依処に赴いた在家信者(ウパーサカ)として、世尊はわたくしをお認めください」と。
そのとき、世尊はその人物にこのように仰せになった——
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。