律蔵 破僧犍度 段落29
“pubbe devadattassa aññā pakati ahosi, idāni aññā pakati. Yaṁ devadatto kareyya kāyena vācāya, na tena buddho vā dhammo vā saṅgho vā daṭṭhabbo, devadattova tena daṭṭhabbo”ti. Yassāyasmato khamati devadattassa rājagahe pakāsanīyassa kammassa karaṇaṁ— so tuṇhassa; yassa nakkhamati, so bhāseyya. Kataṁ saṅghena devadattassa rājagahe pakāsanīyaṁ kammaṁ— “pubbe devadattassa aññā pakati ahosi, idāni aññā pakati. Yaṁ devadatto kareyya kāyena vācāya, na tena buddho vā dhammo vā saṅgho vā daṭṭhabbo, devadattova tena daṭṭhabbo”ti. Khamati saṅghassa, tasmā tuṇhī, evametaṁ dhārayāmī’”ti. Atha kho bhagavā āyasmantaṁ sāriputtaṁ āmantesi—
「以前、デーヴァダッタの性行(パカティ)は異なるものであった。今や、その性行はまた異なるものとなっている。デーヴァダッタが身(カーヤ)と口(ヴァーチャー)によっていかなることをなそうとも、それによって仏(ブッダ)をも、法(ダンマ)をも、僧伽(サンガ)をも見てはならない。それによって見られるべきはデーヴァダッタただその人のみである」と。
ラージャガハ(王舎城)においてデーヴァダッタに対する宣告の羯磨(カンマ)を行うことを、もし認め容れる長老があれば、黙していよ。認め容れぬ者があれば、語るがよい。
かくして僧伽は、ラージャガハにおいてデーヴァダッタに対する宣告の羯磨を行った。——「以前、デーヴァダッタの性行は異なるものであった。今や、その性行はまた異なるものとなっている。デーヴァダッタが身と口によっていかなることをなそうとも、それによって仏をも、法をも、僧伽をも見てはならない。それによって見られるべきはデーヴァダッタただその人のみである」と。
これは僧伽の容認するところである。ゆえに黙している。このことをわれはかく保持(ダーラヤーミ)する、と。
そのとき世尊(バガヴァー)は、尊者サーリプッタ(舎利弗)に告げて仰せられた——
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。