律蔵 滅諍犍度 段落125
Kiñca tattha paṭiññātakaraṇasmiṁ? Yā paṭiññātakaraṇassa kammassa kiriyā karaṇaṁ upagamanaṁ ajjhupagamanaṁ adhivāsanā appaṭikkosanā— Evaṁ vūpasantañce, bhikkhave, adhikaraṇaṁ paṭiggāhako ukkoṭeti, ukkoṭanakaṁ pācittiyaṁ. Evañcetaṁ labhetha, iccetaṁ kusalaṁ. No ce labhetha, tena, bhikkhave, bhikkhunā saṅghaṁ upasaṅkamitvā ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā vuḍḍhānaṁ bhikkhūnaṁ pāde vanditvā ukkuṭikaṁ nisīditvā añjaliṁ paggahetvā evamassa vacanīyo— ‘ahaṁ, bhante, itthannāmaṁ āpattiṁ āpanno; taṁ paṭidesemī’ti. Byattena bhikkhunā paṭibalena saṅgho ñāpetabbo— ‘Suṇātu me, bhante, saṅgho. Ayaṁ itthannāmo bhikkhu āpattiṁ sarati, vivarati, uttāniṁ karoti, deseti.
「自認による処理(paṭiññātakaraṇa)」においては、いかなる事柄が処理されるのか。すなわち、自認による羯磨(kamma)の実行・遂行・承諾・容認・異議申し立てをしないこと、これがそれである。
比丘たちよ、もしそのように静められた諍事(adhikaraṇa)を、受理した者が蒸し返すならば、蒸し返すことは波逸提(pācittiya)となる。
もしそれが成就するならば、それはよきことである。もし成就しないならば、比丘たちよ、その比丘は僧伽(saṅgha)に赴き、上衣(uttarāsaṅga)を一肩にかけ、年長の比丘たちの足を礼拝し、蹲踞(ukkuṭika)して座し、合掌して、次のように申し上げるべきである。
「尊者(bhante)よ、私はかくかくの罪(āpatti)を犯しました。それを懺悔(paṭidesemi)いたします。」
そこで、弁達なる(byatta)堪能な比丘によって、僧伽に告知がなされるべきである。
「尊者たちよ、僧伽よ、聞き給え。この然々(itthannāma)なる比丘は罪を憶念し、それを開き、明らかにし、懺悔する。」
導線タグ: 懺悔,過ち,謝罪,コミュニティ,規律,和解,誠実さ
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
この教えについて、AIブッダ 禅に相談してみませんか?
🪷 AIブッダ 禅とは
AIブッダ 禅は、仏教経典10,000偈句以上のデータベースから、あなたの悩みに合った教えをAIが選び、経典名・偈番号の出典を明記して届けるサービスです。
一般的なAIは「もっともらしいが出典のない文章」を生成しますが、AIブッダ 禅はRAG(Retrieval-Augmented Generation)技術により、検証済みの経典データベースから該当する偈句を検索し、それに基づいて応答します。すべての回答に出典が付き、引用の信頼度を4段階で開示します。
経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。