律蔵 滅諍犍度 段落123
Yā paṭiññātakaraṇassa kammassa kiriyā karaṇaṁ upagamanaṁ ajjhupagamanaṁ adhivāsanā appaṭikkosanā— Evaṁ vūpasantañce, bhikkhave, adhikaraṇaṁ paṭiggāhako ukkoṭeti, ukkoṭanakaṁ pācittiyaṁ. Evañcetaṁ labhetha, iccetaṁ kusalaṁ. No ce labhetha, tena, bhikkhave, bhikkhunā sambahule bhikkhū upasaṅkamitvā ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā vuḍḍhānaṁ bhikkhūnaṁ pāde vanditvā ukkuṭikaṁ nisīditvā añjaliṁ paggahetvā evamassu vacanīyā— ‘ahaṁ, bhante, itthannāmaṁ āpattiṁ āpanno; taṁ paṭidesemī’ti. Byattena bhikkhunā paṭibalena te bhikkhū ñāpetabbā— ‘Suṇantu me āyasmantā. Ayaṁ itthannāmo bhikkhu āpattiṁ sarati, vivarati, uttāniṁ karoti deseti. Yadāyasmantānaṁ pattakallaṁ, ahaṁ itthannāmassa bhikkhuno āpattiṁ paṭiggaṇheyyan’ti.
承認によって処理された案件(カンマ)の実行・遂行・同意・受け入れ・異議なき承認——比丘たちよ、もしこのように静息した諍事(アディカラナ)を、その受諾者が覆(くつがえ)すならば、覆すことは波逸提(パーチッティヤ)となる。
もしこれによって〔解決が〕得られるならば、それは善いことである。もし得られないならば、比丘たちよ、その比丘は多くの比丘たちのもとに近づき、上衣(ウッタラーサンガ)を一肩にかけ、年長の比丘たちの足に礼拝し、蹲踞(うずくまり)して座し、合掌して、次のように言うべきである——「尊者よ、私は某某(なにがし)という罪過(アーパッティ)を犯しました。それを懺悔(パティデーサ)いたします」と。
博識にして有能な比丘は、その比丘たちに〔次のように〕告知すべきである——「尊者方よ、聞いてください。この某某という比丘は、罪過を想起し、開示し、明らかにし、告白しております。尊者方にとって適当であれば、私は某某比丘の罪過を受け取りましょう」と。
導線タグ: 謝罪,告白,過ちを認める,和解,コミュニティ,対人関係,責任
⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。