律蔵 滅諍犍度 段落80
Vivādo vivādādhikaraṇaṁ, vivādo no adhikaraṇaṁ, adhikaraṇaṁ no vivādo, adhikaraṇañceva vivādo ca. Siyā vivādo vivādādhikaraṇaṁ, siyā vivādo no adhikaraṇaṁ, siyā adhikaraṇaṁ no vivādo, siyā adhikaraṇañceva vivādo ca. Tattha katamo vivādo vivādādhikaraṇaṁ? Idha pana, bhikkhave, bhikkhū vivadanti— dhammoti vā adhammoti vā …pe… duṭṭhullā āpattīti vā aduṭṭhullā āpattīti vā. Yaṁ tattha bhaṇḍanaṁ kalaho viggaho vivādo nānāvādo aññathāvādo vipaccatāya vohāro medhagaṁ— ayaṁ vivādo vivādādhikaraṇaṁ. Tattha katamo vivādo no adhikaraṇaṁ? Mātāpi puttena vivadati, puttopi mātarā vivadati, pitāpi puttena vivadati, puttopi pitarā vivadati, bhātāpi bhātarā vivadati, bhātāpi bhaginiyā vivadati, bhaginīpi bhātarā vivadati, sahāyopi sahāyena vivadati—
諍論(ヴィヴァーダ)は諍論事(ヴィヴァーダーディカラナ)であることがあり、諍論は事(アディカラナ)にあらざることがあり、事は諍論にあらざることがあり、事でもあり諍論でもあることがある。諍論は諍論事であることもあり、諍論は事にあらざることもあり、事は諍論にあらざることもあり、事でもあり諍論でもあることもある。
そのうち、いかなるものが諍論にして諍論事であるか。比丘たちよ、ここに比丘たちが諍論する――「これは法である」「これは法にあらず」と、……乃至……「これは粗重罪(ドゥッタッラー)である」「これは粗重罪にあらず」と。そこにおける罵り、口論、争い、諍論、異論、異説、対立の言い回し、紛糾――これが諍論にして諍論事である。
そのうち、いかなるものが諍論にして事にあらざるものであるか。母は子と諍論し、子は母と諍論し、父は子と諍論し、子は父と諍論し、兄は兄と諍論し、兄は姉妹と諍論し、姉妹は兄と諍論し、友は友と諍論する――
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⚠ 希死念慮の場面では使わない,出家者向けの文脈
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。