律蔵 滅諍犍度 段落31
Sohaṁ, bhante, amūḷho saṅghaṁ amūḷhavinayaṁ yācāmī’ti. Dutiyampi yācitabbo. Tatiyampi yācitabbo— ‘ahaṁ, bhante, ummattako ahosiṁ cittavipariyāsakato. Tena me ummattakena cittavipariyāsakatena bahuṁ assāmaṇakaṁ ajjhāciṇṇaṁ bhāsitaparikkantaṁ. Maṁ bhikkhū ummattakena cittavipariyāsakatena ajjhāciṇṇena āpattiyā codenti— “saratāyasmā evarūpiṁ āpattiṁ āpajjitā”ti? “ahaṁ kho, āvuso, ummattako ahosiṁ cittavipariyāsakato. Tena me ummattakena cittavipariyāsakatena bahuṁ assāmaṇakaṁ ajjhāciṇṇaṁ bhāsitaparikkantaṁ. Nāhaṁ taṁ sarāmi mūḷhena me etaṁ katan”ti.
「大徳よ、私はかつて精神錯乱(ummattaka)の状態にあり、心が顛倒(cittavipariyāsa)しておりました。その精神錯乱にして心顛倒の状態にあった私は、沙門にふさわしからぬ多くの行為をなし、多くの言葉を語り、あちこちへとさまよい歩きました。今、私は正気(amūḷha)を取り戻しましたゆえ、僧伽(saṅgha)に対して、また精神錯乱者のための律(amūḷhavinaya)に基づく処置を願い求めます。」
このように二度目にも願い求めなければならない。三度目にも次のように願い求めなければならない——
「比丘たちが、かつて精神錯乱にして心顛倒の状態にあった私のなした行為をもって、私に罪過(āpatti)を問責し、『尊者よ、あなたはかかる罪過を犯したことを覚えておられるか』と申します。これに対して私は、『友よ、私はかつて精神錯乱にして心顛倒の状態にありました。その精神錯乱にして心顛倒の状態において、私は沙門にふさわしからぬ多くの行為をなし、多くの言葉を語りました。しかし私にはその記憶がありません。それは錯乱した心によってなされたことであります』と申しております。」
導線タグ: 精神的混乱,過去の行為への後悔,責任と記憶,心の病,自己認識,許しを求める,過ちの告白
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。