律蔵 チャンパー犍度 段落122
‘akataṁ kammaṁ dukkaṭaṁ kammaṁ puna kātabbaṁ kamman’ti, ime tattha bhikkhū dhammavādino. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu bhaṇḍanakārako hoti …pe… saṅghe adhikaraṇakārako. Tatra ce bhikkhūnaṁ evaṁ hoti— ‘ayaṁ kho, āvuso, bhikkhu bhaṇḍanakārako …pe… saṅghe adhikaraṇakārako handassa mayaṁ tajjanīyakammaṁ karomā’ti. Te tassa tajjanīyakammaṁ karonti— dhammena vaggā. Tatraṭṭho saṅgho vivadati— ‘adhammena vaggakammaṁ, adhammena samaggakammaṁ, dhammena vaggakammaṁ, dhammapatirūpakena vaggakammaṁ, dhammapatirūpakena samaggakammaṁ, akataṁ kammaṁ dukkaṭaṁ kammaṁ puna kātabbaṁ kamman’ti. Tatra, bhikkhave, ye te bhikkhū evamāhaṁsu—
「なされなかった羯磨(かつま)は、悪作(あくさ)の羯磨であり、再びなされるべき羯磨である」と——これらの比丘たちこそ、そこにおいて法を説く者たちである。
さて、比丘たちよ、ここにある比丘が諍いを起こす者となり……乃至……僧伽において諍事(じょうじ)を起こす者となったとする。そこで、もし比丘たちにこのような思いが起こるならば——「友よ、この比丘は諍いを起こす者であり……乃至……僧伽において諍事を起こす者である。さあ、われらは彼に対して呵責羯磨(かしゃくかつま)をなそう」と。彼らは彼に対して呵責羯磨をなす——法に適いながらも、和合を欠いて。そこに留まる僧伽は論争する——「法に背いた和合を欠く羯磨である、法に背いた和合せる羯磨である、法に適った和合を欠く羯磨である、法の似姿(にすがた)による和合を欠く羯磨である、法の似姿による和合せる羯磨である、なされなかった羯磨は悪作の羯磨であり再びなされるべき羯磨である」と。
比丘たちよ、そこにおいて、このように説いた比丘たちは——
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。