律蔵 薬犍度 段落112
Addasaṁsu kho sambahulā titthiyā meṇḍakaṁ gahapatiṁ dūratova āgacchantaṁ, disvāna meṇḍakaṁ gahapatiṁ etadavocuṁ— “kahaṁ tvaṁ, gahapati, gacchasī”ti? “Gacchāmahaṁ, bhante, bhagavantaṁ samaṇaṁ gotamaṁ dassanāyā”ti. “Kiṁ pana tvaṁ, gahapati, kiriyavādo samāno akiriyavādaṁ samaṇaṁ gotamaṁ dassanāya upasaṅkamissasi? Samaṇo hi, gahapati, gotamo akiriyavādo akiriyāya dhammaṁ deseti, tena ca sāvake vinetī”ti. Atha kho meṇḍakassa gahapatissa etadahosi— “nissaṁsayaṁ kho so bhagavā arahaṁ sammāsambuddho bhavissati, yathayime titthiyā usūyantī”ti. Yāvatikā yānassa bhūmi, yānena gantvā yānā paccorohitvā pattikova yena bhagavā tenupasaṅkami, upasaṅkamitvā bhagavantaṁ abhivādetvā ekamantaṁ nisīdi. Ekamantaṁ nisinnassa kho meṇḍakassa gahapatissa bhagavā anupubbiṁ kathaṁ kathesi, seyyathidaṁ— dānakathaṁ …pe…
さて、多くの外道(titthiyā)たちは、長者メーンダカが遠くからやって来るのを見た。見るや、長者メーンダカにこう言った。
「長者よ、あなたはどこへ行かれるのですか」
「尊者がたよ、わたしはかの世尊、沙門ゴータマにお会いしに参るのです」
「しかし長者よ、あなたは業有論者(kiriyavādo)でありながら、どうして業無論者(akiriyavādo)である沙門ゴータマにお会いしに行こうとするのですか。沙門ゴータマはそもそも業無論者であり、業のないことの法を説き、それによって弟子たちを導いているのですから」
そのとき、長者メーンダカの心にこのような思いが起こった。
「あの外道たちがこれほどまでに嫉み(usūyantī)あざけるとは――かの世尊はまさしく疑いなく、阿羅漢にして正等覚者(arahaṁ sammāsambuddho)であられるに違いない」
そこで長者は、乗り物で行けるかぎりのところまで乗り物で進み、乗り物から降りて、徒歩で世尊のおられる場所へと近づいた。近づいてから世尊を礼拝し、かたわらに座した。かたわらに座した長者メーンダカに、世尊は順を追って法を説かれた。すなわち、布施の話(dānakathaṁ)を……(以下略)
導線タグ: 苦しみの原因,真理の探求,信仰の迷い,悟り,無常,執着からの解放,精神的覚醒
⚠ 出家者向けの文脈
この教えについて、AIブッダ 禅に相談してみませんか?
🪷 AIブッダ 禅とは
AIブッダ 禅は、仏教経典10,000偈句以上のデータベースから、あなたの悩みに合った教えをAIが選び、経典名・偈番号の出典を明記して届けるサービスです。
一般的なAIは「もっともらしいが出典のない文章」を生成しますが、AIブッダ 禅はRAG(Retrieval-Augmented Generation)技術により、検証済みの経典データベースから該当する偈句を検索し、それに基づいて応答します。すべての回答に出典が付き、引用の信頼度を4段階で開示します。
経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。