律蔵 薬犍度 段落96
ucchedavādo samaṇo gotamo, ucchedāya dhammaṁ deseti, tena ca sāvake vinetīti? Ahañhi, sīha, ucchedaṁ vadāmi rāgassa dosassa mohassa; anekavihitānaṁ pāpakānaṁ akusalānaṁ dhammānaṁ ucchedaṁ vadāmi. Katamo ca, sīha, pariyāyo, yena maṁ pariyāyena sammā vadamāno vadeyya— jegucchī samaṇo gotamo, jegucchitāya dhammaṁ deseti, tena ca sāvake vinetīti? Ahañhi, sīha, jigucchāmi kāyaduccaritena vacīduccaritena manoduccaritena; anekavihitānaṁ pāpakānaṁ akusalānaṁ dhammānaṁ samāpattiyā jigucchāmi. Katamo ca, sīha, pariyāyo, yena maṁ pariyāyena sammā vadamāno vadeyya— venayiko samaṇo gotamo, vinayāya dhammaṁ deseti, tena ca sāvake vinetīti? Ahañhi, sīha, vinayāya dhammaṁ desemi rāgassa dosassa mohassa;
「沙門ゴータマは断滅論者(ucchedavādin)であり、断滅のための教えを説き、その教えによって弟子たちを導く」と言う者がいる。しかしシーハよ、わたしが断滅を説くのは、貪(rāga)の断滅、瞋(dosa)の断滅、癡(moha)の断滅についてであり、さまざまな悪しき不善の法(pāpakā akusalā dhammā)の断滅を説くのである。
またシーハよ、いかなる意味において、正しく語ろうとする者がわたしについて「沙門ゴータマは嫌悪する者(jegucchī)であり、嫌悪のための教えを説き、その教えによって弟子たちを導く」と言いうるであろうか。シーハよ、わたしは身の悪行(kāyaduccarita)、口の悪行(vacīduccarita)、意の悪行(manoduccarita)を嫌悪する。さまざまな悪しき不善の法を犯すことを、わたしは嫌悪するのである。
またシーハよ、いかなる意味において、正しく語ろうとする者がわたしについて「沙門ゴータマは律(vinaya)を重んじる者(venayika)であり、律のための教えを説き、その教えによって弟子たちを導く」と言いうるであろうか。シーハよ、わたしは貪の調伏のために、瞋の調伏のために、癡の調伏のために、法を説くのである。
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。