律蔵 薬犍度 段落86
Atha kho bhagavā yena gaṅgā nadī tenupasaṅkami. Tena kho pana samayena gaṅgā nadī pūrā hoti samatittikā kākapeyyā. Manussā aññe nāvaṁ pariyesanti, aññe uḷumpaṁ pariyesanti, aññe kullaṁ bandhanti orā pāraṁ gantukāmā. Addasā kho bhagavā te manusse aññe nāvaṁ pariyesante, aññe uḷumpaṁ pariyesante, aññe kullaṁ bandhante orā pāraṁ gantukāme, disvāna seyyathāpi nāma balavā puriso samiñjitaṁ vā bāhaṁ pasāreyya, pasāritaṁ vā bāhaṁ samiñjeyya; evameva kho—gaṅgāya nadiyā orimatīre antarahito pārimatīre paccuṭṭhāsi saddhiṁ bhikkhusaṅghena. Atha kho bhagavā etamatthaṁ viditvā tāyaṁ velāyaṁ imaṁ udānaṁ udānesi— “Ye taranti aṇṇavaṁ saraṁ, Setuṁ katvāna visajja pallalāni; Kullañhi jano bandhati, Tiṇṇā medhāvino janā”ti. 16. Koṭigāmesaccakathā
そのとき世尊はガンガー河のほとりへと近づかれた。折しもガンガー河は満々と水をたたえ、岸辺まであふれ、烏でさえ水を飲めるほどであった。人々は此岸から彼岸へと渡ろうと欲して、ある者は舟を求め、ある者は筏(うつろ木)を求め、ある者は葦束を縛っていた。世尊はそれらの人々が、ある者は舟を求め、ある者は筏を求め、ある者は葦束を縛って、此岸から彼岸へ渡ろうとしているのをご覧になった。ご覧になるや、ちょうど力ある人が曲げた腕を伸ばし、あるいは伸ばした腕を曲げるように、まさにそのように、ガンガー河の此岸に消えたかと思うと、比丘の僧伽(サンガ)とともに彼岸に立たれていた。
そのとき世尊はこの事の意義を知られて、その折にこの感興の言葉(ウダーナ)を発せられた——
> 大海をも渡る人々は、\
> 浅瀬を捨て橋を架けて渡る。\
> 人々は葦の筏(クッラ)を縛るが、\
> 智慧ある者(メーダーヴィー)はすでに渡り終えている。
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⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。