律蔵 自恣犍度 段落100
‘yaṁ kho so, āvuso, bhikkhu āpattiṁ āpanno, sāssa yathādhammaṁ paṭikatā. Yadi saṅghassa pattakallaṁ, saṅgho pavāreyyā’ti. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu tadahu pavāraṇāya pācittiyaṁ ajjhāpanno hoti …pe… pāṭidesanīyaṁ ajjhāpanno hoti … dukkaṭaṁ ajjhāpanno hoti … dubbhāsitaṁ ajjhāpanno hoti. Ekacce bhikkhū dubbhāsitadiṭṭhino honti, ekacce bhikkhū saṅghādisesadiṭṭhino honti. Ye te, bhikkhave, bhikkhū dubbhāsitadiṭṭhino, tehi so, bhikkhave, bhikkhu ekamantaṁ apanetvā yathādhammaṁ kārāpetvā saṅghaṁ upasaṅkamitvā evamassa vacanīyo— ‘yaṁ kho so, āvuso, bhikkhu āpattiṁ āpanno, sāssa yathādhammaṁ paṭikatā. Yadi saṅghassa pattakallaṁ, saṅgho pavāreyyā’ti.
「その比丘(びく)が犯した罪過(āpatti)は、すでに法(dhamma)に従って懺悔(paṭikamma)されている。もし僧伽(saṅgha)の時節が熟しているならば、僧伽は自恣(pavāraṇā)を行うべきである」と。
しかるに比丘たちよ、ここにある比丘が、その自恣の当日において波逸提(pācittiya)を犯している場合、あるいは波羅提提舎尼(pāṭidesanīya)を犯している場合、あるいは突吉羅(dukkaṭa)を犯している場合、あるいは悪説(dubbhāsita)を犯している場合がある。あるいは一部の比丘たちはこれを悪説の罪と見なし、また一部の比丘たちはこれを僧伽婆尸沙(saṅghādisesa)の罪と見なすことがある。比丘たちよ、悪説の罪と見なす比丘たちは、その比丘を一方に呼び寄せて、法に従って処置を行わしめたのち、僧伽のもとに参じて、次のように告げるべきである——「その比丘が犯した罪過は、すでに法に従って懺悔されている。もし僧伽の時節が熟しているならば、僧伽は自恣を行うべきである」と。
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。