律蔵 自恣犍度 段落34
Tena, bhikkhave, bhikkhunā ekaṁ bhikkhuṁ upasaṅkamitvā ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā ukkuṭikaṁ nisīditvā añjaliṁ paggahetvā evamassa vacanīyo— ‘ahaṁ, āvuso, itthannāmaṁ āpattiṁ āpanno, taṁ paṭidesemī’ti. Tena vattabbo— ‘passasī’ti. ‘Āma passāmī’ti. ‘Āyatiṁ saṁvareyyāsī’ti. Idha pana, bhikkhave, bhikkhu tadahu pavāraṇāya āpattiyā vematiko hoti. Tena, bhikkhave, bhikkhunā ekaṁ bhikkhuṁ upasaṅkamitvā ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā ukkuṭikaṁ nisīditvā añjaliṁ paggahetvā evamassa vacanīyo— ‘ahaṁ, āvuso, itthannāmāya āpattiyā vematiko; yadā nibbematiko bhavissāmi tadā taṁ āpattiṁ paṭikarissāmī’ti vatvā pavāretabbaṁ;
比丘たちよ、その比丘は一人の比丘のもとへ赴き、上衣(ウッタラーサンガ)を片肩にかけ、蹲踞(うっくつか)の姿勢で坐し、合掌して、かくのごとく告げるべきである。
「友よ、私はかくかくの罪過(アーパッティ)を犯しました。それを発露(パティデーサ)いたします」と。
それに対して、かの比丘はこう言うべきである。「あなたはそれを見ますか」と。「はい、見ます」と。「今後は慎まれよ」と。
ところが比丘たちよ、ここにある比丘が、その日の自恣(パーヴァーラナー)において、罪過について疑念(ヴェーマティカ)を抱く場合がある。その比丘は一人の比丘のもとへ赴き、上衣を片肩にかけ、蹲踞の姿勢で坐し、合掌して、かくのごとく告げるべきである。
「友よ、私はかくかくの罪過について疑念を抱いております。疑念が晴れましたならば、そのとき罪過を悔過(かいか)いたします」
と述べたうえで、自恣を行うべきである。
導線タグ: 懺悔,正直さ,自己反省,過ちを認める,誠実さ,自己規律,不確かさへの対処
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。