律蔵 自恣犍度 段落3
Āciṇṇaṁ kho panetaṁ buddhānaṁ bhagavantānaṁ āgantukehi bhikkhūhi saddhiṁ paṭisammodituṁ. Atha kho bhagavā te bhikkhū etadavoca— “kacci, bhikkhave, khamanīyaṁ, kacci yāpanīyaṁ, kacci samaggā sammodamānā avivadamānā phāsukaṁ vassaṁ vasittha, na ca piṇḍakena kilamitthā”ti? “Khamanīyaṁ, bhagavā, yāpanīyaṁ, bhagavā. Samaggā ca mayaṁ, bhante, sammodamānā avivadamānā phāsukaṁ vassaṁ vasimhā, na ca piṇḍakena kilamimhā”ti. Jānantāpi tathāgatā pucchanti, jānantāpi na pucchanti. Kālaṁ viditvā pucchanti, kālaṁ viditvā na pucchanti. Atthasaṁhitaṁ tathāgatā pucchanti, no anatthasaṁhitaṁ. Anatthasaṁhite setughāto tathāgatānaṁ.
これは、諸仏世尊が来訪の比丘たちと親しく語らいを交わされる慣わしであった。そこで世尊は、かの比丘たちにこのように仰せになった。
「比丘たちよ、〔身心は〕堪えるべきものであったか。〔日々の生活は〕続けるべきものであったか。汝らは和合し、喜び合い、諍うことなく、安楽に安居(あんご)を過ごしたか。また、托鉢にて難儀することはなかったか。」
「世尊よ、堪えるべきものでございました。続けるべきものでございました。尊師よ、われらは和合し、喜び合い、諍うことなく、安楽に安居を過ごし、托鉢にて難儀することもございませんでした。」
如来(にょらい)は、知りながらも問われることがある。また、知りながらも問われないことがある。如来は、時を見極めて問われ、時を見極めて問われない。如来が問われるのは、義(ぎ)を具えた事柄においてのみであり、義を具えない事柄においては問われない。義を具えない事柄においては、如来にとっての橋は断たれているのである。
導線タグ: 思いやり,適切なタイミング,コミュニケーション,気遣い,言葉の選び方,人間関係,親切
⚠ 出家者向けの文脈
この教えについて、AIブッダ 禅に相談してみませんか?
🪷 AIブッダ 禅とは
AIブッダ 禅は、仏教経典10,000偈句以上のデータベースから、あなたの悩みに合った教えをAIが選び、経典名・偈番号の出典を明記して届けるサービスです。
一般的なAIは「もっともらしいが出典のない文章」を生成しますが、AIブッダ 禅はRAG(Retrieval-Augmented Generation)技術により、検証済みの経典データベースから該当する偈句を検索し、それに基づいて応答します。すべての回答に出典が付き、引用の信頼度を4段階で開示します。
経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。