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vinaya 趣旨一致

律蔵 布薩犍度 段落64

Tena gilānena bhikkhunā ekaṁ bhikkhuṁ upasaṅkamitvā ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā ukkuṭikaṁ nisīditvā añjaliṁ paggahetvā evamassa vacanīyo— ‘chandaṁ dammi, chandaṁ me hara, chandaṁ me ārocehī’ti. Kāyena viññāpeti, vācāya viññāpeti, kāyena vācāya viññāpeti, dinno hoti chando. Na kāyena viññāpeti, na vācāya viññāpeti, na kāyena vācāya viññāpeti, na dinno hoti chando. Evañcetaṁ labhetha, iccetaṁ kusalaṁ. No ce labhetha, so, bhikkhave, gilāno bhikkhu mañcena vā pīṭhena vā saṅghamajjhe ānetvā kammaṁ kātabbaṁ. Sace, bhikkhave, gilānupaṭṭhākānaṁ bhikkhūnaṁ evaṁ hoti— ‘sace kho mayaṁ gilānaṁ ṭhānā cāvessāma, ābādho vā abhivaḍḍhissati kālaṅkiriyā vā bhavissatī’ti, na, bhikkhave, gilāno bhikkhu ṭhānā cāvetabbo. Saṅghena tattha gantvā kammaṁ kātabbaṁ. Na tveva vaggena saṅghena kammaṁ kātabbaṁ.
その病める比丘は、一人の比丘のもとに赴き、上衣(ウッタラーサンガ)を一肩にかけ、蹲踞(うっくつ)の姿勢に座して、合掌し、次のように告げるべきである。——「われは意欲(チャンダ)を与える。わが意欲を持ち行き、わが意欲を伝えよ」と。身(カーヤ)によって知らせ、語(ヴァーチャー)によって知らせ、身と語とによって知らせれば、意欲は与えられたことになる。身によっても知らせず、語によっても知らせず、身と語とによっても知らせなければ、意欲は与えられたことにはならない。もしかくのごとく〔意欲を〕得ることができれば、それはよきことである。もし得ることができなければ、比丘たちよ、その病める比丘を、寝台(マンチャ)あるいは座椅子(ピータ)に乗せたまま僧伽(サンガ)の中央に運び入れて、羯磨(カンマ)を行うべきである。比丘たちよ、もし病人の看護に当たる比丘たちに、「もしわれらが病める者をその場所より動かすならば、病(アーバーダ)はいよいよ増すか、あるいは命終(カーランキリヤー)に至るであろう」という思いが生じるならば、比丘たちよ、病める比丘をその場所より動かしてはならない。僧伽がそこに赴いて羯磨を行うべきである。ただし、分裂した僧伽によって羯磨を行ってはならない。
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⚠ 自己責任論に誤解されやすい,出家者向けの文脈

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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。

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