律蔵 布薩犍度 段落59
‘pārisuddhiṁ dammi, pārisuddhiṁ me hara, pārisuddhiṁ me ārocehī’ti. Kāyena viññāpeti, vācāya viññāpeti, kāyena vācāya viññāpeti, dinnā hoti pārisuddhi. Na kāyena viññāpeti, na vācāya viññāpeti, na kāyena vācāya viññāpeti, na dinnā hoti pārisuddhi. Evañcetaṁ labhetha, iccetaṁ kusalaṁ. No ce labhetha, so, bhikkhave, gilāno bhikkhu mañcena vā pīṭhena vā saṅghamajjhe ānetvā uposatho kātabbo. Sace, bhikkhave, gilānupaṭṭhākānaṁ bhikkhūnaṁ evaṁ hoti— ‘sace kho mayaṁ gilānaṁ ṭhānā cāvessāma, ābādho vā abhivaḍḍhissati kālaṅkiriyā vā bhavissatī’ti, na, bhikkhave, gilāno bhikkhu ṭhānā cāvetabbo. Saṅghena tattha gantvā uposatho kātabbo. Na tveva vaggena saṅghena uposatho kātabbo. Kareyya ce, āpatti dukkaṭassa.
「わたしは清浄(パーリスッディ)を与える。わたしのために清浄を持ち帰ってくれ。わたしの清浄を告げ知らせてくれ」と。身をもって知らせるか、言葉をもって知らせるか、身と言葉の両方をもって知らせるならば、清浄は与えられたことになる。身をもっても知らせず、言葉をもっても知らせず、身と言葉の両方をもってしても知らせないならば、清浄は与えられたことにならない。もしそのようにできるならば、それはよいことである。
もしそれができない場合には、比丘たちよ、その病める比丘を寝台あるいは椅子に乗せて僧団(サンガ)の中央に運び込んで、布薩(ウポーサタ)を行うべきである。
比丘たちよ、もし病める比丘の看護にあたる比丘たちに、「もしわれわれが病人をその場所から移動させるならば、病状がいっそう重くなるか、あるいは命終(カーランキリヤー)することになるであろう」という思いが起こるならば、比丘たちよ、病める比丘をその場所から移動させてはならない。僧団がそこへ赴いて布薩を行うべきである。
ただし、分裂した僧団によって布薩を行ってはならない。もし行うならば、突吉羅(ドゥッカタ)の罪を犯すことになる。
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。