律蔵 大犍度 段落116
Evaṁ te aññamaññaṁ sagāravā sappatissā sabhāgavuttino viharantā imasmiṁ dhammavinaye vuḍḍhiṁ viruḷhiṁ vepullaṁ āpajjissanti. Evañca pana, bhikkhave, upajjhāyo gahetabbo— ekaṁsaṁ uttarāsaṅgaṁ karitvā pāde vanditvā ukkuṭikaṁ nisīditvā añjaliṁ paggahetvā evamassa vacanīyo— ‘upajjhāyo me, bhante, hohi; upajjhāyo me, bhante, hohi; upajjhāyo me, bhante, hohī’ti. Sāhūti vā lahūti vā opāyikanti vā patirūpanti vā pāsādikena sampādehīti vā kāyena viññāpeti, vācāya viññāpeti, kāyena vācāya viññāpeti, gahito hoti upajjhāyo; na kāyena viññāpeti, na vācāya viññāpeti, na kāyena vācāya viññāpeti, na gahito hoti upajjhāyo. Saddhivihārikena, bhikkhave, upajjhāyamhi sammā vattitabbaṁ. Tatrāyaṁ sammāvattanā—
かくのごとく、彼らが互いに尊重し、恭しく奉じ、和合して住むならば、この法と律(ダンマヴィナヤ)において増長し、成長し、円満に達するであろう。
さて比丘たちよ、和尚(ウパッジャーヤ)はこのようにして受けるべきである。——上衣(ウッタラーサンガ)を一肩にかけ、足を礼して蹲踞(うずくまり)して座り、合掌して、こう申し上げるべきである。「尊者よ、どうか私の和尚となってください。尊者よ、どうか私の和尚となってください。尊者よ、どうか私の和尚となってください」と。
「よろしい」と、あるいは「承知した」と、あるいは「ふさわしい」と、あるいは「適切である」と、あるいは「清らかなるさまで努めよ」と、——身によって意を示し、語によって意を示し、身と語によって意を示すならば、和尚は受けられたのである。身によっても意を示さず、語によっても意を示さず、身と語によっても意を示さぬならば、和尚は受けられていないのである。
比丘たちよ、同住弟子(サッディヴィハーリカ)は、和尚に対して正しく振る舞うべきである。そこにおける正しき振る舞いとはこれである。——
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。