律蔵 大犍度 段落45
Abhabbo kho yaso kulaputto hīnāyāvattitvā kāme paribhuñjituṁ, seyyathāpi pubbe agārikabhūto; yannūnāhaṁ taṁ iddhābhisaṅkhāraṁ paṭippassambheyyan”ti. Addasā kho seṭṭhi gahapati yasaṁ kulaputtaṁ nisinnaṁ disvāna, yasaṁ kulaputtaṁ etadavoca— “mātā te, tāta yasa, paridevasokasamāpannā, dehi mātuyā jīvitan”ti. Atha kho yaso kulaputto bhagavantaṁ ullokesi. Atha kho bhagavā seṭṭhiṁ gahapatiṁ etadavoca— “taṁ kiṁ maññasi, gahapati, yassa sekkhena ñāṇena sekkhena dassanena dhammo diṭṭho vidito seyyathāpi tayā, tassa yathādiṭṭhaṁ yathāviditaṁ bhūmiṁ paccavekkhantassa anupādāya āsavehi cittaṁ vimuttaṁ. Bhabbo nu kho so, gahapati, hīnāyāvattitvā kāme paribhuñjituṁ seyyathāpi pubbe agārikabhūto”ti? “No hetaṁ, bhante”. “Yasassa kho, gahapati, kulaputtassa sekkhena ñāṇena sekkhena dassanena dhammo diṭṭho vidito seyyathāpi tayā, tassa yathādiṭṭhaṁ yathāviditaṁ bhūmiṁ paccavekkhantassa anupādāya āsavehi cittaṁ vimuttaṁ.
「ヤサ良家の子は、かつて在家であった頃のように、低き道に戻りて欲楽を享受することは、もはや叶わぬことである。さあ、この神通(iddhi)の構築を静めるとしよう」と。
長者(seṭṭhi)なる居士は、ヤサ良家の子が座しているのを見て、ヤサ良家の子にこう告げた——「タータよ、ヤサよ、汝の母は悲嘆(parideva)と憂愁(soka)に沈んでおる。母に命を与えてやってくれ」と。
そこでヤサ良家の子は、世尊を仰ぎ見た。
そこで世尊は、長者なる居士にこう仰せになった——「居士よ、汝はいかに思うか。有学(sekkha)の智(ñāṇa)と有学の見(dassana)とをもって法(dhamma)を見、了知したる者、汝の場合のごとくに、その見たるところ、知りたるところの境地を観察しながら、取著(upādāna)することなく諸漏(āsava)より心が解脱した者、その者が、かつて在家であった頃のように、低き道に戻りて欲楽を享受することは叶うであろうか」と。
「世尊よ、それは叶いませぬ」と。
「居士よ、まさにこのヤサ良家の子もまた、有学の智と有学の見とをもって法を見、了知したこと、汝の場合のごとくであり、その見たるところ、知りたるところの境地を観察しながら、取著することなく諸漏より心が解脱したのである。」
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。