律蔵 大犍度 段落23
brahmacariyapariyosānaṁ diṭṭheva dhamme sayaṁ abhiññā sacchikatvā upasampajja viharissathā”ti. Asakkhi kho bhagavā pañcavaggiye bhikkhū saññāpetuṁ. Atha kho pañcavaggiyā bhikkhū bhagavantaṁ sussūsiṁsu, sotaṁ odahiṁsu, aññā cittaṁ upaṭṭhāpesuṁ. Atha kho bhagavā pañcavaggiye bhikkhū āmantesi— “Dveme, bhikkhave, antā pabbajitena na sevitabbā. Yo cāyaṁ kāmesu kāmasukhallikānuyogo hīno gammo pothujjaniko anariyo anatthasaṁhito, yo cāyaṁ attakilamathānuyogo dukkho anariyo anatthasaṁhito. Ete kho, bhikkhave, ubho ante anupagamma majjhimā paṭipadā tathāgatena abhisambuddhā cakkhukaraṇī ñāṇakaraṇī upasamāya abhiññāya sambodhāya nibbānāya saṁvattati. Katamā ca sā, bhikkhave, majjhimā paṭipadā tathāgatena abhisambuddhā, cakkhukaraṇī ñāṇakaraṇī upasamāya abhiññāya sambodhāya nibbānāya saṁvattati? Ayameva ariyo aṭṭhaṅgiko maggo, seyyathidaṁ— sammādiṭṭhi, sammāsaṅkappo, sammāvācā, sammākammanto, sammāājīvo, sammāvāyāmo, sammāsati, sammāsamādhi.
「……梵行(ぼんぎょう)の究極を、現法(げんぽう)において自ら証知し、実現して、具足して住むであろう」と。
世尊は、五群の比丘たちを納得させることができた。
そこで五群の比丘たちは、世尊の言葉に耳を傾け、聴聞し、了解のために心を集中した。
そこで世尊は、五群の比丘たちに告げられた。
「比丘たちよ、出家者が親しむべきでない二つの極端がある。すなわち、諸々の欲楽における欲楽への耽溺(たんでき)——これは下劣にして卑俗であり、凡夫の道であり、聖なるものにあらず、利益をともなわない。また、自己苦悩への耽溺——これは苦しく、聖なるものにあらず、利益をともなわない。
比丘たちよ、これら二つの極端に近づくことなく、如来が現等覚した中道(ちゅうどう)がある。これは眼を生じ、智を生じ、寂静(じゃくじょう)のために、勝智(しょうち)のために、正覚(しょうがく)のために、涅槃(ねはん)のために資する。
では、比丘たちよ、如来が現等覚したその中道とは何か。眼を生じ、智を生じ、寂静のために、勝智のために、正覚のために、涅槃のために資するものとは何か。
まさにこの八支聖道(はっしせいどう)がそれである。すなわち、正見(しょうけん)・正思惟(しょうしゆい)・正語(しょうご)・正業(しょうごう)・正命(しょうみょう)・正精進(しょうしょうじん)・正念(しょうねん)・正定(しょうじょう)がこれである。
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⚠ 自己責任論に誤解されやすい,希死念慮の場面では使わない,出家者向けの文脈,初学者には難しい
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経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。