律蔵 大犍度 段落21
Asaṇṭhahantā bhagavantaṁ paccuggantvā eko bhagavato pattacīvaraṁ paṭiggahesi, eko āsanaṁ paññapesi, eko pādodakaṁ, eko pādapīṭhaṁ, eko pādakaṭhalikaṁ upanikkhipi. Nisīdi bhagavā paññatte āsane; nisajja kho bhagavā pāde pakkhālesi. Apissu bhagavantaṁ nāmena ca āvusovādena ca samudācaranti. Evaṁ vutte, bhagavā pañcavaggiye bhikkhū etadavoca— “mā, bhikkhave, tathāgataṁ nāmena ca āvusovādena ca samudācaratha. Arahaṁ, bhikkhave, tathāgato sammāsambuddho, odahatha, bhikkhave, sotaṁ, amatamadhigataṁ, ahamanusāsāmi, ahaṁ dhammaṁ desemi. Yathānusiṭṭhaṁ tathā paṭipajjamānā nacirasseva— yassatthāya kulaputtā sammadeva agārasmā anagāriyaṁ pabbajanti, tadanuttaraṁ— brahmacariyapariyosānaṁ diṭṭheva dhamme sayaṁ abhiññā sacchikatvā upasampajja viharissathā”ti.
〔五人の修行僧たちは〕世尊を引き留めることもなく、進み出て迎えた。ある者は世尊の鉢と衣(はつえ)を受け取り、ある者は座(ざ)を整え、ある者は足を洗う水を用意し、ある者は足台を、ある者は足拭きの布を傍らに置いた。世尊は整えられた座にお座りになり、座るや足をお洗いになった。しかし彼らは世尊に対して、名前で、また「友よ(āvuso)」という呼びかけで話しかけていた。
こうした状況を見て、世尊は五群の比丘(pañcavaggiya bhikkhū)たちにこう仰せになった。
「比丘(bhikkhu)たちよ、如来(tathāgata)に対して名前で、また『友よ』という言葉で呼びかけてはならない。比丘たちよ、如来は応供(arahaṁ)にして正等覚者(sammāsambuddha)である。耳を傾けよ、比丘たちよ。不死(amata)は証得された。われは教え示さん、われは法(dhamma)を説かん。教え示されたとおりに修行するならば、遠からずして——善家の子らが正しく家(家住)を捨てて出家する、まさにその目的である、この上なき梵行(brahmacariya)の完成を——現世において自ら直接知り(abhiññā)、証し、具足して住することになるであろう。」
導線タグ: 将来,別れ,食事,喪失
⚠ 希死念慮の場面では使わない,出家者向けの文脈
この教えについて、AIブッダ 禅に相談してみませんか?
🪷 AIブッダ 禅とは
AIブッダ 禅は、仏教経典10,000偈句以上のデータベースから、あなたの悩みに合った教えをAIが選び、経典名・偈番号の出典を明記して届けるサービスです。
一般的なAIは「もっともらしいが出典のない文章」を生成しますが、AIブッダ 禅はRAG(Retrieval-Augmented Generation)技術により、検証済みの経典データベースから該当する偈句を検索し、それに基づいて応答します。すべての回答に出典が付き、引用の信頼度を4段階で開示します。
経典テキストの出典: SuttaCentral(CC0ライセンス)。英訳: Bhikkhu Sujato師(経蔵)/ Bhikkhu Brahmali師(律蔵)。日本語訳はAI生成による参考訳です。